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2017/05/19のBlog
レクチャーコンサート 啄木の歌曲を歌う
ソプラノ歌手 田中美沙季さん ピアノ:南澤佳代子さん

きょうは我孫子市在住のソプラノ歌手田中美沙季さんと、ピアニストの南澤佳代子さんによるコンサ-トを開催しました。田中さんは東日本大震災を機に、石川啄木の短歌による歌曲を歌われています。ピアニストの南澤さんは声楽の伴奏を中心にご活躍中で、信州新世代ア-ティスト「ネクスト」のメンバ-でもいらっしゃいます。

田中さんは「私は岩手県雫石町の出身で大学三年生の時に、東日本大震災が発生しました。そして、予定していた岩手県でのコンサ-トが次々に中止となりました。それ以来、音楽は何のためにあるのだろうということを考えるようになりました。そして岩手県の方々を元気づけるにはやはり、岩手出身の石川啄木だろうという思いに至りました。啄木の歌を歌うプランは、はからずも多くの方々に喜んでいただきました。そしてその時から、啄木の短歌をモチ-フに歌うようになり、レパートリーは50首になっています」と、啄木の歌曲を歌う契機をお話下さったあと、次のような歌曲を歌って下さいました。

第2部には、我孫子にゆかりの山下清画伯を題材にした「野に咲く花のように」、おなじくゆかりの杉村楚人冠作詞の「牧場の朝」が加えられ、会場のみなさんと一緒に楽しく歌ってくださいました。
第一部
 ふるさとの 石川啄木作歌 平井康三郎作曲
 「啄木の短歌による八つの歌曲」 石川啄木作歌 高田三郎作曲
・やはらかに ・頬につとう ・いのちなき ・病のごと
・不来方の ・ふるさとを ・はずれまで ・あめつちに
「啄木歌集」より 石川啄木作歌 清瀬保二作曲
・はたらけど ・馬鈴薯の
「啄木による八つの歌曲」より 石川啄木作歌 雁部一浩作曲
・秋の夜の ・さりげなく ・わかれ来て
かの浜薔薇よ 石川啄木作歌 武井三郎作曲
釧路の海の 石川啄木作歌 武井三郎作曲
「啄木歌集」より 石川啄木作歌 清瀬保二作曲
・東海の ・石狩の ・浪淘沙

第二部
野に咲く花のように 杉山政美作詞 小林亜星作曲
牧場の朝 杉村楚人冠作詞 船橋栄吉作曲 
歌曲集「啄木によせて歌える」より 石川啄木作歌 越谷達之助作曲
・初恋 ・ダリヤ ・友の恋歌
 ・ふるさとの空 ・たわむれに ・花
「啄木歌集」より 石川啄木作歌 加藤 學作曲
・かにかくに ・石をもて ・ふるさとの 

田中さんは、「なかでも一番好きな歌です」として「ふるさとの山に向いて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな」を歌われてエピロ-グとされました。

みなさまからのご感想の一部を、ご紹介いたします。
*田中さんの啄木についての紹介、とても良かった。啄木ゆかりの土地や風景をスクリーンに、田中さんの歌がしみじみ語りかけている感じであり、感動的・情緒あり、心の琴線に響くものあり。啄木はあの世で、よろこんでいますよ。気管支炎で苦労されながらも、よく歌って頂きました。小生も5/14より同様の原因で声が出ず、きょうはすこし良くなったので参加しました。「かの浜薔薇よ」「釧路の海の」「初恋」「たわむれに」、今のお気持ちを大切に、元気で長く歌い続けて下さい。
*啄木の短歌を歌うという企画が、とても新鮮でした。美しい歌声と、素晴らしい伴奏と、綺麗な映像が心に響きました。これからのご活躍をお祈りしています、また美しい歌声を聞かせて下さい。ありがとうございました。

