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まなびの会
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2019/03/04のBlog
[ 18:29 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2019年3月4日(月)13時~16時
 今年5月には新しい御代を迎えます。
 万葉集には皇室の儀礼に関する歌が収録されており、また
歌人の歌には皇室に寄せる思いが詠われています。
 これらについてご教示賜りました。
 最初は巻一の二・舒明天皇(天智・天武天皇の父)の国見歌
「大和には 群山あれど とりよろう 天の香具山 登り立ち 
国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ
うまし国そ 秋津島 大和の国は」(大和にたくさんある山の中の香具山に登って国全体を見渡せば、民は幸せに暮らしため池にはかもめがやってきて、すばらしい国だ、大和は)で、天皇には、国の繁栄・民の幸福・政治の安定等の責任があり、天変地異が起こるのは統治者に徳がなくて天が怒っているからだと言われていることから、香具山に登って国全体を確認している歌である由。
 次に巻二の七六・元明天皇(草壁皇子の妃)の即位儀礼・大嘗祭時の歌、「ますらおの 鞆の音すなり もののふの 大臣 楯立つらしも」(りっぱな男達の矢をいる音がし、物部の武士が楯を立てている<神聖な儀式>)のご紹介がありました。
 さて臣下の歌人で、祖先が天孫降臨時に先導したとされる大伴家持の皇統への思いの歌として・・・
 「天皇の 御代万代に かくしこそ 見し明らめめ 立つ年のはに」(天皇の御代がいついつまでも安泰であることを祈念するめでたい宴が毎年開かれますように)の紹介もありました。
2019/03/01のBlog
[ 19:42 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2019年3月1日(金)13時~14時30分
 兵庫県丹波市山南町で発掘(2006年8月)された恐竜の
骨格化石とその地層について説明を受けてきました。
 兵庫県の南部の地層は「有馬層群」と呼ばれ、火山岩の
多いのが特徴です。
 恐竜の化石が発掘された丹波地方は、地層では「笹山層群
丹波帯・超丹波帯」で、約1億1000万年~2億5000万年前
に出来たものだそうです。
発掘された化石は当初「丹波竜」という愛称で呼ばれていまし
たが、新種の恐竜であることが判明したため、2014年に
「タンバティタニス・アミキティアエ」と命名されました。
 この恐竜は大型の植物食恐竜で、竜脚類の一種だとのこと。
 山南町の発掘現場からは、尾の骨・腰の骨・胴体の骨・首の
骨・頭の骨・歯の化石が発掘されており、その骨からの推定で
は、体長は十数メートルあったと考えられるとのことでした。
 真獣類化石(ササヤマミロス・カワイイ等)も発掘された由です。
2019/02/27のBlog
[ 18:49 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2019年2月27日(水)13時30分~15時
 古事記は7世紀に天武天皇が歴史的な伝承に誤りや乱れが
あるようなので、本当の記録を作るため、記憶力が抜群の稗田
阿礼に神話・伝説などを習い覚えるように命じたのがはじまりだ
と言われています。
 その後天武天皇が亡くなり、一時中断されますが、元明天皇が
太安万侶に稗田阿礼の暗唱を書き記すように命じ、712年に
完成をみたものです。
 古事記は、上巻(神代)・中巻(神武天皇~応神天皇)・下巻(仁徳天皇~推古天皇)の3巻から成っており、たとえば上巻では、イザナキ・イザナミの国生み~三貴子(天照大神・月読・須佐之男)の誕生~大国主の国造り~天孫降臨~・・・・・などの話しがでてまいります。
 今回はその中から、最もポピュラーな話しの「ヤマタノオロチ」が取り上げられました。
 これは高天原を追われた須佐之男が、出雲にて足なづち夫婦の娘が次々にオロチの生贄になり、今や末娘も今年失うことで悲嘆にくれているのを、オロチに酒を飲ませ寝ているところを退治するものです。
 実際のところは、鉄の生産と主産業の稲作との対立で、これを須佐之男がうまくまとめ上げたものではないかとのことでした。
 一見稲作側に軍配が上がったようですが、オロチの腹から草薙太刀を取り出し、天照に献上していることから、鉄の生産も容認・発展していったようです。
2019/02/23のBlog
[ 16:09 ] [ 環境・健康 ]
