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まなびの会
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2017/10/12のBlog
[ 13:41 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 平成29年10月12日(木)14時~15時30分
 夏目漱石の作品である「夢十夜」の中から第三夜をピック
アップしてのお話しでした。
 漱石は1867年に父50才・母42才の時に生まれましたが
両親が高齢で子育てが難しいことから、古道具屋へ里子に出
され、その後夏目家で書生をしていた人へ養子に出されます。
 ただ養父母が女性問題で離婚したことから再び夏目家に
戻ってくるという経歴があります。
 今回取り上げられた「夢十夜」の第三夜は必ずしも全てが漱石の創作ではなく、かなり民話に影響されたものでした。
 その民話とは、先輩である小泉八雲の出雲民話である「子捨ての話」です。
 漱石の作品の内容は、自分の盲目の息子を森へ捨てに行く話しで、森に着いた時、背中の息子が「おまえが人を殺したのは今から丁度百年前だね」と言われ、おれは人殺しだったんだと気づき、急に背中の息子が石地蔵のように重くなった。・・・というものです。
 八雲の作品は、ある百姓夫婦に子供が出来ますが貧しくて育てられないので川へ捨てにいきます、やがて百姓も少し豊かになり七人目に生まれた息子だけは育てることにします、その息子がある月の夜に「あんたが私を捨てたのは今夜のような月の夜だったね」と言われ、百姓は直ちに僧になりました。・・・です。
 漱石は薄気味の悪い雰囲気を作り出し、八雲は怪談ながら解決(僧になる)しておりその差は明解です。
2017/10/11のBlog
[ 12:43 ] [ 環境・健康 ]
日 時 平成29年10月11日(水)10時~12時
 生物多様性とは、いろんな生き物がたくさんいる状態で、
その状態が個々によって異なることを言います。
 その成り立ちは地球が出来て46億年経過し、その過程で
生命が進化を獲得した状態で現在に至っており、その数は
150万種が確認されています。
 そしてこの全ての生き物には色や形等の違いがあります。
 この違いは階層性(遺伝子・種・生態系・景観)を把握する
ことによってよく理解できるとのことです。
しかし現在この生物多様性が喪失危機に瀕しており、因みに
日本では植物の種類が7000種あるとされていますが、この
うち約3割が絶滅または絶滅危機にある由です。
 その要因は、開発・管理放棄・環境汚染・温暖化によるのが
大半で、その全てが人間の活動に起因しています。
 この生物多様性は私達の暮らし(環境・減災・癒し等)を支え
ているものなので、これを守っていく必要があるとのこと。
(写真下は、セミナー後に里山の状態を実地検証したもの。)
2017/10/10のBlog
[ 13:44 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 平成29年10月10日(火)13時30分~15時30分
 芦屋市在住の作家・小川洋子氏の「ミーナの行進」に焦点を
当てたセミナーでした。
 彼女は、この小説で谷崎潤一郎賞を受賞した他、芥川賞、
読売文学賞、本屋大賞等々も受賞しております。
 この小説は阪急芦屋川駅の北西にあるスパニッシュ様式の
洋館に住む二人の少女(ミーナとトモコ)と家族の物語です。
 内容は、トモコ(中1)が経済的事情により伯母夫婦に預けら
れることになり、岡山の田舎町から芦屋にやって来ると、そこは広大な敷地の洋館でした。
 そこには従妹のミーナ(小6の美少女で喘息持ち)がいてたちまち打ち解け、少女から大人へ変わっていく時間を共に過ごすことになります。
 平和と豊かさに満ちているかに思われたこの家にも、実はざわざわとするものがありました。
 伯父さんはどうも浮気をしているようで、家には時々しか帰ってこないし、伯母さんは自分の部屋でいつも一人でタバコを吸いお酒を飲む日々で、やがて破綻がくるのか妥協か、不透明な状態が続いています。
 ミーナ(本名:美奈子)は喘息のためほとんど外出せず専らマッチ箱を集めていましたが、やがてトモコが岡山へ帰る日がやって来た時、大切なコレクションのマッチ箱の中から2箱プレゼントします。
 このような経緯を大人になったトモコが過去を振り返って語るのがこの小説ですが、作者が伝えたかったことは、「子供の頃に体験したピュアな懐かしさ」だったようです。(因みにこの家庭は後に修復されます)
