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ひょうたんからKO-MA
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2009/07/17のBlog
今回、私達の旅に通訳兼撮影補助として同行していただいた、中国湖南省出身で現在は滋賀県大津市在住のKさん、現地で落ち合ってほぼすべての行程に同行いただいた中国国際旅行社の権香玉さん、専用車のドライバーであるマツケンこと辛云海さん。
この3人のホスピタリティには本当に恐れ入りました。

細かいことに気がつき、先手先手で私達を的確にリードしてくださったKさん。

60年以上昔の建造物を探してもらったり、こちらの撮影の都合でいきなり無理な注文をしても、いやな顔もせずできる限りの手を尽くしてくださった権さん。

いつも愛嬌のある笑顔で出迎えてくださり、疲れたころにアイスなどを差し入れてくださった辛さん。

この方達のご努力と人柄のおかげで、今回の旅をスムーズにすすめることができました。

また、地元の方々もたいへん協力的で、家の中を見せてくださったり、いろいろ貴重な情報を教えてくださったり、インタビューに応じてくださったり…。

63年前、Tさんも、地元の中国人の方々にとても親切にされたことを常に感謝しておられましたが、今回の旅でも、たくさんの方々の親切に触れ、本当にお世話になりました。この場をお借りして、改めて深く深く御礼申し上げます。


今日もいい天気です!

今日は、まず再び東京城へ。
権さんによる地元の方への聞き込みで、昨日行った飛行場跡に隣接していた関東軍の官舎のひとつが今も残っていることがわかり、みんなでそこへ行きました。

Tさんがかつて過ごした難民収容所は、この官舎ではなく、その隣にあった木造で窓もないふきっさらしの独身兵舎跡だったそうですが、当時の建物がそのまま残っているのを目の前にして、感動にふけるTさんの姿がありました。

この建物の前で、難民収容所での悲惨な生活や、長女を亡くした時のことなどを語っていただきました。


官舎跡から東京城のメインストリートへ戻り、かつてTさんが落ちているきゅうりやにんにくを拾って飢えをしのいでいたという市場を見学しました。


東京城にはむかし渤海王国という王国があり、城を取り囲む城壁があったといいます。Tさんは、収容所での生活を終えた後、その城壁の門をくぐって東京城の「城内」から「城外」へ出て、「パイミョウズ」という村へ歩いて行きました。

そのとき通った道、くぐった門の跡地を訪ね、パイミョウズでの暮らしや気持ちを振り返って語っていただきました。

おそめの昼食をとったあと、午後からは満州8大名所と言われた「鏡泊湖」へ行く予定でしたが、Tさんの話を聞いて、予定を変更し、敗戦後、引き揚げまでのTさんの一番辛い経験の出発点となった「ランコウ」へ行くことにしました。


地元の方々に場所を聞きながら、ランコウの飛行場跡にたどりつきました。
ここも、延々と広がるジャガイモ畑になっていて、その一角には、当時の姿ほぼそのままの官舎の建物がいくつか残っていました。

その建物の前で、関東軍の陣地からソ連兵に追われて軍隊と一緒にここに来るまでの様子や、ここで武装解除され、夫はシベリアに抑留、家族は日本に返すと偽られて山中の自警村で馬小屋生活を余儀なくされた経緯などをつぶさに語っていただきました。


帰りの道中、大平原の地平線に沈む「満州の夕日」を撮影しました。


2009/07/16のBlog
今日は朝からいい天気。
暑くなりそうです。

ホテルの20階の窓から、牡丹江市街を眺めるTおばあちゃん。
旅の疲れはまったく見せず、日に日に元気が増しているようです。

おなじみの専用車に乗り、牡丹江市jから南へ約1時間半。
敗戦後、Tさんがその日食べるものを確保するために売り子をしていたという東京城(トンキンジョウ)の駅前に来ました。

蒸気機関車が使う水が貯めてあったという貯水タンクが、今もそのまま残っていて、Tさんは見覚えのある光景に感無量。

駅舎の前で、当時の思い出を語ってくださいました。


そして、東京城の村の郊外にかつてあったという飛行場跡地へ。

権さんが地元の人に聞きまわってくださって、うろうろしながらも、当時飛行場があった場所と、それに隣接して、兵舎や官舎があった場所を突き止めました。

飛行場跡地は、見渡す限りの広い畑になっていました。

ここに、東京城の難民収容所で人知れず苦しみぬいて亡くなったたくさんの女性や子供のなきがらが埋められていた(今もそのままうまっているかもしれない)と言います。

ふたたびこの地に立ったTさんに、当時の様子をじっくり伺ったあと、みんなで線香を焚き、Tさん自ら般若心経を唱えて、亡くなった長女と、戦争の犠牲になってここに埋められた無数の魂を弔いました。


