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ふれあい塾あびこレポ-ト
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2019/09/05のBlog
新シリーズ「古典文学のヒロインたち」
第一回 源氏物語「紫の上」
國學院大學講師・文学博士 堤 康夫氏

9月5日木曜日、ふれあい塾あびこの公開講座もきょうから二学期に入りました。
講師はユーモア溢れる語りで人気の、堤 康夫氏です。
二学期は代表的な古典の中からヒロインを主題に、知られざるヒロインの一面にスポットを当てる新シリーズです。
記念すべき第一回は、お馴染み「源氏物語」の『紫の上』です。源氏物語に登場する数ある女性の中で、『紫の上』は一番のヒロインです。
光源氏は北山で発見した若紫を引き取り、手元で教育して理想的な妻に仕立てました。
『紫の上』は何でも知っているし、思いやりのある情けの深い女性として登場します。
非の打ちどころの無い『紫の上』ですが、本当に欠点は無かったのでしょうか。

明石の巻では『紫の上』が、明石の上に嫉妬をしています。
朝顔の巻では『紫の上』が、光源氏のいとこである朝顔斎院に嫉妬します。
若菜上巻で『紫の上』は、朧月夜に嫉妬をしています。
つまり『紫の上』の唯一の欠点は、嫉妬だったのです。

講座を聴講された方からは、「大変おもしろくて、アッというまの講義でした」という
ご感想を頂きました。
2019/08/08のBlog
[ 19:15 ] [ ふれあい塾講座記録 ]
フランス国立ストラスブール管弦楽団の若きコンサートマスター本田早美花さんが、ピアニスト エマニュエル・クリスチャンさんと昨年8月に続いて我孫子でリサイタルを開催して下さいました。

本田早美花さんは日本生まれ、英国と日本で育ち2000年よりフランス在住。パリ国立高等音楽院(CNSMP)にてジェラール・プーレとオリヴィエ・シャルリヱに師事し、ヴァイオリン科、弦楽四重奏、室内楽を学び、同大学院修士課程を審査員満場一致にて首席卒業された才媛です。

エマニュエル・クリスチャンさんはパリ国立高等音楽院にてジャック・ルヴィェ氏に師事。ピアノ科、室内学科、歌曲伴奏科、同大学院修士課程を主席卒業。ジャン=クロード・ペヌティエ、アルド・チッコリー二、パウル・パドゥラ=スコダ、アンヌ・ケフェレック、ルーベン・リフシッツに師事。多くの国際コンクールで受賞歴のある、ピアニストです。
2018年12月発売の最新アルバム『Souvenirs』に収録された世界初の録音『サンフランシスコの思い出』(ヴィエニャフスキ)を含めて、以下の名曲を演奏下さいました。

愛のあいさつ エドワード・エルガー (1857~1934)
サンフランシスコの思い出 ヘンリク・ヴィェニャフスキー (1835~1880) 
「鏡」より‘海原の小舟’(ピアノ曲) モーリス・ラヴェル (1875~1937)
タイスの瞑想曲 ジュール・マスネ (1842~1912)
ダリア 草川 信 (1893~1948)
喜びの島 (ピアノ曲) クロード・ドビュッシー (1862~1918)
日本民謡による即興曲 エフレム・ジンバリスト(1889~1985)
ヴァイオリン・ソナタ セザール・フランク(1822~1890) 
第1楽章~第4楽章 

酷暑の中をご来場頂いたみなさんにはお楽しみ頂けたようで、以下のようなご感想を頂戴しました。

*本田さん・クリスチャンさん 息の合った素晴らしい演奏でとてもいい音楽を楽しむことができました。ありがとうございました。

*大変すばらしい演奏で、心の栄養になりました。昨年もこのお二人の演奏を聴き、今年もまた楽しみにしておりました。有難うございました。

*聴きなれた曲や新しい曲、楽しいひとときでした。使用したヴァイオリンの音色よかったです、300年前の楽器とは・・・ また我孫子に来ていただけるとうれしいです。

*昨年も聞きましたが、本田早美花さんのバイオリンの演奏のクオリティは、とても高く感激です。都内でなく、我孫子でこのような質の高い演奏を聞けることは素晴らしいです。来年も、本田さんのコンサートの企画をよろしくお願いいたします。
2019/07/19のBlog
我孫子宿の魅力再発見
歩くと、街並みに江戸時代の名残があちこちに!
ふるさと我孫子ガイドの会 会長 中込力三氏

