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ふれあい塾あびこレポ-ト
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2011/01/23のBlog
[ 20:12 ] [ ふれあい塾講座記録 ]
“江戸という時代シリーズ”第23回目の講座は、立正大学非常勤講師(文学博士)高尾善希先生による「幕末史を考える-外圧の危機と政治体制の選択」。いつもの通り豊富な資料と要領の良いレジメを用意され、明瞭な口調で講義が始まりました。

 前置きとして、一体「幕末」とは何時から何時までを指すのか、を解説されました。先生は、「広義には天保の改革の挫折から幕府崩壊までとする説もあるが、私は、ペリー来航の1853年から幕府崩壊・大政奉還までの15ヶ年と考える」とされ、「なかでも幕末の中央に当たる1860年以降の7年間に政局が集中し、大きな変化が起こっている」と強調された。

 そして、幕末史を考える上での素朴な疑問として、
①攘夷派が開国派にあっさり変化するのは何故か
②天皇という古めかしい権力者が出てくるのは何故か
③幕末史の登場人物は何故多いのか
の3つをあげられ、この疑問への回答を中心に、以下のような解説をしてくださいました。

1.「明治維新」とは何か
 ・幕末史の到着点「明治維新」とは、日本における「近代国民国家」の創出である。
 江戸と明治の決定的な違いは、国民国家意識の有無にある。藩の実権が下級武士に移ることにより、政治に参画する層が厚く・広くなる。これが幕末史の登場人物が多い理由でもあり、これらを束ねる旗として天皇の存在が必要とされた。単純に古代王朝の復興ではない。

 ・「近代国民国家」の3つの構成要素について考えると―
 ①「主権」:対外的・体内的に排他的な正統な権力を確立すること。そして国家主権を守るためのルールとしての「万国公法」の枠組みに入ること。近代国家であるヨーロッパ中心の国際秩序(国際法)に参入することにより、明治政府の願望であった不平等条約の撤廃を図る。当時の国際法では、世界は欧米キリスト教国の文明国と日本や中国などの半未開国、そしてアフリカやオーストラリア等の未開国の3群に分けられ、未開国の領土は無主の領土として獲得することが正当とされていた状況であったからこそ、後発国としての日本が、国際社会に登場するためには欧米の世界に似せた国家作りが必要であった。

 ②「領土」:厳密に区画された国家の領域をもつこと。領土概念は近代から始まった。
 千島樺太交換条約締結、小笠原条約締結、北海道開拓などはその表れである。

 ③「国民」:恒久的に帰属する国籍を持ち、同一身分・同一文化を持つこと。
 その為に身分階級をなくし(同一身分)、標準語を話す(同一文化)ことなどを進めた。一方でアイヌ民族・琉球民族・朝鮮民族のもつ独自文化の抑圧などに繋がった面もあった。
2.「尊王攘夷」の役割とは
 ・「尊王攘夷」とは
 ①近代国家をつくるきっかけとなった思想。対外的には欧米列強の影響力を排除し、体内的には国家変革の思想であった。
 ②「尊王」とは何か。当時尊王は常識で幕府も尊王であった。
 厳しい身分秩序をヒックリ返す思想として、周王朝時代の言葉として尊皇ではなくが使われた。 
③「攘夷」とは何か。攘夷には単純な攘夷(外国人を見たらすぐ戦おうとするような素朴な排外思想)、いわゆる小攘夷主義と、攘夷のために開国するというような戦略的な攘夷、つまり大攘夷主義に加え、建前としての「尊王攘夷」があった。
 大攘夷主義者たちは当初は国を富まし、軍艦を買って戦うと云う思想から、やがて開国派になり、主流となり明治政府を動かして行き、富国強兵へと進んでいく。

 天皇を中心に据え、新しい日本国を創ろう、その為には身分階級をなくす、と云うよりは、草莽の士が中心になって国を治めて行こう、と云う考え方が広まっていった。

例えば、陸軍軍医・子爵石黒忠悳(1845年陸奥国伊達郡梁川生れ)の回顧録「懐旧九十年」によると、彼は14才頃「日本書紀」「国史略」「日本外史」「日本政記」などの書物を読み、小攘夷思想と云うべき尊王攘夷思想に目覚めた。やがて19才の折佐久間象山に出会い、大攘夷主義を教わった。例えば、20才になって西洋医学を学ぶが、「この医学を学ぶにしても、訳書は勿論だが洋書を学んでその奥義を究め、洋書も一つの参考書として我が日本国独立の医学を起こし、その方面において真の攘夷をせねばなるまいか、・・・」と書いている。又25才大学東校で医者として活躍中のころにも「我が国医道の改正を断行し、~私の年来の宿願たる攘夷の実を上げようと・・・」と、“攘夷の実”を語っている。