遠くには、今も昔も変わらず、この地を見つめ続ける「一文字山」がそびえていました。

一行は、今回の旅の大きな目的を果たした充足感と、こうして供養してもなおやりきれない複雑な思いをそれぞれの胸に秘め、帰路に着きました。


2009/07/15のBlog
一夜明けて、来満2日目。

みんなで専用車に乗り込み、権さんの案内で、まずは、Tおばあちゃんが長女を出産した、牡丹江市郊外にある興隆という村の関東軍官舎跡を訪ねました。

官舎跡といっても、当時のものは何も残っておらず、小高い丘の中腹にマンションのような建物が建っているだけでした。

60数年前、その地で起きたことを、ひとつひとつ、思い出しながらとうとうと語り始めるおばあちゃん。そばでその話に耳を傾ける娘さんとお孫さん。

その様子に、長岡さんのカメラが肉薄していきます。



官舎跡から少し奥へ行ったところに、往時のままの建物が残っているということで、車に乗って行ってみました。

広い広い幹線道路とは裏腹に、一歩奥のほうへ踏み入れると、まだまだ未舗装の狭い悪路が網の目のようにあり、そこに、トーチカの煙突が印象的な、平屋でレンガ造りの古びた住宅が建ち並んでいます。

ゴミの収集は行われていないようで、所々に日常生活のゴミが山積みになっています。

そんな道を進んで行くと、一軒の長屋にたどり着きました。当時の日本人が建てた住居に、今でもそのまま地元の方が暮らしておられました。

この建物を背景に、興隆での暮らしなどについて、さらに詳しく話を聞きました。


撮影をしていると、通りがかりの方や近所にお住まいの方がぞろぞろと集まってきて、都合、Tさんは大勢のギャラリーの前でしゃべる羽目に。しかし、そんなことには全くおかまいなく、淡々とカメラに向かって当時の思いをしゃべってくださるTおばあちゃん。

見学に来ていた地元の方が、撮影していた建物の内部をみせてあげよう、と言ってくださり、実際に暮らしておられる家の中を案内していただきました。

また、70代のおじいちゃんが出てきて、ここに日本人がいたときのことを覚えている、と、Tさんの手を握りながら熱心にしゃべってくださいました。

みなさん、本当に人懐っこくて親切なのが印象的でした。


興隆での撮影後、車で牡丹江市内に引き返し、ラーメン屋で昼食をとってから、牡丹江市のシンボル的存在である「八女投江」の像がそびえる牡丹江川沿いの公園を散策。
みんなで記念撮影をしました。

さらに、Tさんが満州に来て最初に降り立ったという牡丹江駅の駅前に行って、当時の思い出を語っていただきました。

いったんホテルに戻り、近くの百貨店へお土産を買いに行った後、歩行者天国通りにある、権さんお勧めの餃子専門店へ。

おいしい餃子を堪能したあと、近くのスーパーマーケットへ買い物に。ひとごみでごった返す、アメリカ顔負けの近代的なスーパーに驚きながら、思い思いのおやつなどを買い、そのあと屋台でソフトクリームを買って、食べながらホテルへ。

2日目の夜も、ゆっくりと更けていきました。

2009/07/14のBlog
ひと昔前は自転車が中心だった中国も、いまやすっかり車社会。

日本と大きく違うのは、中国では、「歩行者優先」ではなく「自動車優先」である、ということ。そして、日本ほど細かい道路交通ルールが定まっていない(であろう)ということ。

たとえば、日本では交差点に右折進入してきた車は、横断歩道を渡っている歩行者がいれば停まって待ちますが、ここでは、車は待ってくれません。歩行者は、車をよけながら道路を渡らねばならず、なかなかスリリングです。

また、車同士でも、どちらかが優先で譲り合うということはなく、信号のない交差点ともなると、カーアクション映画さながらに、あちこちから次々に迫ってくる車を巧みなハンドルワークで交わしながら進みます。

