ニックネーム:  パスワード:
| MyBlogトップ | Blogポータル | ブログガイド | よくある質問 | サポート |
まなびの会
記事一覧イベント一覧
[ 総Blog数:1130件 ] [ このMyBlogをブックマークする ] [ RSS0.91  RSS1.0  RSS2.0 ][ ATOM ]
2017/02/17のBlog
[ 17:32 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 平成29年2月17日(金)13時~14時30分
 本題に入る前に今年は酉年ということで、これになぞらえて
「酉年の か・き・く・け・こ」をご教示賜りました。すなわち・・・
 <か> 感 謝、感 動
 <き> きょういく(今日行く)ときょうよう(今日用がある)
 <く> 苦労は肥料
 <け> 謙 虚
 <こ> コツコツと ・・・・・だそうです。
 さて日本国内は1615年の「大阪夏の陣」を最後に内戦がなくなり、元禄時代に入りますと、観光旅行として「伊勢参り」が盛んになって、通行手形(パスポート)と各所名所図会(観光ガイドブック)を持って庶民が出かけるようになります。
 ただ当時はまだまだ道路整備も不十分で、追分(道の分かれ目)すなわち道標(道しるべ)が旅人のよりどころで、その片鱗が各所に残っています。(写真)
 他に心配なことは途中で病気になったり不幸にして死亡したりした場合はどうなるのかということです。
 原則は通行手形を持っていて身元が明解な場合は、「死亡」ではその土地の風習により葬られ、「病気」では国元へカゴ等によって送り返された由です。(運送代は着払い)
 さて、表題の「もう一つの伊勢参り」とは福知山にある「元伊勢参り(現伊勢神宮の故郷)」や彦根にある「多賀大社(伊勢は多賀の子)」等で、今も庶民の信仰が続いているとのことでした。
2017/02/15のBlog
[ 14:28 ] [ 環境・健康 ]
日 時 平成29年2月15日(水)10時~11時30分
 講師は若い頃からアメリカに渡り、ニューヨークのセントラ
ルパークをはじめ、各地で研鑚を積まれて、表題のような
研究をなさっておられる由です。
 特にビオトープ(生物群集が存在出来る環境条件を備え
る地域)に大きな関心をお持ちでした。
 たとえばアメリカの公園には、交流を目的とした菜園の
併設やグリーンドッグ(犬をはなしておいてもよい空間)を
見聞されたそうですが、そのような中で日本式庭園もまた息づいていますとのことでした。(写真上:カナダ)
講師はまたヨーロッパにも度々足を運ばれ、特にビオトープの
研鑚はドイツで積まれたとのことでした。
 そのドイツでは小学校の庭はあまり手入れもされず、草ぼう
ぼうのように見えましたが、実は自然の中で子供達を学ばせ
ようとする環境づくりだったこと等を興味深く話されました。
 その他ベルサイユ宮殿のフランス庭園やシェーンブル宮殿
の刺繍庭園、そして最後に庭園の原点とも言われるスペイン
のアルハンブラ宮殿の庭園(写真下)をご教示いただきました
2017/02/14のBlog
[ 19:15 ] [ 生活・社会 ]
日 時 平成29年2月14日(火)13時30分~15時
 「昔6年、今25年」・・・とは、何のことかお解りでしょうか。
 これは子供が独立してから、夫婦2人で暮す現状の平均期間
のことだそうです。
 せっかくここまで来たのだから、この先も心地よく暮らしていき
たいと誰しもが思うことです。
 そこで熟年夫婦の円満の秘訣についてご教示いただきました
 まず最初に夫婦間の背景を見ていくために、過去のデータを
いくつかご紹介していただきました。
 たとえば「生まれ変わっても今の夫・妻と結婚したいか。」の設問についてですが、2006年・40才~50才台の回答(したい)は、男性:41%、女性26%とかなりの差があり、これが10年後の2016年の調査でも変わっていないとのこと。
 また、「相手は良き夫・妻だと思いますか」の問いについても、「そう思う」と答えた人は男性:57%、女性:26%とこれまた差がありました。
 妻は夫に対し「自分が思っているように夫がしてくれない、感謝の気持ちを表現してほしい」等を、また夫は妻に「自分の気持ちを解ってくれない、余計な口出しをする」等を感じているようです。
 このような現実から、「相手の心を察することが円満の秘訣である」と言えそうです。
 そうすると夫婦間の会話が多いほど良いようで、共通の趣味を持つこと等が有効かと思われます。
2017/02/08のBlog
[ 13:45 ] [ 環境・健康 ]
日 時 平成29年2月8日(水)10時~11時30分
 動物の骨格はどのようになっているのでしょうか、知ってい
るようであまり知らない問題についてのセミナーでした。
 なにしろ教科書や百科事典等で学習したことはあっても、
直接実物を目にしたことがない、又はきわめて少ないため、