 先生の熱弁をお聞きしているうちに、1時間半がここまでで過ぎてしまいました。残されたテーマである「3.維新の志士達の実態」は残念ながら講義未了となりました。ブログ子もぜひ再講義をお願いしたいものと思っています。受講生のアンケートには、「幕末の中で民意大衆の動きが良く分った。よくまとまった講義である」、「分り易く、ポイントを要領よくおさえた講義であった」など次回講座を待たれる声が多かった。(酒井)
2011/01/19のBlog
我孫子で執筆された志賀直哉の代表作「暗夜行路」の連載が始まって、ことし1月で90年になります。これを機会に、文芸評論家、元中央学院大学教授の早川雅之氏に、志賀文学における我孫子時代の意義を、公開講座3回シリーズで解説して頂くことになりました。

第一回目の本日は、「反逆と放浪期の志賀直哉―宿命的な対立から遥かな〈暗夜行路〉の旅へ」と題して、父との対立、我孫子に至るまでの長い彷徨のお話をして頂きました。

1.父と子の宿命的な対立。
 明治という時代は日本の近代化が急激に進んだ時代であった。嫡男に後を継がせたい親と、親の束縛から独立したいと願う子の対立は志賀家に限らず、この時代決して珍しいことではなかった。直哉の場合も家庭という事情に矮小化せず、この時代背景の中で考えるべきだ。しかし、志賀家ほど深刻な対立は少なかった。祖父直道―父直温―子直哉という三代の価値観の対立は大きかったが、4つの対立で話を進めたい。

 ①足尾銅山鉱毒事件(明治34年、18歳)
 祖父直道は銅山の共同開発者の一人。内村鑑三を師と仰ぐ直哉はその影響も受け、自分の目で実際の鉱山を見てみたいと父に頼むが反対される。
 ②女中との結婚問題(明治40年、24歳)
 女中の千代と結婚する、という直哉の話に父は激怒する。千代と男女の中になった直哉は結婚を諦めきれず、内村鑑三に相談したりする。この時期、父は「あんな息子は死んでしまえ」といい、子は子で、「たとえ父でも殺してやりたい」、という最悪の状況になる。
 ③出版費用問題(大正元年、29歳)
直哉の処女出版「留女」の出版費用に端を発し、直哉の将来の方針を巡って父との対立が激化する。父はいつまでも小説書きなどするな、親の後を継げと迫る。これに対し直哉は、小説は男子一生の仕事だと譲らない。対立は決定的になり、志賀家の跡取り息子は家を出ることになる。
 ④康子との結婚(大正3年、31歳)
 31歳の時、勘解由小路康子と見合い結婚した。康子には亡夫との間に一子いたこともあり、父は激しく反対した。この時、直哉は志賀家の戸籍から自分の籍を抜き、新しい戸籍を作り、家督相続を放棄した。

2.遥かな〈暗夜行路〉の旅へ。
 ①大正元年、家を出た直哉は尾道へ。「白樺」の仲間とも離れ、遠い土地で宿願の長編、小説家になることを反対する父との宿命的な対立を主題とする、「時任謙作」を完成するためだった。しかし、宿命的な父と子の相剋と作品の中で父との私怨をはらしたくないという矛盾は直哉にとって最大の難関(アポリア)であった。
 この難題を抱えて苦しみ、尾道から更に―松江―京都―鎌倉―赤城―そして我孫子へと旅を続けて行くことになる。
 ②大正3年、父の激しい反対を押し切り直哉は26歳の康子と結婚。結婚に反対した父の、直哉夫妻に会いたいという願いを拒絶したりする。板挟みになった康子はノイローゼ状態になり、康子の療養もかねて向かった先が赤城山であった。深い山の静けさや山頂の湖水の美しさ、そうした大自然の中で康子は快癒する。この4ケ月という赤城の体験が後年我孫子で、神品ともいうべき「焚火」(大正9年)となって結晶する。その背景には志賀直哉の大きな自我の変容があったのである。これについては2回目にお話する。
 ③大正4年9月、直哉は我孫子に到着し、放浪の旅は終わる。以降我孫子に7年半住むことになる。志賀文学最盛期の幕開けとなる。
早川講師の名解説に満員の聴衆はすっかり引きこまれ、一時間半が短く思えるほどであった。それでは次回をお楽しみに、という早川講師のご挨拶に会場から大きな拍手がおきたのも、今日のお話がとてもよかったということではないでしょうか。
 以下、アンケート結果のいくつかをご紹介します。(佐藤)

