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まなびの会
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2019/08/06のBlog
[ 18:16 ] [ 生活・社会 ]
日 時 2019年8月6日(火)13時30分~15時
 日本の食料環境について、税関で長年外国からの輸入品の
チェックをされていたという講師のお話しを拝聴してきました。
 現在の日本の食料自給率は38%だそうで、実に62%が
海外に依存している状況です。
 したがって私達の身体は国産ではなく、外国産であると言え
なくもありません。
 なぜ日本の食料自給率がこんなに下がったのでしょうか。
 その大きな理由は食べ物の中でも最も大切な穀物を海外に依存しているからである由。
 日本は農産物の輸入量が実質世界一だそうです。
 また人口比でも世界人口76億人に対して、日本人口1億2700万人で、約1.7%です。
 ところが、農産物は世界の総輸入量の10%を日本が輸入しています。
 具体的に見ていきますと、たとえば小麦は9割を米国・カナダ・オーストラリア等から輸入しています。
 これらは太平洋を横断してやってくるわけですが、その間虫がわいたり、カビが生えたりしますので、それを防ぐため殺虫剤がかけられている由。
 トウモロコシもまたしかりだそうです。
 このように穀物の外国依存の結果、日本の穀物自給率は28%まで下がっており、これが食料自給率38%の原因で、食の安全を守るためにも食料自給率の向上が望まれるとのことでした。
2019/08/03のBlog
[ 14:53 ] [ 生活・社会 ]
日 時 2019年8月3日(土)10時~11時30分
 第2次世界大戦に敗戦した我が国が、高度経済成長に至る
過程のお話しがありました。
 敗戦直後(昭和21年)に第1回衆議院議員の総選挙があり
自由党が多数を占めるも、総裁の鳩山一郎が公職追放された
ため、急きょ吉田茂が第1次吉田内閣を組織しました。
 吉田内閣は主として民主化政策を推進していきますが、他方
でインフレが進行しました。
 昭和22年に第2回衆議院議員選挙が行われ、片山連立内閣が成立しますが、これはインフレの進行と内閣不一致で総辞職いたします。
 次の芦田連立内閣(昭和23年)も昭和電工事件でこれも総辞職いたします。
 そこで再び吉田内閣(第2、第3次)が登場し、インフレを抑制して独立の課題に注力いたします。
 そして吉田内閣は昭和26年にサンフランシスコ条約・日米安全保障条約を締結いたしました。
 これにより日本が独立を果たしますと、公職追放が解除となり、戦前の有力者が次々と復活してきて、反吉田派を作り、政局が不安定になります。
 そしてついに五十五体制(昭和30年)が成立します。(自由民主党VS社会党路線)
 この時期、経済論争(安定成長か高度成長か)が起こり、池田内閣は所得倍増計画を推進して、日本はこれまでにない高度経済成長を果たすことになる過程に入ったとのことでした。
2019/07/31のBlog
[ 07:50 ] [ 生活・社会 ]
日 時 2019年7月30日(火)13時30分~15時
 戦前の東京オリンピック招致(戦争により中止)の功労者は
嘉納治五郎ですが、1964(昭和39)年に実現した第18回オリ
ンピック東京大会の功労者は田畑政治であると言えます。
(NHK大河ドラマ「いだてん」の後半の主人公)
 彼は1898(明治31)年に浜松市で誕生いたしました。
 浜名湖一帯は水泳の盛んな土地柄で、彼も水泳部に入って
頭角を現していきましたが、中学4年生の時に慢性盲腸炎・
大腸カタルを併発し、医者から「泳いだら死ぬ」と言われて選手を断念し、指導者に転身しました。
 その後彼は東京帝国大学を卒業すると、朝日新聞に入社し、新聞記者になりました。
 そして水泳の全国組織・大日本水泳競技連盟が出来るや、東海地方代表として理事に就任します。
 第1次世界大戦後は水泳のオリンピック参加に尽力し、1928(昭和3)年のアムステルダムオリンピックに10名の選手を派遣して、平泳ぎで金メダル、自由形で銅メダル、リレーで銀メダルを獲得し、その後も日本代表監督を勤めながら「競泳は日本のお家芸」と言われるまでに成長させました。
 やがて彼は日本にオリンピックを招致するべく尽力しますが、1962(昭和37)年のアジア競技会の紛争の責任を取らせれる形で、JOC役員を辞任します。
 その後彼の敷いたレールにより東京オリンピックは実現し、いち国民としてスタンドから身を乗り出して選手たちを応援したとのことでした。。
2019/07/28のBlog
[ 15:13 ] [ 生活・社会 ]
日 時 2019年7月28日(日)13時~14時30分
 世間では、2025年問題が云々されています。
 この問題は、団塊の世代が75才以上になり、この数がなんと
人口の5分の1を占めることになる・・・・・とのことです。
 今回のセミナーは、自分の老後・死後に親族に迷惑をかけたく
