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ひょうたんからKO-MA
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2007/04/23のBlog
午後8時半ごろ。

2本目の松明に点火された若宮神社に太鼓が到着。
神社を取り巻く見物人もぐんと増える。

ひと昔前は、祭の日には親類縁者が家元に集結して、見物人ももっともっと多かったという。やはり、祭はギャラリーが多いほうが盛り上がるし、楽しいものだろう。

 
到着した太鼓は、本殿の前まで行くと、掛け声とともに頭上高くに3回持ち上げられる。これは「シュウシ」といって、八幡祭でも恒例の印象深いシーン。
 
そして、3本目の松明に点火...その時!!
 
恐れていたことがおきてしまった。
なんと、「ほんがら松明」の胴体に飛び火が引火してしまったのだ!!

ドンガラ松明はもともと外側から火をつけるものなので、飛び火しても大きな問題ではないが、「ほんがら松明」は違う。

煙突状の「真」の底から火を入れ、松明の内側を通っててっぺんに火がつくのが「ほんがら」の見せ所。それを再現したいがために、村の長老たちが一年がかりでつくりあげたのに、飛び火で外から燃えてしまったのではすべてが水の泡。
神社全体に戦慄が走る。すると!!

自警団の若者のひとりが、ほんがら松明に飛びつき、飛び火した場所までよじ登って、素手で火の粉をはたいて火を消した。
それでもまだくすぶっていたので、ペットボトルのお茶をかけて見事に鎮火。

すげえ!
惜しみない拍手。 
この瞬間から、言い知れない一体感が全体を包み込んだ。
 
 
そして4本目。

いよいよほんがら松明に点火。
期待と不安を胸に、見守る老人たち。

自警団に太鼓を担いできた者たちも加勢して、ほんがら松明を取り囲む。
老人達が口々に燃やし方を伝える。みんなが大将。若者は誰の言葉を聞いていいか迷う場面も...。

 
まず、縄(燃えにくいよう、水に浸けてあった藤づるが使われている)と「アホ」(竹竿)で支えながら、慎重に松明を20度ほど傾ける。

底の穴に、火をつけた菜種殻を突っ込み、一気に垂直に戻す。
すると、松明のてっぺんから、モウモウと白い煙が出てきた!!
白龍の如く、漆黒の天上へ向かってくねりながら勢いよく立ち上る煙。
煙だけでも、圧倒的な迫力がある。すごくカッコイイ。
こんな光景は、八幡祭でも、ほかのどの町でも見られない。島町民すら、大多数は初めてみるはず。

そして、10数人の若者が、松明の底に結び付けられた地突き縄をもって「せーの!」で松明を持ち上げ、ズドンと落とす。この時、松明の中に空気がフゥッと入り込み、火が吹き上げられて上まで届く、という算段だが...。

なんせ、やるほうも生まれて初めてなら、教えるほうも50数年ぶりとあって、呼吸が合わず、松明が持ち上がらない。煙は出ても、火は上がらない。

ゲキを飛ばす老人。怒鳴り返す若者。皆が必死ゆえに、高まる緊張感。

煙の勢いが衰えてくる。再び火入れからやり直し。
やはり、地突きがなかなかうまくいかない。

いつもなら、とっくに太鼓が帰り、全ての松明に火をつけ終えているはずの時間。
あせり、苛立ちが募る。

「ようやった、もうええやろ」と言って、外側に火をつけようとする人。
飛び交う怒号。戦々恐々。

「もう一回やろーや!」
「みんな本気で力出せよ!」
「タイミング合わしていくで!」
「せーの!」

『ズーーン!!』

若者たちが意地を見せた。会心の地突き。
立ち上る煙が再び勢いを増す。
一気に息あがる若者たち。
 
もう一度火を入れ、ようやくコツをつかんだ地突きをニ連発。
松明の中からパチパチという音がこだまし、おびただしい煙とともに、真っ赤な火の粉が松明のてっぺんから飛び出してきた!!

