近代五輪の父

日 時 2019年1月16日(水)11時〜12時30分
 今年のNHK大河ドラマ「いだてん」から、嘉納治五郎に焦点を
あてたお話しがありました。
 内容は逸話形式によるものでした。
 彼は江戸時代末期の1860年に現在の神戸市東灘区御影町にて
治郎作・定子の三男として誕生しました。(幼名:伸之助)
 <逸話1>治五郎の父・治郎作は近江・日吉大社の神官の次男で
御影の酒造家・嘉納家に見込まれて長女の婿に入りました。
 <逸話2>勝海舟が嘉納治郎作邸を訪れた時に丁度お産があって、その時生まれた女の子に「勝子」と命名した。(治五郎の次姉)
 また治郎作は勝海舟の要請で、和田岬、神戸・西宮砲台の築造を請け負い、後に明治政府によって海軍権大書記官に任命されています。
 <逸話3>祖父・治作の誕生祝いの宴の時に大坂相撲の御影山が酒癖が悪く皆が困っている時に、永岡老人が柔術で懲らしめる。(治五郎がはじめて柔を見た)
 <逸話4>東京外国語学校時代に柔の「天神真楊流」を、また東京大学入学時には「起倒流」に入門し、これらが講道館柔道の基礎になる。(治五郎は身長156㎝、体重52㎏の虚弱であった)
 <逸話5>治五郎は東大を卒業し学習院の教師をしながら、永昌寺(東上野)の12畳の居間と7畳の書院を道場として「講道館」を設立いたしました。