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2011/04/08のBlog
今回は「ABIKOs」を会場にした初めての公開講座でした。いつもの「アビスタ」と紛らわしく、何人かの方がアビスタに行かれたようです。今後、会場徹底に努めますが、今年度から公開講座はアビスタ、ABIKOs両方で開催致しますので、会場にくれぐれもご注意頂きますようお願い致します。

さて、そのABIKOs会場にいっぱいの受講者をお迎えして、今回は「漱石・幸徳秋水・啄木と杉村楚人冠」―大逆事件・針文字書簡秘話―と題して、我孫子市教育委員会の小林康達氏にご講演頂きました。

はじめに講師は今回の大震災を悼みながら、「杉村楚人冠(以下楚人冠)もまた大震災(関東大震災)による影響を公私ともに受け、試練(子供の死)を与えられた人でした」、と切り出されました。
そして「アサヒグラフ」の関東大震災の特集号の表紙コピーを示し、「楚人冠は日刊の写真新聞『アサヒグラフ』の創刊に自ら力を尽くし、亡くなるまで随筆を書き続けました」と、その愛着振りを語られた後、楚人冠と漱石、幸徳秋水(以下幸徳)、啄木との関わりについて、年表・資料などに基づき、以下のようなお話を頂きました。

Ⅰ.朝日新聞社での漱石と楚人冠
漱石は一流英文学者、大学教授と云う名誉ある地位を選ばずに、明治40年40歳のとき、一介の新聞記者として朝日新聞社に入社した。それまでに「吾輩は猫である」、「坊っちゃん」、「草枕」などの名作を世に出していたが、朝日入社以後は、「虞美人草」、「抗夫」、「それから」等などを朝日新聞の連載小説として発表している。
入社に際しての報酬は、主筆の池辺三山に匹敵するものと云われ、安定した生活が保障されたが、他人に対する細やかな気遣いは、楚人冠宛ての書簡でも伺うことが出来る。
明治43年のこの書簡では、楚人冠の長女麗子の葬儀に際し、遠方過ぎて行けなかったことを詫びつつ、自作「それから」を進呈しているが、実はこの年はいわゆる「修善寺の大患」の年で、生死を彷徨う体験をしているが、そのおくびもみせない気遣いがある。

2.漱石「それから」と幸徳・楚人冠との関わり
 幸徳秋水(以下幸徳)と楚人冠は、ともに地方(田舎)の出身、父に早く死に別れ母に育てられていること、社会主義に強い関心を持っている、など極めて似たものをもっている。
楚人冠は明治26年21歳のとき、自由神学校(後に先進学校)に入学、キリスト教自由派として、社会主義を研究した。この時分に幸徳と知り合った。自分としては社会主義者であると云いつつも、どちらかというと社会福祉主義的なものだった。
 漱石の「それから」には、楚人冠の「幸徳秋水を襲ふ」という、明治42年6月6日の記事が、代助と平岡との会話の中に取り入れられている。幸徳は明治43年大逆事件で検挙され、翌年死刑となった(現在冤罪との説が有力とのこと)。それにしても、楚人冠の「幸徳秋水を襲ふ」と云う記事は、当時の社会主義弾圧の厳しい時代にあっては、極めて勇気のいることであったろう。
3.菅野スガの針文字書簡は何故楚人冠に届いたのか
 幸徳の同棲相手で同じく検挙された菅野スガが獄中から、幸徳の無実を晴らすよう弁護士に頼む旨の針文字書簡(一見白紙と思わせる)が楚人冠に寄せられた。この書簡は、私が杉村家所蔵の楚人冠の文書類を整理しているときに発見した。
 明治43年6月22日付けの時事新報で報道された横山勝太郎弁護士宛てのもう一通の針文字と一致するものである。この針文字について、横山弁護士は、刑務所の検閲印がないから“にせもの”である、と断じていた。しかし、断定は出来ないが、この針文字は本物で、秘密のルートがあったのではないか、と考えている。

