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2019/06/10のBlog
[ 20:17 ] [ ふれあい塾講座記録 ]
「令和」スタート記念 万葉集を読む
國學院大學講師・文学博士 堤 康夫氏

新しい元号「令和」は『万葉集』巻第五の梅の花三十二首の連作の序文から採られました。そこで新元号がスタートしたのを記念して、『源氏物語』、『古典の恋歌』シリーズでおなじみの堤康夫氏に『万葉集』特別講座をお願いし、あらためて『万葉集』を学ぶ講座となりました。

*万葉集は日本最古の歌集であり、万葉仮名で記されていることが最大の特徴である。今から約1300年前の天平2年正月13日に太宰府で、大伴旅人が友人・知人などを招いて個人的な宴の会を開催した。この時の序文に、「初春の良い(令)月で、うららかで風も和らいでいる」とある。新しい元号は、この記載が出典とされる。

*この宴会のことを詠んだ歌が32首あるが、「毎年 正月には梅を愛でながら、いつまでも宴を続けていたいなあ」「柳と梅を手折って髪に刺したし、もう宴会が終わってもいいよ」「庭に白梅が散り始め、まるで雪が流れているようだ」などの、状況描写の歌がほとんどである。

*万葉集の歌の数は、数え方によっても違ってくるが、約4000首近くが収載されており、流れた時間は400年を数える。天皇や皇室の歌が多く、また益荒男の歌集ともいわれる。

*万葉集は大きく分けると、大化改新の第1期、藤原京時代の第2期、奈良時代前期の第3期、奈良後期の第4期となるが、全盛期は第3期といえる。

そして堤講師は巻一から巻十五の中から17首を、わかりやすく読み解いて下さいました。ご参加いただいた皆さんからも、
*知っている歌も多く楽しく聴かせていただきました。歌った人の様子を知れて、また違う味わいが判りました。
*万葉集の400年の流れに驚きました。先生の解説が楽しく眠くならないです。
*学生時代以来聞くことのなかった万葉集を持ち出した次第です。じっくりと読むことを楽しみたいと今更乍ら思いました。万葉人の言葉遊びとかユニークな話にも歌ばかりではなく興味をもちました。
などのご感想を頂きました。
2019/06/05のBlog
シリーズ“こだわって生きる我孫子の人”21
美しい日本の山‐Ⅶ「穂高岳と上高地・涸沢」
日本山岳写真協会理事 鈴木菊雄氏

今日の講座は “こだわって生きる我孫子の人”シリーズの21回目、我孫子市在住の山岳写真家鈴木菊雄氏による「美しい日本の山」シリーズ第7回目で、“日本アルプスの中でも最も人気がある穂高岳とその周辺”を取り上げていただきました。

今回は下記について、多くの美しい画像と資料をもとに紹介されました。
1 北アルプス南部 穂高岳概要:位置と地図・登山のアプローチ
2 初めて日本アルプスを西欧に紹介し、近代登山の幕を開けた2人の英国人
3 槍穂高岳の案内人、上條嘉門次
4 穂高岳に初登頂した測量官と登山家小島烏水など
5 春夏秋冬の穂高岳周辺の景観
6 手軽に楽しむ上高地周辺のお奨めガイド

*日本百名山に「穂高岳」はない。奥穂高岳3190mを筆頭に西穂、北穂、前穂、槍ケ岳などが連なる連峰で、山名は1646年の国絵図で「保高嶽」と記載されており1693年に穂高神社の宮司により「穂高嶽」と記載された。

*明治になり、上條嘉門次を案内人にして穂高連峰を登った英国人ゴーランドやウエストンたちは日本アルプスを西欧にも紹介し、日本では信仰登山から山岳登山へと変わってゆく。上高地ではウエストン氏の功績を称え偲ぶ行事が毎年6月第1土曜日・日曜日に開催され、夏山シーズンが始まる。

*上條嘉門次は上高地で猟師、山案内人として、公式な地図はなかった時代、経験と勘で山を案内。現在も明神池の畔に当時の面影を残す素朴な嘉門次小屋が残り、宿泊が出来る。

