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2017/03/24のBlog
春です! 美炎です! 馬頭琴です!
馬頭琴奏者 美炎(みほ)さんコンサート 
ピアノ:竹井美子さん パーカッション:前田 仁さん

馬頭琴奏者の美炎さんは千葉県のご出身で、馬頭琴をモンゴルの世界的馬頭琴奏者であるチ・ブルグッドに師事。馬頭琴の人間国宝チ・ボラグに認められ、馬頭琴アンサンブルの最高峰、野馬アンサンブルの一員としてアジア各国で演奏活動を行ってこられました。
ふれあい塾あびこでは2011年12月15日と2013年1月7日の2回、レクチャーコンサートにご登場頂き、いずれも大好評でした。第3回の今回は、幅広い分野での伴奏活動を続けておられる竹井美子さんのピアノ、メジャーアーティストと演奏活動をなさっている前田仁さんのパーカッションが加わったレクチャーコンサートで、過去2回よりさらに充実したすばらしいアンサンブルを披露してくださいました。

美炎さんは曲間には簡潔なレクチャーを織り込んでくださり、
「乗馬に慣れれば慣れるほど、馬頭琴は比例して上手になるとモンゴルの師に言われました。その実感はまさにその通りで、その体験を作曲『翼のある馬』に表現しました」
「敦煌では馬だけではなく、駱駝にも乗りました。身体全体が沈む感じが凄くて、喜多郎の『シルク・ロード』はまさにピッタリの曲です」
「ゴビの800kmを9日間かけて旅もしました、途中で500頭、1000頭単位の馬の移動を何回も目にしました。チ・ボラグの『万馬の轟』は、まさにその響きです」
などのエピソードや曲解説をして下さいました。
演奏曲は以下の通りです。
4歳の栗毛の子馬(モンゴル民話)
天上の風(モンゴル民話)
翼のある馬(美炎)
スーホの白い馬(チ・ボラグ)
風と空のうた(美炎) 
風の馬(美炎)
シルク・ロード(喜多郎)
森の名前(美炎)
ゴンドラの唄(中山晋平) 
リベル・タンゴ(ピアソラ)
レッドロックスピリット(美炎)
インスタントラブ(美炎) 
万馬の轟(チ・ボラグ)
ポラリス(美炎)
月みちる(美炎)

演奏を十分堪能された受講者の方々から、数多くのアンケートを頂きましたが、その一部をご披露致します。
*初めて聞きました、初めて実物を見ました。25年前によく「スーホーの馬」を子どもたちに読み聞かせておりましたので、大変興味がありました。素晴らしい音色で特に低音にうっとりと聞き入りました。
*馬頭琴の力強い音色に感銘を受けました、ピアノとパーカッションとのアンサンブルも素敵でした。モンゴルの大草原の中で聞いているような感じになりました、ありがとうございました。
*モンゴルの人が弾く馬頭琴を以前に聴いたことがありますが、その時は随分素朴な楽器だったという印象でした。きょうの演奏を聴き色々な可能性のある楽器で、ジョイントもおもしろくて楽しく認識を新たにしました。
2017/03/17のBlog
3/16 自著を語る② 「サイゴンの火焔樹 ―もうひとつのベトナム戦争」

本日はノンフィクション作家 牧 久氏を講師にお迎えし、以下のようなお話をして頂きました。

・1975年サイゴン陥落の前後、南ベトナムで何が起こったのか。北ベトナム政府の南ベトナム全面攻撃の直前に日経新聞サイゴン特派員として赴任し、目撃した事実をもとにお話をしたいと思います。詳しくは自著、「サイゴンの火焔樹」をお読み下さい。

・東西冷戦の渦中にあったベトナムは、1954年、17度線で南北に分断され、北はソ連が、南はアメリカがそれぞれ支援していました。
1973年、パリ和平協定が交わされ、アメリカ軍はベトナム全土から一斉に撤退しました。こうした状況の中、北ベトナム政府は南ベトナムに対しホー・チ・ミン作戦といわれる全面攻撃を開始、1975年4月30日、サイゴンは陥落しました。

