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2017/02/22のBlog
[ 13:08 ] [ 環境・健康 ]
日 時 平成29年2月22日(水)10時~11時30分
 生物のうち、海岸の植物にしぼったお話しでした。
 まず海岸そのもののことですが、海岸線延長ランキングを見
てみますと、日本は「カナダ・インドネシア・グリーンランド・ロシ
ア・フィリピン」についで第6位に位置しています。
 その海岸にも種類があって、①自然海岸(人工構造物が全く
ない)、②半自然海岸(一部に人工構造物がある)、③人工海
岸(人工構築物がある)に分けられます。
 また海岸域の特徴としましては、①塩分を含んでいる、②土壌が移動する(堆積や浸食)、③栄養が蓄積されにくい・・・等々です。
 さて本題の植物ですが、海岸植物の定義は、海岸域特有の立地を主な育生地とし、それ以外の立地にはほとんど出現しない在来のもの・・・です。
 具体的には、①厚く丈夫な葉(ハマヒルガオ等)、②厚く多毛な葉(ハマベノギク等)、③クチクラ層(ロウ物質で出来た層)の発達した葉(ハマブウフウ等)、④多肉質の葉(ウンラン等)、⑤長く太い地下茎(コウボウムギ等)、⑥長く太い匍匐茎(ネコノシタ等)、⑦長く太い直根(ハマボウフウ等)・・・等々と多種多様です。
 なお、近年は海岸もその環境が悪化してきていますが、その主な原因は、①レジャーに伴う人為撹乱、②造成等による土壌の固定化、③外来植物の侵入や拡大、④打ち上げゴミによる汚染・・・等々です。
 したがいまして、海岸植物の絶滅種も年々増加してきているとのことでした。
2017/02/21のBlog
[ 16:18 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 平成29年2月21日(火)11時~12時
 シェイクスピアの数々の作品は、本人がいちからストーリー
を創造したのではなく、主として古代ローマの文献から材源
(元ネタ)を持ってきているのがほとんどであるとのこと。
 今回は作品中の二つの名言について解説がありました。
・名言その1「お前もか、ブルータス」
 これは『ジュリアス・シーザー』の中で、シーザーが元老院で
暗殺された時に発しられた有名な言葉で、古代ローマ作家・
スエトニウスの『皇帝伝』にある「お前もか、息子よ」からの引用ではないかと説明されました。
・名言その2「金は借りても貸してもならぬ、貸せば金も友も失い、借りれば倹約の刃が鈍る」
 これは『ハムレット』におけるポローニアス(大臣)の名言で、彼がフランスへ旅立つ息子への訓戒として述べられた言葉です。
 これも古代ローマ作家・プラウトウスの『三文銭』の中に見られる奴隷のスタシハムの「人に何か貸してやったら、失くしたことになる。貸した金を失うか、友達を失うか、二つに一つを選ぶ羽目になる。」を第1の材源としています。
 第2の材源は、やはり『三文銭』の中の父親が息子に対して訓戒する時の言葉で、「乞食に食べ物や飲み物をやるのはためにならん。与えたものも失い、哀れな人生をも引き延ばすことになるからだ。」です。
 (写真は、英国のストラトフォード・アポン・エイヴォンにあるシェイクスピアの博物館です。)
2017/02/20のBlog
[ 16:34 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 平成29年2月20日(月)13時30分~15時
 日本武尊(ヤマトタケル)は記紀によれば第12代景行天皇
の次男(双子の弟)ということですが、実は実在した人物では
なく、今では架空の英雄ではとされているようです。
 これは各地の征服伝承を一人の人物の功績としてまとめ、
その物語もかなり脚色されたものである可能性が大です。
 まず西征(熊襲征討)の話しですが、日本書紀では自分
で行くと名乗り出たとされ、古事記では乱暴ぶりを恐れた
天皇が西征を命じたことになっています。
 相手は川上タケルで、酒を飲ませて刺し殺すのですが、川上タケルが死ぬ前に名前を聞くと「ヤマトヲグナ」と名乗ったので、今後は「ヤマトタケルと称すべし」と言ったので今に至るまでその名を称している由。
 ヤマトタケルはその後、出雲を平定して都に帰るも、今度は東の蝦夷征討を命じられ東征します。
 おそらく、熊襲征討・出雲征討・蝦夷征討・・・は各々単独だったものを一人に集約したものと思われます。
 これは戦い方を見ても、西征は武力制圧であり、東征は平和的解決であることからも想像できます。
 ヤマトタケルは東征では「蝦夷の悪者は全て罪に伏した。」とされ、尾張まで帰りつきますが、さらに荒ぶる神のことを聞き、伊吹山に登るも病気となってついに亡くなります。(その後タケルは白鳥になる由)
 結局「ヤマトタケル」とは特定の人ではなく、「ヤマトの勇者」という意味だと思われるとのことでした。
 (写真は、伊吹山頂上に立つヤマトタケルの像;ネットから)