湧き上がる歓声と拍手。
肩を抱き合い、万歳三唱する若者たち。
ほほを緩ませ、じっと炎を見つめる老人たち。

 

...正直、うまく火がつかないかもしれない、と思っていた。

60年前、青年団が毎年4本も5本もほんがら松明を作っていた時でさえ、うまく上からポッと火が出るのは1本あればいいほうだった、と老人たちから聞いていた。

しかし、こうしてほんがら松明復活の現場に居合わせた者として確信する。


この松明は、文句なしに「おもしろい」。見るのも、作るのも、火をつけるのも。
先日の八幡祭の船木町も面白いと思ったが、その比ではない。

難しいがゆえに、工夫のしがいがある。
かつて、青年団の若者たちが「ほんがら松明をいかに上手く燃やすか」にしのぎを削っていたことが心底納得できる。


事実、その場に居合わせた若者たちも「しんどかった」と後ろ向きな意見はほとんどなく、「おもろかった!」「来年もやりたい!」と口々に語っていた。
 
 
その場を経験したものだけが共有できた思い。
「(古くても、新しくても、) まつりって楽しい!!!」
これが、次への原動力になれば。
 
4月21日(土)。

このところ肌寒い日が多かったが、この日は蒸し暑いぐらいだった。
やや厚い雲が立ち込めているものの、雨の心配はなさそうだ。感謝!!

午後1時。
総勢15名のドキュメンタリー撮影スタッフが、松明が並ぶ若宮神社に集合。
現場をつぶさに歩いて、照明の位置やカメラアングルなどを入念にチェック。

 
午後6時。

ハッピ姿に身を包んだ太鼓の担ぎ手やカシラ、ちょうちんを持つ役員などが自治会館に集まって、にぎやかに宴が始まった。

宴の影で、カシラや自治会長の奥さんたちが、せっせと給仕をする。宴の席にも松明づくりにも参加できない女性たちの目に、「祭」はどう映っているのだろうか。
 

自治会館の玄関先には、飾り付けの済んだ太鼓が堂々と鎮座している。
 

 
午後8時。

酒が入って赤ら顔の男衆が威勢良く太鼓を担いで、若宮神社までの道のりを歩きだした。

力強い太鼓の音が集落に響き渡る。田んぼで合唱していたカエルたちも、しばし声を潜めて、太鼓の音に震える空気に耳を傾けているようだ。

一方、若宮神社には、各家から「子ども松明」を持ち寄る家族連れが集まっていた。

子ども松明とは、男の子がいる家で作られる小さめの松明。最近は、子ども松明を買って来る家も多いが、今年はカメラを意識してか、おじいちゃん達が孫のためにかなり大きな子ども松明を作ってくれた。


午後7時。

若宮神社の境内で、お稚児さんが、お稚児松明(お稚児さんの子ども松明)に点火する。この火が、次々に点火される松明の元火となる。文字通り、聖火リレーである。
 
 
午後8時すぎ。

太鼓の渡りが中間地点を過ぎた頃、お稚児松明・子ども松明を燃やした火が、1本目の大松明(ドンガラ)に点火される。

火を扱うのは、地元の消防団・自警団の若者たち。

今年は例年より松明が一本多いので、境内がずいぶん狭く感じる。
「ほかの松明はええけど、ほんがら松明だけには絶対飛び火させんなよ!『おまえが飛び火させたから...』て一生言われ続けるぞ!!」が、今年の自警団の合言葉になっていた。

50数年ぶりに復活した「ほんがら松明」の存在感が若者にまで伝播し、同時に村の長老たちへの畏敬の念も助長される。いい意味でも悪い意味でもなく、ここにはまだ「共同体」が息づいていることが感じられた。

 
(つづく)
 
2007/04/20のBlog
[ 23:38 ] [ ほんがら ]
明日の「宵宮祭」では、いよいよ「ほんがら松明」に点火されます。

私たちは、太鼓の渡り、燃える松明、老人や若者の表情などをしっかり映像に収めるため、全部で8人のカメラクルーを動員することになりました。

これまではずっとカメラ1人で撮ってきたので、これは全く初めての経験。

しかも、撮影は夜。
地元の造園屋さんに投光器と脚立を借り、手弁当で照明をセット。
一昨日、実際に同時刻に照明をセットしてロケハンしてきましたが、なかなかいろいろ難しい。

撮る対象も、練り歩く太鼓に燃える松明と、やり直しが利かない、一発勝負、一瞬勝負の相手。説明は何度も聞いたし、八幡祭でイメトレもしたけど、いかんせん、島町の祭を生で見るのは今回が初めて。

おまけに、天気予報を見ると天気が崩れる可能性も...。

果たしてどうなることやら...。
若宮神社の神様、権現山の神様、私たちをどうか温かく見守っていてくださいね!!
 
