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2019/03/15のBlog
[ 17:57 ] [ ふれあい塾講座記録 ]
「地名から知る自然災害への警鐘!」
日本地名研究所理事・地名研究家 太宰幸子氏

講師は冒頭で「年々数が増し、規模がどんどん大きくなっている自然災害を防ぐ対策の一つとして、私たちの先人が付けてきた“小さな地名”が持つ意味をお話します。これを知ることで、少しでも災害被害を軽くできるようにしましょう。我孫子市の『布佐エリアなどの液状化被害』は皆さん、ご存知ですね。また、我孫子市が発表しているハザードマップにはあちこちに『急傾斜地の崩壊』などの記載があります。自然災害は止められません。これらの情報をよく頭に入れたうえで、いざというときには自助・共助をすることが大事です」と参加者に前置きされたうえで、以下のようなお話をされました。

1.地名には小さな地名と大きな地名がある。
大切なのは過去に「字(あざ)」と付けられていた「小さな地名」。これはピンポイントでの土地情報を含んでいることが多い。「大きな地名」は比較的広い範囲をまとめて付けられ、「字」が伝えてきた個々の土地の特徴が消えてしまうことがある。

2.地名に多く使用されているのは和語(日本語)。大切なのは「音」であり、文字(漢字)は後世になって次のようにいろいろと付けられた。
・栗(崩れ)を「久里」の二字へ変更、崖を表す岳・嶽・滝・倉・欠を「竹」と表記、川の氾濫で土砂が堆積したところ意味する埋めを「梅」(梅木・梅の木・梅田・梅津など)、崩れたとの意味があるアズを「小豆」(小豆島・小豆坂)、地滑りで表土が剥がれたところを「萩」、同じく地滑りですぐれない状態を「杉」とするなど旧地名が「植物・美しい・めでたい」地名に一変している場合がある。

・猿、鹿、熊、蛇などの動物地名も要注意。
ザレ=凝灰岩など崩れやすい地質を「猿」(猿ケ久保・猿田・猿尾・猿跳・笊川など)、川が曲がっているとか川べりを「熊」、がけ崩れが多いところ「鹿」(大鹿、鹿込、鹿落坂など)、「鶴」の付く地名(鶴田・鶴見・都留・水流など)、地滑り・鉄砲水・洪水が起きたところは蛇崩れ・蛇抜けなどから蛇田・蛇喰・銭神などに変化、川などが溢れたことを意味する猪狩・イカリ(碇ヶ関、五十嵐、五十里など)、まっさらになるとの意味の漢字「白」(白幡・白石・白沢・白木など)、地滑りなどを表すアラ(荒砥沢=戸沢、各地にある「荒川」はそのほとんどが暴れ川として知られる)などは、自然災害や地形・地質などに由来したものが多く、危険を避けるための地名として重要である。

講師は以上のような数多くの地名と自然災害をご紹介くださったあと、まとめとして、「災害を伝える地名はわたしたちのすぐ傍ら、身近なところにあります。よく確認して、その意味を知り、善後策を考え、防災に役立てましょう。後世に伝えたいと思って付けられた地名は、後に名称が変化し、本来の地名とは別物の地名伝説が生まれます。地名は単なる記号ではありません。先祖が伝える大きな歴史の足跡であり、自然災害などへの警鐘です。古い、小さな地名は、大いに大切な財産です。」と結ばれました。 (高橋 重)

受講されたみなさんからのご感想の一部です。
*古い地名、昔の人は地名に子孫への思いを込めていたのかも知れません。興味深かったです。
*災害マップを入れて、また、我孫子の事も含め話を聞き、大変分かり易かった。日本列島の歴史と災害のつながりを感じられた。
*私達の住む我孫子は「字(あざ)」表示がほとんど消えていますが、それでも地図を見ると、昔を象徴する地名もまだ残っています(都内はもうズタズタです)。「東京近郊で昔が残る我孫子」を再認識し、嬉しく思います。
2019/03/12のBlog
村上 巖ピアノリサイタル ―ピアニズムの極致―

