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2018/04/24のBlog
「最後の超大国インド」元駐インド大使が見た親日国のすべて
日印協会理事長 元駐印、駐仏大使 平林 博氏

本日は、日印協会理事長 平林 博氏が久しぶりにご登場下さり、インドについて、表題をテーマにお話しいただきました。講師は、たくさんのプロジェクター資料を用意して、この「最後の超大国」について、以下の概要のような解説と、重要ポイントの説明をしてくださいました。

「概要」
インドは、1990年初頭に国家主導主義経済から市場経済に方針転換し、2015年現在、GDPは約2兆ドルで世界7位、GDP成長率7,9%と経済成長を続けている。又、核兵器を所有している。国土面積は、328.7万平方㎞で世界第7位。人口は、 12億1000万人で世界2位。人口増加と、めざましい経済発展等とあいまって、今世紀半ばには、アメリカ、ロシア、中国に次いで4番目の、最後の超大国となると予想されている。

アジアでは、軍事、経済等の分野で中国の台頭が著しく、中国は世界戦略として「一帯一路」構想を打ち出している。日本を含む多くのアジア諸国にとってその戦略構想は、重要な意味を持つ。例えば、マラッカ海峡からインド洋を経てペルシャ湾やスエズ運河に至るシーレーンは、特に中東の原油や天然ガス供給の生命線である。

そのため、日本―インドーアセアン諸国の一部―オーストラリアーアメリカの連携において、「民主主義」等の共通の価値観を共有する国々にとって、インドは戦略的に、地政学的に、又、経済的に重要な国となってきている。日本とインドは戦前のイギリスからの独立運動の支援、戦後のODAによる国づくり援助などの歴史から、極めて良好な関係にある。その為、日本は2000年の「日印グローバル。パートナーシップ」樹立から現在の「特別戦略的グローバル。パートナーシップ」へと外交、経済、軍事の面でもその協力関係を昇格させてきた。

以下、羅列的ではあるが、 もう少し詳しくお話しいただいことを記した。

「重要ポイント」
★インドは最大の民主主義国家
①民主制度を守るとの政府。国民の固い決意
②有権者は8億1400万人でありその選挙は公正さが常に担保されてきた。
③政権交代は常に選挙を通じて行われ、クーデターによることはなかった。
④多用性の中の統一
民族的多様性;アーリア系、ドラヴィデ系、
言語の多様性、ヒンドウ‐語(国の公用語)パンジャブ語、ベンガル語、英語 等
宗教の多様性;ヒンドウー教徒 80%、イスラム教14.2%、キリスト教2.3毒
独特の高級官僚システム
⑤能動的で政府批判を厭わないマスコミ
★戦略的自立の精神と核抑止力の保持; 対パキスタン、対中国
★日本同様に国連の安全保障、常任理事国をめざす。
日本、インド、ブラジル、アフリカの1ケ国計4カ国の新規加入を目指す。 
★誇り高いインド人。自己の立場、主張を行うタフな神経、思考回路は欧米的、合理的
★インドの光と影;憲法上、違憲ながら,ヒンドウ‐教と固く結びつくカースト制度
★伝統的な親日感情 ;戦前のイギリスからの植民地解放援助。戦後ODAによる経済援助★ODAによるインドの国づくり支援; メトロ建設支援、新幹線建設、東北インド開発、原子力発電事業 
★両国の首相が定期的相互訪問を続けている。
(藤田泰男)

以下、アンケートの一部をご紹介します。

・資料が充実しているのでわかりやすかった
・各国の歴史。風土。国民に関する講演会に参加の機会がなく「インド」に関しての初の参加の機会に希望と期待で申し込みさせて頂きました。素晴らしいお話しを伺い感動です。!資料の多いのに驚きました。
・とても勉強になりました!やはり国際感覚の話のスケールが大きいし、知らない事ばかりでした。
2018/04/16のBlog
シリーズ“こだわって生きる我孫子の人”⑱
ネパール&ヒマラヤを歩く
白樺同人(薪割り集団)高橋 重氏

講師の高橋氏のお話は、ペルー、ボリビア、パタゴニアに続き4回目。今回のテーマは「ネパール&ヒマラヤを歩く」です。

講師はまず「受講者から『白樺同人(薪割り集団)』のネーミングの由来について質問がありました。『白樺同人』では我孫子の『白樺派』と紛らわしい、山小屋の薪を割る仲間が相応しいと考え、『薪割り集団』としました」と笑いを誘われたうえで、

