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まなびの会
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2017/09/13のBlog
[ 12:52 ] [ 環境・健康 ]
日 時 平成29年9月13日(水)10時~11時30分
 深海についての研究経過のお話しがありました。
 深海は次の区分に分けられる由です。
 ①中深層(200~1000m)、水温は約10℃
 ②漸深層(1000~3000m)、水温は約1~5℃
 ③深海層(3000~6000m)、水温は1.6~1.8℃
 ④超深海層(6000~10000m)、水温は約1.1℃
 中深層は最も生物が豊かな場所で、漸深層になると数は少なく
なり、深海層になると著しく少なく、超深海層では限られた種しか生息していないとのこと。
地球の7割が海で、その海の平均水深は3700mとのこと。
 人間が深海に行けるようになってから、せいぜい100年で
まだまだ謎の多いところだそうです。
 例として、私達が食するホタルイカは通常中深層に居る
のですが、海上に浮かんでいるプランクトンを食べるためや
メスが産卵のために浮上してくるのを捕獲しているのだとか。
 ホタルイカは富山県が有名ですが、富山の海は沖へ100m
行くとすぐ深海である由。(写真上:深海艇、下:ホタルイカ)
2017/09/12のBlog
[ 13:39 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 平成29年9月12日(火)13時30分~15時
 クラシック音楽の歴史をたどりました。
 今回はバッハやヘンデルが活躍したバロック時代からモーツアルト
やベートーヴェンが活躍した古典主義時代の解説とその代表作品を
CDで聴くという試みでした。
 なおバロック以前は、中世(6~15世紀)、ルネサンス(15~16世
紀)があり、前者の代表はグレゴリオ聖歌であり、後者の代表作曲家
はモンテヴェルディ等でした。
 バロックとはポルトガル語のbarocco(いびつな真珠)が由来で、この時代の過剰な装飾建築を批判する用語でしたが、転じて17~18世紀の音楽を「バロック音楽」と呼ぶようになった由です。
 この時代はオルガン・チェンバロ等の鍵盤楽器やヴァイオリン等の弦楽器の音楽が盛んに作られました。
 CDで聴かせていただいたバロック時代の音楽は、JSバッハのミサ曲から「キリエ」、チェンバロを中心とした演奏の「ブランデンブルグ協奏曲第5番」、ヴィヴァルディの「四季」等でした。
 次に18世紀中頃~19世紀初頭の古典派ですが、この時代に入りますと楽曲の均整と合理的な展開が重視され、ソナタ形式が発展し、交響曲や協奏曲等が多く作曲されました。
 CDで聴かせていただいた古典派の音楽は、天才・モーツアルトの「ピアノ協奏曲第23番」、交響曲の父・ハイドンの「交響曲第104番ロンドン」、そしてソナタ形式を拡大していったベートーヴェンの「交響曲第1番」「交響曲第9番合唱」等でした。(写真はチェンバロ)
2017/09/09のBlog
[ 13:49 ] [ 環境・健康 ]
日 時 平成29年9月9日(土)14時30分~16時
 生活習慣病のひとつである糖尿病についてです。
 まず血糖値が高くなる原因ですが、日本では1965年頃から
脂質摂取量が多くなり、また車の保有台数も増加して運動不足
の人が増えてきたこともあって、体の中に糖が必要以上に蓄積
されてきたことが主な要因のようです。
 それでは血糖値が高いとなぜいけないのでしょうか。
 それは糖をコントロールするインスリンが前述の高脂肪食や
運動不足の他、過食・ストレス・肥満等によって作用不足になるためだからです。
その結果いわゆる糖尿病となり、動脈硬化が進行してしまい、
合併症が起こって最悪命取りになります。
 なお具体的な合併症としましては、脳梗塞・狭心症・心筋梗塞
等々で、その他 歯周病・骨折・がん等も通常の人よりも糖尿病
の人の方が多い傾向にあるのだそうです。
 糖尿病の診断は血液検査により、血糖値やHbA1Cの値等で
判断するとのこと。
 治療方法は、①食事療法、②運動療法、③薬物療法です。
2017/09/08のBlog
[ 10:51 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 平成29年9月8日(金)10時~11時30分
 平安時代に小野小町と並び称された女流歌人・伊勢(36歌仙)
のお話しです。
 百人一首にも「難波潟 みじかき葦の 節の間も 逢はでこの
世を 過ぐしてよとや」の歌が選ばれています。
 彼女は、①16才での失恋経験、②宇多天皇の男子を授かるも
他界、③年下の親王と結ばれるも親王が先に他界・・・と次々に
不幸に襲われます。
 しかしそのたびに彼女は立ち上がり、最後は娘(中務)や孫娘(井殿)に囲まれて天寿を全うしました。
 それでは、彼女の詳細を見ていきましょう。
 まず①の件ですが、これは本人の歌集「伊勢集」にも出てくるのですが、宮づかいにあがると間もなく時の関白藤原基経の次男・仲平から声がかかり、玉の輿かと思われましたが、仲平は近衛大将の婿に入り、彼女は捨てられてしまいます。(伊勢は本心、仲平は遊び?)
