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2018/06/25のBlog
[ 13:25 ] [ 環境・健康 ]
日 時 平成30年6月25日(月)13時30分~15時
 シニアにとって最後の大仕事が終活です。
 このたび、それらについての賢い選択を行政書士にご教示賜り
ました。
 現状、終活についてあらかじめ準備をしている人はまだまだ
少ない状況です。
 しかし、終活は取り返しがきかないイベントで、思わぬ出費が
かかることもあります。
 終活を大きく分けると、①葬儀・埋葬、②死後の事務手続き、③相続手続きがあります。
 ①は、通夜~告別式~初七日~四十九日~納骨等。(仏教の場合)
 ②は、各種届や申請等。(死亡届や遺族年金手続き)
 ③は、相続人の確定や相続財産分与等。(戸籍謄本の取得や相続財産の確定)
 
上記の作業は、順調に推移すれば約10カ月位で終りますが、これが一旦長引きますと、期間も費用も結構かかることになります。
 なお、相続税の改定が平成27年に行われ、基礎控除が大幅に改正(5000万円+1000万円×法定相続人⇒3000万円+600万円×法定相続人)となり、納付者も国民の4%から8%超に倍増しています。
 以上のことや、親族間での紛争を避けるためにも、遺言書(出来れば公正証書遺言)やエンディングノートの作成が重要になってくるとのことでした。
2018/06/23のBlog
[ 12:39 ] [ 生活・社会 ]
日 時 平成30年6月23日(土)10時~12時
 主としてミャンマーのロヒンギャについての解説です。
 まず「難民」の意味ですが、難民条約第1条に定義として
「人権、宗教、国籍、特定の社会集団の構成員であること、
または政治的意見を理由に迫害を受けるおそれのある十分
な根拠があるために、国籍国の外にいてその国籍国の保護
を受けることの出来ない者、または恐怖を有するためにその
国籍国の保護を受けることを望まない者」とあります。
 別に「国内避難民」が存在しますが、これは前述の他に「国境を越えず本国に留まっている人、または必ずしも本国政府が迫害をするわけではないが、その能力欠如のために困窮している人」と説明されます。
 ミャンマーのロヒンギャ(西端のラカイン州)の人々は、正に難民・国内避難民であるわけです。
 ミャンマー国内におけるロヒンギャの迫害についてですが、まず制度上はロヒンギャはベンガル人と見なされており、外国から勝手に移住してきた人々と位置付けられ、国籍法上は無国籍者であって市民権が与えられていないということです。
 また構図上はラカイン州では仏教徒との不和があり、全土としては軍部との関係があります。
 ミャンマーでは民主化を旗印に、アウンサン・スーチー氏が選挙で勝利しましたが、依然として軍部が力を保持しており、権力の二重構造がこの問題の解決を遅らせているとも言えます。
 余談ですが、日本にもロヒンギャのコミュニティーが群馬県にあり、約230人が生活している由でした。
2018/06/21のBlog
[ 10:44 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 平成30年6月21日(木)10時~11時30分
 3回シリーズの最終回は藤本義一が取上げられました。
 彼は1933年に大阪府堺市に生まれ、大阪府立大学を卒業
しています。
 在学中からラジオドラマや舞台劇など多数の脚本を手掛け
ました。
 卒業後は、宝塚映画撮影所や大映においてシナリオを執筆、
また1965年からは25年間にわたり、テレビ「11PM」の司会
を務めています。
 その間1974年に「鬼の詩」で第71回直木賞を受賞された他、1986年には第1回関西大賞を、また1987年には第7回日本文芸大賞を受賞いたしました。
 彼は一口で言いますと生涯書き続けた人で、あらゆるジャンル(小説・エッセイ・脚本・台本等々)を書き、原稿用紙に向かわなかった日はほんのわずかであったとのことで、執筆量は膨大であった由。
 彼の口癖、「僕はアーティストではなく、アルチザン(職人)」が人間性をよく表しています。
 彼は直木賞作家になりましたが、決して順調に受賞したものではなく、結構回り道をしています。
 当時マルチ活動をしている人は深みがないとの評価もあったようで、1969年に「ちりめんじゃこ」で第61回直木賞候補に、「マンハッタン・ブルース」で第62回直木賞候補に、また1971年に「生きいそぎの記」で第65回直木賞候補にノミネートされましたが、結局第71回まで待つことになりました。
2018/06/20のBlog
[ 12:27 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 平成30年6月20日(水)11時~12時30分
 江戸時代末期に起こった薩摩藩のお家騒動です。
 薩摩藩・島津家は、平安末期に源頼朝が平家を屋島・壇ノ浦の
戦いで滅亡させ、上京していた時に側室・丹後局(企比家の娘)に
大阪の住吉大社境内で産ませた忠久が初代だと言われています。
(他に諸説があります。)
 頼朝は正室・政子(北条家の娘)に気を使ったのか、忠久を遠い
九州・南部の守護大名にいたしました。
 その後、安土桃山時代には秀吉の九州討伐時にも、また関ケ原の合戦で石田三成側について敗戦した時にも、これをうまく乗り切り江戸時代末期まで存続いたしました。
 主人公のお由羅は薩摩藩江戸屋敷に奉公していた女中(大工または八百屋の娘)でしたが、人一倍気がきくことが当時の藩主・斉興に認められて男子を生みました。(後の久光)
 ただ、この頃は正室が江戸に住むのが幕府の定めで、側室となったお由羅は国元・薩摩で暮すことになりました。
 そこでお由羅は自分の生んだ久光が将来藩主になるかも知れないと思い、派閥づくりをはじめ、反お由羅派の人々を斉興に直訴して粛清していきました。
 この頃薩摩藩は借金を返済するため密輸をしていましたが、長男・斉彬が内部告発し、結局お由羅・久光にはお咎めがなかったものの斉興が退陣して斉彬が藩主となり決着しました。(幕府との出来レース?)
