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まなびの会
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2020/02/13のBlog
[ 14:56 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2020年2月13日(木)10時~12時
 明智光秀の起こした本能寺の変について、その生涯を検証し
ながら真相に近づこうとするセミナーがありました。
 まずは光秀の出自ですが、諸説があるものの、不可解な点も
多くあります。
 一般的には美濃の土岐氏(清和源氏)の出身であるということ
ですが、父親の名も明解でなく、生年についてもはっきりいたし
ておりません。
 出身地につきましても岐阜県可児市付近とされている由ですが、これも諸説あり確定ではありません。
 また戦国武将としましては、仕えた先はおおむね、斎藤道三⇒朝倉義景⇒足利義昭⇒織田信長とされていますが、宣教師・フロイスの「日本史」には細川藤高の足軽・中間であったと記されています。
 光秀謀反の証拠として愛宕権現で詠んだ「時は今あめが下しる五月哉」が「時は土岐」「あめが下は天下」「しるは治める」で、土岐家出身の自分が天下を治めるべきと解釈するようですが、単に「今は五月雨が降りしきる五月である」との単純な意味にもとれます。
 本能寺の変の原因は、遺恨説(信長の横暴な仕打ち)、野望説(光秀が天下を欲した)、黒幕説(朝廷・足利義昭等がバック)、四国説(血縁関係にあった長曾我部に対する信長の政策転換)等々 がささやかれていますが、いづれも確証がなく、強いて上げれば四国説が有力か???とのことでしたが・・・
2020/02/12のBlog
[ 16:35 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2020年2月12日(水)13時30分~15時
 古墳に立てられた埴輪は円筒埴輪の他、家、武器・武具類、舟
動物や鳥、人物などを形づくった形象埴輪があります。
 このような埴輪の意味する事柄について、記紀(「古事記」・「日本
書紀」)を引用しながらのセミナーがありました。
 まず「円筒埴輪」ですが、これは古墳という聖域を邪悪なものから
守るバリケードで、墳丘や堤に立て並べるもので、数ももっとも多い
由です。
 また「形象埴輪」ですが、前述のごとくさまざまな形のものを模した埴輪で、墳丘の頂上や外堤に並べるものだったそうです。
 さて、埴輪の起源ですが、「日本書紀」垂仁天皇条に・・・
 「天皇の叔父が亡くなり、その墓に近習の者を集めて生きたまま陵墓のまわりに埋めましたが、その人々はなかなか死ねず昼夜泣きうめき、天皇はこの泣きうめく声を聞いて心を痛めました。
 そこで野見宿祢(出雲出身者)に相談しましたところ、彼は出雲国の土部(はしべ)を呼びよせ、土でいろいろな物の形を作らせてこれを殉死の代用にするよう進言いたしました。」
 ・・・という経緯があるとのこと。(実際埴輪の出現は弥生時代で、上記は後の創作とも・・・)
 埴輪の意味するものですが、たとえば「人物埴輪」の場合、貴人・武人・楽人・舞人・力士・農民・・・等々を表しているものだとかで、その意味は「もがりの再現説」「芸能奉納説」「葬送行列説」「神事の饗宴表現説」「被葬者の生前表現説」「死後の世界表現説」等々、諸説がある由でした。
2020/02/08のBlog
[ 17:23 ] [ 生活・社会 ]
日 時 2020年2月8日(土)14時~16時
 阪急電鉄などを創設した事業家・小林一三の生涯やポリシーに
ついての講演会がありました。
 彼は1873年(明治6)に山梨県韮崎市に生まれました。
 1892年に慶応義塾を卒業し、三井銀行に入行します。
 三井銀行では本店に勤務し、その後大坂支店へ転勤になった頃
から事業の面白さに目覚めていったそうです。
 そして1907年にはついに三井銀行を退職し、箕面有馬電気軌道
(現阪急電鉄:宝塚線、箕面線)を設立して1910年から運行を開始しました。(写真はその時のポスター)
 会社のネーミングに「有馬」の地名が入っているとおり、当初の計画では宝塚からさらに有馬温泉まで鉄道を敷くことになっていました。
 しかし有馬温泉の旅館組合などから「有馬から大阪まで鉄道が通ると、日帰り客が多くなり、宿泊客が減少する。」との理由で大反対が起こり、これを断念しなければならなくなった由です。
 そこで彼はそれなら「宝塚」を一大観光地とする決意をし、まず洋風の新宝塚温泉を計画しました。
