ニックネーム:  パスワード:
| MyBlogトップ | Blogポータル | ブログガイド | よくある質問 | サポート |
まなびの会
記事一覧イベント一覧
[ 総Blog数:1388件 ] [ このMyBlogをブックマークする ] [ RSS0.91  RSS1.0  RSS2.0 ][ ATOM ]
2018/12/07のBlog
[ 14:14 ] [ 政治・経済 ]
日 時 平成30年12月7日(金)10時~11時30分
 停滞している日本経済の実態および今後についてのセミナー
がありました。
 日本経済はこの30年間変化がなく、生活が良くなったとする
実感がありません。
 これは物の生産はある程度増えているものの、物価が上がっ
ていないため、名目GDPに変化がないことによるものとのこと。
 一方 世界を見ますと過去3年間の実質GDPは・・・
 ・米国 : 2.3 → 2.9 → 2.7 ・・・とまずまず堅調です。
 ・中国 : 6.9 → 6.6 → 6.4 ・・・と数値は高いが下降ぎみです。
 ・欧州 : 2.4 → 2.2 → 1.9 ・・・とやや下がりぎみです。
 ・日本 : 1.7 → 1.0 → 0.9 ・・・と停滞しています。 ・・・です。
 さて日本では2019年に社会保障等に充てるため、消費税を増税しようとしています。
 過去の消費税の経緯は、1989年:3%⇒1997年:5%⇒2004年:8% ですが、いづれも増税時に消費が停滞したこともあって、政府は消費税対策をクローズアップさせています。
 日本経済としては増税が必要であるから消費税を上げようとしていますのに、これの対策をしなければならないのは不思議な感じがいたします。
 一応 2018年~19年にかけてGDPが伸びる予想のようですが、消費税アップ後は???
2018/12/06のBlog
[ 14:12 ] [ 生活・社会 ]
日 時 平成30年12月6日(木)13時30分~15時30分
 表題の人は選手として名を成した方ではなく、ジャーナリスト
で正義感が強く水泳界を引っ張ってきた田畑政治氏です。
 彼は明治37年(1898)に静岡県浜松市の酒造家に誕生し、
子供の頃から浜名湖で泳いでおり、徐々に頭角を現していま
したが、中学4年生の時に盲腸炎と大腸カタルを併発したため
選手を断念し、後輩の指導にあたることにしました。
 彼は東京大学を出ると、朝日新聞社に入社し、政治部の記者
となり、一方 暇を見つけては水泳を指導し、大日本水泳競技連盟の理事にも就任いたします。
 日本の水泳が初めてオリンピックに出場したのは1920年のベルギーオリンピックでしたが、結果は振るわないものでした。
 しかし1924年のパリオリンピックでは自由形リレーで4位に入賞、そして1928年のアムステルダムオリンピックではついにメダルを獲得いたします。
 また彼が日本代表監督となった1932年のロサンゼルスオリンピック、続くベルリンオリンピック(田畑は本部役員)で金・銀・銅メダルを獲得し、「競泳は日本のお家芸」になりました。
 その後第2次世界大戦で敗北したためオリンピックに出場できず、復帰したのは1952年のヘルシンキオリンピックからで、この間彼は日本水泳連盟の会長に就任しています。
 そして彼はオリンピック招致活動に情熱を注ぎ、1964年大会の開催地を東京に招致いたしました。
2018/12/04のBlog
[ 15:59 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 平成30年12月4日(火)13時30分~15時
 大阪市立美術館では、「肖像芸術~人は人をどう表現してき
たか」をテーマにしたルーヴル美術館展(2018年9月22日~20
19年1月14日)が開かれており、その肖像芸術を愉しむために
主な展示物の解説をしていただきました。
 この展示会は「権力者の肖像」という視点で展示されている
とかで、ローマ皇帝からマリー・アントワネットやナポレオンまで
歴史を彩られた人々と対面できる貴重な機会である由です。
 まず一番古い肖像画はミイラといっしょに出土したもので、実像というよりは再びよみがえった時を想像して制作されたように思われるとのこと。
 次に権力者のひとりとしてアレキサンドロス大王の肖像の解説がありましたが、彼はイメージ戦略を重視したようで、画家は専属とし、髪はふさふさ(獅子をイメージ)として理想的に書かせた由。
 またクレオパトラの肖像は実像というよりは、プトレマイオス朝の特徴(厳しい眼差し、意志の強さ等々)を重視したと思われるとのこと。
 そして太陽王・ルイ14世の肖像は最高権力者らしく、豪華絢爛に描かれています。(背景、衣装とも)
 マリー・アントワネットの肖像も豪華で、リボンひとつとっても宝石で出来ているのだとか。