「今回は、“エベレストは70歳になったから行かなくちゃ”ということでの山行きとなった。この旅も旅行代理店を通さなかった。代理店を通さないと、航空チケット、宿泊、行程の手配など面倒ではあるが、仲間だけで企画した方がオリジナルな計画が立てられ、行動の自由度が高く、旅の印象も深くなり、そして何よりも安くあがる」

と前置きされたのち、ダイナミックなヒマラヤの山々、花々、現地人の生活ぶりなどのスライドを駆使し、概ね以下のような興味深いお話を展開されました。

1.連邦民主共和国ネパールについて
 多民族国家であり、ヒンドゥー教徒が多く、農業・観光業の盛んな国家である。

2.ヒマラヤの8000mクラスの山々について
 ヒマラヤには8000mの山々が14峰あり、ネパールにはその内、8峰がある。

3.エベレスト登山史について
 1907年にイギリス山岳会創立50周年記念行事としてエベレスト遠征隊の派遣が提案され、1921年に第1次遠征隊が派遣され、のち1953年5月29日にエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイが初登頂に成功した。

4.日本人とヒマラヤの関わりについて
 ヒマラヤを見た最初の日本人は仏教学者の河口慧海であった。

5.ヒンズーの神々について
 〇世界を創る創造神ブラフマー(梵天)、〇世界を保つ維持神ヴィシュヌ(毘沙門天)、〇世界を壊す破壊神シヴァ(大黒天)などがある。

 講師は、ネパールの旅の終わりに体調を崩され、3日間ほどの入院を余儀なくされたとのことでした。「そこで得たことは、“70歳になったら、気を付けよう”でした」と冗談交じりにお話しを結ばれました。 
(酒井 弘) 
 
受講者からのアンケートを幾つかご紹介しましょう。
*ついこの間実際に登られた方のお話を聞くことが出来感動いたしました、目の前の写真 山々 山肌のしだ 氷河 山の花 高い山にも美しく咲く花のあることも不思議に思えました、なんどもお話をお聞きしたいです。
*エベレスト街道にはいつか行きたいと思っているのでとても参考になりました。
*実体験の話なので魅力充分(計画から始まって、文化、宗教等幅広い知識があふれていた)植物限界高度が4000m 美しい山岳写真は楽しかった。
2018/04/10のBlog
4/9 連続講座 “古典の恋歌“④
『源氏物語』幻巻 -季節の移ろいと共に-

國學院大学講師・文学博士 堤康夫氏による新シリーズ、今回は源氏物語の「幻巻」です。永年連れ添った最愛の妻、亡き紫の上を追慕する光源氏の姿が、以下のように一年の季節の移ろいを背景に描かれます。

春(旧暦1月~3月)
 1月 初春、悲しみの深い光源氏は年賀の客にお会いせずに御簾から出ない。仲のよい弟の兵部卿とはお会いになる。
 2月 如月は衣替えの季節。紫の上が愛した形見の紅梅に鶯が鳴いている。部屋からでてご覧になる。
 3月 春盛りの季節になったが、光源氏には庭を愛でる気持ちがなくなっている。逆に鳥の鳴き声が聞こえる山奥が恋しくなってくる。

夏(旧暦4月~6月)
 4月 夏用の衣に着替えられる。羽衣の薄さに、空蝉のように世の中が空しいという気持ちが強くなってくる。
 5月 五月雨が続くので、光源氏は外にも出ず、ただぼんやりと物思いにふけるばかり。山時鳥の鳴く空を眺めては故人を偲ぶ。
 6月 この頃は暑さもひとしお。庭の池を渡る風にわずかな涼を感じ、多くの蛍が飛び交うさまに故人を偲ぶ。池の蓮を眺めているうちに日も暮れる。

秋(旧暦7月~9月)
 7月 7日も何もしないで一日中物思いにふけっておられる。今は一緒に星合の空を見る人もいないと。
 8月 紫の上が亡くなったのは昨年の8月のこと。命日に一周忌を催される。中将の君の扇に出家を暗示する詩をお書きになる。
 9月 9日は重陽の節句、黄色の菊は不老長寿のシンボル。菊を綿で一晩覆い、濡れた綿で体を拭くという習いがある。光源氏は綿で覆われた菊をご覧になり、菊の朝露が一人袂にふりかかると感慨にふける。