高速道路の路肩を農耕車や馬車がのたのた走っていたり、対向車線を逆走して疾走してくる車さえありました。

クラクションも、市街地では朝から晩まで絶え間なくどこかから聞こえてきます。

日本人から見ると、一見、1分に1回ぐらい交通事故がおきても不思議ではないような、無法地帯のとんでもない道路事情なのですが、しかし、4日間あちこち長距離を走り回って、実際に事故らしい事故を見かけたのは1回だけ。

よくよく観察していると、なぜ事故が起きないか、少しわかってきました。

まず、クラクションの役割ですが、中国では、追い越そうとする相手の車、対向車、飛び出そうとしている自転車などに「自分の存在を知らせる」意味で、きわめて頻繁にクラクションを鳴らします。単に自分が車線変更するだけの場合でも、ウインカーの代わりにクラクションで周囲の車に存在を知らせます。

基本的には、遠慮してたらいつまでも先に進めないので、「我先に」という感じなのですが、かといって、相手を無視してわが道を行けば途端に事故にあって結局自分が損をすることがよくわかっているわけです。

だから、しっかりと自分の存在を相手に示し、自分がこれからどうしたいかを示し、絶妙なコミュニケーションを図りながら、高速道路にロバが歩いていようが、逆走してくる車がいようが、あらゆる事態を「想定内」のこととして念頭に入れた上で運転しておられるのです。

ガッチリと細かくルールを決め、ルールを守らない人を厳しく取り締まることで、安全を確保している日本の交通事情。しかし、その結果、ドライバーの「想定範囲」はきわめて狭くなり、対向車がこちらのレーンに飛び込んで来るような「想定外」の事態には、なかなか冷静に対応できない状況を作り出してしまっているのかもしれません。

一方、中国では、「なんでもあり」なことを念頭に置いた上で、常にクラクションで危険を未然に回避したり、突発的な事態にも冷静に対応できる心構えができているように見受けられました。

果たしてどちらがいいのか…。
(※上記は筆者の主観的な推論です)


ちなみに、余談ですが、中国の道路はほとんどがコンクリート舗装のようです。
 
中国南方航空、CZ696便。
週に二回だけ、関空と黒龍江省の省都ハルビンを結ぶ飛行機。

Tおばあちゃんの「YUI-GON」を成就するため、私たちはこの飛行機に乗って、おばあちゃんの記憶の中にある満州路を辿りに行ってきます!


この旅のメンバーは、今年90歳になるTおばあちゃんを筆頭に、娘さん、お孫さんの3人と、通訳兼撮影補助のKさん、撮影担当の長岡さん、撮影補助兼世話役全般の藤田の計6人。さらに、現地では、旅行会社のガイドさんと運転手さんが加わります。

この日はあいにくの曇り空で、飛行機の窓から見える景色は、ただただ白い雲の海が広がるばかり。着陸直前まで、中国大陸を展望することはできませんでした。


中国でも新型インフルエンザの水際対策は厳しく行われていて、小型のレーザーガンのような検温器で搭乗時と到着時に、一人ずつ体温を計られました。37℃以上あると引き止められると聞いていたのでヒヤヒヤしましたが全員無事クリア。


タラップからハルビン国際空港に降り立ち、シャトルバスで空港建物内へ。いくつものゲートを通過。予定より30ほど遅れましたが、無事、玄関口で待つ現地ガイドさんに出会うことができました。

今日出迎えてくださったのは、片言の日本語を話す、金さんという若い青年のガイドさんと、大柄だけど笑顔が何とも愛らしい、松平健にそっくりな運転手の辛さん。

11人乗りのボックスワゴンに乗って、空港からハルビン市街を通過し、高速道路に乗って牡丹江市へ向かいます。

ハルビン市街は、広い道路に車がごった返し、もはや自転車はあまり見られません。
幹線道路沿いも大きな企業や店舗が建ち並んでいました。
巨大なモニュメントを擁する広々とした公園もあります。

あちこちで工事が行われていて、活気が伺える一方、工事現場の後方にチラリと見える路地裏には、時代に取り残された感のある光景も垣間見えました。

ハルビン市街を抜けると、高速道路はガラガラになり、車窓いっぱいに果てしなく広がるコウリャン(トウモロコシ)畑を突っ切るように、やや路面の悪いコンクリート舗装の高速道路を、一路牡丹江市へ、スピードをあげてひた走ります。