・話術、真実味、熱血的、見てきたような身振りなどイメージを喚起させられる。研究の深さお見事さに驚きました。
・素晴らしい!久しぶりに感激する心と気の入った講義ありがとうございました、次が楽しみです。
・ありきたりの文学評論ではなく、実景を描くかの如き話し方に文学評論の神髄を味わう事が出来ました。ありがとうございました。“生きることを書くことは一つである”
・今まで志賀直哉について知りえなかった詳細な青春時代。また内村鑑三のこと、父との対立、康子さんのことなど「謎」と思われていたことが一気に解明されました。今日「暗夜行路」と「焚火」のページを開きたくなりました。また、自己変容した我孫子時代、次回がとても楽しみです。全体として講談「志賀直哉」というべき情熱的語り口には思わず引き込まれました。
2011/01/17のBlog
ふれあい塾あびこの新年の講座は、我孫子市生涯学習センタ-「アビスタ」ミニホールに、聖徳大学音楽部教授 原 佳大氏をお迎えしての公開講座「新春ピアノコンサート」でスタートしました。

原講師は、東京藝術大学のご卒業。オーストリア・ウィーン国立音楽大学を全教授一致の最優秀首席で修了、オーストリア演奏家国家試験に合格。モーツァルトの全ピアノ・ソロ作品179曲を演奏したピアニスト(日本人初)としても知られている方とあって、受講申し込みが殺到、かなりの方に受講をお断りせざるを得ない講座となりました。受講できなかった方に、深くお詫び申し上げます。

*この日は、原講師のご指示で、ホールの中心にピアノを据え、周囲を満席の参加者が囲むスタイルとなりました。これについて「音楽はもともと宮廷の中で、シャンデリアの輝くもと、部屋の中央にピアノを置いて、サロンとして音楽を楽しむものでした。きょうは新年の幕開けにふさわしい、いつもとは違うさわやかな雰囲気とレイアウトのなかで、コンサートを進めます」と説明された上で、まず次の2曲を演奏されました。
モーツァルト:ロンド 二長調 作品485
モーツァルト:ソナタ イ長調 作品331 トルコ行進曲付

*ついで、「少しこどもの世界に入ります。ピアノ入門期の教則本 25の練習曲で有名なドイツのブルグミューラー、起承転結のある、バラードです。曲に題名が付いているので、よりイメージしやすくなります。
そして27歳という短命で終わったポーランドのバダジェフスカ、生涯に34曲を作り、没後150年にあたります」と紹介されて次の2曲を。
ブルグミューラー:25の練習曲より バラード 貴婦人の乗馬
バダジェフスカ:乙女の祈り

*ここで、原先生がピアノ協奏曲の一部を弾かれ、曲名を当てるイントロクイズとなりました。次のような各曲でしたが、さすがに受講者のレベルは高く、全問正解。会場がいっきに和む、楽しい雰囲気となりました。
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第27番
ヴェートーベン:ピアノ協奏曲 第5番
ショパン:夜想曲 第1番
シューマン:ピアノ協奏曲 第54番
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 第1番
リスト:ピアノ協奏曲 第1番
グル-グ:ピアノ協奏曲
*「今年はリストの、生誕200年の記念の年です。リストはハンガリーの生まれ、と巷間言われていますが、実はオーストリアの、ワインで有名なブルゲンランド地方の生まれです。持って生まれた性格なのか、あるいは周りがそうさせたのか、ご婦人との噂が絶えませんでした」とされて、もっともポピュラーな
リスト:愛の夢 第3番

*「リストと違って気難しい作曲家だった、ポーランド生まれのショパンの作品を2曲続けて」
ショパン:夜想曲 第20番嬰ハ短調(遺作)
ショパン:幻想即興曲 嬰ハ短調 作品66

