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2018/06/19のBlog
シリーズ“こだわって生きる我孫子の人”⑱
美しい日本の山‐Ⅴ「尾瀬と燧岳・至仏山」
日本山岳写真協会理事 鈴木菊雄氏

今日の講座は “こだわって生きる我孫子の人”シリーズの17回目、我孫子市在住の山岳写真家鈴木菊雄氏による「美しい日本の山」シリーズ第5回目で、“夏が来れば想い出す~遥かな尾瀬~♪♪”で多くの人が憧れる『尾瀬と燧岳・至仏山』を取り上げていただきました。
鈴木菊雄氏には、これまで海外の山々や人々の暮らしを紹介していただいたのに続き、最近は「美しい日本の山」シリーズとして北海道や東北の山、八ヶ岳、富士山をご紹介いただきました。今回は、
①自然が創り出した世界的にも珍しい高層湿原 
②利根川、只見川の源流域で水資源地帯 
③我が国の自然保護活動の先駆けとなった人 
④季節毎に沼や原に咲く美しい花々 
⑤尾瀬周辺の名山の四季
について、多くの美しい画像と資料をもとに以下のように紹介されました。

*日本の山は美しい。利根川源流には燧岳、至仏山はじめ、谷川岳、平ヶ岳、会津駒ヶ岳、 巻機山など美しく、有名な山々が多い。

*尾瀬はミズバショウが咲く低層湿原から、長い年月をかけてミズゴケが水面より盛り上がった世界的にも珍しい高層湿原になったもので、湿原特有の貴重な植物群落が豊富で、全域が特別天然記念物に指定されている。

*尾瀬の魅力は①アカシボと雪解けの木道 ②ミズバショウ、リュウキンカなどが一斉に開花したもっとも華やぐシーズン ③ニッコウキスゲ、アヤメ、ワタスゲ、キンコウカ、池塘のヒツジグサなど高山植物が咲くベストシーズン ④黄金色の草紅葉、真紅のナナカマドなど秋彩の華 ⑤華やいだ高山植物が雪化粧で輝く冬への序奏 ―など。ヒトの少ない朝食前と、急がずにゆっくりと歩けばそれぞれの時季にこれらの自然に出会える。

鈴木講師は以上のお話の他に、ツバメオモト、ハクサンチドリ、ザゼンソウ、キヌガサソウ、ミツガシワ、タテヤマリンドウなど多くの花々のアップなど、素晴らしい画像を映写され、国立公園特別保護地域の尾瀬の絶景を堪能できた講座となりました。そして、最後には尾瀬のお勧めのコースまでご紹介くださいました。
以下に受講者のアンケートの一部を紹介します。 (高橋 重)

・登山ルートの説明、ルートの選び方、風景の良い場所、写真の撮り方、高山植物の季節毎の説明、さすがに経験豊富な山岳プロ寫眞のプロの講義で非常に参考になった。ぜひとも尾瀬沼へ行ってみたくなる。ありがとうございました。今後もいろいろな山を解説お願いします。
・朝もやの写真や、美しい花に、素晴らしい写真でいやされました。
・尾瀬には色々思い出、思い入れがあり、とても素晴らしい講座でした
2018/06/15のBlog
“人類学の人間観” ~ヒトはどこから来て どこへ行くのか~
お茶の水女子大学名誉教授 富田 守氏

ポール・ゴーギャンは少年の頃、問答形式によるキリスト教の教義で3つの質問を学びました。
それが「人類はどこから来たのか」、「人類はどこへ行くのか」、「人類はどのように進化するのか」というものでした。
病気や貧困に打ちのめされたゴーギャンは自死を念頭に1895年にタヒチを再訪し、遺書代わりの作品「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへいくのか」を1897年に仕上げます。右側に女性と子どもを配して生命の誕生を表し、真ん中に若人の壮青期を表し、左側に年配女性によるヒトの終焉を表現して、ゴーギャンの答えを記しました。