村上巖さんは千葉県のご出身で、東京藝術大学付属高校から東京藝術大学ピアノ科をご卒業。仏政府給費生として渡仏され、パリ国立高等音楽院にてプルミエ・プリ(1等賞)を得て首席でご卒業。
また、文化庁給費生としてベルリン芸術大学大学院にて研修。長島寛行、高良芳江、安川加壽子、植田克己、パスカル・ドゥヴァイョン、イザベル・ドュビュイの諸氏に師事、また、室内楽をクリスチャン・イヴァルディ、マリー=フランソワーズ・ビュケの諸氏に師事。1991年にPTNAピアノコンペティション特級において金賞(第1位)、日本テレビ賞、文部大臣賞、ミキモト賞、モーツァルト賞。つづいて1992年に第61回日本音楽コンクールにて第2位、井口賞、河合賞を、マリア・カナルス国際音楽コンクールにて奨励賞、第46回ブゾーニ国際音楽コンクールにて第2位、聴衆賞、パロマ・オシェア・サンタンデール国際ピアノコンクールにて奨励賞を、1995年に安宅賞を受賞。2005年に東京藝術大学非常勤講師に就任。日本各地でリサイタル、オーケストラとの共演、室内楽、歌曲伴奏などに出演されておられます。

村上氏は冒頭、「きょうはドイツ、フランス、ロシアの三か国にわたる名作を、みなさんとご一緒に巡ってみたいと思います」と話されてまずフランツ・シューベルトの即興曲Op.90第4番をご披露下さいました。

次いで、「ドビュッシーの前奏曲集のすばらしさは一言ではとても言えません。本日演奏する第1巻12曲では、10曲目の『沈める寺』で並列音を採用しています。これはフランス印象派が史上初めて行った画期的な出来事です」と解説されて、以下の12曲を演奏してくださいました。

第1曲「デルフィの舞姫たち」
ギリシャの古い都であるデルフィにあるアポロン神殿遺跡で神に捧げる踊りを描いている。
第2曲「ヴェール(帆)」
ヴェールは、普通、帆と訳されるが、衣装のヴェールの意味もある。
第3曲「野を渡る風」
吹き抜ける風を表した曲。標題はヴェルレーヌの詩から付けられている。
第4曲「夕べの大気にただよう音と香り」
微妙な表現の変化が夕暮れのイメージを映し出す。標題はボードレールの詩から採られた。
第5曲「アナカプリの丘」
アナカプリはイタリア・カプリ島の地名。地中海の煌めくような明るさを描いている。
第6曲「雪の上の足跡」
持続的な引きずるようなリズムが凍りついた寂寥たる風景と孤独感を表現する。
第7曲「西風の見たもの」
荒々しい力感に満ちた曲。「西風」はフランスでは荒々しい不気味な風を象徴している。
第8曲「亜麻色の髪の乙女」
他の曲と趣が異なり、優しい旋律による叙情美溢れる曲。単独で演奏されることも多い。
第9曲「とだえたセレナード」
ギターに乗って歌われるセレナードの情景。スペイン風の性格を持つ曲。
第10曲「沈める寺」
海に沈んだ大聖堂が海上に浮かび上がるというブルターニュ地方の伝説による曲。
第11曲「パックの踊り」
シェイクスピアの戯曲『夏の夜の夢』に登場する妖精パックが動き回る様が描かれる。
第12曲「ミンストレル」 
白人が黒人に扮して歌い踊る陽気でユーモアに満ちた「ミンストレル音楽ショー」の情景。
ここで15分の休憩に入り、休憩後は「ムソルグスキーの『展覧会の絵』のすごい所は、いろんな絵が出てくるのですが中心は一貫したアイデンティティと、最後の『こんなこともあったよね』という調和が好きです」と話されて組曲「展覧会の絵」の以下の10曲を力演下さいました。

(なお、「展覧会の絵」は、ムソルグスキーが夭折した友人のヴィクトル・ガルトマンの遺作展で見た10枚の絵の印象を音楽に仕立てた組曲で、これら10枚の絵が無秩序に並ぶのではなく、「プロムナード」と言う短い前奏曲あるいは間奏曲が繰り返して挿入されるのが特徴です。この「プロムナード」は展覧会を巡回する人、すなわちムソルグスキー自身の歩く姿を表現していると言われており、後世にラヴェルをはじめとした管弦楽への編曲版によっても知られています。)