 ②は、その後宇多天皇から声がかかり、ついに男子を授かりますが、その子は8才の時に亡くなり、大きなショックを受けます。
 そして③の出来事ですが、相手は12歳年下の敦慶親王(醍醐天皇の弟)で、最初は伊勢が親王にお琴を教えたことで親しくなり、やがて子供も授かって幸せに暮らせるやに思われましたが、その親王は44才で亡くなってしまい、「かなしさぞ まさりにまさる 人の身に いかに多かる 涙なりけり」と詠みました。
2017/09/07のBlog
[ 16:31 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 平成29年9月7日(木)14時~16時
 1917年のロシア革命(二月革命、十月革命)からちょうど
100年が経過したので、この辺で一度その歴史を振り返って
見ようとするセミナーがありました。
 革命にはその附箋があり、それはナポレオン戦争による
ところが大きく、ロシアは結果的に戦争には勝利したものの
フランスの文化の高さに驚きます。
 当時のロシアはロマノフ王朝の貴族社会であり、庶民の
不平等に知識人達は反乱(革命の始まり)を起こしますが、庶民はついてこず失敗に終わります。
 その後マルクス主義が導入され、農民や労働者ごとに会議を設ける等して、徐々に意識が高まり、また日露戦争等もあってロマノフ王朝も政権維持がむつかしくなってきます。
 そしてついに1917年(100年前)にロシア革命が起こります。(ソ連邦成立は1922年)
 (二月革命が革命であり、十月革命はボリシェヴィキ(ロシア共産党)のクーデターと位置付け)
 指導者はレーニンからスターリンへ、フルシチョフ・ブレジネフ~ゴルバチョフへと変わっていきました。
 しかし、①米ソの軍拡競争で財政面でソ連が耐えられなくなってきた、②経済改革よりペレストロイカの政治改革が先行された、③ソ連邦構成共和国の自立あるいは独立の遠心力が強まった等々により、ソ連邦の崩壊が現実の問題となります。(1991年)
 さてそのような経過のロシア革命を、歴史的評価としてはどう考えればよいのでしょうか。
2017/09/06のBlog
[ 09:55 ] [ 環境・健康 ]
日 時 平成29年9月6日(水)10時~11時30分
 ミヤマアカネ(赤とんぼの一種)の実地調査に参加してきました。
 場所は兵庫県内では一番生息されている宝塚市の逆瀬川で、
近くの西山小学校(4年生)では、14年前からこの観察が教材の
ひとつになっているとのことでした。
 これの主な目的は・・・・・
 ①ミヤマアカネの移動距離
 ②ミヤマアカネの生息期間
 等々の生活調査です。
なおミヤマアカネの見分け方ですが、他のトンボに比べて「ハ
ネの模様が異なる」「体の色が黄から赤まで変化する」です。
 調査に先立ち、まず10分間程度ミーティング(写真上)が
行われ、その後アミを使って捕まえる行動に移りました。
 捕まえたトンボにはマーキング(写真下)を施しますが、後々
のことを考えて、左後ろばねに定められたIDを、右の後ろばね
には通し番号を書きます。
 後日番号のあるミヤマアカネを捕まえ、データ化いたします。
2017/09/04のBlog
[ 11:26 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 平成29年9月4日(月)10時45分~12時15分
 三韓の時代(高句麗・百済・新羅)に韓半島の南部に位置した
伽耶についてのお話しです。(百済と新羅の間)
 日本書紀には「任那」と記述されています。
 伽耶はBC1世紀からAD6世紀中葉に存在し、三韓と異なり小国
(大伽耶・金官伽耶等々)の連盟体でした。
 この伽耶は鉄器文化が栄え、三韓の各王朝や倭国も重宝して
いましたが、やがて6世紀に中央集権体制への対応不足等も
あって、新羅に併合され滅亡してしまいました。
この伽耶にも三韓と同じような神話があり、たとえば金官伽耶の
始祖・金首露王(キム・スロ王)の場合は・・・・・
①この地にまだ国はなく、各部族の酋長が統治していた。
②ある時、空から紫のひもが落とされ、その先に金箱があった。
③その箱には黄金の卵が六つ入っていた。