2017/10/08のBlog
[ 13:54 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 平成29年10月8日(日)13時30分~15時30分
 ノンフィクション作家として有名な開高 健のお話しです。
 彼は昭和5年に大阪に生まれますが、昭和18年に父が病死し
困窮生活(学校に弁当も持っていけない等)となり、大学時代も
ほとんどアルバイトをしていた由。
 その学生時代に7歳上の牧 洋子と同棲~結婚します。
 そしてその妻の紹介で、寿屋(現サントリー)に入社し、宣伝
部員となりました。
 やがて昭和33年に書いた「裸の王様」が芥川賞を受賞し、会社を退職して作家に専念いたします。
彼は当初遠心的(取材をして社会や世界を描く)な小説を書い
ていましたが、やがてルポ・紀行などノンフィクションを書くよう
になっていきました。
 そのひとつが「輝ける闇」で、これは朝日新聞の特派員として
ベトナムへ行った時の体験記で、当地で南ベトナム軍に従軍
していて、ベトコンに攻撃され九死に一生を得た内容です。
 そしてその続編として書かれたのが「夏の闇」で、その後
第三部として「花終わる闇」に着手しましたがこれは未完です
2017/10/07のBlog
[ 13:53 ] [ 生活・社会 ]
日 時 平成29年10月7日(土)13時10分~14時40分
 日本が和服生活から洋装生活へ移行したはじまりは、明治5年
に明治天皇が正装(軍服)を着用してからだと言われています。
 開港150年を迎えた神戸では、明治19年(16年とも)に洋服店
が初めて開業されたとのこと。
 そこで明治期の洋服の歴史的背景について、当時の写真や
史料に基づき解説していただきました。
 因みに、明治5年11月12日に太政官令によって官使の礼服が
洋装と定められています。
前述の明治天皇の洋装化につきましては、『明治天皇紀』の明治
5年5月23日の条に「大阪並びに中国・四国の巡礼の途に就き
たまふ・・・(略)・・・燕尾服ホック掛の正服を着御し、騎馬にて御
出門あらせらる、天皇該正服を著しためへる是れを以って始とす
と云う」とあることによるのだとか。
 やはり前述の神戸で始めて洋服店を開店したのは柴田音吉
なる人で、横浜のローマン(ドイツ人)について技術を究め、帰神
して開業したそうです。(参考⇒洋服の日:11月12日)
2017/10/06のBlog
[ 13:20 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 平成29年10月6日(金)13時~14時30分
 演奏者は3才から音楽教室に通い、6才で作曲を始めたそう
ですが、11才の時に「網膜色素変性症」を患いました。
 その後 視力・視野が徐々に失われていく中で、クラシックを
学び、米国の音大で研鑚を積まれたという経歴の方です。
 現在は音楽活動の他、盲導犬育成の支援や網膜募金等の
活動も行っている由でした。
 <第一部>トークはご自身の病である「網膜色素変性症」の
話しで、この病気は現在の医学では治療が難しく、やがて失明するものだそうです。
演奏は喜怒哀楽の表現がすばらしいカーペンターズと宝塚歌劇の
ミュージカルから「もし神様が居るのなら・・」の『愛の真実』でした。
 <第二部>トークは米国留学のお話しで、日本ではその場の空
気を読むことが重要ですが、あちらでは全て言葉で表現してくれる
ので、自分にはかなりプラスだったとのこと。
 演奏は生きていくうえの意味を歌った『希望の歌』と母親が作詞
をし、自身がそれに曲をつけた『ねがい』というオリジナル曲で、
「重ねた手がやさしさを感じる・・・」という内容でした。
2017/10/05のBlog
[ 13:24 ] [ 環境・健康 ]
日 時 平成29年10月5日(木)14時~15時
 表題について、脳血管障害を例にあげて解説をしていただき
ました。
 ひとくちに脳血管障害と言いましても、脳梗塞・脳内出血・くも
膜下出血等々があり、それぞれ原因も異なり治療方法や薬も
当然違います。
 まず「ポイント1」ですが、内服があまりきかないからと飲む量
を勝手に増やす人がいますが、これはかえって頭痛を引き起こ
したりして危険で、症状も悪化することがある由ですので、必ず適量(処方)を心がけてくださいとのこと。
「ポイント2」は、薬には①一生飲む薬と②一時的に症状を
緩和する薬(根本的に原因は治せない)があることや、①の
場合でも経年や体調に合わせて量の調整が必要なこと。
 「ポイント3」は、同じ病名であっても原因によって薬が違う
ので、同じ症状の家族の薬を飲むという行為は危険です。