 最後は、革命後のフランスを強烈な個性で治めたナポレオンの肖像ですが、軍服はタレント並みで、アレキサンドロス大王と同じくイメージ戦略をとったと思われるとのことでした。
2018/12/03のBlog
[ 13:18 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 平成30年12月3日(月)10時~12時
 プッチーニの遺作オペラ「トゥーランドット」(前編)の
DVD鑑賞会がありました。
 物語は伝説の時代の中国が舞台で、北京のトゥー
ランドット姫は、「三つの謎を解いた者と結婚する。
ただし解けない者は首をはねる。」と宣言します。
 一昨年は6名、昨年は8名、今年も13名が挑戦するも
いづれも謎を解くことが出来ず、斬首されています。
 そして今、ダッタンの王子・カラフが謎解きに挑戦し、三つの謎を見事に解いてしまいました。
 その謎とは・・・
 (1)世界が求め、夜に生まれて朝方消える心に残るもの ⇒ 希望
 (2)炎のように踊りはねるもので、征服を夢見、敗北で消えるもの ⇒ 血潮
 (3)そなたに火をつける氷で、下僕にも、王にもさせられるもの ⇒ トゥーランドット
 ・・・・・でした。
 この謎を解いてしまったカラフに対し、約束の結婚をしぶるトゥーランドットに、カラフは「私の名前を明日の夜明けまでにわかったら、私の首を差し上げましょう。」と逆に謎をかけます。
 さてこの結末はどうなるのでしょう。
 1カ月後の後編の鑑賞会を待つことになります。
2018/12/02のBlog
[ 13:54 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 平成30年12月2日(日)13時30分~15時
 杏雨書屋とは、武田薬品の5代目・6代目武田長兵衛が収集した
書物等が中心の専門家向け図書館のことで、大阪の修道町にある
ところです。
 主な所蔵品は、「和漢洋の医薬関係」「東洋学関係資料」「敦煌関
係の文献」「日本の古典」等々で、今回はこの中から鉄斎の摸本
「病草紙」と鉄斎の長男・謙蔵が入手したとされる「一神論」の紹介が
ありました。 
 前者の「病草紙」(写真)は平安時代末期から鎌倉時代初期に書かれた難病・奇病等を列挙したものを鉄斎が模写したものです。
 内容は、公開や流布をはばかるもの(手がふるえる、口が臭う等々)で、当時は絵巻になっていたもののようですが、さすがに鉄斎の筆は見事なものでした。
 後者の「一神論」は謙蔵氏が中国で購入したもので、最終的に武田家に入ってきました。
 この内容は、景教(キリスト教が中国に入ってきたときの呼び名)の経典で、7世紀頃(日本は大化改新の頃)のものと言われており、中国での布教に資するため漢字で書かれています。
 ただこの「一神論」には、偽物説や後代(唐の時代ではなく宋の時代では・・・)写本説もあり、一度紙質を調査してもらった由ですが、時代は特定できなかったとのこと。
 結局 筆跡が猪遂良(唐の書の大家)風であることから、唐代の写本ではとのことでした。
2018/12/01のBlog
[ 13:53 ] [ 生活・社会 ]
日 時 平成30年12月1日(土)13時~14時30分
 今年は大阪北部の地震、そして北海道東部の地震等々が頻発
しており、さらに南海トラフによる巨大地震の高い発生確率が予
測されております。
 そのような中、震災や豪雨による災害や様々な困難およびスト
レスに襲われる人も多いわけですが、その災害を受け入れ、区
切りを持つとともに目的を再設定するために、その自立の復旧・
復興への支援をテーマとするセミナーがありました。
阪神淡路大震災では、自宅再建あるいは災害復興公営住宅へ
の転居が進み、避難先の人が半減する中、環境の著しい悪化が
不安感や孤立感を助長し、死後長期間放置されるに似た独居死
が相次いだことからコミュニケーションが大切であることが明白。
 その支援としましては、道具的サポート(問題解決のための物
質的、情緒的資源)と情緒的サポート(認知的、情緒的働きかけ)
がある由で、それにより生き甲斐を持ってもらうことが重要。
 生き甲斐とは、希望と目標に努力し、成果を上げる事だとか。
2018/11/30のBlog
[ 15:00 ] [ 生活・社会 ]
日 時 平成30年11月30日(金)13時30分~15時30分
 近代オリンピックに重要な影響を与えた標記の二人のお話し
がありました。
 19世紀のフランスは革命等で政治体制が激変し、戦争では
プロセインに敗北していますが、この祖国を教育やスポーツで
改革したいと考えたのがクーベルタン男爵でした。
 彼はイギリス等を視察し、スポーツの持つ「国際性」「平和」に
注目して、近代オリンピックの実現に奔走します。
 結局 彼は初代IOC事務局長、第2代IOC会長を務め、五輪マークも発表いたしました。
一方 嘉納治五郎は「灘の生一本」で知られる灘の酒造家に