中込力三講師は、「何気なく歩いたり、車で走っている356号道路の我孫子駅前ですが江戸時代にスイッチすると、この通りは水戸道中の我孫子宿でした。我孫子宿は、興陽寺、八坂神社から1キロ先の三叉路までとされており、江戸時代の視点から見ると様々な当時の面影が浮き出てきます。」と話されて、数多くのスライドを用いて詳しく解説下さいました。

*我孫子駅は1896年に常磐線の開通と共にできたが、当時は(火の粉が藁ぶきの屋根に燃え移る)とか(煙が蚕の生育に影響する)として反対する意見もあった。「鉄道なくして町の発展なし」として尽力したのが飯泉喜雄氏で、これ以降人と物の流れは鉄道に変わっていった。

*鉄道以前の水戸道中は1646年に完成した奥州街道の脇道として、水戸徳川家と江戸本家を結ぶ街道として整備された。全長は116km、宿駅は20あってそれぞれに人25 馬25が常備された。

*我孫子宿は興陽寺から下坂定杭あたりまで、天領のために武士の定住は無かった。つまり宿の管理は「村人管理」という特異な形であった。この我孫子宿を通過する大名は22に及び、江戸から12時間の道のりであった。

そして「我孫子宿を探る」として、先の興陽寺、八坂神社、当時の寺子屋や旅籠、香取神社や子の神大黒天に残る道標、本陣や脇本陣、代々の名主や問屋とそのお屋敷などを、今に残る地図や画像を用いて楽しくお話し下さいました。
「我孫子と言えば今までは白樺派でしたが、今は我孫子宿にテ-マは移りつつあります。しかし手掛かりや資料が無いと、我孫子市への親近感やふれあい感が高まりません。証があることで、さらに理解が深まります。そのためにはぜひとも、我孫子にも資料館が欲しいものです。」と結ばれて解説を終えられました。

頂いたご感想の一部です:
*我孫子に住んで45年余、あらためて住んでいる町の歴史を興味深く聞くことが出来ました。散歩もこの資料片手に歩きたくなりました、多大な資料で素晴らしい講演でした。

*我孫子の散歩に楽しみが出来ました、ボーと歩かないことにしました。

*我孫子宿のお話ありがとうございました。我孫子の中はあちこち歩いており、新四国八十八か所を歩いたこともあります。本日のお話をキッカケに又改めて感慨深く歩いてみようと思います。
2019/07/13のBlog
西洋史再訪12
カール大帝と中世ヨーロッパの成立
首都大学東京准教授 高橋亮介氏

*バルト海沿岸のゲルマン人と呼ばれる人たちが375年に南下を始め、ロ-マ帝国に侵入した。これ以降、ゲルマン人による大移動が200年も続いた。4世紀のロ-マ帝国はキリスト教を公認し、392年に国教と定めた。395年にロ-マ帝国は東西に分裂したが、ゲルマン人は476年に西ロ-マ皇帝を退位させ、一方で東ロ-マ帝国は存続した。

*6世紀東ロ-マ帝国初代皇帝のあとを継いだユスティニアヌス帝は、ペルシアと和平を結び、北アフリカのヴァンダル王国を滅ぼし、イベリア半島の一部を治め、地中海帝国を復活させた。しかし活動が国力を疲弊させて、565年の他界以降急速にイスラ-ム勢力が進出してくる。

*8世紀アラブ・イスラ-ムがペルシアを滅ぼして地中海に進出、最大のスラブ部族がバルカンに上陸し、ゲルマン部族であるランゴバルト族が中部から南部のイタリアに進出した。

*西ヨ-ロッパの混乱を治めたのはフランク王国であり、小王だったクロ-ヴィスがフランク族を統一した。統一によって成立したフランク王国はカトリックを受け入れ、王子たちへの王国の3分割譲渡と宮宰職による行政と軍事の強化を特徴とした。しかし宰相であった小ピピンがメロヴィング朝フランク王に即位し、カロリング朝を建てるク-デタ-が発生した。ピピンの息子であるカ-ルは800年にロ-マで「ロ-マ皇帝」となり、
ロ-マ教会とローマ皇帝の結びつきは強固なものとなった。戴冠式はローマ教会のもとで行われ、皇帝の位が教皇によって授けられるものとなった。