2017/05/16のBlog
新シリーズ「絵画を観る喜び」⑦
-印象主義、ポスト印象主義-
美術愛好家 長野一隆氏

長野一隆氏による「絵画を観る喜びシリーズ」も今回で7回目、40年に亘って実際に目にされてきた絵画のみを解説下さることで大人気の講座です。今回は人気の印象派、ポスト印象派について、時間いっぱい、次のような解説をしてくださいました。

*印象派とは、お上の主宰する展覧会に対抗して団体展を開催した、マネ・ピサロ・ドガ・ルノワ-ル・セザンヌなどを指します。写実、明るい色、ひかりの変化、戸外の事物などを描くのが、グル-プの特徴です。そしてグル-プの円熟化に伴い、1910年以降のセザンヌ・ゴッホ・ゴ-ギャンの活躍が後期印象派と名付けられています。

*きょうの演題は「印象主義、ポスト印象主義」としています。Post-印象主義を、後期印象主義と紹介している事例もあります。が、後期印象主義に対して<前期印象主義>なるものは、存在しません。Postの意味は=終わったあと、あえて名づければ<脱印象主義>でしょうか。そこで私は、ポスト印象主義と表現しています。

*印象派の父は、マネと言われています。マネは正装の男性と裸の女性を並べて描き、背徳感のあるスキャンダラスな絵として、非難されました。しかし若手画家からは支持を受け、ク-ルベと並ぶ画壇の革命児と称せられました。

*もうひとりの印象派の父が、ブーダンです。「空の王者」と言われ、屋外で制作した風景画で有名です。また、17才のモネを発掘した功績でも知られています。

*このマネとの仲が噂されたのが女流画家のモリゾ、モリゾと並び称せられる女流画家がカサットです。

*絵画のコレクターは商いを主とするのですが、後世に残したい名画を純粋に蒐集する人たちもいます。いわゆる篤志の絵画収集で有名なのが、オスカ-・ラインハルトやアルバ-ト・バーンズです。集めた絵画を一堂に収蔵・展示するそれぞれの施設は、美術愛好家のあこがれの地であり、垂涎の施設なのです。

長野講師は以上のような解説、エピソ-ドなどをちりばめながら、次の37枚の名画をシャ-プな映像と共に紹介下さいました。

マネ 「草上の昼食」オルセー美術館、パリ 1863年
マネ 「オランピア」オルセー美術館、パリ 1863年
ティツィアーノ 「ウルビーノのヴィーナス」ウフィッツィ美術館、フィレンツェ 1538年
マネ 「フォリー・ベルジェールのバー」コートールド・ギャラリー、ロンドン 1882年
ブーダン 「トルヴィル=シュル=メールの浜」 国立西洋美術館、東京都 1867年
ドガ 「観覧席前の競走馬」オルセー美術館、パリ1866-68年
ドガ 「舞台の踊り子(エトワール)」オルセー美術館、パリ1876-77年
バジール 「バジールのアトリエ」オルセー美術館、パリ 1870年
バジール 「村の眺め」ファーブル美術館、モンペリエ 1868年
モネ 「印象、日の出」マルモッタン・モネ美術館、パリ 1872年
ターナー 「国会議事堂の火災」クリーヴランド美術館、アメリカ合衆国 1835年
モネ 「ルエルの眺め」埼玉県立近代美術館(寄託)、さいたま市 1858年
モネ 「睡蓮」大原美術館、倉敷市 1906年頃
シスレー 「サン・マメス」ひろしま美術館、広島市1885年
シスレー 「ポール・マルリーの洪水」オルセー美術館、パリ1876年
モリゾ 「自画像」マルモッタン・モネ美術館、パリ 1885年
マネ 「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」 オルセー美術館、パリ 1872年
モリゾ 「ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘」マルモッタン・モネ美術館 1881年
カサット 「舟遊びする人たち」ワシントン・ナショナル・ギャラリー 1894年
カサット 「湯浴み」シカゴ美術館、アメリカ合衆国 1892年
ルノワール 「陽光の中の裸婦」オルセー美術館、パリ1875-76年
ルノワール 「髪を編む少女」 ラングマット財団美術館、バーデン、スイス1887年
ルノワール 「眠る浴女」レーマーホルツ・オスカー・ラインハルト・コレクション、ヴィンタートゥール、スイス 1897年
セザンヌ 「レダと白鳥」バーンズ・ファウンデーション、フィラデルフィア 1882年頃
セザン「リンゴとナプキン」東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館、東京 1880年
ピサロ 「赤い屋根、冬の村の眺め」オルセー美術館、パリ1877年
ピサロ 「りんご採り」大原美術館、倉敷1886年
スーラ 「グランド・ジャット島の日曜日の午後」シカゴ美術館 1884-86年
スーラ 「ポーズする女たち」バーンズ・ファウンデーション 1888-90年
シニャック 「朝食」クレラー=ミュラー美術館、オランダ 1886-87年
シニャック 「ヴェネツィア、大運河の入り口」トレド美術館、アメリカ 1905年
ゴッホ 「ジャガイモを食べる人達」ゴッホ美術館、アムステルダム1885年
ゴッホ 「赤い葡萄畑」プーシキン美術館、モスクワ 1888年
ゴッホ 「ひまわり」東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館、東京都1888年
ゴーギャン 「裸婦習作」ニュー・カールスベルク美術館、コペンハーゲン 1880年
ゴーギャン 「アリスカンの並木路、アルル」東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館1888年
ゴーギャン 「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」 ボストン美術館

