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2018/10/20のBlog
[ 14:02 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 平成30年10月20日(土)13時30分~15時30分
 中上健次の小説「枯木灘」と「奇蹟」の紹介がありました。
 彼は1946年に和歌山県新宮市に生まれましたが、結構家庭は
複雑であったようです。
 1959年に異父兄・行平が自殺するのですが、これが彼の最大
の文学的主題となります。
 なお、1976年には「岬」で芥川賞を受賞しております。
 さて、前半に紹介された「枯木灘」ですが、これは中上健次が
主人公・秋幸とオーバーラップいたします。
 この小説の骨子は、親族間の殺人(秋幸が異母弟・秀雄を殺害)や近親相姦(秋幸と異母妹・さち子)等と、私的な要素(前述の兄の自殺)を交差させたリアリズムの傑作です。
 この「枯木灘」を書き終えた頃から、彼は被差別部落の出身であることを前に出すようになります。
 そして後半に紹介されたのが、「奇蹟」という小説です。
 主人公(イクオ)のモデルは、新宮で年上の幼なじみだったヤクザの若頭・西太一で、組織暴力団の抗争で亡くなった人です。
 この小説のかたりは、オリュウノオバ(被差別部落の産婆という設定)で、その内容は被差別部落の三代にわたるヤクザの戦後史です。
 被差別部落の青年たちの生を幻覚の中で語る不思議な作品でした。
2018/10/18のBlog
[ 15:44 ] [ 環境・健康 ]
日 時 平成30年10月17日(木)14時~15時30分
 今回の講師はある病院の緩和ケア病棟に勤務されている
チャプレンの方でした。
 緩和病棟とはホスピスとも呼ばれている所で、主に終末期の
ガン患者が利用する病棟だそうです。
 昨今 ガンと言いましても良い薬や先進技術による治療等が
出来るようになってきましたのが、それでもこれ以上の治療は
むつかしいとされる人達の痛みを和らげ、自分らしく生きるた
めの施設です。
 シニアの人の中には、「もうここまで生きたのだからいつ死んでもよい。」と日頃言っていても、いざ余命を宣告されると「もう少し生きたい。」と思う人が多いようです。
 そこでこのような時に「今」をどのように生きるかということについて提言をいただきました。
 1前向きに生きる。 → 人生の困難を前に何を創造できるか・・・
 2ユーモアを持って生きる。 → 心と心の交流を考える・・・
 3感謝して生きる。 → ちょうど良い人生だったと・・・
 4趣味を持って生きる。 → ベッドででもできるものを・・・
 5家族・友人の絆を育てて生きる。 → 自分の思いが兄弟・子供・友人等に届いているか・・・
 病める人は会いたい人を待っているので、その人に来てもらえるように生きて下さいとのことでした。
2018/10/17のBlog
[ 15:53 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 平成30年10月17日(水)11時~12時30分
 明治維新のハイライト・江戸無血開城を中心とした幕末のお話
しを聞いてきました。
 最後の将軍・一橋(徳川)慶喜は、「鳥羽・伏見の戦い」(1868年
1月)が始まりますと、同月6日の深夜に大阪城を抜け出し、舟で
江戸に帰ってしまいます。
 翌日 新政府は「慶喜追討令」を公布し、松平容保(会津)や
松平定敬(桑名)らの官位を剥奪してしまいました。
 一方 江戸では慶喜が勝海舟を呼び出し、海軍奉行並→陸軍総裁・若年寄に任命するとともに、今後の善後策を検討させていました。
 新政府側は、同年3月6日の駿府城での会議で15日を江戸総攻撃と決定いたします。
 それを知った勝海舟は、山岡鉄舟を西郷隆盛のところへ走らせ、会談の下ごしらえをさせます。
 その時の西郷案は、1.慶喜は備前預け(人質→処刑)、2.江戸城明渡し、3.兵器全てを渡す等、一方 山岡(勝)案は、1.慶喜は水戸にて謹慎、2.兵器全ての引渡しは無理、3.城中の者は城外で謹慎等でした。
 結局 14日の西郷・勝会談において、おおむね勝案を西郷が呑んだ形で決着するわけですが、これは勝が「江戸総攻撃を受けた場合は、町に火をつける焦土作戦」を背景にしたためとも言われています。
 そして4月11日に無事「江戸城は無血開城」となりました。
 ただ、一部徳川兵は軍艦等を持って江戸を脱出しています。
2018/10/12のBlog
[ 15:52 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 平成30年10月12日(金)13時30分~15時
 珍しい民族音楽・オルディンドーを聴く機会を得ました。
 オルディンドーとは、モンゴル国の民謡のようなもので、