そして、空港に着いてから約5時間後の午後9時すぎ、車はようやく牡丹江市内へ。電飾でライトアップされた北山公園のモニュメントの前を通り、満州時代に日本人が造ったという虹雲橋を渡って、60数年前、Tおばあちゃんが満州で初めて降り立った牡丹江駅のすぐそばにそびえる25階建ての牡丹江金鼎ホテルに到着。

ここで、今回の旅行の現地での段取りをすべて手配してくださった、日本語・韓国語・中国語を上手に使いこなす現地ガイドの権香玉さんが待ち受けてくださっていました。

権さんの案内で、ホテルのすぐ隣のおしゃれなバー&レストランへ。
みんな長旅の疲れはなく元気でしたが、遅い時間であまりおなかもすいていなかったので、みんなでおかゆと水餃子をいただきました。中国に着いて初めての食事でしたが、味もおいしいし、雰囲気も清潔で、まずはひと安心。


食後、ホテルに戻り、散会。各々、朝までゆっくり床につきました。

[ 02:51 ] [ 遺言 ]
満州引揚者であり、TおばあちゃんのYUI-GON。

戦後の満州で生き地獄のような悲惨な体験をし、栄養失調で娘を死なせてしまったTおばあちゃん。

もう一度、満州へ行って、亡くした娘を弔いたい。

そして、二度とあのような戦争がおきない、平和な世界への願いを伝えたい。


…そんな願いを成就するため、90歳になるTおばあちゃんと、帰国後に日本で生まれた娘さん、さらにはお孫さんも同行して、本日14日から一週間かけて中国へ行ってまいります!!

現地の旅行社とも連絡を取りながら、できるかぎり当時の情報をかき集め、おばあちゃんの記憶と照合して、約65年前の面影を探しながらの撮影旅行。

高齢のおばあちゃんの健康と安全を確保しつつ、おばあちゃんの平和への強い願いを全国・世界へ発信できる最高の映像を撮って帰れるよう、最善を尽くしてきます!!!

2009/07/07のBlog
[ 22:45 ] [ 遺言 ]
次回は7月28日(火)、その次は8月17日(月)の予定です。
2009/06/25のBlog
[ 22:59 ] [ 遺言 ]
次回は7/4に集まる予定です。
東京・京都に続き、3会場めの快挙です!!
「ほんがら」を観ていただいて、投票していただいた皆さん、ありがとう!!

さらに、イメージフォーラムさん経由で、あの「ベ○○○映画祭」にも出品されることに!!

これはまた、地域にとってもすごい自信になりますよ。


…それにしても、副賞でいただいた同じデジカメ3個、どうしよう…
(SONY TZ7、ハイビジョン動画も撮れる光学12倍ズームの最新型コンパクトデジカメです!)
 
2009/06/22のBlog
本当は昨日(21日)に予定していた定例ミーティングですが、諸々の事情で本日にスライド。

午前中は、映像チェックと今後の打ち合わせ。
特に、7/14に出発が確定したTおばあちゃんとの中国旅行に関して、詰めの協議。
ポイントは、やはりいかに「家族」のご理解を得るか、という点です。

午後からは、26日に8人のおばあちゃんの「遺影」+「遺言」の撮影を敢行する予定の老人サロン会場で、カメラ位置やライティングなどの綿密なロケハンを実施しました。

さてさて、どうなりますことやら…。

2009/06/20のBlog
[ 23:59 ] [ アサヒアートフェスティバル ]
20日夕刻。
いつものアサヒ・アート・スクエアで、ひょうKOMAとしては今年で3年目となるアサヒ・アート・フェスティバルの開幕を祝うオープニングパーティが催されました。

われらがひょうKOMAブースでは、例によって、近江八幡名物「赤こんにゃく」の振る舞いを看板に、液晶モニタ持込でイメージフォーラム観客賞受賞作品「ほんがら」を上映しつつ、「遺言プロジェクト」をおおいにPRしてきました。

今年は、なんだか例年になく大盛況。
ひっきりなしにお客さんが来て話を聞いてくださり、100切れ近く用意していた赤こんにゃくもすっかり売り切れました。約2時間、立ちっぱなし&しゃべりっぱなし。他のブースには結局ほとんど行けず…。さすがに疲れました(^^ゞ

やっぱり、オープニングは1人ではつらいなぁ。
もうちょっと予算があれば、もう一人来てもらえたのですが…。

でも、面白いめぐりあいもたくさんあって、充実したオープニングでした☆

アサヒビールさん、ありがとう!!!