第1曲 「グノームス(こびと)」
原語の「グノームス」とは、地中の財宝を守るこびとの姿をした「土の精」である。
第2曲 「古城」
イタリアの古城を描いたスケッチから曲想を得たといわれる。
第3曲 「テュイルリー、遊びのあとの子どものけんか」
ガルトマンの絵では、おおぜいの子供達と女性家庭教師たちのいるパリのテュイルリー公園の並木道が描かれていたという。
第4曲 「ビドロ(牛車)」
ポーランド語で牛または牛が牽く荷車のこと。巨大で重々しい牛車をひく「苦役」を示唆。
第5曲 「卵の殻をつけたひなどりのバレエ」
卵の殻を身に纏ったひよこたちが踊るバレエのデザイン画に霊感を得た曲と考えられる。
第6曲 「ザムエル・ゴルデンベルグとシュムイレ」
当時のロシアでは前者は裕福なユダヤ人の典型的な名前であり、後者は貧しいユダヤ人の典型的な名前であったとされ、二人の会話の様子を表している。
第7曲 「リモージュの市場」
フランス南西部の町リモージュの市場で女性達が激しく言い争う様子を描いている。
第8曲 「カタコンブ」
カタコンブとは地下に掘られた共同墓地のこと。パリの地下墓地でランタンの光をあててじっと見つめるガルトマン自身が描かれた絵から霊感を得た曲と考えられている。
第9曲 「バーバ・ヤーガ」
「バーバ・ヤーガ」とは、ロシアの民話に出てくる森の中に凄み、にわとりの足の上に建てられた小屋に住む痩せた妖婆で、人間を捕えてその肉を食べるという。
第10曲 「キエフの大きな門」
ガルトマンの下絵ではスラヴ風の丸屋根をした石造り様式の首都キエフ市の門が描かれている。組曲中最も規模が大きく、壮大な響きをもって組曲全体を締めくくる。

この後、盛大なアンコールの拍手にこたえて『リスト編曲によるシューベルト:アヴェ・マリア』、『バラキレフ:イスメライ』の2曲を演奏して、この日のコンサートを締めくくられました。

以下は、ご参加いただいた方々の、ご感想の一部です。

*ものすごくぜいたくな時間を過ごせて最高でした、ありがとうございました。「展覧会の絵」が素晴らしかった!!毎年村上さんをお呼び下さい。
*「展覧会の絵」は以前に希望していた曲なので、事前に聞きこんでから参加しました。
ムソルグスキーの万感がキエフの大門で放たれていくところは、感動致しました。ロシアの大地を彷彿させる内容でした。印象に残ったのはやはり「展覧会の絵」と「アヴェ・マリア」です。今までで最高レベルのリサイタルでした、プログラムの組み立てが成功でしたね。
*村上さんを我孫子にお呼び頂き嬉しく、楽しみにしておりました。遠方で開催のコンサートには行けないので、こんなにすばらしい演奏を聞くことが出来て、この感動はしばらく続くことでしょう。「沈める寺」「展覧会の絵」、一緒にまわっているような気持になりました。どのような思いでピアノを弾いておられるのかが、よくわかりました。もう終わりかと最後の曲では涙が出ました、村上さんを応援致します。

2019/03/08のBlog
シリーズ こだわって生きる我孫子の人⑳
ネパール&ヒマラヤを歩く(2)
白樺同人(薪割り集団) 高橋 重氏

高橋重氏は高校時代から山・岩・沢・雪・スキーに傾注すると同時に、植物観察をも楽しむ自然志向の講師です。ふれあい塾あびこでは2018年4月に、ネパール連邦民主共和国探訪をお話頂きました。高橋氏は「70歳になったから行かなくちゃ、という思いでエベレスト見物の定番である、ゴーキョピーク(5357m)、カラパタ―ル(5550m)などに登って、エベレスト(8848m)、ローツェ(8516m)、マカルー(8463m)などの8000m峰を見てきた話を昨年4月にしました。時間配分が悪くて、予定していたアンナプルナ(8091m)、マナスル(8163m)はお話できませんでしたので少しお話します。また、昨年7月に行ったモンスーン季のランタン谷の植物やネパール地震の爪痕などもお話します。古希も過ぎたので、登山が目的ではなく、2-3週間ほどの山旅を楽しんでいます。」と話されて次のように解説下さいました。

