青空に飛ぶ 鴻上尚史より その1

・カンザスシティの小学校では「Tattling」と「Reporting」の違いを
丁寧に教えられた。「Tattling」は訳すと告げ口とか無駄口だ。
「Reporting」は報告すること。
例えば隣の生徒が教科書に落書きしているのを先生に言うのは
「Tattling(告げ口)」だ
でも友達がいじめられているのを見たことを言うのは「Reporting(報告)」。
二つは「余計なお世話」と「大切な知らせ」の違いだ。
「Tattling」をすると、人をトラブルに巻き込む。
「Reporting」をすると人を助ける。
「Tattling」は自分たちで解決できることを先生に言ってしまう。
「Reporting」は大人の助けが必要なことを言う。
「Reporting」はすべきだが、「Tattling」はやるべきじゃないと
ニック先生は教えてくれた。
授業ではいろんなケースを挙げて「Tattling」なのか「Reporting」なのか
僕たちに考えさせた。
いじめは間違いなく「Reporting」すべき代表だった。

・ベッドに横たわっていた友次さんは優しそうな顔をしていた。
厳しさよりも穏やかさが表情に表れていた。
けれど、心の奥になにか固いものがあるように感じた。
何だろう。なんて言うんだろう。頑固という言葉は知ってる。でも何か違う。
頑固は悪いイメージがある。そうじゃない。決めたことをやり通す強さ。
覚悟。そうだ。覚悟だ。そんな言葉があることを忘れていた。
友次さんには覚悟があった。生き抜くという覚悟だ。ぼくにはない。
ぼくは死のうとしている。
黙って家を出て死ぬにはちょうどいい高さのマンションを見つけて
夜空に飛ぼうと思っている。
学校が始まる前に。今日、中根や関川、浅井達に会う前に。
目覚まし時計を見た。2時少し前だった。どうしよう。
どうしたらいいんだろう。
友次さんのように覚悟をもって生き抜くのはどうしたらできるんだろう。
ベッドに仰向けに寝ころがった。天井をじっと見つめる。
死のうと決めると心がすーっと軽くなる。
死ねば全てが楽になると感じる。
もう苦しまなくていいんだと安心する。
でも。もうひとつ気持ちをずっと押し殺している。
自分で分かっている。怖い。
死ぬのはすごく怖い。死にたくない。死にたくない。死にたくない。
14歳で死ぬのはくやしい。あいつらのせいで死ぬのは本当にくやしい。
ぼくが死んだら、あいつらは笑うだろう。楽しかったと言い合うだろう。
そのくせ、悲しそうな顔をしてぼくの葬式に出るんだ。
泣きまねをするクラスメイトも間違いなくいるだろう。
何にも悲しくないのに。心の中で楽しんで、笑って
バカにしているのに。とうとう死んじまった。もっと遊びたかったなあ。
次のオモチャは誰にしよう。
そんなことしか思ってないのに、つらそうな顔をしてぼくの葬式に出るんだ。
それがくやしい。胸が張り裂けるぐらいくやしい。
ぼくに覚悟があったら。友次さんのように何を言われても、
どんなことが起こっても生き抜いてやるんだという覚悟があったら。
天井がにじんだ涙でぼやけてきた。
目の端から涙が筋になって落ちた。両親は寝ている。
今なら家を出ても見つからないだろう。
でも。生きたいのか。そう思った途端、体が重くなった。
口の中で嫌な味の唾がわいて吐き気が戻ってきた。
心臓のドキドキが高まってくる。
耐えられるのか。死なないでいられるのか。
叫びそうになって枕に顔を埋めた。
そのまま、声が出た。枕を突き抜けてうめき声が漏れた。
友次さんも急降下の時に叫んだだろうか。
頭に血が上り、体が千切れるような重圧を感じながら叫び続けただろうか。
覚悟。覚悟。覚悟。
また仰向けになって天井を見つめた。
死ぬ。生きる。死ぬ。生きる。死ぬんだと思えば心は軽くなる。
生きると決めると心はずしんと重くなる。
友次さんのように心が強ければ。
でも、ぼくは奥原伍長のように自分に自信がない。
いや、鵜沢軍曹のように自分で自分を傷つけて逃げようとしている。
友次さんの強さがうらやましい。自信が欲しい。戦う力を持ちたい。
夜空に飛ぶのか。学校に行くのか。部屋を出るのか。部屋にいるのか。
夜明けを見るのか。夜明けを待たないのか。覚悟するのか。
あきらめるのか。死ぬのか。
生きるのか。さよならか。おはようか。飛ぶのか。踏ん張るのか。
考えがまとまらない。心が乱れる。気持ちが動く。迷う。ためらう。惑う。怯える。
怖い。震える。悩む。痛い。つらい。分からない。死ぬ。生きる。死ぬ。生きる。
迷い続け、考え続け、感じ続け、震え続け、ためらい続け、怯え続けた。