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まなびの会
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2020/07/30のBlog
[ 13:43 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2020年7月30日(木)10時15分~11時45分
 戦国時代の覇者である徳川家康の若き日に焦点をあてた講座
がありました。
 家康は、3才で父母が離婚、6才で織田の、そして8才では今川
の人質となりました。
 家康の教育にあたった人は、今川義元の師でもあった太原雪斎
で、当時としては最高の学者・最高の参謀であった由。
 したがって、義元は自分の息子である氏真の右腕となる武将に
育てようとしたのではないかとのことです。
 さて若き日の家康ですが、彼は1542年に松平広忠(父)・於大の方(母)の間に生まれました。
 そして6才の時に織田家の人質となるも、8才の時に捕虜交換(織田信長の兄・信広と家康の交換)により、今川家の人質となったものです。
 家康の運命が大きく変わったのは、1560年の桶狭間の戦いでした。
 この時、今川軍は25000~40000人(学者により人数は異なる)で、織田軍は4000人(合戦に参加したのは2000人)でした。
 このことが義元に過信と油断をよび、結果はご承知のとおりです。
 家康はこの結果を受けて、岡崎城(写真)に入り、独立をはたしました。
 なお家康の名は、八幡太郎義家から「家」を、祖父・清康から「康」をとったとのことでした。
2020/07/09のBlog
[ 19:13 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2020年7月9日(木)10時~11時30分
 大阪の新興住宅として開発・発展した帝塚山(大阪南部)には
モダニズムの香り高い文学がありました。
 帝塚山に住み、ヒューマンな作品を残した一群の作家(帝塚山
派)の中から代表格の庄野潤三をご紹介していただきました。
 まず帝塚山派ですが、昭和の一時期、帝塚山を中心とする
作家達による文学活動が存在し、そこから数多くの文学者が輩出
され、香り高い上質の文学が誕生したことで、これを帝塚山派文学
と名付けられた由です。
 そして帝塚山派の作家とは、(1)住吉に居住した文学者、(2)帝塚山学院卒業の文学者、(3)帝塚山学院で教鞭をとった文学者・・・と定義できるとのこと。
 庄野潤三は、1921年(大正10年)に帝塚山で生まれ、32才で上京いたしました。
 賞も数々受賞しており、「プールサイド小景」で芥川賞、「静物」で新潮社文学賞、「夕べの雲」で読売文学賞、「絵合わせ」で野間文学賞・・・等々があります。
 また1978年(昭和53年)には57才で日本芸術院会員にもなっております。
 彼の作品の特徴は、主として家族を扱っていることで、たとえば「プールサイド小景」は、幸せそうに見える夫婦が内蔵する家庭崩壊を予感するもので、クビになった夫、生活不安にかられて徐々に狂気を帯びる妻、そして強烈なラストシーン・・・(「静物」では、壊れた家庭の幸福を再建する物語となっています。)
2020/02/21のBlog
[ 15:37 ] [ 環境・健康 ]
日 時 2020年2月21日(金)13時~14時30分
 春の足音が聞こえてくる季節となり、タンポポについての
お話しがありました。
 タンポポには大きく分けて外来種と在来種がある由。
 両者の違いはいろいろあるようですが、ひと目で解るのは
頭花の下にある外片が前者は反り返っており、後者は圧着
しているのだそうです。
 ただ中には中途半端なものもあり、外来タンポポと在来タン
ポポの雑種も見つかっているのだとか。(例:ロクアイタンポポ)
 タンポポの調査方法は、(1)タンポポを見つける⇒(2)花とタネを採取する⇒(3)調査票と現物を事務局へ送る⇒(4)事務局で調査・整理する・・・の手順でほぼ5年毎に行っている由です。
 さて、在来種にも種類があり、その特徴は・・・
 ●シロバナタンポポ:頭花は白く、やや外片が反っている。
 ●キビシロタンポポ:頭花は薄黄~白色で、外片は圧着していて、毛もある。
 ●クシバタンポポ:頭花は濃い黄色で、外片は厚みがあり、短めである。
 ●ヤマザトタンポポ:頭花は薄い黄色で、全体的に大型である。 ・・・等々とのこと。
 なお「タンポポ」の語源には諸説あり、ツヅミグサ(鼓草)と言っていたものが、鼓→タン!ポッポ♪→タンポポとなった、または堤防に生えていたのでツツミクサ(堤草)から・・・とも。
2020/02/18のBlog
[ 17:06 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2020年2月18日(火)13時~14時30分
 文化都市・金沢に文学散歩するセミナーを受講してきました。
 金沢はいろんな文化人を輩出していますが、中でも特に有名
なのは金沢三文豪(泉鏡花・徳田秋声・室生犀星)と言われる