生まれ、成長して東京大学に入学します。
 彼はかなり小柄(体重:49㎏)であり、非力だったこともあって
体を強くしたいため「柔術」を学び、大学を卒業後「講道館」(柔
道を創始)を創設いたしました。
 彼は国際交流にも熱心で、その世界観に当時のIOC会長であ
ったクーベルタンが目をつけ、IOC委員就任を要請した由。
 彼は日本人としてアジア初のIOC委員になりました。
2018/11/29のBlog
[ 16:21 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 平成30年11月29日(木)13時30分~15時
 紫式部の娘・大弐三位と和泉式部の娘・小式部内侍の百人一首に
ある和歌をご紹介していただきました。
 まず大弐三位ですが、彼女は親の和歌の才能を受け継ぎ、また
外交的な性格であったため、多彩な恋愛関係に彩られた華やかな
人生を送りました。
 百人一首の歌は、「有馬山 いなの笹原 風ふけば いでそよ人を
忘れやはする」(山から風が吹いてきて笹がなびくように、あなたから
連絡があれば、私はあなたを忘れませんよ。)・・・・・です。
また小式部内侍ですが、彼女も有名な歌人の娘として成長して
からは宮廷社会の水になじみ、母親同様数々の華麗な恋愛遍歴
をたどりました。
 百人一首の歌は、「大江山 いく野の道は 遠かれば まだ文も
見ず 天のはし立」(大江山の道を行くと天の橋立に至るが、私は
行ったこともないし、そこからの文も見ていない。)・・・・・です。
 あまり歌がうまいので、天の橋立に居る母・和泉式部が代作して
いるのではとの疑問にそうでない事を答えたものだそうです。
2018/11/28のBlog
[ 12:23 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 平成30年11月28日(水)11時~12時30分
 西郷隆盛の明治維新以降、政府の要職を辞任して下野する
までの経緯についてお話しがありました。
 西郷の主な経緯は下記の通りです。
・明治元年(1868) 東征大総督府下参謀→北陸総指揮官
・明治2年(1869) 函館(五稜郭)に出陣→帰郷
・明治3年(1870) 上京の詔勅を受ける
・明治4年(1871) 参議(正三位)に
 この年に岩倉使節団(写真)が出発しますが、これの目的は「明治国家となった事を通達する」「不平等条約を改正する交渉をする」「西洋諸国の文明を視察する」等です。
 メンバーは岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文他107名でした。
・明治5年(1872) 参議・陸軍元帥・近衛都督に
・明治6年(1873) 朝鮮で排日気運高まる
 朝鮮は鎖国しており、日本は友好関係でありたいと考えていたが、朝鮮はこれを拒否。
 そこで西郷を朝鮮へ派遣することを閣議決定するも、岩倉使節団が帰国してこれに反対します。
 太政大臣・三条実美は「即刻派遣」を決定するも病気となり、岩倉が太政大臣代理に就任して、その決定と私案を上奏した結果、天皇は「延期」と決定しました。
 結果 西郷は下野し、西南戦争へと突入していきます。
2018/11/24のBlog
[ 13:16 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 平成30年11月24日(土)10時~12時
 音楽の「音」には全く意味はありませんが、私達はその音に
ある主の「意味」を感じるのも事実です。
 そのようなことを念頭においた表記のセミナーがありました。
 講義の最初にまず次の音楽を聴くことになりました。
 それは、1曲目:クラリネット協奏曲(モーツアルト)、2曲目:
無伴奏チェロ組曲(バッハ)、3曲目:混声合唱のための7つの
歌」(ブラームス)の3曲でした。
 これらを聴いての会場の感想は、1曲目⇒ここちよさ、あこがれ等、2曲目⇒つぶやき、かわらなさ等、3曲目⇒生と死等・・・・・でした。(各々感じ方が異なる)
 さてそれではキリスト教音楽とはどのようなものを言うのでしょうか。
 キリスト教音楽には修道院等で歌われていた「グレゴリオ聖歌」等多彩ですが、最も狭義な意味では、礼拝(典礼)で演奏される音楽を言うとのことで、従ってヘンデルのメサイヤ等は劇場で歌うために作曲されたものなので、キリスト教音楽とは言い難いとの解釈でした。
 ただキリスト教音楽はきわめて「あいまい」でもあると補足もされました。
 この曲が宗教的な音楽であるか否かという判断は、結局聴く人の感じ方にあるということになります。
 なお、讃美歌(聖歌)とは、「礼拝に集まった人達によって斉唱(ときに合唱)される旋律を伴う宗教的な詞」と定義でき、宗教改革においては自国語による歌唱が導入されたとのことでした。