2009/06/16のBlog
遺言プロジェクトも2年目に入り、やや倦怠期ぎみのメンバー、途中から加入していてプロジェクト元来の目的をしっかり把握できていなさそうなメンバー、一人気を吐いて孤立気味のメンバーと、スタッフの一体感とモチベーションがいまひとつな現状を打破するため、長岡さんと藤田が、改めてスタッフ一人ひとりと個別面談をして、各々の思いや事情を聞きつつ、気合を入れなおし、拡散しかかっているベクトルを同じ方向に束ね直すことにしました。


スタッフの皆さん、あともうひと(ふた?)ふんばり!
みんなで、いっしょに、さいごまで、がんばりましょう!!


そして、今このブログを読んでおられる、これからスタッフに仲間入りしてみたいなぁ、と思っておられるあなた!
まだまだスタッフ数が不足しております。
いますぐ 「yuigon@gonza.xii.jp」(半角で) までメールください♪
よろしく~~~
2009/06/07のBlog
[ 22:40 ] [ アサヒアートフェスティバル ]
さて、仙台から来られた齋藤さんとの交流は今日も続きます(ていうか実は今日が本番)。

今日は、「遺言」チームの定例ミーティングの日。

原・長岡両氏と遺言スタッフ(都合で休んだ人が多かったのが残念!)、さらにお隣京都から天若湖APの中塚さん、佐々木さんにも来ていただき、齋藤さんの穂波の郷クリニックでの取り組みを聞き、「ホスピスでの遺言撮影」の可能性についてみんなで知恵を出し合いました。

午後からは、雨で2回流れていた「O老人を犬上川で撮影」がようやく実現。
齋藤さん、中塚さん、佐々木さんも、あたかもずっと前から遺言スタッフであったかのように、マイクのケーブルさばきやカメラ補助の現場仕事をそつなくこなしてくださいました。

原監督の独特な現場の雰囲気を味わい、齋藤さんもご満悦のご様子。原監督との2ショット写真もバッチリ。


かくして、「遺言meetsEnvisi」の本番は無事終了。
中塚さん達は、直感音楽ワークショップ?に参加するため急ぎ帰京。

夜。
再び八幡酒蔵工房で、齋藤さん、小関さん、武田さん、同工房のリノベーションをデザインしたEiichiさん、秋のヴォーリズ展で学生カフェを企画している滋賀県立大の岡本君と一緒に鍋をつつきながらの楽しいひと時。


あっという間の2日間。
齋藤さん、本当におつかれさまでした!
そしてありがとうございました。
さいとう製菓謹製の「かもめのたまご」おいしかったです!


これをきっかけに、いろんな意味で、今後、宮城←→滋賀・京都の交流がさらに具体的に広がっていくといいですね!(一度は鳴子・東鳴子に行きたいなぁ)
 
2009/06/06のBlog
[ 22:05 ] [ アサヒアートフェスティバル ]
ちょうどお昼頃、仙台からはるばるENVISIの齋藤さんが来幡!

今日は近江八幡のまちづくり現場をめぐるアートツーリズム(というよりまちづくりツーリズム?)です。天若湖APの中塚さん、大枝APの前田さんもお誘いしましたが、残念ながら都合つかず。齋藤さんと藤田との男二人旅になりました。

まずは、八幡堀沿いの土蔵カフェ「Tea Space茶楽」さんで腹ごしらえ。
エスニックな空間にリノベーションされた茶楽の大橋オーナーが偶然居合わせ、早くも権座酒米粉のコアな話題が飛び交い、近江八幡の洗礼を受けます。
齋藤さんは今どき珍しいフィルムカメラで、じゃれてくる大橋さんの息子をパチリ!