2018/06/17のBlog
[ 12:12 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 平成30年6月17日(日)10時30分~12時
 ラフマニノフの「交響曲第3番」をCDで聴く会がありました。
 ラフマニノフと言えば何と言ってもピアノ協奏曲が有名で、
彼の交響曲を聴くという機会はめったにありません。
 彼は1878年のロシア生まれです。
 父は音楽の素養はある人でしたが、領地を維持していく経営
の資質に欠け、彼が生まれた頃はかなり没落していました。
 彼は4才でピアノのレッスンを受けていましたが、9才の時に
一家が破産、両親は離婚してしまいます。
 しかし18才でモスクワ音楽院ピアノ科を首席で卒業し、同年にピアノ協奏曲第1番を作曲しています。
 交響曲は1908年に「第2番」を初演してから晩年に至るまで手をつけませんでした。
 彼は翌年秋に米国に渡り、そこを中心にピアニストとして演奏活動を行い、死の年まで約25年にわたって精力的に繰りひろげました。
 そのかたわら50才を越えてから作曲への意欲を取り戻して、「交響曲第3番」を生み出しました。
 この「第3番」は3楽章から成り、ロマン派的情感のある曲です。
 内容は、きわめてロシア的な重く暗い憂鬱や、切々と迫る澄んだ情と突然にほとばしる激情などが作品の中に深くこめられています。
 したがって構成は一貫してロシア的でしたが、メロディは意表をつく流が散見されました。
2018/06/16のBlog
[ 13:21 ] [ 環境・健康 ]
日 時 平成30年6月16日(土)14時~15時30分
 尿路結石のお話しです。
 尿路結石とは、尿の中に溶け込んだ結石の成分が結晶化し、
それが尿路(腎臓から尿道までのおしっこの通り道)にできた
石状のかたまりのことです。
 ただ小さい結石であれば尿と一緒に自然に体の外に排出さ
れるのだそうです。
 尿路結石は男性で7人に1人女性だと15人に1人がなる由。
 結石患者の特徴としましては、①肥満傾向、②運動不足、③タンパク質・脂肪の摂取過多、④カルシウムの摂取量が少ない、⑤野菜の摂取量が少ない、⑥清涼飲料水が多い、⑦夕食中心の食生活、⑧夕食から就寝までの時間が短い・・・等々です。
 これの治療ですが、①内科的治療と②外科的治療があり、前者では鎮痛・排石促進・溶解を薬剤で行うことで、後者では尿管ステント留置術、体外衝撃波砕石術、経尿道的尿管砕石術、経皮的腎砕石術があるとのことです。
 この結石症は40%以上の人が再発するのだそうで、したがってこれの予防が大切になってきます。
 この予防を食事面から見ていきますと、まずバランスのよい食事、すなわち毎食 主食・主菜・副菜がそろうようなメニューにすることです。
 その他水分をしっかり摂ること、生活習慣病や肥満を予防・解消も大事であるとのことでした。
2018/06/15のBlog
[ 16:23 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 平成30年6月15日(金)13時~14時30分
 イスラムの大国・イランについてのお話しです。
 講師はイランに8年間住んだ経験の持ち主で、当時は宗教警察
もあって、戸外ではなかなか自由な言動が出来ないムードの国
だったそうです。
 したがって宗教・政治家だけが肥え太り、国民はあまり自由の
ない生活を強いられていたのだとか。
 ただイラン人は総じて親切だったそうです。
 このたびはイスラムの生活から、①アーショラー、②ラマダン、③選挙について解説いただきました。
 ①は、シーア派のお祭りで、聖人(ホセイン:ムハンマドの孫)を悼むものだそうですが、今は男女の出会いの場でもあるようです。
 このお祭りはナズリー(願懸け)をする機会で、神様にお願いごとをしてもしかなえば、神様に約束したことを実行するというものです。
 ②は、断食のことで、日のある内は1カ月間食べても飲んでもいけないというものです。
 断食月は、イスラムでは地獄の扉が閉まり、天国の扉が開く時である由にて、この時にコーランを読んだり、弱者に施しをしたり良い事をすると、何倍も幸せになるのだそうです。
 ③は、大統領選挙は国民の直接選挙で、立候補者も1000人以上いるのですが、評議会がふるいにかけて10人未満にする由です。(その基準は不透明?)