2007/04/15のBlog
[ 23:28 ] [ ほんがら ]
中央が空洞になっている「ほんがら」に対して、中央に空洞がなく、どん詰まりになっているものを「どんがら」と言うそうです。

今年老人クラブが50数年ぶりに復活させた1本の「ほんがら松明」以外の松明は、例年通り、自治会の「組」ごとに1本ずつ、単に竹を数本束ねて芯にした「どんがら松明」が、この日に全部で5本作られました。

「どんがら」であれば、輪・真を作る手間を省ける分、作業が簡便化でき、1日で一から完成してしまいます。


この日のうちに5本のどんがらが作られ、神社の境内に、ほんがらとともに仲良く並べられました。

写真の右から3番目、一番背が高くて太いのが老人クラブの「ほんがら」です。


どうやら、各組とも「今年は老人を敬って、老人クラブが作った松明より背を低くするように!」という暗黙の了解があったようです。

なんだかんだ言いながら、やっぱり立てるところではきちんと老人を立てる、年長者を敬うという価値観がまだしっかり残っているんだなあ、と思わず関心しました。


 
...さあ、いよいよ祭り本番まであと一週間。
撮影チームも正念場を迎えます。
 
2007/04/14のBlog
さあて、これが「八幡祭」のなかでも一番背が高い多賀町の松明。

写真に写ってるのは、松明の上半分ぐらいかな。
島町の今年のほんがら松明の3倍ぐらいありそう。
さすがに迫力あります。

ちなみに、島町でも、かつては今の倍ぐらいの背のほんがら松明を作っていたそうです。
 
夜。

1本、また1本と奉火される松明。
松明の胴体部分を覆っている「菜種殻」は、猛烈によく燃えます。
燃えカスもほとんど残りません。
しかも、燃やす前は白くてフワフワしていて、遠めに見ると美しい。

先人の智慧、ですねぇ。
写真は撮り損ねましたが、今年は、八幡祭もクライマックスに近い頃に奉火された「船木町」の松明がスゴかった!!

奉火する前から、若衆たちが妙に盛り上がってるなぁと思っていたら、なんと松明にしかけ花火が仕込まれていて、松明は点火と同時に華やかな色の炎に包まれ、なんとも幻想的な演出でした。でも、あれは相当金かかってるよなぁ、絶対。

...船木町の若者の間でいったい何が起こっていたのか?!
要、取材です。
 
 
4月14日は、近江八幡の三大火祭のひとつ、『八幡祭』の宵宮祭があった。

この『八幡祭』と、島町の松明・太鼓祭は、起源も内容もほぼ一緒。
実は、近江八幡周辺では、そこらじゅう、ほとんど全ての集落の神社という神社で、この時期(3月下旬~5月上旬)に、巨大松明を燃やして大太鼓が渡る祭が行われている。

たまたま近江八幡で一番大きな『日牟禮八幡宮』に奉納される祭が『八幡祭』と称され、氏子が多い分、一番規模が大きくて華やかなことから、観光客がたくさん押し寄せる有名な祭になったが、八幡祭だけが松明・太鼓祭ではないことは、地元でも都市部や旧市街に住む人たちは意外に知らないことも。


で、今日はその『八幡祭』で、島町での松明&太鼓のイメージトレーニングをすべく、カメラを持って宵宮に行ってきた。

 
八幡祭に限らず、この時期、この地域では「子ども松明」というミニチュア版の松明が市販されている。

祭が本格的に始まるまでの間に、この「子ども松明」が家族の手で次々燃やされるのだ。

男の子のいる家では、昔は父親か祖父が男の子の人数分、子ども松明を手づくりしていたが、今はたいてい購入しているようだ。
また、写真にあるように、男の子だけでなく、女の子用に松明を奉納する人もいるみたい。昔は「女が松明を触るとけがれる」と言って、女性は常に松明から遠ざけられていたそうで、老人世代の女性は今でも松明には近寄ろうとしない。
こうやって時代に応じてルールを変容させていくことは、いいことだと思う。
 