その昔には日本の民謡もこのオルディンドーと繋がりが
あったのではとも言われている音楽です。
 歌手はモンゴル国立オルディンドー協会・日本支部代表
の女性で2度に渡りモンゴルに留学された経験の持主です
 彼女は最初の留学では、語学(1年)、歌(1年)を学び、
2度目の留学では現地芸大で本格的に民族音楽を勉強したとのことでした。
オルディンドーには、草原の向こうまで届くようにとの配慮
から、長く伸ばして歌う「長い歌」と、リズムがしっかりして
いて手拍子も交えて歌う「短い歌」があるとのことです。
 今回聴かせていただいた歌は、前者では「かわいい馬」
(秋の黄昏を思わせるメロディー)等を、また後者では「すば
らしい海」(海のない国ですが、雨が降って出来た水溜りを
海にたとえて歌う)等でした。
 なお来月10日には大阪で「モンゴル祭」を行うとのことです
2018/10/11のBlog
[ 17:08 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 平成30年10月11日(木)14時~15時30分
 関西文化に育まれた文学の中から、今回は志賀直哉の「城崎
にて」をご紹介していただきました。
 彼は1883年(明治16年)に宮城県に生まれ、学習院初等科
入学(7才)、学習院中等科入学(12才)、学習院高等科入学
(20才)、そして東大に進みました。(23才)
 その後、徴兵(甲種合格)で入営するも、中耳炎でたった9日で
帰され、27才の時に雑誌「白樺」を創刊します。
 そしてこの作品はその「白樺」に1917年(大正6年)に発表されたものです。
 この作品は、心境小説(実際にあったことを題材に)です。
 冒頭の部分は「山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした。その後養生に一人で但馬の城崎温泉に出掛けた。」・・・・とあり、彼は実際に相撲を見ての帰りに電車に跳ね飛ばされて入院の後、兵庫県の城崎温泉に療養のために訪れています。
 この時に数日間に実際に見た「ハチの死」「ネズミの死」「イモリの死」を素直に書いています。
 すなわち、ハチに対しては親しみとも言える静かな死を、ネズミに対しては死の直前の恐ろしさを、そしてイモリの死に対しては哀れみや淋しさを感じたようです。
 おそらく殺される立場で、「生」と「死」を考えたのではないでしょうか、彼は「生きている事と死んでしまった事とそれは両極ではなかった。それ程に差はないような気がした。」と結んでいます。
2018/10/09のBlog
[ 16:15 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 平成30年10月9日(火)13時30分~15時
 サンサーンスは1835年に生まれ86才で亡くなったフランスの
作曲家です。
 彼は3才で作曲をはじめ、10才ではベートーヴェンのピアノ
ソナタを全て覚えて弾くなど、モーツァルトと並ぶほどの神童
でした。
 彼の人気作品は「動物の謝肉祭」の「白鳥」ですが、他にも
素晴らしい曲を多く作っていますので、それらの美しいメロディ
の数々をCDで聴かせていただきました。
 まず彼の代表作「動物の謝肉祭」からですが、内容はライオンや象などを描いた全14曲からなる組曲で、これは私的な集いのために作られたので、他の作曲家の楽曲をパロディーにして風刺的に用いているものもあり、「白鳥」を除いて作曲家の生前には演奏が禁じられていたとのことです。
 次に聴かせていただいたのは「序奏とロンド・カプリチオーソ」で、サラサーテ(スペインのヴァイオリニスト)のために書かれた曲で、スペイン風の要素がかなり取り入れられていました。
 そしてその次は、交響詩「死の舞踏」で、これは午前0時に骸骨が現れて踊り、夜明けとともに墓に逃げ帰り、再び静寂に包まれるという様子を描写したものです。
 その他としまして、歌劇「サムソンとデリア」より「バッカナール」(神話に出てくる酒の神バッカスを表現した曲)や交響曲第3番(ピアノとオルガンが効果的)、七重奏曲(バロック風)等でした。
2018/10/06のBlog
[ 15:06 ] [ 環境・健康 ]
日 時 平成30年10月6日(土)14時~16時
 斑状歯に関するセミナーがありました。
 なお斑状歯とは、歯冠の表面に生ずる白斑を主体とする歯の
異常のことで、原因は飲料水中に含まれるフツ素にある由。
 斑状歯の歴史は、米国ロッキー山脈の麓に褐色斑の歯を持っ
た子供が多数いるとの報告が始まりです。(1909年)
 その後の調査で原因は飲料水中のフツ素であることが判明。
 米国では研究の結果、フツ素は1ppmが最適と結論。
 そして日本においても飲料水は「水質基準に関する省令」によって、0.8ppmとされたとのこと。
講師は宝塚市内の開業医でしたので、これについて同市の対応