細部についてまでよく知らないのが現状です。
 今回の教材は、実際のイノシシ(淡路産)とニホンシカ(丹波
産)の骨を使用し、バラバラなもの(写真上)を頭から尾尻まで
つないでいく(写真下)という手法で学びました。
実際にやってみて、骨格はどの動物でも似たりよったりで、
あまり変わらないと実感しましたが、細部におきましてはよく
使う部位とそうでない部位ではその進化が異なるし、オスと
メスでも異なり、その説明を聴きますと納得の連続でした。
 たとえば、今回の教材を見てみますと、イノシシとニホン
シカでは首にしろ足にしろ骨格は変わらないものの、その
長さは異なり、エサの食べ方や生活の仕方等によってその
進化の違いがよくわかりました。
2017/02/03のBlog
[ 14:54 ] [ 政治・経済 ]
平成29年2月3日(金)10時~11時30分
 先日 トランプ氏が米大統領に就任し、諸々の大統領令に
署名をした直後のセミナーでした。
 現状彼は世界の指導者というよりも、米国第一主義を掲げた
秩序や正義よりも損得を重視する経営者に見えます。
 まず第一は雇用を増やし、守るという主張です。
 しかし現経済状況下においては、失業率4.7%と堅調であり、
これを可能な限り「0」に近づけようと考えているのでしょうか。
 かつてリーマンショック時の失業率は10%程度でしたが、これとても内訳は失業者(働きたいが働けない人):5%、未充足求人者(条件が合わなかったり能力がない人):5%のようでした。
 したがって現在の失業率の中には雇用側の条件に合わない等の人も居り、再教育等が必要であって、単に雇用側だけの問題ではないことの認識がなされているのかはなはだ疑問です。
 貿易赤字についても日本が槍玉にあがっていますが、日本の現状は①対中東は赤字(原油の輸入)、②対アジアは黒字(対中国は赤字)、③対EUは赤字、④対米国は黒字で総計では若干の黒字です。
 日本に対しては特に「自動車」について問題視されていますが、米自動車産業の現状(2015年)は、国内販売:1783万台に対して国内生産:1210万台で、国内生産以上に米国人は車に乗っているので輸入せざるを得ないのです。
 したがって、日本は米国の生産不足を補っていると考えてほしいものです。
2017/02/02のBlog
[ 16:21 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 平成29年2月2日(木)13時30分~15時
 神社のご利益は一般的には商売繁盛や五穀豊穣ですが、
この神社に何故か武家が参詣することがありました。
 今回は西宮神社を例にあげられたお話しです。
 武家の参詣は、①地元藩主(今回の場合は尼崎藩主)
②幕府の役人、③参勤交代の諸大名等が該当いたします。
 まず①の場合の目的は主として領内視察(兵庫巡見)時の
休憩を兼ねた参詣です。
 その他、藩主の息女らの芝居見物のついでということもあったようです。
 ②の場合は主として巡見ということで、幕府の巡見使や大阪町奉行が参詣されたようですが、稀に大阪城代・京都町奉行・勘定奉行・幕府御典医等の名も見えます。
 ちなみに、大阪町奉行の管轄範囲は当時の摂津・播磨・河内等です。(西宮神社は摂津に属する)
 そして③の場合は、九州(肥後熊本藩主、豊前小倉藩主等)、中国(長門萩藩主、安芸広島藩主等)、四国(伊予松山藩主)、近隣(播磨姫路藩主、播磨明石藩主等)の西国諸大名が参勤交代時に立ち寄ったものです。
 ただし大名は本人ではなく、家臣に代参させるのが一般的だったとか。
 また、これらの参詣時の神社側の対応は、周辺をきれいに掃除するのはもちろんのこと、その装束等は参詣者の身分や神社内の身分によって異なったとのことでした。
2017/02/01のBlog
[ 14:24 ] [ 環境・健康 ]
日 時 平成29年2月1日(水)10時~11時30分
 オウムガイやアンモナイトは軟体動物の頭足類の仲間です。
 頭足類の代表格はイカ・タコ等ですが、なぜ頭足類と呼ばれる
のかと言いますと、たとえば人間の場合は上から「頭→胴→足」
ですが、頭足類は上から「胴→頭→足」で、すなわち頭に足が
ついていることからこのように呼ばれています。
 オウムガイもアンモナイトも約4億年前に誕生したそうですが、
アンモナイトは6500万年前に絶滅し、オウムガイはなんとか
細々と生き残りました。
 なぜ、アンモナイトは絶滅し、オウムガイは生き残ったのでしょうか。
 これにはいろいろと諸説はあるようですが、いずれにしろ生物が生き残るためには環境に合わせて進化しなければならないということです。
 イカやタコは貝殻を捨てて捕食活動をスムーズに行えるようになり、広く分布しました。
 しかしアンモナイトは殻を捨てずに形状の変化で生き残ろうとしましたが失敗し、絶滅いたしました。