・私が特派員としてサイゴンに派遣されたのは1975年3月、まさにホー・チ・ミン作戦が始まろうとする時期でした。私が国外退去となる10月まで、約半年間、サイゴンで見聞きしたものをまとめたのが本書です。
サイゴンに入ってきたのは北ベトナムの精鋭部隊で、正規軍による軍事制圧です。日本の新聞は、ある社は「サイゴン解放」と書き、ある社は「サイゴン陥落」と書きました。

・サイゴンに入った北ベトナム政府は共産主義革命を推し進めました。武器で抵抗することもなく北ベトナムの兵士を迎え入れたサイゴンの人々を大きく翻弄します。
外国人を次々に国外追放、市民の下放、財閥の解体と国営化、新紙幣への切り替え、そして思想の改造教育です。カンボジアのように市民の虐殺こそありませんでしたが、約300万人の人々がボートピープルとして国外に脱出しました。

・サイゴン陥落後、新聞原稿を日本に送ることが出来なくなりましたが、それでも様々な手段で私は原稿を日本に送り続けていました。その中で、1975年に書いた私の記事「南北統一時期尚早論」が政府の方針と異なるということで「反革命的」と言われ、国外退去を命じられました。1976年7月、ベトナムは統一され、ベトナム社会主義共和国が誕生します。実は既に1975年時点で北ベトナム政府は南北統一を決定していたのです。
この記事が原因で私のベトナム人通訳、ドアン氏のその後の人生を大きく変えることになったのには悔いが残ります。

講師の著書名になっている火焔樹は5月から7月にかけて真っ赤な花を咲かせます。ベトナムの人は日本にとても深い親愛の情を持っており、今年、両陛下はベトナムを訪問されましたが、大歓迎を受けました。今日は現地で取材された講師ならではのお話でした。 (佐藤 明)

アンケートからいくつかご紹介します。
*サイゴン陥落、解放などの各新聞社の捉え方の違いやベトナム戦争について詳しく知ることができました。
*実に生々しく、体験が滲み出ていました。迫力、満足でした。
*臨場感あふれる内容で飽きさせなかった、もう一度聞きたい。
*大変興味深いお話でした、初めてお聞きする事ばかりでした。
2017/03/16のBlog
[ 18:51 ] [ ふれあい塾講座記録 ]
シリーズ 絵画を観る喜び⑥ 近代美術その2 
写実主義 バルビゾン派 ラファエル前派 
美術愛好家 長野一隆氏

長野講師は、これまで40年近くにわたって、42カ国、2046ヶ所の美術館・博物館・教会・美術展示施設を訪問してこられました。アジアでは日本を中心に223ヶ所、アメリカでは合衆国の231ヶ所を中心に253ヶ所、ヨーロッパではイタリアの604ヶ所を中心に1570ヶ所とまさにギネス級の訪問回数を誇っていらっしゃいます。そして実際に長野講師が見られた、鑑賞された絵画のみを、テーマごとに、作家ごとに体験を通じてお話下さいます。
絵画を観る喜びはどこにあるのか、今回は近代美術その2として、写実主義、バルビゾン派、ラファエル前派について、以下の作家と作品について解説下さいました。