④その卵から6人の男子が生まれ、最初の子がスロ王となった。
 なお、この首露王の妃となった人はインドの王女(許黄玉)で、
王との間に10人の息子をもうけたとのことでした。
2017/09/01のBlog
[ 16:32 ] [ 歴史・考古 ]
平成29年9月1日(金)13時30分~15時
 794年に桓武天皇が遷都した平安京の住人の話しです。
 平安京は新たに計画された都市でしたから、そこに新しく住み
はじめた人も他の土地から流入してきています。
 そのような環境でしたから、人々は地縁的な集団はほとんどなく
役所等を軸とした社会集団が形成されていきました。
 またこのような官人の他にも、東西に市場がありましたから商人
もそこそこ住んでいて、「米」「麦」「絹」等々の表札がついた倉庫も
散見されました。
なお政府は一般庶民を次のように分けていました。
 ①商業をしている人=経済的な活動をする新興商業民。
 ②役所の被官・貴族の従者=下級官人や貴族の家人。
 ③地域の有力者=政府の下に組み込まれた人々。
通常は、貴族は金持ち、庶民は貧乏と決めつけていますが、
必ずしもそうではなく、『病草紙』に”肥満の女”なる項があって
その説明では「彼女は市で営業する市女で裕福な生活をし、
贅沢な食事をしたため肥満になった。」・・・とありました。(写真下)
2017/08/28のBlog
[ 12:05 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 平成29年8月28日(月)10時45分~12時15分
 長く続いた韓半島の三韓時代(高句麗・百済・新羅)に終止符を打ち、
朝鮮半島を統一した新羅のお話しです。
 新羅は最初いろんな名で呼ばれていましたが、智證王の時代に「新羅」
(美しい所、新しい国、聖なる場所等の意)と確定いたしました。
 新羅の第1期は建国と初期発展の時代で、6氏族(朴氏・金氏・昔氏等)
を中心に農業生産力を高めました。
 第2期は第17代奈笏王の頃に王権が確立され、王は朴・金・昔の3性
の交代制でしたが、徐々に金氏の独占となり安定してきました。
 第3期は第22代智證王~第24代真興王の時代で、中央集権的貴族国家となりました。
 そして新羅独特の「骨品制度」体制となり、たとえば「聖骨」⇒王の資格を持つ最高の身分、「真骨」⇒王族だが王の資格はない・・・・等々。
 ただ第3期終末にはこれが崩れ、真骨の金春秋が武烈王として即位したりしました。
 第4期はこの第29代武烈王の時代に中国・唐と軍事同盟を結び、連合して660年に百済を滅亡に追い込み、次の第30代文武王の時代にやはり唐と連合して高句麗を滅亡させました。(668年)
 その後、朝鮮半島の統治をめぐって唐と反目し、死闘のはてについに朝鮮半島を統一して「統一新羅」が誕生いたします。
 第5期は分裂の時代で地方豪族が台頭し、第56代敬順王が高麗に降伏して新羅は終焉しました。
2017/08/25のBlog
[ 16:59 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 平成29年8月25日(金)13時30分~15時
 絵画の「なぜ」を考えるセミナーがありました。
 前半はダ・ヴィンチの「最後の晩餐」で、これはイタリア
ミラノの教会(の食堂)の壁画として描かれているものです。
 今までの「最後の晩餐」はジョット等に見られるように
イエスを中心に食卓を囲んだ図柄でしたが、ダ・ヴィンチは
これを一列にしました。
 なぜでしょうか、それはこの絵が食堂の壁画であり、食事を
する修道僧と向き合った構図だからで、イエスが「この中に裏切者が居る」と言った瞬間を描いています。
後半はミケランジェロの「最後の審判」で、この絵はバチカンの
シスチーナ礼拝堂の壁に描かれているものです。
 人は亡くなったらイエスの審判を受けるわけですが、イエスは
その人の前世の行いから天国行か地獄行を瞬時に決めます。
 絵の上部は天国で下部は地獄ですが、その境界がはっきり
しません、なぜでしょうか、それはバチカンの免罪符販売を契機
とした宗教改革に配慮したもので、地獄からも天国へ救われる
(その逆も)としたメッセージを密かに挿入したからでしょう。