韓非子の影響を受けた始皇帝

日 時 平成29年4月17日(月)13時30分〜15時
 韓非子は戦国時代の思想家で、今までの「礼」による統治か
ら「法」による統治に修正すべしとする考えを持っていました。
 具体的には、①法治主義、②結果主義と能力主義、③信賞
必罰主義、④職分の厳守・・・等々です。
 しかし当時のこの革新的な思想は出身地の韓では受け入れ
られず、皮肉にも敵国の秦において高い評価を受けました。
 韓非子の言葉に「明主の道は一人官を兼ねず、一官事を兼
ねず。」がありますが、これは「正しい君主のあり方は、一人の人間が複数の官職を兼ねることがなく、また一つの部署がいくつもの仕事を兼ねない。」の意です。
 また「三人言うて虎を成す。」という言葉もありますが、これは「責任ある地位に就いている者が、うその情報に惑わされてはならない。」という意味です。
 このような考えを持つ韓非子を高く評価した秦の始皇帝は、それまでの封建制を廃し、郡県制を敷いて中央集権的な官僚体制・法治国家を形成していきます。
 始皇帝は、自分の政治を批判する書物を焼き捨て(樊書と言います。)、また学者数百人を生き埋め(坑儒と言います。)にしてしまいます。
 そのような行為もあって、始皇帝のイメージは「暴君」でしたが、近年『兵馬俑』が発掘され、そのイメージも『英雄』に変わりつつあるようです。