冬(旧暦10月~12月)
 10月 神無月は冬の始まり。紫の上を偲んで大いに泣く、涙を拭く袂が涙で腐ってしまうという昔の詩を口にされる。夫妻で仲良く飛ぶという雁をうらやましく見守られる。
 11月 初めて澱上のお勤めにあがる子供の姿に自らの若き日を思い出される。
 12月 ひっそりと過ぎた一年の最後を迎え、光源氏は出家の決意を固める。お仕えした人へ形見分けをされる。元旦の日のことを「例年より格別に」とお命じになり、引き出物などをまたとなく用意される。紫の上と過ごした過去のシーンが季節の移ろいと共に、次から次へと浮かんでくる。光源氏は出家の時を迎える。

堤先生は今回も当時の食生活や雨の日の暮らしなど時代背景を説明され、物語の理解に大変役立ちました。受講された方の感想をご紹介します。 (佐藤 明)

 ・一年間12か月のそれぞれの季節の変化を言葉、歌で勉強できた。
言葉というものを考え、使える日本人に生まれて素晴らしいと感じる。
 ・いつも楽しく勉強させてもらいました。
2018/04/06のBlog
浅草オペラ初演101年『あゝ浅草オペラ』~この一世を風靡した歌劇を語る~

本日の講師小針侑起氏はまだ30歳を過ぎたばかりの若き研究家ですが、浅草オペラには小学生時代から興味を持ち、以来約20年にわたって調査、研究を重ねてこられました。2016年5月にはその成果をまとめた『あゝ浅草オペラ』を出版、昨年2017年の「浅草オペラ100年記念」行事では大活躍されました。

今回は、この『あゝ浅草オペラ』の主要内容をプロジェクター資料にまとめ、ほかに、いくつかの貴重な音源をCDにまとめて、以下の3章に分けて、お話してくださいました。

〈第1章〉 浅草オペラ前史 何故オペラは浅草で花開いたか?
1911年に帝国劇場が開設され、日本初の創作オペラが上演された。しかし、日本音楽を聴いてきた観客には、清水金太郎の腹式呼吸の歌い方は馴染めず、笑い転げる始末。しかも経費が掛かり過ぎたこともあり、不評の内に終了することになった。

〈第2章〉 浅草にオペラがやって来た!華ひらく浅草オペラ
しかし指導者のローシー氏はあきらめきれず、赤坂のローヤル館でオペラを上演、そこで高木徳子というスターが生まれた。その高木徳子主演の『女軍出征』で浅草オペラが幕を開いた。第1次世界大戦のさなかの上演で、笑いと色気があり、分かりやすく、しかも安価で爆発的な人気となった。

寄席芸人の街であった浅草は、音楽学校の出身者たちが続々出演したことで一変した。大正7~8年は浅草オペラの最盛期で、澤モリノ、清水金太郎、原信子、田谷力三、藤原義江、藤村悟朗、谷崎歳子(江利チエミの実母)などのスターが生まれた。「歌舞」「オペラ」等の情報誌も刊行され、オペラは浅草だけにとどまらず、名古屋等各地へと広がった。

ペラごろ(オペラに通いつめた熱狂的なファン)の言葉も生まれ、川端康成、谷崎潤一郎、宮沢賢治なども熱中した。1日に3回の公演、しかも<観物場>として10日ごとに出し物を入れ替える規則のため、次の稽古もしながらというハードスケジュールを役者たちはこなしていた。

〈第3章〉 浅草オペラの全盛と衰退
 大正9年ころには、オペラ人気に落ち着きが出て来る一方、廃業したり、映画などに転職したりする役者も増えて、心からオペラを愛する客と実力のある演者が残った。そこで、歌劇「『カルメン』や創作オペラ『勧進帳』など内容豊かなものが上演された。‥しかし!大正12年の関東大震災で浅草の街は壊滅的な打撃を受け、浅草オペラは一気に終焉を余儀なくされた。

この浅草オペラが残した功績としてはまず、明治初期から数十年かけて成し得なかった西洋音楽の普及を数年のうちに成し遂げたことがあげられる。また、映画、演劇、音楽、レコード界などに、後に残るスター(二村定一、榎本健一、浦辺粂子など)を多く供給したこともあげられる。