2018/06/14のBlog
[ 13:12 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 平成30年6月14日(木)13時15分~14時30分
 論語・巻第三から公治長第五を教材に、主として”仁”について
学びました。
 すなわち、様々な国の人や弟子を例に、”仁”がなんたるかを
教えていただきました。
 ひとつの例として、弟子が孔子に「・・・子文、三たび仕えて令尹
と為れども、喜ぶ色なし。三たびこれを已めらるとも慍れる色なし
旧令尹の政、必ず以て新令尹に告ぐ。」子曰く「忠なり」曰く「仁
なりや」子曰く「未だ知らず、いずくんぞ仁なることを得ん。」
(子文という人は、三度仕えて大臣になったが嬉しそうな顔もせず、三度辞めさせられたが怨みがましい顔もせずに政治を新しい大臣に引継ぎしました。先生は、誠実だねとおっしゃった。それではこれは”仁”でしょうかと尋ねると、先生は、仁であるためには智者でなければならないが、彼は智者ではない。どうして仁と言えようか。)
 ・・・があり、孔子にとっては思いやりがあり、何事にも通じている最高の人が仁であるため、弟子の質問には否定的でした。
 また弟子が「子の志しを聞かん。」と言うと、先生は「老者にはこれを安んじ、朋友には信頼され、若者には慕われることだ」と答えました。 ・・・でした。
2018/06/13のBlog
[ 12:17 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 平成30年6月13日(水)11時30分~13時
 今夏に芸術文化センターで上演されるオペラ、ウェーバー
の「魔弾の射手」のレクチャーがありました。
 イタリアオペラ全盛期に、ドイツ語のオペラを広げようという
熱い思いを抱いていたウェーバー(1786~1826)が長い年月
をかけて完成させたこの作品は1821年に初演されるや大
反響となりました。
 ウェーバーは音楽家の両親の元に生まれ、幼少期から父
の歌劇団の巡業公演について回っていたため、劇場は身近な存在で、音楽の才能も早くから開花し、14才で自作のオペラを初演したとのことです。
 このオペラのストーリーは、射撃大会を控えた狩人・マックスはスランプで、恋人・アガーテと結婚するためには大会での優勝が条件のため、悪魔と契約して魔弾を手にいれます。(結末は本番で)
 なおこのオペラのベースにはドイツホラー文学「幽霊譚」があり、また影響を受けたものとしてゲーテの「ファウスト」がある由です。(悪魔との契約等)
 そしてイメージとしては、歌曲「魔王」(シューベルト作曲)があるとのことで、これを生演奏(バリトン)でご披露していただきました。
 この曲は会話形式で、語り手(中音域)、父(低音域)、子(高音域)と魔王の4役を1人で歌い、続いてアリア「喋るな!誰もお前に忠告しないようにな」を聞かせていただきました。
2018/06/12のBlog
[ 15:51 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 平成30年6月12日(火)14時~15時30分
 平安京に都が移され、政治の世界では桓武天皇~平城天皇~
嵯峨天皇へと新しい国家が確立し始めます。
 また、最澄や空海らが新しい仏教を唐から学び、仏の世界観も
新たな展開を見せ始めました。
 その新しい風が吹く平安時代前期にはどのような仏像が造られ
信仰されたのでしょうか。
 この時代の仏像についてお話しを伺いました。
 この時代(弘仁・貞観)に多く造られたのは、「如来」と「菩薩」だそうで、前者は真如(真実)の国(世界)からやって来た尊い御方のことで、お釈迦さまが出家をして悟りを開いたところをイメージしている由です。
 また後者は悟りの境地を求めての御方で、お釈迦さまが出家する前をイメージしているとのこと。
 なおこの時代は天変地異がかなり勃発したようで、主なものは、隕石の落下(861)、富士山噴火(864)、地震と津波の発生(869)、鳥海山噴火(871)、開聞岳噴火(874)等々があり、早良親王の祟りとも言われて、より信仰が重要視されたのではないのでしょうか。
 当時の仏像をいくつか紹介していただきましたが、重文では薬師如来立像(孝恩寺):医療のプロ、千手観音立像(大報恩寺):変幻自在、十一面観音坐像(擽野寺):エキゾチック・・・等々。
 また国宝では薬師如来坐像(新薬師寺):眼の病に霊験あらたか、釈迦如来立像(神護寺):医師・薬剤師の免許を持つ、阿弥陀如来坐像(清凉寺):平安王朝の美男子(源融か)がモデル・・・等々でした。
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