食事のあとは、マルチメディアセンターに車を停めて、八幡旧市街をひとめぐり。

●旧八幡郵便局(ヴォーリズ建築保存再生運動一粒の会事務所)
●酒游舘(造り酒屋の酒蔵をリノベーションしたイベントホール)
●尾賀商店(加藤種男氏も絶賛した、空き町家リノベーションによる多目的商空間)
●乃利松(赤こんにゃくの老舗)
●まる竹(近江牛の老舗)
●伝建地区(永原町通り、新町通り)
●アンドリュース記念館(ヴォーリズ建築第1号の旧YMCA会館)
●八幡商業高校(近江商人魂の故郷、ヴォーリズ最初の赴任地)
●日牟禮八幡宮と八幡山ロープウェイ
●八幡堀とかわらミュージアム
●株式会社近江兄弟社とヴォーリズ像

ひとつひとつに物語があるホンモノのまちなみを、2時間ほどでひとめぐり。
齋藤さん曰く「ちょうどいいサイズのまちですねぇ~」。
なるほど、たしかに。

近江八幡アートツーリズムはまだまだ続きます。

続いて、車で琵琶湖岸へ。
がらっと景色が変わり、琵琶湖を眼前に見ながらの湖岸ドライブコース。ここはおやじ連「湖畔隊」が整備してくれたおかげで、見晴らし抜群。

前々市長が経営するカフェ「シャーレ水が浜」で、海のように広々とした琵琶湖を見渡しながら一服。

そして、休暇村近江八幡のそばにある「アサヒビールの森」の看板を記念撮影。
アサヒビールの社員さんにこの森を案内したのは、実は、映画「ほんがら」にも出てくる島町のおじいちゃんだったことは、後になって聞いた話。

その森をぐるっと半周して、
●「白王里山再生プロジェクト」の活動拠点
●「ほんがら」の舞台になった若宮神社
●「遺言」でも撮影した水田魚道
●「箱庭の里づくり」が進む棚田
●水郷の地域資源「権座」
などを歴訪。

これまた、それぞれに深イイ物語が詰まったスポットばかり。

そして、今夜のお宿である、空き町家をリノベーションしたばかりの八幡酒蔵工房に到着すると、偶然にも、近江八幡のまちづくりに欠かせない八景会代表の村西さんと滋賀県立大教授の柴田さんが居合わせ、齋藤さんそっちのけで、秋に市民開催するヴォーリズ展のコアな打合せが始まってしまった。

さらに、この日八幡酒蔵工房の主催で開催していた和紅茶作りワークショップの講師・赤須氏や、お手伝いに来ていた最近八幡に来たばかりの切れ者・武田さんや成安造形大の学生も加わり、そのまま、工房の主・小関さんお手製の夕食になだれこむ。

夕食が終わって落ち着いたと思ったら、今度は八幡堀を守る会会長の白井さんがひょっこり。

…まだリニューアルオープンして間もない八幡酒蔵工房、工房そのものの経営はさておき、いわゆるコミュニティカフェ的機能は抜群に果たせつつあるなぁ、と改めて実感。今後、ここには面白いヒトが次々に集まり、面白いモノが次々に生まれていく予感。

齋藤さんは、近所にある170円の激安銭湯へ。


いやぁ、初日から中身の濃い一日でしたねぇ。齋藤さん、おつかれさまでした!
2009/06/04のBlog
東北の宮城県から、ENVISIの齋藤高晴氏がはるばる近江八幡に来てくださいます!

在宅ホスピス・穂波の郷クリニックで、死と向き合う末期がん患者の人生を映像などで目に見える形にして、身近な人や地域の人と共有する取り組みを実践しておられる齋藤氏から話を聞き、私たちの遺言プロジェクトでも同様の取り組みができないかを探ります。

詳しくは下記イベント情報をご覧ください☆
2009/05/27のBlog
AAF2007に参加し、昨年のコミュニティアート映像祭でも上映していただいた農村再生ドキュメンタリー映画「ほんがら」が、イメージフォーラム・フェスティバル2009にノミネート。

ゴールデンウィーク期間に東京で開催されたメインフェスティバルでは、観客の人気投票による『観客賞』を見事受賞!

さらに、京都に会場を移して開催された上映会でも『観客賞』をダブル受賞!!

…これまで、おかげさまで、AAF等を通じて「コミュニティ映像」というカテゴリの中では一定の評価をいただいておりましたが、今回のイメージフォーラムは、純粋に「映像アート」全般を対象とする映像祭だけに、東京・関西両方の観客から高い評価をいただけたことは、驚きでもあり、同時にたいへん大きな自信にもなりました。

長岡監督の映像と、大場さんの音楽のもつ力が、観客の心に響いたのだと思います。あらためて感謝!!