 元々宝塚温泉はあったのですが、これは芸者さんが出入りするような男性を主たる客とする施設でしたので、男性も女性も子供も皆が楽しめるものを目指して着手したとのことです。
 その後、室内プール~宝塚少女歌劇~動物園~ダンスホール~宝塚ホテル~運動場・野球場~宝塚新芸座~・・・と次々とビジネスを広げ、たくさんの人達が楽しめる事業を展開していったとのことでした。
2020/02/07のBlog
[ 15:51 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2020年2月7日(金)13時~14時30分
 やさしいくずし字についての講座がありました。
 古文書は歴史の宝庫です。
 ありし日の日記、紀行文、手紙、道標、看板、石碑などに書
かれ、書いた事実だけが残っています。
 昔の村や町で生活していた暮らしぶりが目に浮かぶようです。
 くずし字には必ず元になる漢字がある由。
 たとえば「古」⇒「こ」、「多」⇒「た」・・・であり、「楚者」⇒「そば」
「左可奈」⇒「さかな」・・・等々です。
 右上の写真の字は、「かきづくし、きそば、だんご、ごごうあん、さんしょうや」と読むとのことです。
 これらはかつての看板に見られます。
 また江戸時代の制札(法令、禁令などを書いた立て札)にも見られ、例としまして「忠孝札」なる文章をお示しくださいました。
 それは「(略)鉄砲猥に打べ可らす若違犯の者阿らハ申し出へし(略)右條々可相守之・・・」は「てっぽうみだりにうつべからず もしいはんのものあらばもうしでるべし(略)みぎじょうじょう これをあいまもるべし・・・」と読みます。
 その他、免定(年貢)の告知札などもご教示いただきました。
2020/02/03のBlog
[ 13:27 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 2020年2月3日(月)10時30分~12時
 ベルリオーズ(1803~1869)の代表作「幻想交響曲」を聴いて
きました。
 彼は開業医の長男としてフランス南部に生まれました。
 そして1821年には家業を継ぐという名目でパリの医科大学に
入学しますが、ほどなく医学を捨てて音楽を学び始めます。
 1823年にはパリ音楽院に入学し、オペラや作曲を学んだと
いう異色の作曲家です。
 この幻想交響曲についてベルリオーズは「病的に感受性と激しい想像力を持った一人の若い芸術家が、恋の絶望に耐えかねてアヘンを飲むも致死量に達せず、青年は重苦しい眠りにおちいり、奇怪きわまる数々の幻想を生み出す。病んだ頭脳のなかで彼の感覚や情緒や記憶が音楽的な思想や観念に・・・」と自信のプログラムで説明しています。
 この交響曲の骨格は「自分を裏切って去った恋人を青年は夢の中で殺害し、死刑宣告を受けて断頭台にひかれていく・・・」というもので、そのような物語を音楽にしたものとのことでした。
 またこの曲には楽章ごとに「題」がついており、第1楽章:愛・情熱、第2楽章:舞踏会、第3楽章:野の風景、第4楽章:断頭台への行進、第5楽章:サバト(魔女の宴)の夜の夢・・・です。
 これは彼自身の実体験、すなわちシェクスピア女優のハリエット・スミスソンへの果たされぬ恋の悩みのうちに作曲が進められたものであると言われています。
2020/02/01のBlog
[ 17:01 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2020年2月1日(土)14時~15時30分
 地球の大陸は分裂と合体を繰り返してきました。
 その大陸の経緯などについて、例を示しながらのセミナーが
ありました。
 特に死海から紅海を経て、東アフリカを南北に走る「東アフリ
カ大地溝帯」は、大陸の分裂がリアルタイムで起こったところ
だそうです。
 一方 カラコルム~ヒマラヤの大山脈は、大陸の衝突境界で
ある由です。
 今回は東アフリカ(エチオピア・ケニア・タンザニア・・・あたり)の大陸溝帯を中心とした分裂のお話しで、大陸が分裂するのは地球の下部から熱いもの(マグマ)が上がり、それが膨らんで基本的には三角形に割れるとのことです。
 ただ 固い岩盤によって例外的に割れないこともあり、たとえばバイカル湖などがそれで、従ってその湖の下には地溝帯がある由です。
 次に大陸の衝突や合体のお話しに移りましたが、事例はカラコルム(K2)とその周辺でした。
 さらにパキスタンの塩山脈のお話しで、これは明らかに海が隆起し、山脈を造ったもので、正に衝突の産物であるとか。
 これからの大陸ですが、例えばソマリア~モザンビークは500万年後位にはアフリカからわかれ、ジブラルタル海峡は失われてイベリア半島と北アフリカは合体するとのことでした???