 
同じ八幡祭の氏子でも、集落によって奉納する松明にはそれぞれ個性がある。

北ノ庄町の「ひきずり松明」もそのひとつ。
その名の通り、火のついた松明を若衆が引きずって走るのだ。
その際、男どもが甲高い裏声で「パイ!パイ!」と叫びながら走る。どういう意味があるのかは分からない。

で、「子ども松明」を燃やしている神社の境内で、面白い場面に出くわした。

その北ノ庄から来た4~5歳くらいの男の子が、北ノ庄男児らしく、市販のミニチュア松明ではなく、北ノ庄オリジナルの「子ども引きずり松明」を持ってきて火をつけ、ハッピを着て、「パイ!パイ!」とかわいい声で叫びながらそこらじゅうを駆け回っていた。
もちろん、周りには家族や北ノ庄の隣人たちがいて、彼をはやし立てている。

いやはや、このぐらい小さなときから毎年こんな体験をしていたら、青年になっても絶対祭り好きになるやろなぁ。すたれることもないやろなぁ。
 
 
ちなみに、コレ→がホンモノの「引きずり松明」。
丸太の心棒が入っていて、なかなか重たそう。
火がついたまま、大人4人ぐらいで引っ張って走り、日牟禮八幡宮の楼門をくぐって奉火する。
 
引きずり松明が通り過ぎたあとの火の粉の道が、またアーティスティックで印象的。
 
 
松明と切っても切れないのが、大太鼓。
写真のように男衆がかつぎ、練りながら太鼓を叩き続ける。

それにしても、和太鼓の音はどうしてこうも魂をゆさぶるのだろう。

天高く燃ゆる松明の光と熱、低く深く響く太鼓の音、そして神聖なる神社のスピリチュアルな空間。

この祭がどうして千数百年もの長きに渡って続いているのか、何となく、分かる気がする。
 
2007/04/09のBlog
ごらんください!!

これが、50数年ぶりに近江八幡市島町に復活した、幻の「ほんがら松明」!!

今日、最後の仕上げの作業を行った村の古老たちの、汗と涙の結晶(?)です。


胴体部分には、先日作られた「竹」で編んだ「真」の周りに「ワラ束」を巻き、さらにその上を「菜種がら」で「化粧」されています。

上の傘の部分は、水郷の名産品・「ヨシ」

松明が倒れないよう張ってある縄は、松明に近い部分は山で取ってきた「藤蔓(フジヅル)」が使われています。ワラ縄だとすぐに燃えてしまって引き綱としての役割を果たせないので。

地場で採れる自然素材を巧みに利用して作られる巨大松明。

さあ、あとは、4/21の祭本番を待つばかり。
 
 
 
 
 
 

「真」にワラ束を巻きつける。
ワラは、丈が長く、細くしなやかで加工しやすい「もち米」のワラが良い。

 

松明を一旦立てて、ワラの上に菜種殻を覆っていく。
美しく段々ができるよう、形を整える。
ちなみに、この段の数は奇数でなければならないそうだ。
 
 

てっぺんの「傘」の部分は、地場産のヨシでつくる。
これは、日輪のシンボルだとか、ろうそくの炎を模したものだとか、諸説あるが、いずれも真偽の程は定かでない。
 
なんにしても、これはもう究極のアートでしょう。美しい。


写真右下に、「ほんがら」の穴が見えますね。
うまくいけば、ここから煙と炎が噴出すわけです。
 
 


完成したほんがら松明の重量は、2~3tにも達するらしい(地元老人談)。
これを、なんとなんと、70~80代のおじいちゃんたちだけで立ててしまった。
さすがに往年のようにはいかず、腰が痛そうではありましたが、オドロキ、感動の場面。

ちなみに、松明を立てるときに使う竹の竿のことを「アホ」と呼ぶそうです(笑)。

 
 