では現代人類学ではどう答えるのか、がきょうの富田 守氏のご講演です。富田 守氏は長年お茶の水女子大学で教鞭をとられ、人類の「前方交差型」歩行形式を発見された文化人類学の権威です。その長年のご研究を集約された小冊子「人類学レクチャー第3版」を配布されて、以下のように解説してくださいました。

*我々はどこから来たか?
宇宙の歴史は138億年であり、この歴史の中で虫や生き物やヒトなどは生きてきた。これからも長く安定的に生き続けられるよう、所謂「自己存続の原理」の中に我々はいる。46億年前に太陽系が出来上がり、45億年前に地球が出来、40億年前に最初の生命体が出来た。5億年前に脊椎動物が出現し、霊長類から人類へと進化したのは700万年前のこと。類人猿を経て200万年前に原人が生まれ、20万年前に新人であるホモ・サピエンスが生まれた。宇宙の歴史と生命の歴史の双方に、「自己が存続することの原理」があることになる。
宇宙や地球の進化の中で人類がどのように進化してきたかを考える時、すべてに自己存続の原理が存在することに気付く。

*我々は何者か?
宇宙や地球の進化の中で他の生命体との共通の特徴もあるが、人類特有の身体的特徴を我々は持っている。人類が持っている絶対的特徴は、直立姿勢、二足歩行、利き手、上手投げ等々である。

*我々はどこにいくのか?
人類の脳はホモ・サピエンス以来大きく進化していないのではないか、という仮説がある。もし75億の人類が争いや疾病、過酷な気象環境に巻き込まれたらどうなるのか?そうするとボトルネック効果で、身体的な変化や宇宙への移住などの進化が起こると考えている。宇宙で新しい人種が発生するかも知れないし、身体がロボットのようになったり、ロボットが人間のようになったりすることも予測される。このサイボーグ化やロボット化による無機質な人類の出現は、ヒトの滅亡の可能性に繋がっていく。

富田講師は「宇宙で新しい属性が生まれるという空想は広がっていきますが、大事なことは『人類が存在する意義は、自己の存続に努めること』です」と話されて解説を終えられました。

頂いたアンケートの一部です。
*二三日前にNHKBSで高橋一生さん案内役で人類の進化の映像を見ていたので、富田氏のお話がその裏付けとしてとてもすんなり聴けました。これから数百、数千年後人類の新たな進化(後退?)があるのではと考えると面白い。ただ地球が爆発して消滅するのでは?きょうのお話が無限の想像、創造を生み出しました。
*自己存続の原理はとても強く受け止めました、全て参考になり興味深く、テキストを読んでみたいと思っています。
*話しぶりや語り方が親切で、平易な説明が良かったです。専門用語を使わず、分かりやすかった。三番目のAIとの関係は興味深かった。
2018/06/13のBlog
人物評伝シリーズ
エトブァス・ノイエスと「やってみなはれ」
~文化人経営者・サントリー 佐治 敬三の足跡
元サントリ―宣伝部コピーライター 廣澤 昌氏

本日は、サントリー宣伝部でコピーライターとしてご活躍された廣澤 昌氏に、文化人経営者・サントリ― 佐治敬三氏、についてお話しを頂きました。講師は、詳細な配布資料とたくさんのプロジェクター資料を用意して以下のように紹介されました。

1.佐治敬三とエトブァス・ノイエス ― 生い立ち 1919~1945
①サントリ―創業者 鳥井 信治郎 の次男として誕生
②父、鳥居 信治郎 について(その経歴、ワイン、ウイスキ―事業について)
③佐治家に養子に出される
④母の死、そして病気で中学留年
⑤兄の突然の死
⑥旧制浪速高校から、阪大理学部化学科に進学。恩師・小竹 無二雄氏との出会い、
「エトブァス・ノイエス(何か新しいことは?)」精神に感銘を受ける