2017/02/19のBlog
[ 20:04 ] [ 生活・社会 ]
日 時 平成29年2月18日(土)13時05分~14時35分
「ネーミングのコトバ学:人気ブログのタイトルに見られる工
夫」なる講座があることを知り、早速足を運びました。
 当ブログのタイトルも毎回工夫はしているつもりでしたが
しばらくして見てみるとごく平凡に見えて反省の連続です。
 セミナーの内容は、まずブログ(ウエブ:web+ログ:log
の略)を「個人がインターネット上で公開する日記」であると
位置付け日記は独りよがりになるが、ブログは公開なので
客観的に見つめて書くことが出来るとのこと。
 そう言えば子供の頃の夏休みの宿題に絵日記がありましたが、これは誰か(主に先生)に読まれることが前提だったことを思い出しました。
 ブログも人に読まれることが前提ですから、その表現も丁寧体(デス、マス)で書きます。
 いかに「読んでもらえる」ブログにするかは、まずは目にとまる「キャッチー」なタイトル付けでしょう。
 これは小説等(自分の作品を読ませる)のタイトルにも共通するもののようです。
 たとえば、①テーマがタイトル(例:尾崎士郎の人生劇場)、②主人公がタイトル(例:夏目漱石の三四郎)、③地域がタイトル(例:川端康成の雪国)等があります。
 人気ブログの上位タイトルも同じで、ペット編では「こはる日和」、グルメ編では「母ちゃんの晩御飯とどたばた日記」がランクされていました。
2017/02/17のBlog
[ 17:32 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 平成29年2月17日(金)13時~14時30分
 本題に入る前に今年は酉年ということで、これになぞらえて
「酉年の か・き・く・け・こ」をご教示賜りました。すなわち・・・
 <か> 感 謝、感 動
 <き> きょういく(今日行く)ときょうよう(今日用がある)
 <く> 苦労は肥料
 <け> 謙 虚
 <こ> コツコツと ・・・・・だそうです。
 さて日本国内は1615年の「大阪夏の陣」を最後に内戦がなくなり、元禄時代に入りますと、観光旅行として「伊勢参り」が盛んになって、通行手形(パスポート)と各所名所図会(観光ガイドブック)を持って庶民が出かけるようになります。
 ただ当時はまだまだ道路整備も不十分で、追分(道の分かれ目)すなわち道標(道しるべ)が旅人のよりどころで、その片鱗が各所に残っています。(写真)
 他に心配なことは途中で病気になったり不幸にして死亡したりした場合はどうなるのかということです。
 原則は通行手形を持っていて身元が明解な場合は、「死亡」ではその土地の風習により葬られ、「病気」では国元へカゴ等によって送り返された由です。(運送代は着払い)
 さて、表題の「もう一つの伊勢参り」とは福知山にある「元伊勢参り(現伊勢神宮の故郷)」や彦根にある「多賀大社(伊勢は多賀の子)」等で、今も庶民の信仰が続いているとのことでした。
2017/02/15のBlog
[ 14:28 ] [ 環境・健康 ]
日 時 平成29年2月15日(水)10時~11時30分
 講師は若い頃からアメリカに渡り、ニューヨークのセントラ
ルパークをはじめ、各地で研鑚を積まれて、表題のような
研究をなさっておられる由です。
 特にビオトープ(生物群集が存在出来る環境条件を備え
る地域)に大きな関心をお持ちでした。
 たとえばアメリカの公園には、交流を目的とした菜園の
併設やグリーンドッグ(犬をはなしておいてもよい空間)を
見聞されたそうですが、そのような中で日本式庭園もまた息づいていますとのことでした。(写真上:カナダ)
講師はまたヨーロッパにも度々足を運ばれ、特にビオトープの
研鑚はドイツで積まれたとのことでした。
 そのドイツでは小学校の庭はあまり手入れもされず、草ぼう
ぼうのように見えましたが、実は自然の中で子供達を学ばせ
ようとする環境づくりだったこと等を興味深く話されました。
 その他ベルサイユ宮殿のフランス庭園やシェーンブル宮殿
の刺繍庭園、そして最後に庭園の原点とも言われるスペイン
のアルハンブラ宮殿の庭園(写真下)をご教示いただきました
2017/02/14のBlog
[ 19:15 ] [ 生活・社会 ]
日 時 平成29年2月14日(火)13時30分~15時
 「昔6年、今25年」・・・とは、何のことかお解りでしょうか。
 これは子供が独立してから、夫婦2人で暮す現状の平均期間
のことだそうです。
 せっかくここまで来たのだから、この先も心地よく暮らしていき
たいと誰しもが思うことです。
 そこで熟年夫婦の円満の秘訣についてご教示いただきました
 まず最初に夫婦間の背景を見ていくために、過去のデータを
いくつかご紹介していただきました。
 たとえば「生まれ変わっても今の夫・妻と結婚したいか。」の設問についてですが、2006年・40才~50才台の回答(したい)は、男性:41%、女性26%とかなりの差があり、これが10年後の2016年の調査でも変わっていないとのこと。