にも次のとおり言及されました。
 最初は1930年に宝塚の温泉旅館の家人に歯の異常を多数認
めるとの報告がありました。
 その翌年には兵庫県が調査しましたが、フツ素が原因とは断定
されませんでしたが、1971年市内の児童に斑状歯が多発している
との告発があり、住民運動にまで発展した由。 そして今では・・・
飲料水のフツ素は0.3ppmとなり、安全を確保されたとのことです。
2018/10/03のBlog
[ 23:16 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 平成30年10月3日(水)14時~15時30分
 あべのハルカス美術館で開催(9月15日[土」~11月4日[日」)
されている「太陽の塔」展の見どころなどをご紹介していただき
ました。
 美術館の展示は、次の5つのゾーンに分かれている由です。
 ゾーンⅠ:地下展示の世界、ゾーンⅡ:岡本太郎のメッセージ
 ゾーンⅢ:再生・太陽の塔、ゾーンⅣ:巨大なスケール
 ゾーンⅤ:太陽の塔への道・・・・・です。
 展示作品は、岡本太郎記念館(東京)、岡本太郎美術館(川崎)、万博記念公園(大阪府)の3カ所から拝借したとのこと。
 展示物は84点ですが、特に1.初代「黄金の顔」(現在吹田にあるのは2代目)、2.失われた空間・ジオラマ(現在吹田の塔の周辺には何もない)、3.塔の制作に至るまでの作品(集大成のベースとして)の3つが一番の見どころであるとのことです。 
 また今回の展示会では会場の入口で、目録は配布しないとのことで、その代わりに来場記念に「暴発語録」というスタンプ帳を配っている由です。
 もちろん「太陽の塔」は1970年の大阪万博(テーマ:人類の進歩と調和)の顔でした。
 全体のプロデュースは前東京オリンピックの体育館などを手がけた丹下健三で、彼はすでに旧東京都庁の建築時にも岡本太郎と組んで仕事をした関係から、メイン会場の作品を岡本に依頼したようです。
2018/10/01のBlog
[ 14:12 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 平成30年10月1日(月)14時~15時30分
 キリシタン大名・高山右近が現代へメッセージをするなら・・・
というセミナーがありました。 右近の略歴は・・・
 1552年:高山飛騨守の長男として誕生する。
 1573年:高槻城主になる。
 1582年:本能寺の変で羽柴秀吉に味方する。
 1587年:秀吉の禁教令(右近は拒否、領地は没収される)
 1614年:家康の禁教令(右近は国外追放、翌年マニラで病死)
 昨年(2017年)大阪城ホールにおいて右近の列福式が行われました。(福者に認定)
 日本のカトリック教会はさらに彼を聖人に認定されるよう運動を続けている由で、因みに聖人とはキリストの福音に生き、徳や教養等を身に着けた最高の人であるとのことです。
 彼が残した生涯から、我々はメッセージをくみ取って現代に置き換えてみることも大切なことではないでしょうかとのこと。
 特に禁教令を拒否し、大名からひとりの人間として生き、ついに国外追放となってフィリピンで病死するわけで、殺されたわけではないので殉教と言えるか否かは別として、信念を持って(福音を原点として)生きたことは間違いないことでしょう。
 秀吉が「大名として残りたければ信仰を捨てよ」と命じたことに対して、右近は「全世界を与えられても、真の救いにはかなわない」と答え、身分を捨てたとのことでした。(ゆるぎない信仰に根差した生涯)
2018/09/29のBlog
[ 16:30 ] [ 生活・社会 ]
日 時 平成30年9月29日(土)14時~16時
 文化の向上と社会・生涯学習の振興を目的とした講演会でした。
 講師はかつてアメリカンフットボールのコーチ・監督を勤めた経験
からアメフトをベースにしたお話しでした。
 コーチや監督は選手を指導することで、自身の現役時代に果たせ
なかった願望達成をつい夢見てしまい、選手がミスすると頭にきて
叱りますが、この時叱るばかりではなく「どうするか」を言ってやり、
①当人のレベルから、②ステップ・バイ・ステップ(少しずつ)を心がけ
ることが大切であるとのことでした。
後半は生涯学習をメインとしたパネルディスカッションでした。
 生涯学習とは、出会い(きっかけ)、集い(足を運ぶ)、学ぶ
(聞き方、話し方)でしょうが、ともすれば生涯教育(教える、
育てる)的になっているのではないかとのこと。
 また、日本では生涯学習(シニア中心)と学校学習(若者の
特権)が完全に切り離されているところも問題がある由。
 退職をしたから何かではなく、〇〇を学びたいという具体性
も必要で、年齢や性別に垣根がなくなれば・・・とのことでした。
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