*明治26年、測量官の館潔彦が前穂高岳に初登頂。西洋式登山の黎明期を迎えて明治38年日本山岳会が創立され初代会長に小島鳥水が就任。その後、明治42年頃から鵜殿正雄や小島鳥水などが奥穂高岳から槍ヶ岳へ縦走し、近代登山が幕開け。大正13年には今田重太郎が穂高岳山荘を開業する。

*鈴木講師は以上のお話の後、奥穂高岳、北穂高岳付近の男性的な山稜、冬の常念山脈から雪の鎧を纏った穂高連峰、奥穂高山頂付近から見る雲湧くジャンダルム、黎明や天の川、涸沢の四季ー特に秋の紅葉などの素晴らしい画像を映写され、最後に上高地周辺のニリンソウの群落や動植物もご紹介くださり、なかなか訪れることができない穂高周辺の絶景を堪能する講座となりました。 (高橋 重)

以下に受講者のアンケートの一部を紹介します。
 
*沢山のすばらしい写真をありがとうございました。お話が具体的でわかりやすく面白いです。ここまですばらしい写真をとるには大変なご努力をつみ重ねられたことと思います。毎回鈴木先生の講座が楽しみです。

*初めて山の講座を伺いました。登山はしませんが、山の風景は大好きです。上高地は行ったことがあります。美しい風景に癒されました。

2019/05/24のBlog
我孫子にも氷室が?
我孫子の古代 最新情報
我孫子市教育委員会 主任文化財主事 手嶋秀吾氏

手嶋講師は「歴史豊かな我孫子では、現在も熱心な歴史探索が進められて、ますますその内容が豊かになっています。遺跡の発掘調査や研究の成果によって東葛地域の中心であった古代の我孫子の様子が明らかになりつつあります。きょうの講座では最新の発掘調査から、新たにわかったことなどをお話します」と話されて、次のように解説されました。

*水神山古墳は昭和40年代の調査により4世紀後半、全長69mの我孫子市最大の「前方後円墳」である。一方、前原古墳は平成22年の調査で出土した土器が3世紀後半のものと分かり我孫子で最古の「方墳」である。我孫子では手賀沼と利根川の水沿いの丘の上に、多くの古墳が作られている。古墳は王族の勢いを外部に誇示し、見せびらかすためのものである。

*平成30年 中里・別当地遺跡が官人の居住区と思われることから発掘調査を行った。その結果、54棟の竪穴建物や溝などが発見され確認された。この調査で確認された円形有段の遺構はすり鉢状であり、底が平になっているのが特徴である。8世紀後半の土師器が市川市内で発見されており、井戸状の遺構が今回の我孫子の遺構と酷似している。このことから我孫子にも氷室があったのではないかと、推測している。日当たりの悪い谷津の奥の方で氷を作って、氷室に保存して、夏などに活用していたのではないだろうか。

手嶋講師は多くのスライドや地図を駆使しながら「別当地遺跡の調査から、この地域には相馬郡の大規模な官庁街が形成され、多くの役人が暮らすための拠点施設が整備されていたのではないだろうか。古代の東海道が近くを走り、水辺と交通の要所であったことが、我孫子の重要性を高めたのではないかと言う推測が成り立ちます。」と話されて、解説を終えられました。

遺跡の名称は字アザ名がそのまま残っており、また相馬郡の蔵からは文字が書かれた墨書土器が見つかっていることから、文字が書ける人々が我孫子の地に実際に住んでいたのではないかとも話されました。因みに遺跡は現状のまま保存するのがルールなので、発掘や記録保全が完了したあとは元に戻すのが決まりだそうです。

聴講頂いた方からのご感想です:
「学生時代から趣味で考古学をやって来たので、今回の氷室発掘の講演は非常に興味があった。いろいろ考古学の発掘報告も聞いたが今回は新しい発見だった。今回の手嶋講師の講演は、詳しく良く整理されているのに感心させられた。我孫子市にこの様な素晴らしい学者が勤務しておられることは、我が市の財産であると考えます。末長く活躍下さい。」
2019/05/15のBlog
[ 16:26 ] [ ふれあい塾講座記録 ]
堤先生の連続講座“古典の恋歌”⑮最終回 子を恋ふる歌
―『土佐日記』『蜻蛉日記』『伊勢物語』『成尋阿闍梨母集』―
國學院大學講師・文学博士 堤 康夫先生