 その他、多剤(6種類以上)併用にも問題点がある由にて
「副作用」「飲み合せ」「過量」「身体の機能低下」等々に気を
つけてほしいとのことでした。
2017/10/04のBlog
[ 12:47 ] [ 環境・健康 ]
日 時 平成29年10月4日(水)10時~11時30分
 武庫川中流にある武田尾渓谷で植生観察が行われました。
 散策順に主なものを紹介しますと・・・・・
 どんぐりの一種である「アラカシ」「コナラ」、前者は増えつつ
あり、後者は減少ぎみとのこと。
 秋の七草の「キハギ」「クズ」、前者は白い花が咲き、ヤマハ
ギは赤紫の花が咲く、後者は葛根湯等の原料になる由。
 なお秋の七草にはこの他、「ススキ」「ナデシコ」「オミナエシ」
「フジバカマ」「キキヨウ」があります。
「カラムシ」「コウゾ」は和紙の原料で、枝の皮を使用します。
 「イヌホウズキ」は役に立たないホウズキであるとのこと。
 「ヤマハゼ」「ヌルベ」はウルシの仲間で、前者は敏感な人が
ふれるとかぶれます、後者はアブラ虫が卵を産み付けたりし、
また平安時代から明治初期まで続いた女性の習慣の『お歯黒』
の原料でもありました。
 「クロモジ」は和菓子等の爪楊枝の材料です。
 その他「ムラサキシキブ」「ミカエリソウ」等々もありました。
2017/10/03のBlog
[ 14:43 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 平成29年10月3日(火)13時30分~15時
 故・犬養孝先生の思い出話からセミナーは始まりました。
 犬養先生は万葉集の研究者であり、文化功労者であった人で、
同氏の筆による志貴皇子の歌(写真の掛軸)が紹介されました。
 それは「石走る 垂見の上の さわらびの 萌え出づる春に
なりにけるかも」(水の流れている所にわらびがなっている、
ようやく春が来たようだ。)で、志貴皇子は天智天皇の皇子であり
平安遷都した桓武天皇の祖父であって歴史的には要の人です。
 犬養先生は大学教授時代にはいつも新入生に対し、この歌から授業を始めた由にて、春に大学に入学し学問を志した初心をこれからもずっと忘れないでいてほしいというメッセージが込められていたのだとか。
 今ひとつはやはり犬養先生の筆による歌(写真の色紙)で、大伴家持の「春の園 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子」(自宅に春がやって来て色鮮やかに輝いている。その中でも桃の花がひときわすばらしく道までもが輝いている。そこに美しい乙女が立っている。<樹下美人を詠む>)です。
 この歌は現高岡市で詠まれたものですが、その歌碑が西田公園万葉苑(西宮市西田町六)にあります。
 西田公園には山・野・都ゾーンがあり、万葉植物が七十二種と万葉歌碑が四基ある由。
 その他阪神間の「名次山」「角の松原」「武庫川」等を詠んだ「我妹子に 猪名野は見せつ 名次山 角の松原 いつか示さむ」や「武庫川の 水脈を早みと 赤駒の 足がくたぎちに 濡れにけるかも」他、数首を解説していただきました。
2017/10/02のBlog
[ 10:37 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 平成29年10月2日(月)10時~11時30分
 日本の神話から「天孫降臨」のお話しです。
 大国主命から地上を譲り受けた天照大神は、当初愛息・アマノ
オシホミミを派遣しようとしますが本人が断ったので孫のニニギノ
ミコトを送り出します。(天孫降臨)
 ニニギは地上の大山津見神の娘との結婚を望んだので、大山
津見神はイワナガヒメ(姉)とコノハナサクヤヒメ(妹)を嫁がせま
すが、ニニギは姉の容姿が好みに合わずこれを返しました。
 イワナガヒメは永遠の命の象徴でしたので、これを返したことで子孫も含めて短命になります。
 ニニギとサクヤヒメの間に3人の男子が生まれ、その三男・山幸彦が長男の海幸彦の釣り針を失くしたため、探しに海へ出かけて行きました。
 そこで美しいトヨタマヒメと出会い3年間暮らしますが、兄の釣り針を探しに来たことを思い出し、魚を集めてもらってついに発見して帰国します。
 結局 家は山幸彦が継ぎ、海幸彦は薩摩隼人の祖先になります。(末子尊重思想)
 やがて山幸彦とおっかけて来たトヨタマヒメの間にウガヤフキアエズが生まれ、ウガヤフキアエズは成長して母の妹のタマヨリヒメと結婚いたします。
 ウガヤフキアエズとタマヨリヒメの間に4人の男子が生まれ、その4男であるカムヤマトイワレヒコが東征して天皇家の初代・神武天皇になるという経緯に物語はなっていきます。