日 時 2019年2月23日(土)14時~15時30分
 健康の三要素は「栄養・運動・休養」だと言われていますが、
その中の栄養に関係する「口」についてのお話しがありました。
 食べ物を食べる時は、よく噛むこと、よく味わうことが重要で、
そのことによって口腔内の感覚機能をより刺激して、満腹感を
高めることにつながるのだそうです。
 口は単なる食べ物の入口ではなく、重要な感覚器官であるこ
とを認識して食べることが大切である由。
 すなわち、口は①おいしく食べる役割、②感覚器官としての役割があるとのことです。
 具体的には、①は食べ物のおいしさを充分に感じ取って食べるためには、口の機能維持が必要で、歯はもちろんのこと味覚を担う舌や味を溶かすための唾液等が連動して的確に動くことです。
 また②には食べ物から得るおいしさの要素すなわち視覚(形・大きさ・色・つや・きめ)、触覚(硬さ・なめらかさ・歯切れ)、嗅覚(果実の香り・焦げ香り・腐臭)、聴覚(音・音楽)、味覚(塩味・酸味・甘味・苦味・うま味)がある由です。
 そして「噛む」という行為には、私達が考えている以上に健康生活に欠かせない効用があります。
 すなわちその効用とは、「肥満防止」「味覚の発達」「言葉の発音がはっきり」「脳の発達」「歯の病気予防」「がん予防」「胃腸の働きを促進」「全身の体力向上」等々です。
 歯の多いお年寄りは活動的で、自分の歯で噛める人は寝たきりになりにくいとのデータもある由でした。
2019/02/21のBlog
[ 19:01 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2019年2月21日(木)10時~11時30分
 尼崎藩は1617年に戸田氏鉄が立藩し、幕府の命により
尼崎城を築城いたしました。
 尼崎藩は東は神崎、西は兵庫・須磨まで、北に六甲山系を
抱え、沿岸沿いにまとまった領地を支配していました。(5万石)
 阪神間に重要な存在を示したその尼崎藩の支配について、
ご教示賜りました。
 江戸幕府の関西の拠点は当初伏見に置かれていましたが
その後大坂に移り、その大坂を守るひとつの藩と位置付けられたのが尼崎藩でした。
 したがって藩主家は譜代大名とされ、戸田家→青山家→松平家が承継されてきました。
 尼崎城は大坂城を守る軍事拠点のひとつで、天守も造られた本格的な城ですが、石材・木材等の管理とその輸送の確保も主な業務でした。
 その他、藩主家別に見てみますと・・・
 ・戸田家:大坂城普請総奉行等(普請材調達のサポート)
 ・青山家:大坂城の修復等(落雷による火災の発生時)
 ・松平家:大坂・尼崎の火災に備えた準備等
なお江戸時代も100年を経過した頃から尼崎藩も軍事的役割よりも、関西の経済に軸足が移り、阪神間の領地は幕府直轄が多くなって、そのかわりとして地方の領地を拝領することになっていった由でした。
2019/02/16のBlog
[ 18:14 ] [ 環境・健康 ]
日 時 2019年2月16日(土)14時~15時30分
 ガン治療には、(1)外科療法、(2)薬物療法、(3)放射線
療法がありますが、このうちの放射線療法について専門医
のお話しを伺ってきました。
 放射線療法の特徴は・・・
 ・治療後の体への負担が小さい。 
 ・機能が温存できる。
 ・治療後の生活を快適に過ごせる。 等々
 また放射線治療の方法には、①外部照射(体の外から照射)、②小線源治療(体の中から照射)がある。
照射の種類としましては・・・
 ・三次元原体照射(腫瘍の形に合わせて照射)
 ・ピンポイント照射(五百円玉位までの腫瘍に照射)
 ・強度変調放射線(不規則な形の腫瘍に照射)
等々があり、そのポイントは・・・
 ・治療後の副作用が少ない。
 ・ガンによって上記の最良の方法が選べる。
 ・早期ガンから進行ガンまで全てカバーできる等でした。
2019/02/15のBlog
[ 18:44 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2019年2月15日(金)13時~14時30分
 日本全土を歩いて我が国で初めて精密な地図を完成させた
伊能忠敬(1745~1818)のお話しを伺ってきました。
 忠敬は「一身二生」の人と言われ、人生の前半は養子先の
酒造業・米穀商を興隆させ、後半は測量技術を学んで日本地図
の製作という一大事業を成し遂げました。
 忠敬は下総国佐原村(千葉県香取市佐原)において名主として
の功績を残して名字帯刀を許されるも、50才で長男に家督を譲り
江戸に出て天文方の門人となり、十次17年間にわたって全国を測量しました。
主な経歴は、1745年:上総国にて誕生する、1762年:伊能家の
