45歳にして立つ・イハレビコ

日 時 平成29年11月13日(月)10〜11時30分
 天皇家の初代・神武天皇(イハレビコ)の東征について、
主として古事記を教材に解説をしていただきました。
 山幸彦の息子・ウガヤフキアエズと叔母のタマヨリビメの
間の末っ子(4人兄弟)に生まれたイハレビコ(天照大神の
五代孫)が兄弟ともども日向から大和へ東征いたします。
 ニニギノミコト(天照大神の孫)が降臨した日向は、火山
灰が多くて稲作に適さないことがひとつの動機として
イハレビコ達は東征を決意したようです。
 美々津(日向市)から船出をしたイハレビコ達は大分の海を通り、岡田宮(現北九州市)にて1年滞在いたしますが、ここは宗像氏の組織があったところです。
 その後瀬戸内に入り、周防竹島(山口県)を経て阿岐(広島県)に7年、さらに吉備(岡山県)に8年滞在しますが、これは主に稲作文化の価値観を指導したことによるのではないかということです。
 そしていよいよ畿内に入りますが、地元のナガスネヒコが立ちはだかり、兄の五瀬命が矢を受けるなどして惨敗し、兄は弟に「日に向って戦ったので敗北した。日を背にして戦え」と遺言しました。
 そこでイハレビコは和歌山の熊野に上陸し、八咫烏等の支援により吉野〜宇陀を経由して橿原の地で神武天皇として即位いたします。
 結局 日向を出発してから16年かけて大和入りを果たしたことになります。