2007/02/28のBlog
この日、もうひとつの嬉しいハプニング。

今日の輪づくり作業の話を聞きつけた地元幼稚園の先生方が、園児を引き連れて見学に来てくださった。

この時の園児たちの反応が、老人たちから前もって取材で伝え聞いていた60~70年前の子ども達と全く同じだったことが、とにかく微笑ましかった。

誰に言われるでもなく、子ども達は列をなし、一人ずつほんがらの輪の中へ!
しかし、輪は先へ行くほど細くなり、もうそれ以上先に進めなくなって、後ずさり。

戦前の子ども達も、こうやって遊んでいたらしい。
子どもがほんがらをくぐって遊ぶこの風景もまた、50数年ぶりの復活を果たした。
 
これ(右の写真)でほぼ完成。

「ほんがら」の「真(シン)」を底から見たところ。
輪の内側に3本、外側に6本の芯竹が結われていることがよく分かる。

祭の本番では、このトンネルの中を、炎が駆け上がっていく。ハズ。(祈!)
 
 
できあがった「真」は、軽トラに乗せられ、神社の境内に運ばれた。

祭の1~2週間前には、この「真」に「化粧」が施され、この神社の境内に立つことになる。
 
2月28日。
時折小雨の振る肌寒い朝。

今日はいよいよ『輪づくり』の日。
50数年ぶりに「ほんがら松明」が復活するその姿を目の当たりにできる日。

15人ぐらいの島町の老人達が、今日の作業場であるMさん宅の倉庫に集まってきた。
皆、半世紀前の自分に戻ったかのごとく、少年のように目を輝かせている。

そして、誰が合図するでもなく、作業は始まった。

50数年まえの青年たちが、当時の記憶を手繰りながら、竹を割り、思い思いに『輪』を編んでゆく。

人くくりに「老人」といっても、年齢は60代後半から80代前半と、ひと周り以上違う。
当然、青少年時代の記憶も少しずつ異なり、所々でちいさな言い争いも起きる。

でも、ああでもない、こうでもないと言い合いながら、作業は淡々と進み、次々と竹の輪が出来てきた。

みんなで作った50個ほどの「輪」を、一番大きいものから一番小さいものへと順番に並べ、竹に通していく。


 
さて、ここからが昭和一ケタ生まれの腕の見せ所。
老人達がズラリと並び、ワラ縄を使って次々と手早く芯竹に輪をくくりつけていく。

この時に使われるのが、「男結び」という結び方。
「男結び」は、しっかり結べてほどけにくく、しかも結び目が美しい、と言われている。

「松明を結うのは男結び」、というのは彼らにはもう身に染み付いた習慣だが、生活の中でワラ縄を使う機会がなくなってしまった世代には、男結びができない男衆も多い。

事実、稲作中心の農村集落であるこの島町ですら、ワラ縄はホームセンターに(恐らくは中国産のものを)買いに行かないとない時代なのである。
 
「ほんがら松明」は、とにかく結び目が多い。

輪の内側に3本、輪の外側に6本、芯竹を通すので、輪の数が50とすると、単純計算で(3+6)×50=450箇所も結び目があることになる。

その全てを「男結び」で着々と仕上げていく老人たちの手早さは、とても50年ぶりとは思えない熟練の技を思わせる。「朝飯前」という言葉がピッタリくる仕事ぶり。
 
...実は、この日に先立って、私たちはあるシカケをしていた。
そう、2/24の若衆の集まりで、このプロジェクトのことを紹介させてもらった時に、この日に「輪づくり」の作業があることを伝えておいたのだ。
 
すると、どうだ。

平日だというのに、1、2、3、...4人の若者たちが、この輪づくりに参加しにきてくれた。
爺さんたちの寄り合いに、働き盛りの若衆が仕事を休んでまで顔を出す。
こんな光景、今まではありえなかったんじゃないか?