 4.大逆事件に衝撃を受けた啄木
 安定した収入を得るべく啄木は、伝手を頼り明治42年朝日新聞の校正掛りの口を得た。翌年、楚人冠は「朝日歌壇」の選者として啄木を抜擢した。啄木が大逆事件に衝撃を受けて詠んだ歌が「九月の夜の不平」にみられる。

5.啄木書簡に見る楚人冠
「啄木全集」に楚人冠宛ての書簡が3通載せられている。いずれも杉村家にはない。その書簡の中に、「其処へあなたが何処からか帰って来られて『今日は何処へ行っても吾党の景気が悪いね』と言われたのでした」とある。吾党=社会主義政党と云うような極めて危険な言葉を共有し合えるような間柄だったことを伺わせる。

以上のような、盛り沢山の話題に、時間不足気味の講座になりました。最後に、講師は「今年10月に杉村楚人冠記念館がオープンします。楚人冠理解の一助になればとの想いでこの講座を引き受けさせて頂きました」と締められました。

受講生のアンケートには、「楚人冠と言う幅広い人間の姿を主要な人物との交友を通して描きだされ、あらためて偉大さを知った」というように次回の講義を望む声が多数ありました。(酒井)
2011/04/06のBlog
[ 06:54 ] [ ふれあい塾講座記録 ]
新年度最初の講座は、熱い語り口とユーモアでお馴染みの二松學舎大学非常勤講師 高山秀嗣先生の「法然上人」のお話しです。「前回講座のアンケートで、ご注意もありましたので」と、ユーモアを控えめにされた分だけ、講座内容は一段と濃くなり、法然の生涯と、彼が創始した浄土宗について以下のように、解説してくださいました。

法然は1133年岡山県久米郡に生まれ、1212年80歳で京都知恩院で亡くなりました。ちょうどことしから800年前です。15歳で比叡山に入り、「知恵第一の法然坊」と称されますが、既存仏教には救いを見出せず、他力本願の浄土教を開き、「南無阿弥陀仏」と唱えることで誰でも極楽に往けると説いて、民衆から圧倒的な支持を受けました。日本的仏教の開祖で、米大リーグへの門戸を開いた野茂英雄と同様な、鎌倉仏教のトップランナーです。

法然を知るポイントは次の3つです。
①対機説法(相手に応じて教えを説くこと)
このために、「多面的で分かりにくい」とも言われますが、その説法の基本は、
②選択本願念仏
です。この選択本願念仏により
③浄土宗の独立
を果たしました。中国からの輸入仏教でなく、「日本的仏教」と言えるもので、初めて[宗派]が誕生しました。仏教を「さとり」から「すくい」の教えにし、民衆化を実現しました。

法然は、混乱や戦乱の時代に、「どうしたら救われるか」を徹底追及し、1175年、43歳のとき、「仏の名を唱えれば、必ず救われる」(選択本願念仏)という確信を得るに至りました。この選択本願念仏について法然は、66歳のとき著した「選択本願念仏集」で、
①仏教は「聖道門」(さとり)と「浄土門」(すくい)の二つに分けられ、浄土門こそ、時代に適応した教えである。
②念仏を唱えることこそが、阿弥陀仏の本願にかなった往生する為の行である。
③阿弥陀仏の全48願のうち、第18願(最重要の願)で、念仏が選択されている。その理由は、念仏が、「最勝(有効)」、「最易(簡単)」の行であるため。
と、説いています。
この法然の思想は、今なお一層の輝きを持っています。その特色は
①仏教を「さとりの教え」から、「救いの教え」にした
②「還愚」(私のようなおろか者)の姿勢に徹し、「どんな人でも」と主張する
③「凡夫往生」(みんな救われる)と、平等の救いを説いている
という点にあります。まさに、時代にかかわらず通ずる教えと言えるでしょう。