以下、ご参加頂いたみなさまのアンケ-トの一部です、お楽しみ頂けたようでスタッフも喜んでおります。
*すばらしい絵と熱意のこもった説明で、あっと言うまの1時間半でした。お話を伺うたびに、豊富な知識と行動力に頭が下がります。次回も楽しみにしています。
*現在月に2回、デッサン教室でデッサンを学んでいる。印象派のセザンヌが伝えた、物体を立体で捉えて描くという考え方を常に頭に考えながら精進を重ねている。デッサンは必ずしも人体画にだけ必要では無く、風景画・静物画にも必要なものである。
*印象派の絵画が大好きで、海外の美術館や日本の美術館で随分多くの絵画を観てきているが、詳しいことはほとんど知識が無くてきょうの講義はとても興味深くおもしろかった。今回のテ-マは2回に分けて、開催して欲しかった。
2017/05/11のBlog
5/10 平成29年度・市民カレッジ「我孫子を知る」コースがスタート

 当NPO法人ふれあい塾あびこでは平成19年度以降、我孫子市公民館から市民カレッジ「我孫子を知る」コースの企画、運営を受託し、毎年内容の充実、強化に努めて参りました。迎えて11年目の本年度の講座が10日、アビスタで始まりました。

 本日は講座に先立ち、開級式が行われました。この席で丸山正晃・公民館長は「当コースは昨年の10周年が新聞に掲載されるなど関心の深い公民館事業であること。学習の狙いが、①当地域の歴史などを学び、郷土愛を育くむ、②1年間の学習を通じて仲間を作る、③学んだことを活かし、まちづくりの輪に加わる、の3点にあること」を力説されました。

また、講座終了後は昼食の後、第1回目の全体交流会が開かれ、参加者全員が我孫子在住歴、本カレッジ参加の動機、趣味、日常生活などを披露し合いました。

 本日の講座のテーマは「古代の我孫子」で、旧石器時代から奈良・平安時代までの説明、解説がなされました。講師は我孫子市教育委員会、文化スポーツ課主幹の辻史郎氏。講話の概要は以下の通りで、当地域の存在感は古墳時代に至って飛躍的に高まったことをクローズアップされました。

○旧石器時代(約1万2千年前まで):我孫子駅北口近くの後田南遺跡から、3万2千年前のものと推定される石器類が発掘された。これを用いた人々が当地における最初の住人だったとされている。