このイメージフォーラム・フェスティバルでは、東京・京都に続き、福岡・名古屋・横浜でも順次上映されます!!
まだ観てない人も、もう一度観たい人も、この機会にぜひ会場へ足を運んでください♪♪♪


(以下、転送歓迎)
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映像アートの祭典『イメージフォーラム・フェスティバル2009』
(追加上映分)

【期間・場所】
 福岡会場: 6/03(水)~6/07(日) @福岡市総合図書館
 名古屋会場:6/17(水)~6/21(日) @愛知芸術文化センター
 横浜会場: 7/18(土)~7/20(月) @横浜美術館

【内容】
 一般公募部門(応募数約400作品の中から選ばれた最終審査ノミ
 ネート作品(『ほんがら』を含む21作品))及び日本・海外から
 の招待作品が一挙上映される日本最大規模の映像アートフェス
 ティバル

【「ほんがら」の上映日時】
 ★6/5(金) 16時30分~ @福岡市総合図書館(福岡)
 ★6/19(金) 19時15分~ @愛知芸術文化センター(名古屋)
 ★7/19(日) 16時30分~ @横浜美術館(横浜)

【URL】
(イメージフォーラムフェスティバル2009オフィシャルサイト)
 http://www.imageforum.co.jp/festival/
(映画「ほんがら」オフィシャルサイト)
 http://gonza.xii.jp/hongara/

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2009/05/23のBlog
[ 21:56 ] [ 遺言 ]
今日は、島町で水田魚道の堰板が設置されるということで、急きょ原監督も都合をつけてくださり、みんなで集まって撮影をしました。

まずは早朝。キショウブやハナショウブが咲き乱れる八幡堀で、今日もS老人がゴミ拾い。その様子を、朝日が透ける可憐なハナショウブとともに撮影しました。

そのあと、白王町の、雨が降ったらナマズが上がってくるという田んぼを下見。雨後の早朝にここへ来れば、魚が田んぼによじ登る瞬間を撮影できるかも?!

そして午後から、島町の方々がはじめて水田魚道を設置する様子を撮影。

撮影の邪魔になる雑草を、なんと原監督が自ら草払機で刈り取る場面も!!

堰板が順番にはまっていき、徐々に水路の水かさが増していく様子を、例によって水槽と胴長も駆使しながら、様々なアングルから撮影しました。

2009/05/16のBlog
あいにくの悪天候のため、予定していたO老人が犬上川へ行く撮影は中止。

かわりに、各々が撮りためた映像をチェックし、原監督からアドバイスを受けました。

畑や八幡堀での、水平移動しながらの撮影のために試作した「台車」も披露されましたが、レール連結部分に問題あり。要・改善です。

撮影が中止になった関係で、この日はお昼まででお開きになりました。

…この日一番の収穫は、AAFつながりで、天若湖APから企画間交流の一環として参加してくださった京都造形芸大の中塚さん。身近なお年寄りの遺影や、お葬式で流すビデオを撮影する取り組みをされていて、遺言PJとして取り組もうとしている老人サロンでの遺影撮影はもちろん、プロジェクトそのものに今後もスタッフとして参画いただけることになりました!
2009/04/25のBlog
今日は、Oおじいちゃんと一緒に、犬上川を遡上する魚を撮影しにいく予定でしたが、大雨のため中止。

これまでに撮りためた映像のチェックをし、原監督からいろいろとアドバイスやダメ出しをしていただきました。

撮影スタッフのKさんは、残雪の残る比良山系をバックにした琵琶湖と菜の花畑を撮影してくれていましたが、比良山から沸き起こる雲の様子が面白かったので、早送り編集してみよう、ということに。

去年撮ったそら豆も、発芽の瞬間から収穫まで一連の流れを映像に収めることになり、季節はずれのそら豆の種をなんとか入手して植え付け。
土から芽が出て双葉が開くまで、室内でのコマ撮り撮影に挑戦です。

O夫妻の畑作業の撮影には、ありきたりのアングルでは面白くないので、畝と平行してレールを敷き、台車を手作りして、移動撮影に挑戦することに。

水田魚道も、連休を挟んで田植え前、田植え後の様子を撮影することになりました。

それぞれ、役割分担をして、撮影に挑戦です。

伝えたいことを表現するためにやったほうが良いと思われることであれば、新しいことでも臆することなくとにかくやってみる。そんな原スピリットが、メンバーに根付いてきたようです。