 なお、オウムガイとアンモナイトでは海中における生活範囲も異なっていたので、それも差がつく要因のひとつだったかもしれませんが・・・。
 いずれにしろ、かろうじて生き残ったオウムガイもこのままでは(進化しなければ・・・)やがて○○万年後には絶滅するのではと危惧されているところです。
2017/01/25のBlog
[ 16:33 ] [ 環境・健康 ]
日 時 平成29年1月25日(水)10時~11時30分
 昨今 野生動物(イノシシ・シカ・・・)がよく人里に現れ、農作
物を荒したり、ゴミ箱をあさったりする光景が散見されます。
 本来 森林に生息しているはずの彼らがどうしてこのような
行動に出てくるのでしょうか。
 一番大きな原因は彼らの数が増えたことによるそうです。
 人はその昔 エネルギーを得るのに森林の木を伐採したり
柴や落葉を拾ったりしてきました。
 したがって、近隣の野山は禿山同然となり、とても動物達が住める環境ではなく、かつ食用等のため乱獲したため、彼らは絶滅に瀕するようになりました。
 そこで国や県は保護政策をとりました。
 やがて技術革新が進み、人は他の手段でエネルギーを手にするようになり、もはや森林からのエネルギーが不要になって、動物達は安住の空間を得ることになったのですが、今度は彼らの数が年々増えて、今ではイノシシとシカによる被害だけで年4億円以上も出る始末です。
 最近では動物の数が異常に増えて毎年30万頭ほど捕獲している由ですが追いつかないのだとか。
 野生動物が人里に下りてくるのは、ただ単にエサがないからではなく、里には農作物があり、街にはゴミ(彼らにはごちそう)があるからでもあります。
 よって被害対策としては、①餌場を造らない。②痛い目にあわせて追い払う。③捕獲する。等々
2017/01/24のBlog
[ 10:17 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 平成29年1月23日(月)13時30分~15時
 松尾芭蕉はしばしば門人に対して「俳諧は老後の楽しみ」と
語っていたそうで、確かに老人福祉施設や市の公民館へ行く
と必ず俳句や川柳のクラブがあります。
 また昨今高齢者が俳句を始めたとの話しを耳にすることが
ありますが、芭蕉の言葉である「俳諧は老後の楽しみ」と何か
関係があるのでしょうか。
 講師は参考例として芭蕉の「遺状(その三)」を示されました
 芭蕉は大阪で亡くなるのですが、この遺状は死の直前に口述したものだそうで、江戸で特に経済面で世話になった弟子の杉風に宛てたもので、「杉風へ申候。久々厚志、~(中略)~ 弥 俳諧御勉候而、老後の御楽可被成候。」とあり、「大変世話になったのに、この世の別れの挨拶も出来ないが、ますます俳諧に励み、老後の楽しみにされたい。」と言っている由にて、この例の他にも生前よく「俳諧は老後の楽しみ」を口にしていたそうです。
 人は定年になると職から解放されて遊ぶことが出来る、遊びが出来るということは自由になれるということで、俳諧においても良い作品を作ってやろうとするとなかなか出来ないが、かえって自由になった時にこそひらめいてすばらしい句が出来るものであるとのこと。
 『耳底記』にも、「師しめして曰。翁は、「俳諧を子どもと遊ぶがごとくせよ。」とおしえたまえり。」とある由でした。
2017/01/22のBlog
[ 07:53 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 平成29年1月21日(土)13時30分~15時
 今年もNHKの大河ドラマが始まりましたが、今回はなじみ
のない人物ですので、ちょっとセミナーを覗いてきました。
 井伊家は井伊谷盆地の領主で今川の支配を受けています
 22代当主の直盛には男子が生まれず、一人娘に婿を取り
後継者とするため叔父・直満の子の亀之丞を選びます。
 しかし直満が謀反を企んでいると家老の小野政直が今川に
密告したため謀殺され、亀之丞は逃避し松源寺に匿われます
 残された一人娘おとわ(TVでの名)は亀之丞の消息を知らされず、出家(次郎法師)してしまいます。
 その後、当主の直盛が桶狭間の合戦で戦死したため、井伊家では亀之丞(井伊直親と改名)を呼び戻して当主とし、一族の奥山氏の娘と結婚させます。
 まもなく直親には男子・虎松(後の井伊直政)が授かりますが、直親は今川に謀殺され、その時虎松はまだ5才でしたので曽祖父の直平が再び当主となります。(直後に急死・毒殺説あり)
 そこで次郎法師が井伊直虎と名乗って女城主となり、虎松の後見にあたりました。
 しかし今川義元の後を継いだ氏真は、直虎には統治能力がないとして井伊谷を直轄にしてしまいます。
 その間、虎松は鳳来寺に匿われますが、やがて武田・徳川が今川を滅ぼすと直虎は母や虎松の母と計り、虎松を家康の家臣とし、虎松は徳川四天王と呼ばれるまでに出世いたします。
 そして関ヶ原合戦の後、18万石を与えられ彦根城主となりました。(直虎は本能寺の変の直後に逝去)