*アンナプルナに行ったのは6年も前の3月ですが、山好きにはどうしても見ておきたい山です。それは人類が初めて登った8000mの山、壮絶な登山でしたが、これを契機に各国が威信をかけて8000m峰初登頂目指しての登山ラッシュに火を付けた山だからです。
ツツジ科のシャクナゲ、日本と異なり20m以上にもなる種があり、ネパールの国花となっています。標高2000mを越えるトレッキング街道沿いには、サクラソウの仲間、トキソウやランの仲間、ユキノシタ科の花が咲いていました。道中のテントを張った石切り場では長いバールで石を切り出していて、住民の生活道でもあるトレッキング道は、その石を敷き詰めて歩きやすく、石は住居の屋根や壁などにも使われています。トレッカーが泊るのはロッジで、ロッジでは小学生が働いていました。ロッジで働いてロッジに下宿し、授業料や文房具代などに充当しているとのことでした。屋外では青空学級が行われ、川は洗濯で賑わっていました。人々の表情は明るく、生活を楽しんでいるように見えました。

*マナスルは日本人今西壽雄が1956年に初登頂した8000m峰、どうしても見たかった山です。これもアンナプルナに行った年の秋なので、2013年10月の話です。
カトマンズが1400mほど、スタートのアルガットバザールは500mそこそこ、亜熱帯です。ラルキャ峠5160mを通って、2週間でマナスル周辺をサーキットしてきました。
プリ・ガンダキのV字谷の急斜面に付けられた一本道ではトイレも出来ず、吊橋は馬やロバ、ヤクなどの動物が優先通行です。ちょうど10日間行われるネパール最大のお祭り「ダサイン」に遭遇し、帰宅先の実家から3日間かけてサマの学校の寄宿舎へ戻る途中の8人の子供たちに会いました。日本の革のランドセルを背負っている子や、年少の子の荷物を担いでいる子どももいました。親と離れるのに、とても楽しそうな雰囲気でした。
私たちがキャラバン中に摂ったネパール料理の代表はダル・バートと言われるネパール全土共通のもので、ダル(豆のスープ)とバート(ごはん)を基本におかずやお肉と一緒に食べるまさに日本でいう定食で、お店によって味もかなり違います。チベタンブレッド=揚げパン(ランタン地区は焼いただけ)はネパールの食文化に欠かせないもので、トゥクパ(日本のうどん)、チョウメン(焼きそば)やモモ(饅頭)はその代表です。

*ランタン谷は首都カトマンズの北に位置し、国立公園に指定されています。春はシャクナゲ、夏は高山植物を鑑賞するトレッカーで大変賑わう地域で、7000mを超えるランタン・リルン峰の眺めの良い場所です。2018年7月降り立ったカトマンズは、いつも通りの雑踏の町でした。カトマンズからチベット手前のシャブルベシまでは車で8時間、途中の田んぼでは女性が田植えをしていました。林道には紫色のオニルリソウに似た花が多く、集落をたどる小さな道にはオリヅルラン、ミズトンボの仲間、トウダイグサなどが見られました。岩場にはセントポーリアを思わせるイワタバコ科の花がビッシリと張りつき、リリウム・ネパレンセは独特の色と形をしています。際立って、大きくて美しい花ですが写真を撮ろうと手に取って近づけると、何と葉っぱに潜んでいたヤマビルがピョコピョコと吸血にやって来ました。ヒルは、ストックの下からも上がって来ます。吸血の間は痛くも痒くもありませんが、帰国後は3週間ほど痒みが残りました。ランタン谷の下の村には新しい建物が数軒建ち、その上のかつての村の中心だったあたりにはランタン・リルン側から押し出したおびただしい土砂が広がっていました。上流には青屋根が点在するランタン上の村が見え、大規模な土石流は表面が厚さ数m以上の土砂と岩の層、その下は落下した氷河が厚く再堆積して融けずに残り、スノーブリッジもできていました。氷河上にも水が流れ、ルートは荒れていました。すべては2015年5月に起きた、ネパール地震の爪痕でした。