○縄文時代(2千4百年前まで):当時は浅い海が我孫子台地を囲んでいた。当代の遺跡からは多種多様な縄文土器や貝類を加工した華麗な装身具が多数発掘されている。この状況から、海陸の幸に恵まれた当時としては豊かな暮らしぶりが浮かび上がる。

○弥生時代(西暦300年まで):全国的にコメ作りが活発化し、各地に小さなクニが興った時代。だが当地域では、この時期の遺跡がほとんど認められない。この時代、当地区には人は殆ど住んでいなかったと見られている。しかし、近年発見された岡発戸新田貝塚は未知の弥生集落かと期待されている。

○古墳時代(同710年まで):当代に入り当地域は急速に繁栄した。経済力の高まりをも示す古墳群が多数作られているためだ。千葉県は古墳の数では全国第2位なのだが、その中でも我孫子の数値(133基)は際立つ。白眉は高野山にある水神山古墳。全長70メートルの前方後円墳で、県北部では最大の規模。なお、最近の発掘により3世紀後葉の前原古墳が我孫子最古の古墳と判明した。また、H26年、根戸船戸遺跡の石室から大和王権から下賜されたものと考えられる「頭椎大刀(かぶつちのたち)」が出土したが、これは非常に重要なことだと言える。

○奈良、平安時代(同1192年まで):大和朝廷による律令制度が急速に浸透した時代で、湖北地区には下総国相馬郡を治める役所(国衙)が置かれた。この我孫子の地が永きにわたり相馬郡の政治、経済、文化の中心地であったことを銘記したい。

 以上、辻講師は、史跡発掘も数多く手がけられた我孫子古代史のエキスパート。埴輪などの出土品を示されつつ、踏み込んだ解説を平易明快に展開されました。以下にアンケートの一部をご紹介します。
 (佐藤 明)

・我孫子の歴史、特に古代史に関して貴重な説明を聞けて大変ためになりました。
・我孫子には沢山の古墳がありますが、辻先生のお話を聞いて興味深く感じました。
・時間の経つのを忘れて聞き入りました。今後も楽しみにしています。
・我孫子の歴史力を感じた。

2017/05/08のBlog
[ 20:13 ] [ ふれあい塾講座記録 ]
源氏物語を読む 第47回 夢浮橋巻
國學院大學講師・文学博士 堤 康夫氏

本日は、源氏物語本篇講座の最終回です。「タイプが全く違う二人の男に愛されて進退が窮まり、宇治川に入水した浮舟。しかし死にきれなかった浮舟は横川の僧都に助けられて、出家の身を送っています。いよいよ源氏物語54条の最終章、読み進めて参りましょう」と堤講師は話されて、次のように解説下さいました。

*浮舟の入水を知った薫は比叡山で供養を行い、その足で横川に向かいます。美男の噂が高い薫が突然山里を訪ねてきたことに、僧都は仰天します。浮舟の消息を尋ねる薫に根負けをして、その後の経緯を話します。薫は浮舟との面会を求めますが、僧都は断ります。

*薫はいったんは都に戻り、自分の手紙と僧都の手紙を持たせて、弟である小君を浮舟の許に行かせようと画策します。浮舟と一緒にいる妹尼のところにも僧都から、薫からの使いが来たかどうかの確認が入ります。

*そして手紙を託されてやってきた小君を御簾越しに見た浮舟は、心が乱れます。母のこと、薫のことなど尋ねたい気持ちを必死に堪える浮舟。情感あふれる薫の直筆の手紙に涙ぐみながらも、浮舟は手紙を突き返し、小君を追い帰しました。

*姉に会えずに帰って来た小君を見て薫は落胆、また別の男が出来たのかと、妄想します。

堤講師は最後に「源氏物語は、『また別の男が出来たのかと妄想する薫―と本には書いてあるんです』という体裁を取って終わっています。古い本に書いてあったのを、書いたまでですよ-という手法です。全ては読者に結末を委ねた書き方で、読者の想像を膨らませるエピロ-グで終わっています」と解説して、源氏物語全巻講座の締めくくりとされました。