*カール時代の「キリスト教帝国」や「東ロ-マ帝国との関係」「開かれたヨ-ロッパ」など、幾つかの論点がある。しかしカ-ル大帝はキリスト教の思惑のなかで都合の良いように作られた皇帝ではなく、自身の力でキリスト教を広めようとしたのではないか。相次ぐ領土の拡大も、布教のためのものだったのではないか。東ロ-マ帝国の女皇帝イレ-ネとの婚姻をも、カ-ル大帝は考えていたのではないか。

高橋講師は「ヨ-ロッパの歴史の中で世俗と教会との結びつきは、イスラ-ムや東ロ-マ帝国の外側の世界の影響の方が大きかった。そしてキリスト教が持っている指導力やキリスト教にすがりたい力と、実際に持っている力と世俗の力のせめぎあいだったのではないか。」と結ばれました。

いただいたご感想の一部です:
*今日の講座の主題の時代は、歴史的にも非常に変動の時期であり、武力による近隣国との争いと宗教的な争い、それに西からの勢力と東からの勢力からの争いと内容が複雑に変化した時代であった。特に宗教による歴史上の争いは我々日本人には中々理解出来難い事項である。講師は色々豊富な知識と資料にもとづき講義されたが、簡単に理解できない所もあった。
*「西ヨーロッパの中世の始まり」を解りやすく聞かせて頂き、次回講座が楽しみです。
2019/07/09のBlog
「令和」の典拠の典拠
萬葉集と中国古典
東京大学大学院人文社会系研究科 副研究科長 小島 毅氏

代替わりに伴い、新しい元号「令和」が制定されました。
天平2年(730年)正月13日に太宰府で、大伴旅人(665-731年)が友人・知人などを招いて宴の会を開催しました。この時の序文に、「初春の良い(令)月で、うららかで風も和らいでいる」という記載が「万葉集」にあります。新しい元号である『令和』は、この記載が出典とされています。

小島講師は「令和の典拠」の典拠は別のところにあるのではないか、という疑問を投げかけられました。

*2019年4月1日午前11時30分に新元号「令和」が発表され、令和の典拠は、国書の万葉集であるとされました。しかし国書のもとは中国の古典であり、午後には中国の「文選」(530年)が根拠ではないかという情報が乱れ飛びました。

*「万葉集 巻五」、大宰府で梅の花を愛でる宴会に出席していた人たちが詠んだ和歌32首の記録につけられた題詞(序文)が典拠といわれています。

*ではなぜ万葉集なのか、それは王様から庶民までの広い層からの歌が収められているからとされました。しかし例えば「防人が作った歌」とされるものは、庶民のフリをして役人が作った歌であることはいまや明白となっています。同じことが中国でも見られ、一人称で始まる「辺塞詩」と呼ばれる防人の歌があります。

*前述の宴では、大宰府管下の知事が集まって「散りゆく梅」を愛でました。この会は中央政府の増税に反対する異議申し立ての会であり、中央から左遷された大伴旅人が座長を務めました。

*中国の古典に、王善之(303-361年)の「蘭亭序」があります。永和9年(353年)の三月三日に知人や親せきを招いて宴を催し、参加者が作った27の歌の序文として王善之が書いた序文です。原本は残っていませんが、この草稿が行書の最高傑作とされ書のお手本となっています。この曲水宴と梅花宴の序が、構造的に類似しているのです。

*大伴旅人が先例を踏まえて詠んだのではないかと推察されるのが、張衡の「帰田賦」で
「文選」巻十五に収載されています。腐敗した政権を批判した作品で、「中央は濁っているが地方は濁ってはおらず清らかなので、ふるさとへ帰ろう」と詠っています。

大伴旅人は春の盛りを詠んだのではなくて、散りゆく梅や落ちていく梅に身を重ね、
張衡の「帰田賦」を下敷きにして詠ったのではないか…。

ご参加頂いたみなさんからのご感想の一部です:
*とてもおもしろい内容でした。分かりやすいお話でありがたかったです。「令和」が、明るい内容の年号かと思ったらそうでないことの様ですが、これからしばらく使うのでいい事を願いながら愛していこうと思いました。

*大変勉強になりました。新年号「令和」について分かり易く説明頂きました。帰宅後早々にネット検索致します。ありがとうございました。

*大変興味深いお話でした、楽しくうかがいました。漢字そのものが中国から伝わったものである以上令も和も中国の文献に出てくるのはあたりまえと思います。私は素直に「令和」が万葉集からとったものとしたいとおもいます。