クールベ 「オルナンの埋葬」オルセー美術館
クールベ 「画家のアトリエ」オルセー美術館
クールベ 「泉」 オルセー美術館
アングル 「泉」 オルセー美術館
ドーミエ 「三等車」 メトロポリタン美術館
ドーミエ 「洗濯女」 オルセー美術館
ミレー 「晩鐘」 オルセー美術館
ミレー 「種をまく人」 山梨県立美術館
ミレー 「種をまく人」 ボストン美術館
テオドール・ルソー 「フォンテーヌブローの森のはずれ(夕日)」
テオドール・ルソー 「アプルモンの樫」 ルーヴル美術館
コロー 「モルトフォンテーヌの思い出」 ルーヴル美術館
コロー 「真珠の女」 ルーヴル美術館
レオナルド・ダ・ヴィンチ 「モナ・リザ」 ルーヴル美術館
オーヴァーベック 「イタリアとゲルマニア」ノイエ・ピナコテーク
オーヴァーベック 「ヴィットリア・カルドーニの肖像」ノイエ・ピナコテーク
ウィリアム・ダイス 「ヤコブとラケルの出会い」ニュー・ウォーク美術館
ウィリアム・ダイス 「少年ティツィアーノの初彩色」アバディーン美術館
ロセッティ 「ベアタ・ベアトリクス」 テート・ブリテン
ロセッティ 「プロセルピナ」 テート・ブリテン
ハント 「良心の目覚め」 テート・ブリテン
ハント 「世の光」キーブル・カレッジ・チャペル、オックスフォード
ハント 「14歳の自画像」 アシュモレアン博物館、オックスフォード
ミレイ 「オフィーリア」 テート・ブリテン
ミレイ 「初めての説教」 ギルドホール・アート・ギャラリー
バーン=ジョーンズ 「眠るいばら姫」 バスコット・パーク
バーン=ジョーンズ 「黄金の階段」 テート・ブリテン
バーン=ジョーンズ下絵 「聖チェチリア」 プリンストン大学美術館
モリス 「麗しのイズー」 テート・ブリテン
モリス 「イチゴ泥棒」 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館
アーサー・ヒューズ 「四月の恋」 テート・ブリテン
アーサー・ヒューズ 「長い婚約期間」 バーミンガム美術館
フレデリック・サンズ 「マグダラのマリア」 デラウェア美術館
フレデリック・サンズ 「優雅なバラ」 イェール英国芸術センター
ジョン・コリア 「ゴダイヴァ夫人」 ハーバート美術館
マリー・スティルマン 「愛のメッセンジャー」 デラウェア美術館
マリー・スティルマン 「メッセール・アンサルドの魔法の庭」 デラウェア美術館

・作者、派、出身地、エピソード等を組み合わせたお話がとても楽しく、分かり易く理解できました。次回も楽しみです。
・オーヴァベック、ダイス、ロセッティなど現地でなきゃ知り得ない画家を知ることができ面白かった。画家のエピソードも楽しい。
・画家同士の人間関係、絵の表現するストーリー、美術館の内容etcさすがに記憶され整理されている知識の豊富さに唯々驚くのみです。今回の講義の中で特に「ラファエル前派」の多くの作家の作品を紹介していただき、まとめて鑑賞したいという気になった。

2017/03/10のBlog
シリーズ老舗ものがたり⑯
“東京最古の酒舗‐白酒の元祖”豊島屋本店
代表取締役社長 吉村俊之氏

東京で最古の酒舗である豊島屋さんは創業が1596年。神田鎌倉河岸で酒屋と今でいう居酒屋兼業の店を出したのが始まりです。そして白酒を考案して雛祭りに飲む習わしを、広く定着させました。明治中期には東村山市の酒蔵で清酒醸造にも乗り出し、今に至っています。

きょうはその豊島屋さんのご当主 吉村俊之さんにお出でいただき、ご持参くださった白酒を皆様試飲されるなかで、創業や行動指針、経営展開などのほか、清酒の特質、新しい販路などについて次のようにお話頂きました。

①豊島屋について
日本には創業100年以上の会社が27,735社あり、全会社の1.9%である。300年以上の会社は605社、500年以上が39社ある。
豊島屋は421年で、創業後発売した白酒は特に女性の間で大好評、お雛祭りに白酒を供える習慣が始まったといわれている。江戸時代からお酒はもっぱら精米技術が発達した灘や伏見で生産されていたが、豊島屋は明治中期に東京で生産した。
この豊島屋の清酒は明治神宮、神田明神のお神酒として採用された。

豊島屋の家訓は昔から、「お客様第一、信用第一」であり、あこぎな商いはしないこと。行動方針は、守るべきものは守り、変わるべきものは変える「不易流行」である。
ニーズの変化の激しい中で発泡酒の開発など、無形資産としてのブランドを守り、新旧のお客様へ常に新しい価値の提供に努めている。