小説家たちです。
 なお文学散歩とは、文学作品の舞台となった場所を訪れ作品
の描写と比較しながら歩くことです。
 今回は金沢三文豪のうち、泉鏡花に焦点が当てられました。
 彼(1873~1939)は金沢市下新町に生まれ、19才で上京して尾崎紅葉の門下生になりました。
 彼の小説は大きく分けて、(1)花柳もの(芸者など)、(2)幻想的なもの(妖怪など)、(3)職人の技や芸道を扱ったもの・・・の3つになります。
 代表作は「高野聖」(若い修行僧が飛騨山中の一軒家で怪奇で不思議な一夜を過ごす)、「婦系図」(早瀬主税はお蔦と所帯を持つが、師の酒井は将来を考え二人を別れさせる)等々です。
 さて文学散歩のすすめのスポットですが、作品のひとつ「義血侠血」(滝の白糸の話しで新派の定番であり、映画化もされた出世作)に出てくる所から、彼の生家の近く・浅野川(村越欣弥と滝の白糸が再会する場面)や有名な観光地のひとつ兼六園(滝の白糸が男達に襲われ、お金を奪われる場面)をご紹介していただきました。
 その他としましては、泉鏡花記念館・久保市乙剣宮・滝の白糸像等々がおすすめとのことでした。
2020/02/16のBlog
[ 08:42 ] [ 生活・社会 ]
日 時 2020年2月18日(土)13時30分~15時30分
 中東のイスラム世界についての講演会がありました。
 講師は、長年にわたりアラブ首長国連邦(UAE)に滞在し、
現在も財務大臣で王族のひとりであるシェイク・ファイサル・ビン
・サッカル・アル・カシミ殿下の特別顧問として仕えている由です。
 UAEは、アブダビ、ドバイ、シャールジャ、アジューマーン、
ウンム・アル=カイクイン、フジャイラ、ラアス・アル=ハイマの
7つの首長国からなる連邦制国家で、人口は約900万人、面積は
日本の四国くらいとのことです。
 さて、今アラブ(北アフリカ~中東~西アジア)では何が起きているのでしょうか。
 現在 世界ではコロナウイルスの問題がマスコミを賑わしていますが、アラブ周辺ではバッタの大群が発生していて、小さな草から木の芽にいたるまで食べつくされ、この状態が続くと飢饉が深刻なるのではと危惧されているのだとか。
 日本に関係するニュースでは、既報のとおりホルムズ海峡におきましてタンカーが海賊に襲われる事件があり、政府は自衛隊を派遣する方針のようです。
 日本の石油の輸入量は、中東への依存度が約87%である由にて、もしホルムズ海峡が閉鎖されれば大打撃になるのだとか。
 ただ海賊との仲介人が存在するとかで、お金による解決の道もある(?)ようですが・・・???
2020/02/13のBlog
[ 14:56 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2020年2月13日(木)10時~12時
 明智光秀の起こした本能寺の変について、その生涯を検証し
ながら真相に近づこうとするセミナーがありました。
 まずは光秀の出自ですが、諸説があるものの、不可解な点も
多くあります。
 一般的には美濃の土岐氏(清和源氏)の出身であるということ
ですが、父親の名も明解でなく、生年についてもはっきりいたし
ておりません。
 出身地につきましても岐阜県可児市付近とされている由ですが、これも諸説あり確定ではありません。
 また戦国武将としましては、仕えた先はおおむね、斎藤道三⇒朝倉義景⇒足利義昭⇒織田信長とされていますが、宣教師・フロイスの「日本史」には細川藤高の足軽・中間であったと記されています。
 光秀謀反の証拠として愛宕権現で詠んだ「時は今あめが下しる五月哉」が「時は土岐」「あめが下は天下」「しるは治める」で、土岐家出身の自分が天下を治めるべきと解釈するようですが、単に「今は五月雨が降りしきる五月である」との単純な意味にもとれます。
 本能寺の変の原因は、遺恨説(信長の横暴な仕打ち)、野望説(光秀が天下を欲した)、黒幕説(朝廷・足利義昭等がバック)、四国説(血縁関係にあった長曾我部に対する信長の政策転換)等々 がささやかれていますが、いづれも確証がなく、強いて上げれば四国説が有力か???とのことでしたが・・・
2020/02/12のBlog
[ 16:35 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2020年2月12日(水)13時30分~15時
 古墳に立てられた埴輪は円筒埴輪の他、家、武器・武具類、舟
動物や鳥、人物などを形づくった形象埴輪があります。
 このような埴輪の意味する事柄について、記紀(「古事記」・「日本
書紀」)を引用しながらのセミナーがありました。
 まず「円筒埴輪」ですが、これは古墳という聖域を邪悪なものから
守るバリケードで、墳丘や堤に立て並べるもので、数ももっとも多い
由です。
 また「形象埴輪」ですが、前述のごとくさまざまな形のものを模した埴輪で、墳丘の頂上や外堤に並べるものだったそうです。
 さて、埴輪の起源ですが、「日本書紀」垂仁天皇条に・・・
 「天皇の叔父が亡くなり、その墓に近習の者を集めて生きたまま陵墓のまわりに埋めましたが、その人々はなかなか死ねず昼夜泣きうめき、天皇はこの泣きうめく声を聞いて心を痛めました。