 また、「相手は良き夫・妻だと思いますか」の問いについても、「そう思う」と答えた人は男性:57%、女性:26%とこれまた差がありました。
 妻は夫に対し「自分が思っているように夫がしてくれない、感謝の気持ちを表現してほしい」等を、また夫は妻に「自分の気持ちを解ってくれない、余計な口出しをする」等を感じているようです。
 このような現実から、「相手の心を察することが円満の秘訣である」と言えそうです。
 そうすると夫婦間の会話が多いほど良いようで、共通の趣味を持つこと等が有効かと思われます。
2017/02/08のBlog
[ 13:45 ] [ 環境・健康 ]
日 時 平成29年2月8日(水)10時~11時30分
 動物の骨格はどのようになっているのでしょうか、知ってい
るようであまり知らない問題についてのセミナーでした。
 なにしろ教科書や百科事典等で学習したことはあっても、
直接実物を目にしたことがない、又はきわめて少ないため、
細部についてまでよく知らないのが現状です。
 今回の教材は、実際のイノシシ(淡路産)とニホンシカ(丹波
産)の骨を使用し、バラバラなもの(写真上)を頭から尾尻まで
つないでいく(写真下)という手法で学びました。
実際にやってみて、骨格はどの動物でも似たりよったりで、
あまり変わらないと実感しましたが、細部におきましてはよく
使う部位とそうでない部位ではその進化が異なるし、オスと
メスでも異なり、その説明を聴きますと納得の連続でした。
 たとえば、今回の教材を見てみますと、イノシシとニホン
シカでは首にしろ足にしろ骨格は変わらないものの、その
長さは異なり、エサの食べ方や生活の仕方等によってその
進化の違いがよくわかりました。
2017/02/03のBlog
[ 14:54 ] [ 政治・経済 ]
平成29年2月3日(金)10時~11時30分
 先日 トランプ氏が米大統領に就任し、諸々の大統領令に
署名をした直後のセミナーでした。
 現状彼は世界の指導者というよりも、米国第一主義を掲げた
秩序や正義よりも損得を重視する経営者に見えます。
 まず第一は雇用を増やし、守るという主張です。
 しかし現経済状況下においては、失業率4.7%と堅調であり、
これを可能な限り「0」に近づけようと考えているのでしょうか。
 かつてリーマンショック時の失業率は10%程度でしたが、これとても内訳は失業者(働きたいが働けない人):5%、未充足求人者(条件が合わなかったり能力がない人):5%のようでした。
 したがって現在の失業率の中には雇用側の条件に合わない等の人も居り、再教育等が必要であって、単に雇用側だけの問題ではないことの認識がなされているのかはなはだ疑問です。
 貿易赤字についても日本が槍玉にあがっていますが、日本の現状は①対中東は赤字(原油の輸入)、②対アジアは黒字(対中国は赤字)、③対EUは赤字、④対米国は黒字で総計では若干の黒字です。
 日本に対しては特に「自動車」について問題視されていますが、米自動車産業の現状(2015年)は、国内販売:1783万台に対して国内生産:1210万台で、国内生産以上に米国人は車に乗っているので輸入せざるを得ないのです。
 したがって、日本は米国の生産不足を補っていると考えてほしいものです。
2017/02/02のBlog
[ 16:21 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 平成29年2月2日(木)13時30分~15時
 神社のご利益は一般的には商売繁盛や五穀豊穣ですが、
この神社に何故か武家が参詣することがありました。
 今回は西宮神社を例にあげられたお話しです。
 武家の参詣は、①地元藩主(今回の場合は尼崎藩主)
②幕府の役人、③参勤交代の諸大名等が該当いたします。
 まず①の場合の目的は主として領内視察(兵庫巡見)時の
休憩を兼ねた参詣です。
 その他、藩主の息女らの芝居見物のついでということもあったようです。
 ②の場合は主として巡見ということで、幕府の巡見使や大阪町奉行が参詣されたようですが、稀に大阪城代・京都町奉行・勘定奉行・幕府御典医等の名も見えます。
 ちなみに、大阪町奉行の管轄範囲は当時の摂津・播磨・河内等です。(西宮神社は摂津に属する)
 そして③の場合は、九州(肥後熊本藩主、豊前小倉藩主等)、中国(長門萩藩主、安芸広島藩主等)、四国(伊予松山藩主)、近隣(播磨姫路藩主、播磨明石藩主等)の西国諸大名が参勤交代時に立ち寄ったものです。
 ただし大名は本人ではなく、家臣に代参させるのが一般的だったとか。
 また、これらの参詣時の神社側の対応は、周辺をきれいに掃除するのはもちろんのこと、その装束等は参詣者の身分や神社内の身分によって異なったとのことでした。
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