以上のような鎌倉仏教の核心に触れた講座でした、本日も、節電で、エアコンなし、照明も落とした会場でしたが、皆さんは熱心に受講されました。以下は、アンケートの一部です。(小野公嗣)

・「源信。妄念もとより凡夫の自体なり妄念より他に心は無きなり終の日まで一向妄念の人であるべきと心得て」と悟りを語り、今日のお話で救いを思うことが出来ました。合掌。ありがとうございました。
・法然(浄土宗)に関しては、漠然とは知っているが、判りやすく、改めてまとめられた講義であった。小生も70歳をこえて最近、自分の宗派(道元の教え)に関しても本を読もうと思っている。
・快調な高山節でした。エネルギッシュで、ダイナミックでわかりやすいお話でした。楽しませていただきました。
・大リーグのお話などとても分かり易く楽しい講座でした。トップランナーとしての法然上人の立派な教え等良く分かりました。親鸞さんも法然さんの教えを受けられたとは知りませんでした。
2011/04/05のBlog
今年度もどうかよろしくお願いいたします

4月4日からふれあい塾あびこの新年度、新学期の講座がスタートしました。

今学期は、東日本大震災の原発事故による公共施設の利用制約などで、広い講座会場が取れない、取れても空調などが利用できない、などの不都合やご不便をおかけすることも多いかと思いますが、どうか、ご理解のうえ、数多く受講してくださいますよう、お願い申し上げます。

ふれあい塾あびこ運営メンバー一同
2011/04/01のBlog
ふれあい塾あびこでは「布施弁天と東葛の歴史」と題し、布施弁天(紅龍山東海寺)住職 下村法之氏にお話し頂きます。時は2011年4月11日(月)10:00-11:30、場所は我孫子市生涯学習センター「アビスタ」ホールです。

布施弁天は823年、嵯峨天皇の勅願所として開創されて以来、日本6大弁天のひとつとして、多くの参詣者を集めてきました。明治時代には「我孫子の駅に着きぬれば、布施の弁天ほど近し」と、鉄道唱歌常磐線版にも歌われ、大正期には志賀直哉が「雪の日」に描いています。
最近では、2010年12月の開創1200年祭で我孫子市と柏市の市長がともに「これからのまちおこしに活用したい」と挨拶されました。この講座では、若き住職に、東葛地域にとっての布施弁天の歴史的位置づけや、寺の賑いにかける思いを語っていただきます。

講師略歴 1975年茨城県板橋不動院の三男として生まれ、大学で仏教を学んだ。大学卒業後、真言宗豊山派総本山長谷寺で修行。2006年3月に逝去した先代の牛田秀一住職の遺志により入山し、同年5月同寺住職となった。

参加費は¥700、みなさまのお出でをお待ちしております。(小野)
2011/03/27のBlog
「漱石・幸徳秋水・啄木と杉村楚人冠-大逆事件・針文字書簡秘話-」と題した公開講座を、2011年4月7日(木) 10:30-12:00 我孫子市本町3-7-10 「我孫子駅」南口徒歩5分 国道356号線 旧寿交番前 インキュベ-ションオフイスABIKOs(アビコス)で開催いたします。

講師は、我孫子市教育委員会嘱託 小林康達氏。
講師略歴 1942年宇都宮生まれ、東京教育大学(現筑波大学)文学部史学科卒後、公立高校(東葛飾・県立松戸・我孫子など)で教職に就く。2004年から我孫子市教育委員会嘱託職員。旧杉村楚人冠邸資料の調査整理に携わった。主著に『七花八裂―明治の青年杉村広太郎伝』(現代書館)。

1.朝日新聞社での漱石と楚人冠 
2.漱石「それから」と幸徳・楚人冠 
3.針文字書簡はなぜ楚人冠に届いた? 
4.大逆事件に衝撃を受けた啄木
5.啄木書簡に見る楚人冠

参加費は¥700、みなさまのお出でをお待ちしております。(小野)