高橋氏は「大雨や洪水、地震や土砂崩れなど自然災害は、日本といわずネパールといわず、地球上のどこにでも起こり得る現象です。自然を敬い、自然を大切にし、自然から身を守る術を身につけながら、自然を楽しんでいきます。」と話されて解説を終えられました。

以下は参加頂いた方々からのご感想です。
*三の谷を紹介頂き、変化に富んでいて面白かった。登山をしない一般の方にも、わかりやすい内容であったかと思います。アンナプルナ、マナスルの登山史での苦労話も、シニアの方にも新たに知ることが多かったのではないかと思う。
*写真を使っての分かりやすい説明でした、「処女峰アンナプルナ」は若いころに読んで感動した本で懐かしかった。
*スライドがとても見やすく写真も綺麗で、感動しました。高橋先生のお話は知識も豊かで、為になりました。4月から10日くらいエベレスト街道にトレッキングに行く予定ですのでとても参考になりました。準備も大変だと思います、ありがとうございました。

2019/03/06のBlog
チェコ:そのあふれる魅力 一度は行ってみたい国
元スロベニア特命全権大使 石榑利光氏

きょうの講師 石榑(いしぐれ)利光氏は在学中に外務省試験に合格、チェコ共和国にはチェコスロバキア時代を含めて合計3回 累計10年間在勤されました。その豊富なご体験から、建国101年のこの中欧の小国チェコの歴史と魅力を、数多いスライドを使って以下のように解説して下さいました。

・みなさんのチェコのイメージは何でしょうか?ボヘミアングラス、スメタナ、チェコ
ビール、チャスラフスカなどなどでしょうか?チェコは中欧の国、周囲はゲルマン族とロシア族に囲まれ、首都はプラハです。

・チェコは1918年にチェコスロバキア共和国として建国し、1993年にスロバキアと分離
独立しました。このチェコの歴史の中で過去3回、大きく繁栄した時期があります。
1回目は神聖ローマ帝国カレル4世の時代、2回目は19世紀の産業革命時代、そして
3回目は第二次世界大戦後の西欧への回帰時代です。

・チェコの人口の28%を占めるドイツ人とチェコ人との対立は熾烈を極め、ヒトラーはチェコスロバキアを解体しました。28%のドイツ人による支配が行われ、ナチスドイツはチェコの兵器工場を掌握し、第二次世界大戦へと繋がっていきました。

・第二次世界大戦でプラハはソ連が解放、戦後はソ連がチェコを支配、選挙では共産党が38%の支持を得ることになりました。

・1968年春、共産党第一書記に就任したドプチェックは、個人の自由を尊重した「人間の顔をした社会主義」改革を主唱して、「プラハの春」と言われる自由化政策が展開されました。1969年アイスホッケーの試合で、チェコはソ連に勝利します。興奮した民衆はソ連のフラッグキャリアーである「アエロフロート」の事務所を襲い、怒ったソ連やワルシャワ条約軍の侵攻により「プラハの春」は一年で終了します。以後20年間、チェコは社会主義時代を送ります。

・20年後ベルリンの壁が崩壊し、学生の合法的デモを強制弾圧したことを契機にチェコ国内で民主化運動が起こります。この運動は流血をみることなく政権が交代し、「真実は勝つ」のスローガンのもと民主化が達成されます。ベルベットのように滑らかに行われたこの「ビロード革命」の達成後、チェコはNATOやEUに加盟して欧州に回帰します。

・チェコの魅力は何でしょうか?ロマネスク様式やゴシック、バロックやロココ様式の建造物が多く残っています。またピルゼンビールや南モラビアのワインは美味しいです。ボヘミアングラスや磁器、音楽や文学、絵画や人形劇も魅力的です。

・小国チェコの生き方は、大国に媚びない独自の生き方、チェコ民族としてのアイデンティティの保持、徹底した合理主義、非暴力と反骨の精神、そして「真実は必ず勝つ」の国民性にあります。