2.「ホームサイエンス」と「洋酒天国」 -寿屋時代 1945~1960
①寿屋入社 食品化学研究所を設立、家庭向け科学雑誌「ホームサイエンス」創刊
②長男誕生、愛妻の死亡
③寿屋宣伝部を復興し、PR誌「洋酒天国」で、トリス・ブームを起こす
開高 健(後の芥川賞作家)、山口 瞳(後の直木賞作家)、柳原 良平(アンクルトリスの生みの親)、等を次々と採用。自由な気風と反逆の精神にあふれた宣伝部をつくる。同部の「商品の付加価値を高める広告」戦略が次々とヒット、商品販売数を伸ばす
④二代目「マスターブレンダー」としてウイスキ‐全ての香味を決定。代表作は「響」

3.やってみなはれ -ビールへの挑戦 1961-1975
⑦「純生」を発売。瓶詰生ビール、カン詰生ビールを発売
⑧全社員セールスマン作戦 社長みずからもパーテイ会場で「ローハイド」のいでたちでセールス

4.生活文化企業 1976-1989
①人々の余暇の過ごし方の多様化を予見
②流行でなく、自らの判断での時間の消費

5.美観遊創 1990~1999
① サントリ―美術館の開設 
② サントリーホール(コンサートホール)の開設

以下、アンケートの一部をご紹介します。 (藤田泰男)

・若い時「トリス」や各種の「サントリー」を飲んだ時を思い出しました。青春時代は、ウイスキーと共にあった感じです。興味深いお話しを有難うございました。
・伊集院静の小説や、「マッサン」再放送でタイムリーな話題、興味深く拝聴しました。欲を言えば、例えば、佐治敬三氏の行動や逸話など更にいろいろな過去の実績をもっと披露して欲しかった。
・プロジェクターを使いながらのお話しで、分かり易く、愉しくお聴きすることができました。今夜はレジメを読み返しながらウイスキーを飲みたいと思います。講師の佐治恵三に関する著書「新しきこと面白きこと」を読んでみます。
2018/06/04のBlog
[ 15:19 ] [ ふれあい塾講座記録 ]
堤先生の連続講座“古典の恋歌”⑥『平家物語』
國學院大學講師・文学博士 堤 康夫先生

いつ書かれたのか、だれが書いたのか、不祥な部分はありますが、「平家物語」は平易な名文として知られています。琵琶法師による語り本と読み本の二つの系統があり、全十二巻からなる平家の栄枯盛衰物語です。

堤講師は「『平家物語』といえば多くの方が雄壮な合戦のシーンを思われるでしょうが、実は男女の愛情、夫婦の思い合いなど、現代にも通ずる「恋歌」の世界がたくさん描かれています。今回は平家没落の運命の象徴の1つとも言うべき、1人の女性の絶唱を読み進めて参りましょう」と話されて、次のように解説頂きました。

・取り上げるのは平安末期の女性 小宰相。平教盛の長男である平通盛の妻で、一の谷の決戦で平家が破れ、戦死した平通盛の後を追って入水自殺した絶世の美女の秘話物語である。

・源氏の大軍に攻め立てられた合戦前夜、平通盛はどうも劣勢で死にそうな気がすると妻に囁く。打ち明けられた小宰相は、逆に妊娠を告げて生まれてくるこどものことを2人で思いやる。しかし合戦は源氏の大勝となり、平通盛は佐々木俊綱に討ち取られてしまう。

・知らせを聞いた小宰相は泣き伏し、「形見のこどもと生きるすべもあろうが、この世の苦労よりも亡き夫の許に行きたい」と乳母に告げる。告げられた乳母は、「六道四生」とは言うが生まれ返ったのちに再び平通盛のところで添える保証は無い。そこで乳母は、「こどもを産んで、出家して、尼として生きるべき」と自死を必死になって止める。

・しかし、乳母がうたた寝をしている間に、陽が入る西に向かって10回念仏を唱えて、小宰相は海に身を投げてしまう。気付いた舟人が小宰相の身を引き上げるが既に絶命しており、乳母は平通盛の大きな鎧を小宰相に着せて、再び海中に葬ってしまう。
以後乳母は剃髪をして、平通盛と小宰相の菩提を生涯弔ったという。