大好評の堤康夫先生の連続講座“古典の恋歌”は2018年1月から始まり、本日が最終回(15回目)となりました。
堤先生は「恋歌は男女の間とは限りません。今回は『子を恋うる歌』と題し、『土佐日記』『蜻蛉日記』『伊勢物語』『成尋阿闍梨母集』から様々な親子の情愛を読み進めます。そこに1000年以上変わらない世界を読み取ることが出来ればと思います」と前置きされて、次のような場面を取り上げてお話してくださいました。

『土佐日記』では、作者紀貫之が娘を亡くした悲しみを次のように詠います。
「世の中に思ひ遣れども子を恋ふる思ひにまさる思ひなきかな」と。

『蜻蛉日記』は、作者右大将道綱母が、冷たい夫に対して嘆き悲しむ暗い文学。母が「出家してしまおうか」と息子に語ると「それならば自分も‥」と泣きます。その息子が飼っていた鷹を空に放つのを見てますます母は「悲しいことよ」と詠います。

『伊勢物語』では、離れて暮らす親と子が双方に思いやる歌のやり取りをします。
「老いぬれば避らぬ別れのありといへばいよいよ見まくほしき君かな」(避らぬ別れ=死があると思えばますます会いたいあなたよ)と子に詠えば、「千年も生きてほしいと祈る子どものために長生きをして」と子どもは泣きながら詠みます。

『成尋阿闍梨母集』では息子が唐に旅立つ直前に母が詠います。息子の好きな道に行かせたい気持ちと遠い国へ行かせる不安な気持ちを「強いて行く船路を惜しむ別れ路に涙もえこそ留めざりけれ」(別れに涙は不吉だと思っても涙は止められない)と息子を恋しいと泣き続ける物語です。

以上のようなご説明の後、先生は「<歌>は<訴える>が変化した言葉です。どの物語も子を恋する気持ちを訴えています」と締めくくられました。
(秋田桂子)

アンケートから
*いつも楽しく聞かせていただいています。どうもありがとうございました。
*素晴らしいつまでも続けて欲しいと思います。
*いつもながらお話を楽しく(つらい母心ですが)勉強させてもらいました。
2019/05/09のBlog
現代中国講座(20)
正念場にさしかかる日中の未来―そのポイントを探る
麗澤大学名誉教授 三潴正道氏

三潴講師は政治外交の視点から、北朝鮮問題と南北の関係、日本と中国との関係改善の軌跡、米国と中国の関税と華為(ファー ウェイ)問題を最初に解説されました。

2019年春の全人代の最大のポイントは、対米摩擦の深刻化を如何に軽減するかにあったこと。その具体策が企業向けの大規模減税であり、雇用対策であり、緊急対策としてはやはり外せない公共投資の増額であったことを話されました。

そして
*実験衛星や試験衛星の、立て続けの発射成功から
*北斗という衛星ナビシステムを確立させ
*宇宙から主要道路と支道が区別できる精度を利用して
*村と村を結ぶ道路整備、「村々通」政策を実行
*超高速モバイル5Gを先導し
*Eコマース、短時間で宅配できる物流システムを確立
したことにより、様々な先端技術を駆使したIoT全盛時代に向けて爆発的な動きが起こっており、日々、あらゆる社会の場と結び付いた新しいビジネスが誕生していることを解説下さいました。

参加頂いたみなさまからのご感想です:
*目からウロコ、のお話をたくさん聞かせていただき、ありがとうございました。
日中関係改善に向けての両国の努力、北斗を中心とした経済発展への努力、大変参考になり勉強になりました。

*中国と云う大きな面積のしかも現在発展の激しい、人口の多い国家の政治・経済・科学の発展を、年に1~2回の講座で紹介していただくのは、講演時間が90分間ですべてを詳しくはとても解説不可能である。もう少し、特にその時に日本にとって問題になっている事項を紹介していただいた方が良いのかもしれないと、特に動きの激しい最近の中国時事問題に接して感じた。確かに中国の全てを知ることは有難いことではあるがー。