追憶の満州旅行 〜4日目〜

今日もいい天気です!

今日は、まず再び東京城へ。
権さんによる地元の方への聞き込みで、昨日行った飛行場跡に隣接していた関東軍の官舎のひとつが今も残っていることがわかり、みんなでそこへ行きました。

Tさんがかつて過ごした難民収容所は、この官舎ではなく、その隣にあった木造で窓もないふきっさらしの独身兵舎跡だったそうですが、当時の建物がそのまま残っているのを目の前にして、感動にふけるTさんの姿がありました。

この建物の前で、難民収容所での悲惨な生活や、長女を亡くした時のことなどを語っていただきました。

官舎跡から東京城のメインストリートへ戻り、かつてTさんが落ちているきゅうりやにんにくを拾って飢えをしのいでいたという市場を見学しました。

東京城にはむかし渤海王国という王国があり、城を取り囲む城壁があったといいます。Tさんは、収容所での生活を終えた後、その城壁の門をくぐって東京城の「城内」から「城外」へ出て、「パイミョウズ」という村へ歩いて行きました。

そのとき通った道、くぐった門の跡地を訪ね、パイミョウズでの暮らしや気持ちを振り返って語っていただきました。

おそめの昼食をとったあと、午後からは満州8大名所と言われた「鏡泊湖」へ行く予定でしたが、Tさんの話を聞いて、予定を変更し、敗戦後、引き揚げまでのTさんの一番辛い経験の出発点となった「ランコウ」へ行くことにしました。

地元の方々に場所を聞きながら、ランコウの飛行場跡にたどりつきました。
ここも、延々と広がるジャガイモ畑になっていて、その一角には、当時の姿ほぼそのままの官舎の建物がいくつか残っていました。

その建物の前で、関東軍の陣地からソ連兵に追われて軍隊と一緒にここに来るまでの様子や、ここで武装解除され、夫はシベリアに抑留、家族は日本に返すと偽られて山中の自警村で馬小屋生活を余儀なくされた経緯などをつぶさに語っていただきました。

帰りの道中、大平原の地平線に沈む「満州の夕日」を撮影しました。