 そこで野見宿祢(出雲出身者)に相談しましたところ、彼は出雲国の土部(はしべ)を呼びよせ、土でいろいろな物の形を作らせてこれを殉死の代用にするよう進言いたしました。」
 ・・・という経緯があるとのこと。(実際埴輪の出現は弥生時代で、上記は後の創作とも・・・)
 埴輪の意味するものですが、たとえば「人物埴輪」の場合、貴人・武人・楽人・舞人・力士・農民・・・等々を表しているものだとかで、その意味は「もがりの再現説」「芸能奉納説」「葬送行列説」「神事の饗宴表現説」「被葬者の生前表現説」「死後の世界表現説」等々、諸説がある由でした。
2020/02/08のBlog
[ 17:23 ] [ 生活・社会 ]
日 時 2020年2月8日(土)14時~16時
 阪急電鉄などを創設した事業家・小林一三の生涯やポリシーに
ついての講演会がありました。
 彼は1873年(明治6)に山梨県韮崎市に生まれました。
 1892年に慶応義塾を卒業し、三井銀行に入行します。
 三井銀行では本店に勤務し、その後大坂支店へ転勤になった頃
から事業の面白さに目覚めていったそうです。
 そして1907年にはついに三井銀行を退職し、箕面有馬電気軌道
(現阪急電鉄:宝塚線、箕面線)を設立して1910年から運行を開始しました。(写真はその時のポスター)
 会社のネーミングに「有馬」の地名が入っているとおり、当初の計画では宝塚からさらに有馬温泉まで鉄道を敷くことになっていました。
 しかし有馬温泉の旅館組合などから「有馬から大阪まで鉄道が通ると、日帰り客が多くなり、宿泊客が減少する。」との理由で大反対が起こり、これを断念しなければならなくなった由です。
 そこで彼はそれなら「宝塚」を一大観光地とする決意をし、まず洋風の新宝塚温泉を計画しました。
 元々宝塚温泉はあったのですが、これは芸者さんが出入りするような男性を主たる客とする施設でしたので、男性も女性も子供も皆が楽しめるものを目指して着手したとのことです。
 その後、室内プール~宝塚少女歌劇~動物園~ダンスホール~宝塚ホテル~運動場・野球場~宝塚新芸座~・・・と次々とビジネスを広げ、たくさんの人達が楽しめる事業を展開していったとのことでした。
2020/02/07のBlog
[ 15:51 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2020年2月7日(金)13時~14時30分
 やさしいくずし字についての講座がありました。
 古文書は歴史の宝庫です。
 ありし日の日記、紀行文、手紙、道標、看板、石碑などに書
かれ、書いた事実だけが残っています。
 昔の村や町で生活していた暮らしぶりが目に浮かぶようです。
 くずし字には必ず元になる漢字がある由。
 たとえば「古」⇒「こ」、「多」⇒「た」・・・であり、「楚者」⇒「そば」
「左可奈」⇒「さかな」・・・等々です。
 右上の写真の字は、「かきづくし、きそば、だんご、ごごうあん、さんしょうや」と読むとのことです。
 これらはかつての看板に見られます。
 また江戸時代の制札(法令、禁令などを書いた立て札)にも見られ、例としまして「忠孝札」なる文章をお示しくださいました。
 それは「(略)鉄砲猥に打べ可らす若違犯の者阿らハ申し出へし(略)右條々可相守之・・・」は「てっぽうみだりにうつべからず もしいはんのものあらばもうしでるべし(略)みぎじょうじょう これをあいまもるべし・・・」と読みます。
 その他、免定(年貢)の告知札などもご教示いただきました。
2020/02/03のBlog
[ 13:27 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 2020年2月3日(月)10時30分~12時
 ベルリオーズ(1803~1869)の代表作「幻想交響曲」を聴いて
きました。
 彼は開業医の長男としてフランス南部に生まれました。
 そして1821年には家業を継ぐという名目でパリの医科大学に
入学しますが、ほどなく医学を捨てて音楽を学び始めます。
 1823年にはパリ音楽院に入学し、オペラや作曲を学んだと
いう異色の作曲家です。
 この幻想交響曲についてベルリオーズは「病的に感受性と激しい想像力を持った一人の若い芸術家が、恋の絶望に耐えかねてアヘンを飲むも致死量に達せず、青年は重苦しい眠りにおちいり、奇怪きわまる数々の幻想を生み出す。病んだ頭脳のなかで彼の感覚や情緒や記憶が音楽的な思想や観念に・・・」と自信のプログラムで説明しています。
 この交響曲の骨格は「自分を裏切って去った恋人を青年は夢の中で殺害し、死刑宣告を受けて断頭台にひかれていく・・・」というもので、そのような物語を音楽にしたものとのことでした。
 またこの曲には楽章ごとに「題」がついており、第1楽章:愛・情熱、第2楽章:舞踏会、第3楽章:野の風景、第4楽章:断頭台への行進、第5楽章:サバト(魔女の宴)の夜の夢・・・です。
 これは彼自身の実体験、すなわちシェクスピア女優のハリエット・スミスソンへの果たされぬ恋の悩みのうちに作曲が進められたものであると言われています。