婿養子となる、1786年:家を繁栄させ資産を40倍に増やす、
1794年:隠居して江戸に出て天文方の弟子となる・・・・・です。
 そして測量の経緯は、1800年:奥州・蝦夷、1801年:東日本の
太平洋側、1802年:東日本の日本海側、1803年:東海・北陸、
1805年:近畿・中国、1808年:四国・大和、1809年:九州東側、
1811年:九州西側、1815年:伊豆・三宅・八丈島等々。
 そして地図全図が完成したのは、1821年のことでした。
2019/02/14のBlog
[ 18:21 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 2019年2月14日(木)13時30分~15時
 オペラのヒロインが歌うアリアの中から、バレンタインデーに
ちなんで「愛の歌」をCDでご紹介していただきました。
 偉大な作曲家たちは、女心にどのようなメロディーをつけ、
どのような感情を表現しようとしたのでしょうか。
 まず最初はロッシーニの『セビリアの理髪師』からロジーナの
アリア「今の歌声は」で、恋の相手・リンドーロ(実はアルマ
ヴィーヴァ伯爵)に手紙を書いているシーンで歌われます。
 次はモーツアルトの『フィガロの結婚』からスザンナの「恋人よ、早くここへ」で、婚約者のフィガロをちょっとからかっている場面で歌われるアリアです。
 続いてサン・サーンスの『サムソンとデリア』からデリアの「あなたの声に私の心は開く」で、これは敵方の勇者・サムソンを誘惑するために歌うものです。(写真)
 そして日本を舞台にしたプッチーニの『蝶々夫人』から蝶々さんの「ある晴れた日に」で、結婚相手のピンカートンの帰りをひたすら待っているけなげな心情が歌われています。
 次はドボルザークの『ルサルカ』から、水の精・ルサルカが月に向かって恋の相手(人間の王子)への思いを歌う「月に寄せる歌」でした。
 その他、ドニゼッティの『ランメルモールのルチア』からルチアの「狂乱の場」やヴェルディの『椿姫』からヴィオレッタの「ああ、そはかの人~花から花へ」等々を聴かせていただきました。
2019/02/13のBlog
[ 17:12 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2019年2月13日(水)10時~11時30分
 茶道が戦国武将におよぼした影響などについて、お話しを
伺ってきました。
 茶が我が国にもたらされたのは奈良時代で、聖武天皇の
「公事根源」によれば、729年に僧百人に労をたたえて茶を
与えたとあります。
 その後749年にも大仏建立が行われた際に僧侶に茶を
賜ったとのことです。
 また805年には遣唐使・最澄が茶の種を持ち帰っており、815年にも嵯峨天皇が近江に行幸した時に、崇福寺の僧が献茶しています。
 茶の湯は、村田珠光という僧が京都で一休宗純に帰依し、「茶禅一味」を得て「わび・さび」の境地を開き、武野紹鷗→千利休と継承されました。
 千利休は58才の時に信長に迎えられ、その後秀吉に三千石で召し抱えられています。
 このような時代を背景に信長~秀吉のもと、茶道による外交文化が取り入られ、政治・軍略のツールとして利用され、服従・恭順・友好・同盟等の手立てとされました。
 因みに「利休十哲」には、蒲生氏郷・細川忠興・古田織部・芝山監物・瀬田忠正・高山右近・牧村利貞・織田有楽斎・荒木村重・千道安(利休の実子)と武将が何人も名をつらねています。
 ただ利休は大徳寺山門に木像を安置したため、秀吉によって1591年に切腹を命じられました。
2019/02/12のBlog
[ 19:06 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 2019年2月12日(火)14時~15時30分
 めずらしいハープの調べを聴き、メルヘンの世界に浸ってき
ました。
 今回使用されたハープは通常のコンサートなどで用いられる
グランドハープではなくひと回りもふた回りも小さいアイリッシュ
ハープでした。
 演奏された曲目は、①奏者のオリジナル曲8曲、②既存の曲
5曲の計13曲でした。
 ①では「鳥のさえずりと風」は風景画のようで、「メモリアル・エッセイ」は安心感のある曲でした。
また「その先へ・幸せ・・・」は今迄の人生を思い出させる曲で、
「世界一美しい島」は日本列島を、「Wish of Gaia・追風」は新し
い時代を意識した作曲のようでした。
 ②ではアイルランド民謡などの「Danny Boy・仰げば尊し・蛍
の光」で、日本の心「ふるさと」も演奏されました。
 そしてパッヘルベルの「カノン」も取り上げられましたが、室
内楽で聴く「チェロ~ヴァイオリン~ビオラ~」とはひと味違う
趣がありました。