追憶の満州旅行 〜3日目〜

今日は朝からいい天気。
暑くなりそうです。

ホテルの20階の窓から、牡丹江市街を眺めるTおばあちゃん。
旅の疲れはまったく見せず、日に日に元気が増しているようです。

おなじみの専用車に乗り、牡丹江市jから南へ約1時間半。
敗戦後、Tさんがその日食べるものを確保するために売り子をしていたという東京城(トンキンジョウ)の駅前に来ました。

蒸気機関車が使う水が貯めてあったという貯水タンクが、今もそのまま残っていて、Tさんは見覚えのある光景に感無量。

駅舎の前で、当時の思い出を語ってくださいました。

そして、東京城の村の郊外にかつてあったという飛行場跡地へ。

権さんが地元の人に聞きまわってくださって、うろうろしながらも、当時飛行場があった場所と、それに隣接して、兵舎や官舎があった場所を突き止めました。

飛行場跡地は、見渡す限りの広い畑になっていました。

ここに、東京城の難民収容所で人知れず苦しみぬいて亡くなったたくさんの女性や子供のなきがらが埋められていた(今もそのままうまっているかもしれない)と言います。

ふたたびこの地に立ったTさんに、当時の様子をじっくり伺ったあと、みんなで線香を焚き、Tさん自ら般若心経を唱えて、亡くなった長女と、戦争の犠牲になってここに埋められた無数の魂を弔いました。

遠くには、今も昔も変わらず、この地を見つめ続ける「一文字山」がそびえていました。

一行は、今回の旅の大きな目的を果たした充足感と、こうして供養してもなおやりきれない複雑な思いをそれぞれの胸に秘め、帰路に着きました。