*「最後に、祖国ポーランドを想うショパンのノクターンと、演奏家ならだれでも弾くが、実は
演奏家泣かせの天下の名曲であるバラードをお聞かせします」と、次の2曲を演奏して、この日の講座を終えられました。
ショパン:夜想曲 ト単調 作品37-1
ショパン:バラード 第1番 ト短調 作品23

きょうも圧倒的に好評のアンケートをたくさん頂きましたが、次の1枚に代表していただきます。お寄せくださった方、ありがとうございました、転載させていただくことをご容赦下さい。
(小野公嗣)

『まず聴衆が輪になって聴けたこと。対話形式で楽しいトークによって曲が進行し、日ごろピアノに親しんでいる人にとってはたまらないひとときではなかったでしょうか。まさに音と触れ合った一時間半でした。入ったミニホール、モーツアルトのロンドの一節でたちまち心が癒されました。久しぶりに暖かなピアノの音を、時として情熱的な響きを、身近で味わいました。特にショパンの幻想即興曲、姉が繰り返し繰り返し弾いていた曲。やはり憶えているものですネ。ひと節ひと節が蘇って来ました。終わった時、「ブラボー」と心の中で叫びました。あの時よりも今の方が心に響く、年を経る喜びは文学でも音楽でも、自分の体験や知識や出会いがより深く心豊かにしてくれる。そのことなのですね。妙なる暖かな午後のひとときと感動を、ありがとうございました。
私の詠んだうたです。- 陽だまりの 温もりの中 懐かしき 幻想の曲 心に響きぬ -』
2011/01/15のBlog
[ 09:59 ] [ ふれあい塾講座記録 ]
「我社は、即 戦力にならない日本の大学の卒業生は採用しない!」、「我社は、英語を公用語にする。英語堪能でない日本の学生はいらない!」などと宣言する会社が現れている。

「そんな会社の製品は買わないぞ!」と反発したいが、いまだに増えている日本の「大学」は「学校」化し、「学生」は「生徒」化しており、学力不足は否めない。どうやって「学士」の権威を回復するか!

今回は「大学の現状を斬る!」と題して、大学評価・学位授与機構教授 中央教育審議会委員 理学博士の荻上紘一氏にお話しいただきます。

講師略歴:長野県松本市出身。東京大学理学部卒業。東京工業大学助手。東京都立大学助教授、教授、理学部長、総長。ミシガン州立大学、ハワイ大学、グラナダ大学の客員教授。現在は大学評価・学位授与機構教授。中央教育審議会委員。

2011年2月7日(月) 10:00-11:30
我孫子市生涯学習センター 「アビスタ」 ホール
会費は¥700、みなさまのお出でをお待ちしております。(小野)
2011/01/06のBlog
「初代うたのおねえさんと歌う中田喜直の世界 ~こどもの歌と抒情歌と~」と題したレクチャ-コンサ-トを、2011年1月27日(木) 13:00‐14:30 我孫子市生涯学習センター「アビスタ」ホールで開催いたします。
講師は東洋英和女学院大学名誉教授で初代うたのおねえさん 眞理ヨシコさん、
ピアノ伴奏は田中修二さんです。

眞理ヨシコさん:東京藝術大学音楽部声楽科卒業。NHKテレビ「うたのえほん」初代うたのおねえさん。15年間にわたり「おかあさんといっしょ」にレギュラー出演。日本レコード大賞童謡賞、モービル児童文学賞、日本童謡賞、久留島武彦文化賞など受賞。東洋英和大学名誉教授。日本青少年文化センター常任理事。福島県広野町童謡大使。


演奏曲目
こどもの歌;めだかのがっこう、かわいいかくれんぼ、おかあさん、夕方のおかあさん、べこの子うしの子、かぜさんだって、おんぶとだっこ、もんく、しずかにしてね、びっくりしちゃったの、怪我

抒情歌;ねむの花、ひぐれの中に、わたしの中に

どうぞ、ごいっしょに;さくら、夏の思い出、ちいさい秋みつけた、ピアニッシモの秋、雪の降る町を、おやすみなさい美しい夢をみて、別れの歌

当日の参加費は¥700、みなさまのお出でをお待ちしております。(小野)