薩長同盟、成る。

日 時 平成30年9月19日(水)11時〜12時30分
 幕末維新の出来事の中から、今回は禁門の変・薩長同盟・大政
奉還等を中心としたお話しがありました。
 西郷隆盛は月照を薩摩に匿まおうとしたことで、奄美大島に流刑
になっていましたが、1862年1月に赦免、しかし国父・久光に無断
で上京(寺田屋事件等)したことで、再び6月に流刑(徳之島→沖永
良部島)になってしまいます。
 翌年(1863年)は薩摩では生麦事件から薩英戦争が勃発して
いますし、長州では高杉晋作が奇兵隊を結成するなど、世間はますます騒がしくなってきました。
 そしてその次の年(1864年)には長州の過激派グループによる蛤御門(禁門)の変が起こりますが、この年の2月に赦免されていた西郷も参戦しています。(写真は蛤御門)
 国父・久光は西郷を憎んでいましたが、時局を打開するためにしかたなく赦免したものです。
 長州はこれに敗北し、幕府は第一次長州征伐を命じます。(長州は恭順して終結)
 長州は上記の他にも、四国(英・仏・蘭・米)の連合軍に馬関(下関)を占領されましたが、これは何とか高杉晋作の働きにより事なきを得ます。
 幕府はさらに1866年に第二次長州征伐を計画しますが、薩摩がこれを拒否し、長州も第二次征伐を阻止したいことから、ついに薩長同盟が結ばれます。
 その後将軍家茂が死去し、一橋慶喜が次期将軍に着くと起死回生の大政奉還を実行いたしました。