②日本酒について
日本酒の指標は(アルコール度数・酸度・コメの精白歩合)であり、日本酒の楽しみ方は(温度・酒量の3倍の和らぎ水がお勧め)である。

清酒の消費動向は1970年代をピークに右肩下がりとなっており、今はピーク時に比べて1/3である。しかし6年前の東北震災からの復興を機に、底を打った感じがする。
また、輸出は和食ブームと相まって右肩上がり。豊島屋でも羽田や成田空港の免税店で出品しており、お土産としての購入が好調である。海外での品評会に出展して販路の拡大を図り、仏料理店や伊料理店などと提携して料理とお酒のマリアージュを展開している。

以上のようなご説明の後、「江戸時代から続く酒屋が東京にもあることを広く知って頂き、匠の技で原料米に左右されない清酒を、もっと楽しんで頂ければ幸いです」と話されて、きょうのお話を終えられました。お酒のお話でしたがご婦人のご参加もあり、次のようなご感想を頂きました。

*楽しいお話をありがとうございました、お酒は余り強くありませんし日頃も飲みませんが、本日よりすこしづつ嗜みたいと思います。ご発展を願っております。
*東京最古の酒屋さんのご生家に生まれ、責任と圧力もおありだったのでは?謙虚さと素晴らしい実力のお持ちの方で、お話をしみじみと聴かせて頂きました。日本酒のささやかなファンとして、とても感動的でした。
*大変面白いお話でした、お酒好きの自分には興味の尽きないお話でした。
*お酒は大変好きですが詳しい情報についてはあまり知りませんでしたが、今回適切な説明で理解することが出来ました。白酒は初めて飲ませて頂きました、美味しかったです
2017/03/07のBlog
[ 04:39 ] [ ふれあい塾講座記録 ]
源氏物語を読む 第45回 蜻蛉巻
國學院大學講師・文学博士 堤 康夫氏

堤講師は「薫と匂宮という、タイプが全く違う二人の男に愛された浮舟。この巻は浮舟入水後の動静が描かれています。浮舟を失った匂宮は悲しみのあまり病の床に就きます。薫大将は悲しみをこらえ、浮舟の葬儀、四十九日の法要を執り行います。薫の女一宮への思慕、故式部卿宮の女宮の君のエピソードを挟みつつ、物語は浮舟物語のその後へと続いて行きます。源氏物語の大河もいよいよ大詰めが近づいています。我々もラストシーンに向けて読み進めてまいりましょう」と前置きされて次のように解説して下さいました。

*浮舟が失踪したことから宇治の郷では大騒ぎとなり、噂がうわさを呼んで混乱する。浮舟の周囲にいた侍女たちは、二人の男に悩みぬいた浮舟が川に身を投げたと推察する。宇治にいる浮舟の母は実情を知らず、得体のしれないものに憑りつかれたのではと不安に包まれる。

*浮舟の失踪を知った匂宮は魂を抜かれた如き状態で、病に臥せっていることにした。死なんばかりの尋常ではない匂宮を見舞った薫は、浮舟のことを語るうちに落涙する。二人は胸の内や腹の内は隠したまま、浮舟のことを語り明かす。

*薫と匂宮の双方からのお供えが並び、七人の僧が弔うという盛大な四十九日の法事が行われた。悲しみから他の女性に声をかける匂宮、反対に実直を絵に描いたような薫の立ち居振る舞い。

*法要の終わり、薫は帝の長女である女一宮を見初める。薫は明石中宮が描いた散逸物語のひとつである芹川物語の絵に魅かれる。薫と女一宮をこの絵の主人公に置き換えて、女一宮への思いを募らせる。匂宮は亡くなった式部卿宮の娘で、女一宮に仕えている浮舟と血縁のある宮の君のことが気にかかる。

以上のような解説の後、先生は「かげろうが飛び交うのを見て、行方知らずの浮舟のことを思いやる薫。蜻蛉を浮舟に見立てて、薫は歌を詠みます。返歌が無い、独詠歌です。入水した浮舟はどうなったのか、その後どんな人生を送ったのか。気になるところは、次回にお話します」とされて解説を終えられました。
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