2020/01/31のBlog
[ 17:43 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 2020年1月31日(金)13時30分~15時
 1月の最後に日本の伝統のひとつである和太鼓の演奏を聴く
機会に恵まれました。
 和太鼓は打楽器のひとつで、日本の太鼓の総称です。
 今までは主として神社などにおける儀式や祭礼、能や歌舞伎に
用いられてきましたが、近年は盆踊りの他、今回のような舞台で
の演奏など広く活躍しております。
 しかし太鼓の歴史は古く、縄文時代には情報を伝達するために
利用されていたようです。
 また「古事記」の中の天岩戸(天照大神が一時隠れたとされる)の場面でも音をならす手段として使われていました。
 中世におきましては田楽などの発達により隆盛をきわめました。
 そして戦国大名は陣太鼓として軍隊を統率するようになります。
 江戸時代には行事の伴奏風として使用されるようになり、近代では趣味・サークル等でも活躍し、競技会まで行われるようになりました。
 そして現代におきましては、今回のように太鼓だけでも舞台で演奏されるようになり、また町おこしや若い人の育成にも役立ち、ついに海外公演も実現して世界中に知られるまでに成長いたしました。
 今回は1月にふさわしく、「元日の語り」等の演奏を聴かせてくださいました。
2020/01/24のBlog
[ 17:19 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2020年1月24日(金)13時~14時30分
 神社についての様々な事柄をお話しいただきました。
 まず日本国内における神社の数ですが、全国に約8万あると
のことで、たとえばコンビニが全国で5.6万であることから、いか
に多いかということがわかります。
 また都道府県別にみますと、第1位:新潟県、第2位:兵庫県、
第3位:福岡県・・・とのことでした。
 次に神社の建築ですが、切妻造と入母屋造があるとのこと。
 そしてその前に建つ鳥居の種類は、神明鳥居(笠木と島木が真っすぐ)と明神鳥居(笠木と島木が反る「反り増し」がある)がある由でした。
 また本殿前にある狛犬は、エジプトのスフィンクスが原型とのことで、これがインド→中国→朝鮮→日本へと伝播したとのことです。
 さて参拝の作法ですが、手水は「手水舎に一礼する」「右手で柄杓を取り左手を清める」「柄杓を持ち換えて右手を清める」「残った水を流し柄杓を清める」「柄杓を元の場所に伏せ戻す」とします。
 そして拝礼では「2排2拍手1排」が基本(別の定めの神社もある)で、お祓いを受ける時の敬礼は45度、祝詞等が奏上されている時は60度、その他最も敬意を表す時は90度であるとか。
 なお社格を表すためか、よく延喜式の「官幣大社」等と書かれた石碑等を目にしますが、これは平安時代に定められたもので、その後明治時代に修正され、戦後はGHQの指示で今では存在しない由でした。
2020/01/23のBlog
[ 17:39 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 2020年1月23日(木)13時30分~15時
 管楽器(木管楽器・金管楽器)の無伴奏曲を聴く集いがありま
した。
 管楽器は弦楽器等と異なり、基本的にはひとつの音しか出す
ことが出来ません。
 また、必ず息継ぎを要しますので、作曲する上でも多くの制約
があります。
 それらを勘案しながら管楽器の無伴奏曲を聴き比べました。
●リコーダー:ファン・エイクの「笛の楽園」(150曲以上からなる独奏曲集)から、「イギリスのナイチンゲール」という曲で、鳥のさえずり等リコーダーの特徴をよく生かしたものでした。
●フルート;テレマンの「無伴奏フルートのための12の幻想曲」から、その6番(3楽章・5分程度)で、オーケストラで聴くフルートよりやや素朴でやさしい感じがしました。
●クラリネット:ストラヴィンスキーの「3つの小品」で、それぞれ1分程度の短い3つの曲で構成されており、ストラヴィンスキーの曲としましては比較的クセのないものでした。
●オーボエ:シルヴェストリーニの「6つの練習曲」から「キャプシーヌ大通り」で、メロディと伴奏を1人で受け持っているかのような演奏でした。
●ホルン:ブリテンの「セレナード」から「プロローグ」と「エピローグ」で、8曲からなる組曲の1曲目と8曲目がホルンの独奏となっていて、雄大な雰囲気を醸し出していました。
2020/01/17のBlog
[ 19:48 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2020年1月17日(金)13時30分~15時
 大きな事故や事件が起こりますと、それを題材としてフィク
ション作品を書こうとする作家が散見されます。
 今回は、世界最悪の航空機事故とも言われた「日航123便
墜落事故」について、①小説「クライマーズ・ハイ」(横山秀夫)
と②ノンフィクション作品「日航123便・墜落の新事実」(青山
透子)をご紹介していただきました。
 ①は、作者自身が当時地元の新聞記者をしており、またこの
事故報道を担当していたことから、記事作成の経緯や新聞社内部の状況等が細かく表現されています。
 記者は記事を正確に、公平に、公正に作成する義務がある一方、特ダネやスクープも要求されます。
 結局 彼の取材グループは他紙より早く墜落の原因をつきとめながら、確証を得ることに固守したために他紙にスクープを許し、彼はまもなく地方へ左遷させられます。
 新聞記者としての使命感や倫理観とスクープ獲得の信憑性の間を垣間見ることの出来る小説です。
 ②は、ノンフィクションの立ち位置として構成された作品で、第1章は記録、第2章は政治家や日航関係者等の証言、第3章は地元小中学生の文集、第4章は目撃者証言そして終章は読者等の感想・・・と全て事実と実名で記されている由です。
 たとえば、政治家(総理大臣や運輸大臣等)の事故当日の発言と、後日の発言に微妙な差があり、見方によってはこれは事故ではなく事件ではないかとさえ思わせる記述のある興味深い作品となっています。