講師は最後に「日本との関係は1989年の民主革命後急速に発展し、1993年のチェコ独立と同時に日本は承認しています。進出する日本企業は250社以上、邦人は2000人が在住しています。自動車関連や家電関連企業が作り出す製品の85%はEUに輸出されて、チェコの貿易黒字と雇用の増大に貢献しています。みなさんもぜひこの魅力あふれるチェコの地で、本場の生ビールをお楽しみください」と話されて解説を終えられました。

皆さんからいただいたご感想の一部です。
*大国に媚びない独自の路線を維持するチェコの魅力を、たっぷり伺うことができました。歴史的にも経済的にも、魅力の尽きない国だということが改めてわかりました。またお聞きしたい講座です。
*やさしくお話下さいました、高校時代の歴史の授業を思い出し理解を深めました。
*オカリナコンサートでプラハのドボルザークホールでコンサートに参加します、練習も
追い込みに入った時期に地元我孫子でチェコについてのお話を聞かせて頂きとても
イメージが湧きました。ありがとうございました、歴史など知らない事が多く役に立ちました。
*自分の体験や豊富な知識で分かりやすく、楽しい講演でした。チェコの歴史や文化を、もっと知りたいと思いました。
2019/02/28のBlog
老後の安心を支える成年後見制度とは
認定NPO法人東葛市民後見人の会理事長 星野征朗氏

きょうは退職後に民生委員や地区社会福祉協議会で活動されたあと、東京大学市民後見人養成講座の修了生仲間などと設立されたNPO法人東葛市民後見人の会(平成26年3月認定NPO法人に)の理事長として活躍しておられる星野征朗氏に講演頂きました。星野講師は「いまや例えば銀行で、ご主人名義の口座から大きな金額を引き出そうとすると、窓口で必ず後見人の存在を聞かれる世の中となりました。きょうはこの成年後見人制度の課題と問題点などをお話します」と前置きされて、次のように解説してくださいました。

講座概要:日本社会は今、超少子高齢化、経済の長期低迷、公的債務の累増、人口急減時代への移行など歴史的な大変動に直面しています。
社会保障は大丈夫? 自分たちの将来はどうなるの? 誰もがこんな不安を抱いています。
数年後には一人暮らしの高齢者680万世帯、認知症高齢者720万人の時代が到来し、後見爆発が起こると予測されています。
高齢者が老後をのんびり過ごせるバラ色の時代は終わったのです。
超高齢社会を支える成年後見制度(仕組み、現状、問題点)や市民後見人(担い手)の問題をやさしく解説いただきました。

介護保険と成年後見制度は、車の両輪とされているが、介護保険利用者は600万人を超したが、成年後見制度利用者は20万人にとどまっている。推定対象者は800万にとされており、成年後見制度の普及・啓発活動、制度の見直し、公的支援、市民後見人の育成などが急務になっている。専門職後見人が財産管理中心で高報酬であるのに対し、市民後見人は、ボランタリーな報酬でおもに身上保護を担当するという形で、この制度の普及を図っている。

平成28年4月に、制度面の改善と利用促進を図る成年後見制度利用促進法が成立、これに基づく利用促進基本計画で政府、市町村、都道府県一体となっての利用促進が打ち出された。この中には、官民一体になって高齢者などの見守りから貢献までを担う地域連携ネットワークの構築も歌われており、私たちはこれらに対応して、認知症高齢者や障害者を支えるよき理解者、伴走者を目指している。

「すべての団塊世代が75才以上になる2025年、誰が支える側にまわるのかが大問題です。本人の生活改善のために働く後見人の育成をどうするのか、横領など不正事件が起こらない仕組みをどう作り上げていくのか、きょうの支える側からあすの支えられる側へスムースに移行するにはどうしたらいいのか。私は、あすは我が身の市民後見人のひとりとして活動しています」と話されて解説を終えられました。

参加された方々からのご感想です:
*本日の講師の講演の目標は達しているのだと思います、いろいろなことを教えていただきました。必要な点は自分で学んでいかなければならない、と思いました。
*講座資料が多岐にわたり、平素より将来に向けて学んでいることが二重三重に理解できました。益々選択の困難さを知り、どうしたら良いのか。一日も早く品川社協方式のような発展をお願い申し上げます。
*いままで無関心でしたが、子供たちに終末期医療や財産の話をしておこうと思いました。明日は我が身、本当だと思いました。