ないことから、あらかじめ元気なうちにこれらの対策を考えてい
こうとするものです。
 そのひとつが「任意後見契約」というものである由。
 この契約は本人の判断能力があるうちに自分が選んだ代理人(任意後見人)に、将来判断能力が不十分になった時に身上監護(生活・療養・介護・・)と財産管理に関しての代理権を与えるというものです。
 またこれに加えて、「死後事務委任契約」を結んでおけば、役所での手続き、葬儀・埋葬、遺品整理、各種契約の解約、遺産整理など必要な手続きを代行してもらえます。
 これに対して民法上の法定後見制度(裁判所による)があります。
 次に遺言についてですが、その内容の大半は相続(個人の死亡を原因として、財産が引き継がれること)についてです。
 実際の相続は、遺言書や遺産分割協議書により決まるわけですが、これが整わない場合は、法定相続が基準になるということで法定相続人や法定相続分・遺留分等について説明がありました。
 これらを円満に解決するためには遺言書の存在が大事で、今回は公正証書遺言に言及されました。
2019/07/27のBlog
[ 15:44 ] [ 生活・社会 ]
日 時 2019年7月27日(土)10時40分~12時10分
 長寿社会に突入し、人生の後半戦に軸足を置いた講座が
ありました。
 会社組織は、当初(新卒入社時)~40才前後までは、ほぼ
よこ並びで推移しますが、管理職(課長・部長)~役員の頃に
なりますと、ほとんどの中高年社員は中軸から押し出される
ことになっています。
 昨今は会社定年後もかなりの時間がありますので、「人生は
二度ある。」を念頭にお話しをしてくださいました。
 講師は、「人生は後半戦が勝負」であり、特に「75才までの黄金の15年間」を輝かせるために、いい顔で過ごせることが大事であると語られました。
 会社では意欲をもって働いていても、45才位から将来のことを考え出し、揺れ始める人が多い由です。
 その働く意味に悩む状態を、「心の定年」と名付けているとのこと。
 そこで一念奮起して転職(会社員から 職人に、農業に、美容師に・・・等々)した方々の事例が紹介されましたが、各々 収入減となったり将来に悩みを持ったりしつつも、総じていい顔で過ごされている由。
 さて、本論の定年後を見据えたポイントですが、(1)焦らず急げ、(2)単なる趣味の範囲にとどめない、(3)子供の頃の自分をもう一度呼び戻す、(4)身銭を切る、(5)個人事業主に学ぶ、(6)手の届く複数のロールモデルを探す、(7)自分をどこへ持っていくかが大事・・・・・とされました。
2019/07/20のBlog
[ 16:23 ] [ 環境・健康 ]
日 時 2019年7月19日(金)13時~14時30分
 「鳥はどうして飛べるのか」という単純素朴な不思議から
スタートする講座がありました。
 これの答えは「翼があるから」でしょう。
 話しはちょっと横にそれますが、飛行機に乗るのをいやがる
人がたまにいます。
 それは「金属の塊が空を飛ぶのがおかしい」からです。
 なぜ、飛行機は空を飛べるのでしょう。
 その秘密は翼にある由にて、その翼は上下のふくらみが違っていて、前方から風があたると上面は湾曲がきつく空気が速く流れ、下面は湾曲が緩やかなので遅く流れるとのこと。
 空気は流れるスピードが速くなると圧力が下がり、上面は下面よりも圧力が低くなり、翼は上の方向に持ちあげられるとのこと。(揚力)
 しかし翼に空気が流れないと揚力が生まれませんので、飛行機にはプロペラやジェットエンジンがつけられているのだとか。
 さて鳥にはプロペラやエンジンがついていないのにどうして飛べるのでしょう。
 実は鳥には翼の半分より先に「初列風切」という羽があり、これがプロペラの働きをするのだそうです。
 また翼の半分より体寄りの「次列風切」という羽があり、翼のはばたきに際して上下動が少なく、飛行機の固定した翼と同じように「揚力」を生み出すと考えられているようでした
2019/07/17のBlog
[ 14:00 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2019年7月17日(水)11時~12時30分
 NHK大河ドラマ「いだてん」の主人公・金栗四三のお話しが
ありました。
 彼は1891年(明治24年)に熊本県に生まれました。
 兄弟は男4人・女4人で彼は7番目でした。
 小学校(片道6㎞)へは素足で走って通学し、呼吸法を自分で
発見(?)しました。
 その後、海軍兵学校を志望するも、身体測定で不合格となり、
東京師範学校(東京教育大学→筑波大学:校長・嘉納治五郎)に進みました。
 当時 嘉納治五郎校長は全生徒に運動部への入部を求め、彼は「徒歩部(陸上部」)に入部いたします。
 マラソンは、明治42年に毎日新聞主催の「神戸湊川→大坂西成」の競争が最初であると言われており、彼はオリンピックの予選会(羽田競技場で開催)に出場して世界記録(非公認)をたたき出しました。