若者たちも、見よう見まねで輪を編み、男結びに挑戦。
この日ばかりは、ウルサい爺さん達の言うことを素直に聞いている...。


4人のうちの1人、Sさんは、3年前に家族で外から島町に引っ越してきた。
田舎暮らしがしたくてあちこち探し回り、この島町に一目惚れして、家を建てたそうだ。

「田舎はつきあいが大変だぞ!」と周囲からさんざん諭されたそうだが、Sさんは言う。

「つきあいがあるからこそ楽しいし、安心して暮らせる。“つきあいが大変だ”という意識を持ってしまう今の社会の方が問題だ。」

「祭があったり、いろんな寄り合いがあるおかげで、地元の人たちと顔なじみになれた。」

「この土地に祭があって良かった。」
 
この日、老人に教わりながら、初めて「男結び」をマスターしたSさん。素直に喜ぶ満面の笑みに、幸せな感情が周囲にも伝播する。
 
左義長にも松明にも共通する、地域コミュニティにおける「祭」の存在意義。
そして、ほんがら松明づくりが生み出した、世代から世代への伝承。

私たちがなぜこのプロジェクトを始めたのか、答えのひとつが垣間見えた瞬間。
 
2007/02/24のBlog
事件です!!

島町老人クラブによる「ほんがら松明」復活をきっかけに我々が知ることとなった島町の春の祭礼。

この祭は2日間に渡って行われる。
1日目の夜(宵宮祭)は、町民が担ぐ「大太鼓」を神社に迎え入れ、送り出すための「巨大松明」が神社に奉火される。
そして2日目(本宮祭)は、地元の若衆が神輿(みこし)を担いで地域にあるいくつかの神社を巡って練り歩く。

「ほんがら松明」づくりも、「神輿担ぎ」も、かつては地元「青年団」の役目だった。
青年団とは、15歳~25歳の地元住民が所属する組織で、祭や運動会、道普請などでの奉仕活動を通じて、責任ある立場として地元に貢献していた。

その頃はほぼ全員が専業農家で自給自足生活だったので、青年団という強固な拘束力を持った組織が存在し得たが、生活スタイルが変わり、皆外へ出て働くようになって、青年団は徐々に機能しなくなり、その機能は全て「自治会」に委ねられ、いつしか青年団そのものが消滅してしまった。

農村地域の様々な課題は、実はここに大きな根本原因がありそうだ、ということを、私たちは現場での活動を続ける中で何度も感じてきた。

現在の子ども達は、「子供会」を卒業すると、「自治会」の役員が当たるまで、地域との組織的なつながりが何もない。そうなると、地元でのヨコのつながりが育たず、地域への愛着も深まらず、若者のコミュニティが希薄化し、地域離れが加速するのは至極当然の成り行きではないか。

一方、青年団が地域で担ってきた役割を全て背負ってしまった「自治会」という組織は、毎年役員が総換えされてしまう継続性・発展性の乏しい組織体であり、たくさんの「重荷」を「一年間の辛抱」として淡々とこなし、来年に引き継ぐ、というだけの構造になってしまっている。


端的な例が、神輿の担ぎ手確保。
神輿の担ぎ手は、地元に住む15歳以上の若者で、若い順に14人、と決まっている。これは、今も昔も変わらない、神事としてのルール。

青年団が神輿を担いでいた頃は、担ぎ手が足りないなんてことはなかった。
ところが今は、毎年、自治会長が若者がいる家を一軒一軒廻り、拝み倒して祭に参加してもらわないと担ぎ手が14人揃わない。
今年度の自治会長も、断腸の思いで土下座までしてどうにかこうにか担ぎ手14人を集めた、という。それも、10代、20代で思うように集まらず、40過ぎの人にまで参加してもらっていた。


 

ほんがら松明が復活する今年、一方で存続の危機に瀕する神輿の方も何とかしたい!という思いが、自治会長と一致した。

そして、30~40歳前後の若衆の有志に声を掛け、自治会からも呼びかけてもらって、地域の若者全員が集まる場が設けられた。その第一回目が今日、2/24だった。
もちろん本当に全員が集まったわけではないが、十数名の若衆が集まってきた。


そして、その場で事件は起きた。


自治会長の話を聞いた若衆。なんと
「神輿担ぎは自分たち若者の役目。これからは、自分たち若者で“祭礼実行委員会”を組織して、責任を持って神輿の担ぎ手を集め、祭を成功させよう」
という話がその場でまとまった。

「祭」という地域財産のおかげで、青年団の消滅とともに消えかけていた地域の若者をネットワークする受け皿が、今、ここに復活したのだ。
 
もちろん、まだまだ課題山積ではあるが、島町、面白くなってきた!!
 