以上の内容を、たくさんの映像資料や、珍しい音源を織り込みながら、とても聞きやすい言葉で語ってくださり、以下のアンケート回答のように、受講者の皆さんに満足していただけた講座でした。小針講師は、帰りに我孫子駅の掲示板に本日の講座のチラシが貼ってあるのをご覧になり、「おお、ツイッターに載せよう!」。古き浅草オペラの研究者ながら、そこは若者そのものでした! (秋田桂子)
<アンケートより>
・知らない事が多く、浅草の地下鉄のエスカレータ脇に貼ってある写真の意味が分
かりました。
・この様な大衆演劇についての講座も開講してほしい。
・具体的で内容盛り沢山あふれる知識を楽しくお話し頂き満足です。本当に楽しかったです。当時の歌 音声が聴けて良かったです。
・私は昭和のひとけた浅草生まれです、懐かしい古い写真を見て思わず涙が出そう になりました。
・浅草オペラが全国に広まってという話は一番知りたい話でした。
・懐かしい俳優や教え子の名前を久しぶりにお聞きしました。とても懐かしい気持ちになりました、有難う御座いました。
2018/03/25のBlog
「君たちはどう生きるか」―父の思い出と今回のブームを語るー
ジャーナリスト 元日経新聞論説委員 吉野源太郎 氏

昭和12年(1937年)に発表された吉野源三郎氏の「君達はどう生きるか」という本が漫画本化を契機にブームを呼んでいます。マガジンハウス社では漫画本ほかで220万部を、岩波文庫も累計130万部を超えたそうです。今回は、ジャーナリストで、原作者のご長男でもある吉野源太郎氏にお父様とこのブームについて語っていただこうという講座でした。

吉野氏は、先般の大雪の際に転倒されて大怪我をされ、4日前に退院されたばかり。リハビリ中のところ遠方よりお越しいただいての講演となり、冒頭、「足腰には自信があったが、不覚にも雪に足をとられ、長い入院生活を余儀なくされた」、「入院して気づいたのは、団塊世代の人々の入院患者の多さと認知症も併発していると思われる人達の多さでした」、「今度の入院生活を通じて、団塊の世代全員が後期高齢者となる2025年以後の医療、介護を想像するとそら恐ろしくなります」などとお話しされました。

そして今回の「君たちはどう生きるか」ブームの理由については「一つは、マガジンハウス社がマンガという切り口で読者に訴えたこと。二つ目には、真正面から世の中に取り組んでいること、つまり時代に本当に求められているもの、王道をいくものだからだと思います」と述べられました。著者吉野源三郎氏については「父をテーマに、この本との関係で、子供である自分が話をするのは下の下と思うので」ということで、今回はこのテーマについてはお話しになりませんでした。

そのほか①福島原発について=かねてフォローしているが、私のできることは、事実を知ってそれを世間に知らせること。他の方法で被災地の人達の力になりたいと思っても、簡単にできることではない②経済成長路線と現代について=私達世代は、経済成長主義を信じてひたすら働き、その果実にもあずかった世代。経済成長は格差を包みこんだが、今は、経済成長至上主義は行きづまり、格差はまた確実に広がっている③東京という町について=東京は生活するための職や権力を求めて人々が集まるところ。結果として、社会階層は重層化し、住む場所も様々となった―などのお話をされました。

以上、話題は様々となりましたが、吉野源三郎氏が、旧制一高のリベラルアーツ教育(哲学、歴史、サイエンス、文学をひたすら学び,かつ、仲間内でデイスカッションする教育)に基づき、事実を追求し、現実と向き合い、自分の頭で考え、社会に提言してきた方であったと同様に、息子の源太郎氏もいろいろな見逃せない現実に向き合っておられることを感じました。 (藤田泰男)

以下、受講者のアンケートの一部をご紹介します。
①息子の中学受験の時の推薦図書でした。題名につられて私も読みました。良い本だと思いました。なつかしさにつられて今日まいりました。しらみの子の話は好きです。
②吉野先生は言葉を実に丁寧に選んで使われていた!さすが新聞記者という職業を感じさせた!考え考えながら話すのが、とても説得力のある話の間合いになっていた!父上の「何事も王道を行くことが大事」ということにも感じいった!福島の災害の話も病院での入院生活の話も、とても大事な気付きをいただけた。有難うございました。
③時代性、社会性の問われる本書に対するジャーナリストとしての評価をお聞かせいただきたかった。
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