 第5回ストックホルム大会は、彼がマラソン(熱中症で行方不明となり、ゴールせず)と三島弥彦(100m・200m予選落ち、800m準決勝棄権)が出場いたしました。
 彼は東京高等師範学校を卒業後、教諭のかたわらマラソンも指導しました。
 オリンピックでは、第6回ベルリン大会は戦争で中止となり、第7回アントワープ大会では16位、第8回パリ大会では途中棄権の成績で、引退後はマラソンや駅伝の普及活動に尽力いたしました。
 結局オリンピックではこれと言った成績は残せませんでしたが、歴史には大きな足跡を残しました。
2019/07/16のBlog
[ 17:07 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2019年7月13日(火)13時30分~15時
 中国の正史とも言われる司馬遷が記した「史記」は、古代の
王や貴族から思想家や庶民に至るまでの人間模様が描かれて
います。
 それの中から比較的著名な人をご紹介いただきました。
 まず司馬遷自身ですが、前漢時代の歴史家で、父(歴史記録
等を職掌する史官)の遺命を受けて「史記」を完成させた人物
です。(写真/ネット)
 また「史記」の構成ですが、全130篇から成り、黄帝(伝説上の皇帝)から司馬遷自身が生きた武帝期までを記録した通史(一時代・一地域ではなく、全時代・全地域にわたる歴史記述)です。
 歴代帝王の記録「本紀」、年表「表」、諸制度を記録した「書・志」、諸侯の記録「世家」、個人の記録「列伝」、司馬遷の主張「論賛」から出来ている由です。
 そのような中から、今回紹介された人物(自分の生涯を重ねた人?)は・・・
●伍子胥:春秋時代の人、父も兄も楚の平王に殺されたので呉に亡命した後、呉を助けて楚を討った。
●荊 軻:戦国時代の刺客、燕の太子丹の命により始皇帝暗殺を謀る、彼は燕の地図等を手土産に秦の
 都に赴き、始皇帝に謁見を許されるも、暗殺に失敗し殺された。
●屈 原:戦国時代の楚の詩人、楚の王族で王にも信任されていたが、斉と協力して秦に対抗することを
 主張して追放され、川に入水自殺した。 
2019/07/14のBlog
[ 03:43 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2019年7月13日(土)13時30分~15時
 考古学からみた古代の大坂、特に難波宮・京を中心としたお話
しがありました。
 まず、古代とは7世紀から11世紀を言います。
 大坂のことを作家・司馬遼太郎氏は「政権を滅ぼす都」と表現さ
れたのだとか。
 さて難波宮ですが、前期と後期に分かれる由にて・・・
・前期:大化改新後、孝徳天皇が大和から遷都(7世紀)
・後期:聖武天皇のもと再建(前期の焼失による、8世紀)
 そして難波京としましては3つの段階があるとのことで、それは調査の成果として・・・
・初期難波京:前期難波宮の建設に伴い整備された孝徳朝のもの。
・前期難波京:天武朝の複都制の詔(683年)により建設(686年焼亡)
・後期難波京:聖武朝に再建に着手(726年)、しかし長岡遷都により廃絶(784年)
 ・・・と説明出来るとのことでした。
 次に大化改新についてですが、近年「大化改新否定論」もあるとのことですが、少なくても木管などの研究により、官僚制と公地公民制の創出は可能性が高い由です。
 そして中央集権的な政治システムの導入に伴い、一定の広さをもった区画で国土を覆うという壮大な青写真が描かれ、そのための場所が選ばれたことと難波宮がリンクしているのではと思われました。
2019/07/11のBlog
[ 18:24 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2019年7月11日(木)14時~15時30分
 5千円札に描かれている女流作家・樋口一葉の代表作「たけく
らべ」についてお話しを拝聴してきました。
 彼女は1872年(明治5年)生まれで、和歌を中島歌子に、小説
を半井桃水に師事して文壇デビューをしましたが、当時の不治の
病・肺結核に冒されて、わずか24才6カ月という短い人生を終え
た作家です。
 彼女が作家になった動機は生活苦からの脱出でしたが、わずか
1年半で「たけくらべ」の他、「にごりえ」や「十三夜」等々の小説を次々と発表し、一般の読者の他、文壇からも高い評価を得ました。
 今回解説いただいた「たけくらべ」は、「伊勢物語」第二十三段「筒井筒」をベースに、お祭りを舞台にした住職の息子・信如と遊郭吉原の遊女を姉にもつ少女・美登利の淡い恋を中心に、思春期の子供たちの心の葛藤を描いた作品です。
 この作品は森鷗外や幸田露伴など、文壇の人々からも絶賛され、前途有望でしたが24才という若さでこの世を去り、没後発表された「一葉日記」も高く評価されたこともあって、その後たとえば泉鏡花が「一葉の墓」を執筆するなどいたしました。
 この「たけくらべ」は宝塚でもミュージカル化されましたが、演出としまして「にごりえ」のお力を美登利の姉とするなど、独特の工夫ををして汀夏子や麻美れい等の出演で上演された由でした。