 


(余談)
実は、この若者の会合の場で、少し時間をもらって老人クラブの「ほんがら松明復活プロジェクト」を紹介させてもらった。
まだまだ、老人以外の世代には、「おじいちゃんたちが何かやっとるわ」ぐらいにしか思われてなかったので....。

説明に使ったのは、AAFのプレゼン用に作ったものをアレンジした映画の予告編。

果たして、このことが、また「次」につながることに...。
 
2007/02/18のBlog
[ 21:53 ] [ ほんがら ]
これまで、ひょうたんからKO-MAのスタッフブログでプロジェクトの経過報告をしてきましたが、ひょうたんからKO-MAの活動のうち、今回AAFに企画提案した「ほんがら松明復活映像化プロジェクト」「子ども映画づくりワークショップ」に関しては、2007/2/18以降、こちらのブログをメインに情報発信していきます。

2/17以前の情報については、お手数ですが、ひょうたんからKO-MAスタッフブログ( http://hyotan.sblo.jp/ )の方を参照してください♪


まつりが地域コミュニティをつなぎ、地域がまつりをそだてる、そんな現場を取材した「左義長祭の元気の源を探る!!」は必読デス。
http://hyotan.sblo.jp/article/3353276.html
 
2007/02/11のBlog
滋賀県 近江八幡市 島町。
日本一の湖・琵琶湖のほとりに位置する、しずかな農村集落です。
今、私たちは、この地域に千年以上も続く「松明(たいまつ)祭り」で、「ほんがら松明」を約50年ぶりに復活させようとしている老人たち一人一人に密着して、映像作家・長岡野亜とともに、2006年6月から、ドキュメンタリー映像づくりに取り組んでいます。
「ほんがら松明」とは、菜種ガラやヨシなどの天然素材で作るエントツ状の巨大な松明で、その作り方を憶えているのは、地元で生まれ育った70歳以上の老人約15名のみ。
カメラに向かって老人たちが発する言葉からは、単なる懐古主義ではなく、島町の未来へ託す強いメッセージが伝わってきます。
この映像作品は、2007年秋に完成させ、老人たちの母校・島小学校の講堂で、全町民を集めて完成上映会を開く予定です。
この上映会をきっかけに、交流の場が生まれ、元気なコミュニティが再生されていくことを願っています。
 

【参考】これまでの作業経過 (2006年6月~2007年2月)
http://hyotan.sblo.jp/category/80318.html
2007/02/10のBlog
[ 01:38 ] [ ひょうたんからKO-MA ]
「おうみ未来塾」から生まれた、「地域プロデューサー」の集団です。

(参考URL:おうみ未来塾)
http://www.ohmi-net.com/miraijuku/


私たち「ひょうたんからKO-MA」の「ミッション」は、ズバリ「農村再生」。

「限界集落」と呼ばれる山間地の超高齢化コミュニティばかりでなく、地方都市近郊の一見のどかで何不自由ないように見える農村集落でも、地域コミュニティの希薄化、世代間コミュニケーションの欠如、伝承文化の衰退、生活の智慧の消滅、地域生態系の崩壊...といった深刻な問題が、時に地元住民自身も気付かないまま、静かに、着々と進行しています。

これらの課題を地域の人たち自身が自らの意志とチカラで克服し、未来への活力にあふれた持続可能な農村コミュニティを再生するため、私たちは、「プロデューサー」として、様々な「しかけ」・「応援」・「サポート」を行っています。


私たちが現在具体的に取り組んでいる「メソッド」は、たとえば以下のようなもの。

★ドキュメンタリー映像という表現手法を活用して農村地域を次世代につなぐこと。

★映像という表現の楽しさを子供たちに知ってもらうことで、将来、地元地域を自ら発信できる人材を育成すること。

★地域の貴重な宝物をみつけ、そこを拠点として人の集まる場づくりをしかけ、コミュニティビジネスへと発展させること。

滋賀県をフィールドに、地域に根を張って、農村地域再生へ向けたこれらの新しい試みを続けています。


このたび、「アサヒ・アート・フェスティバル2007」に参画することになりました。

AAF関係者の皆様、どうぞよろしくお願いします! m(_ _)m
 
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