継体天皇の登場とその背景

日 時 平成30年7月20日(金)13時30分〜15時
 ヤマト大王家の第25代・武烈天皇に子供がいなかったため、
後継者探しで白羽の矢がたったのが、越前のオホド王(応神天
皇の5世孫)、すなわち後の継体天皇です。
 古代の大王は複数の妃がいたにもかかわらず、5代も遡らな
いと王位継承者がいないことや、その後継者が越前にいたこと
などはどう考えても不自然です。
 どうして越前のオホド王がヤマト大王家を継ぐことになったのか
そもそもオホド王とは何者だったのかについて紐解くセミナーがありました。
 「継体」の名は、ヤマト大王家が潰れそうになったところを継いだということでこの名がついた由。
 なにしろ「継体天皇」には、謎が多すぎます。
 まず系譜についてですが、「応神5世孫」というだけで詳細な系譜がなく、わずかに上宮記(聖徳太子系)に記載があるのみで、信用性がいまひとつです。
 即位の経緯も古事記と日本書紀では記述が異なりますし、年齢にいたっては「古事記=19才で即位、43才で崩御」「日本書紀=58才で即位、82才で崩御」となっています。
 おそらくヤマト大王家とは無縁で、ヤマトに攻め入って(?)即位をするために「応神5世孫」をねつ造して、武烈の妹を娶ったとするのが自然ではないでしょうかとのことでした。
 当時は朝鮮半島との関係もあって、新しいタイプの指導者が求められていたとも解釈できそうです。