百舌鳥・古市古墳群と河内政権

日 時 2019年9月28日(土)14時〜15時30分
 「百舌鳥・古市古墳群」がユネスコの世界遺産に登録されたこと
により、この古墳群の被葬者等について講演がありました。
 古墳時代は倭国が形成された時代で、前方後円墳をはじめと
する古墳により身分秩序が表示されていました。
 「百舌鳥・古市古墳群」は4世紀末に成立した河内政権の古墳で
講演内容は5世紀を中心とした倭国王他のお話しです。
 ひと口に河内政権と言ってもどのような政権だったのでしょうか。
 たとえば、倭国の大和王権が奈良から河内に進出してきたもの、いやそうではなくて王族か他の勢力によるクーデタで王権が交替したもの・・・・・等々考えられます。
 記紀(古事記・日本書紀)が言う、仲哀天皇と神功皇后の子・後の応神天皇と、仲哀天皇と大仲姫の子・香坂王、忍熊王との皇位継承争いをどのように見るかも興味深いところです。
 さて河内政権の王統譜ですが、応神→仁徳→履中→反正→允恭→安康→雄略・・・と続きます。
 この古墳群の一番大きな古墳は大仙古墳で、宮内庁によれば仁徳天皇陵とされています。
 一方 大仙古墳から造出された須恵器等から推測して、この古墳は5世紀中葉のものと思われ、その頃に没した天皇は允恭(453年または454年没)であるので、大仙古墳は允恭墓とも言えるとか。
 そのように考えていくと応神墓は津堂城山古墳、仁徳墓は仲津山古墳・・・ということになる由です。
 古代は記紀によって記述が異なる部分もあり、外野席としましては興味津々と言ったところです。