・当時は、夫に先立たれた妻は出家をして尼になるのが通例なのに、後追いをするとは珍しいと評判になり、「貞女は二夫にまみえず」と人々はもてはやした。

・乳母の回顧によると、小宰相が16才の時に平通盛が見初めた。小宰相は相手にせず、最後に、とばかりに投げ入れた平通盛の文を建春門院が拾ってしまう。その文には邪険にして、会ってくれない恨み節が書かれていた。建春門院は、美人の誉れ高かった小野小町も、強情で鼻っ柱が強いために最後は墓穴を掘ってしまった故事を引き合いに「返事をすべき」と勧め、二人は結ばれた。そして二人で死後の世界へ行ってしまった。

以上の解説のあと講師は「仏教を是とする平家物語では自殺がご法度であるのに対して、太平記では朱子学の影響で自害が多く出てきます。おなじ合戦の後でも、平家物語の仏教と太平記の仏教の色合いで大きく違ってくるのは世の習いです」と話されて、きょうの講座を終えられました。

いただいたアンケートのご紹介です:
・琵琶法師の話、耳なし芳一の原典が理解できて面白かったです。
・平家物語の中で全くしらない話を、知ることが出来た。非常に美人であった彼女が「お伽物語」の中に小泉八雲の耳なし芳一の話の元の話の「耳切り國市」として書かれて江戸時代にあったことも知ることができた。
2018/06/01のBlog
堤先生の連続講座“古典の恋歌”⑤
もうひとつの『源氏物語』―桜人巻―
國學院大學講師・文学博士 堤 康夫先生

國學院大學の堤康夫先生による新しい連続講座“古典の恋歌”の5回目は「もうひとつの『源氏物語』―桜人巻―」。昨年までの連続講座で解説していただいた源氏物語の幻の「55帖」についての解説でした。講座の概要は以下の通りです。

*源氏物語は「桐壺」から「夢浮橋」までの54帖と考えられているが、実は平安時代末期には「55帖」が存在した。平安時代末期の書家・学者の世尊寺伊行著の前田本『源氏釈』によれば、それは「桜人巻」という巻であった。

*この『源氏釈』「桜人巻」には13項目の注釈が載っている。その8項目目の「花の皆散り果てて、わづかに藤ぞ残れる」から、時期は晩春と推理され、それまでの①から⑦までが前半、⑧~⑬までが後半と分けられる。

*前半は①「苔の袂」「そぼつる」「猶立ち帰る」②「松は生いにけり」④「いとども煙る」などの注釈から、明石上に関係する巻ではないかと推理される。

*後半は⑨「夕顔の御手」「千年の形見」⑩「彦星」⑪「宮」などの注釈から玉鬘に関連する話ではないかと思われる。

*この55帖は、紫式部はあえて書かなかったものの、読者が知りたいと思う内容が描かれたのではないか。前半は、「初音巻」の最後の六条院の女主人をめぐる紫上と明石上の争いの締めくくり、後半は「玉鬘十帖」における玉鬘求婚譚の締めくくりではないか。

*鎌倉時代に書かれた『白造紙』には、サクヒト(桜人)・スモリ(巣守)サムシロ(狭莚)は後の世の人が書いたものと書かれている。「桜人巻」は紫式部の後から平安末期までに作られたと思われる『源氏外伝』の一種である。鎌倉時代に作られた『白造紙』には、サク(ラ)ヒト(桜人)・スモリ(巣守)サムシロ(狭莚)は後の世の人が書いたものと書かれている。「桜人巻」は鎌倉時代に存在した『源氏外伝』の一種である。

以上、堤先生はこの日の講座で、『源氏釈』におけるわずかな言葉を手がかりに、平安末期から鎌倉時代にかけて存在した「桜人巻」をよみがえらせてくださいました。「研究室において行っている作業を、今日は皆さんの前で公開しました」という貴重な講座でした。(や)

受講者アンケートの一部をご紹介します。
・堤先生の研究室の中での思考を垣間見せていただき、知的な探検の場に同行しているようで、ワクワクしました。ありがとうございました。
・紫式部以外に「源氏物語」の続きを書いたというのはビックリでした。
・今回の講義は非常に学問的な高度な講義であったのでノートが取り難かった。
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