堤講師には足かけ5年の歳月を掛けて、計47回に亘って源氏物語を講義頂きました。洒脱な口調と豊富な周辺情報の解説はお客様の共感を呼び、堤グル-プ・堤集団が形成された感があります。「源氏物語」の読み解きは今回で終わりますが、9月からはまた新しいテーマでの堤講座が始まります。ぜひお運びください、お待ち申し上げております。

*自分一人では、これ丈続けて源氏物語を読み続けられなかったが、堤先生の講座のおかげで世界的に有名な古典恋愛小説を読めた事を有難く感謝申し上げます。頭にとどめてあの世に持って行きましょう。
*堤先生独自の解釈、大変面白く拝聴いたしました。今日の先生の「源氏」の師はもたなかったと云われた言葉に「ガッテン!」納得しました。
*男性の視点からの「源氏物語」、新鮮で、ああそうなのかと納得できることも多々ありました。
*何度もチャレンジして最後までたどりつかなかったけれど、先生のおかげで最後までたどりつきました。もう一度、自分の力で読んでみたいと思います。
2017/05/02のBlog
近世芸能史を探る 歌舞伎と落語のかかわり
二松學舎大學准教授 中川 桂氏

きょうの講師、中川 桂(カツラ)氏は大阪大学大学院を修了され、現在二松學舎大學准教授。日本の芸能史とりわけ上方芸能史がご専門で、「落語の黄金時代」(三省堂)や「江戸時代落語家列伝」(新典社選書)などの著書があり、上方の落語家・林家染左はご実弟でいらっしゃいます。
今回は、歌舞伎と落語のかかわりや上方と江戸のかかわりについて、次のように解説して下さいました。

*歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」は、人形浄瑠璃から歌舞伎の演目となった今も演じられている。この中の『松の廊下』や『内蔵助切腹』などをモチーフにして、落語のネタが生まれている。逆に落語が原作となって歌舞伎の演目になったのが『らくだ』『芝浜』『牡丹燈篭』などである。

*元禄期以降の上方歌舞伎は、写実性や娯楽性が重視された。染川十郎兵衛口述「賢外集」によると、坂田藤十郎は小さく作った草履の脱着の所作で色男振りのイメージを確立したとある。役者は写実性が大事だが、お客様は娯楽を求めて来られる。だから乞食の役だけは写実ではダメ、とも言っている。

*上方歌舞伎の世話物である「冥途の飛脚 梅川・忠兵衛」や「廓文章 夕霧・伊左衛門」などでは、江戸の歌舞伎と違って人の弱みを隠さずに見せていくのが特徴である。おかしみやしっとりとした風情、いわゆる和事=やわらか事がたっぷりなのである。

*この上方歌舞伎の世話物が影響を与えていると考えられるのが上方の「崇徳院」、江戸の「紺屋高尾」や「幾代餅」の、恋煩いの落語である。上方の若旦那は自ら行動はせず、大旦那や番頭が遊女との仲を取り持とうと走り回る。一方江戸の主人公は、お金を貯めて遊女に会いに行こうとする行動派だ。

以上、近世芸能における歌舞伎と落語、上方と江戸のかかわりを分かりやすく解説して下さいました。そして歌舞伎と落語のDVD上映は、理解を深める大きな助けとなりました。聴講頂いたみなさんは、以下のアンケート回答のように、耳新しいエピソードに感嘆しきりのご様子でした。

*とてもわかりやすく歌舞伎と落語のかかわりを解説して頂き、また上方と江戸の違いも分かり楽しい有意義な時間でした。
*お聞きしていて大変楽しく、面白かったです。講師の大阪弁も優しく、落語を聞いているようでした。またぜひ、伺いたいと思います。
*映像があるのはありがたく、特に上方落語の映像が良かった。
*講師の方が、噺家と間違えるほど面白い方で、大阪弁がよけいお話に色をつけていました。上方と江戸の違いが良くわかりました、ありがとうございました。