人としての成長

成長するということについて、

今の理解だと、

人が他の動物と異なり、
唯一の能力である無(心)から有(物・事象)を生み出すことができる。

そうすると、
その唯一の能力である生み出せる幅が拡がり、
生み出せるものが大きくなっていくことを
人として成長するというのではないか。

「心技体」は、無から有を生み出す過程を指している。
心と技と体というそれぞれ独立したものではなく、
心→技→体という1つの流れである。

その過程を磨く(反省と禊)することで、
任意のものを生み出せるようになっていく。

それを成長というのではないか。

年をとっていくと、周りの環境は常に変化していく。
仕事や人間関係。
常に一定のものはなく、
仕事でも、常に新しいことをしていく。
経験を積み立てると技が深く多くなっていくが、
仕事が変わるとまた一から、積み立てる必要がある。
しかし、成長の定義を上記とすれば、
たとえ技は一からでも、
心(イメージ力、秩序を踏まえた発想力)
体(目に見える財産、人脈など)
はある。

また、これまで反省と禊を繰り返していれば、
過去の無駄な悩み(体→技→心)を起こす行動は前に比べて減っており、
わずかな技でも、最大限に心→技→体を活かすことができる。
ことから、全くの新人の時とは心技体の状態が異なる。

これを成長というのではないのか。

この成長は死ぬまで続けられる。