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まなびの会
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2020/09/10のBlog
[ 13:09 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2020年9月10日(木)10時~11時30分
 大阪の新興住宅として開発・発展した南部の帝塚山にモダニズム
の香り高い文学が・・・
 その帝塚山派と呼ばれた文学学会の中から、美貌の俳人・橋本
多佳子についてお話しがありました。
 彼女は、1899年(明治32年)に東京で生まれ、18才で建築家・
実業家の橋本豊次郎と結婚して夫の赴任先である小倉に転居し
ました。
 やがて「櫓山荘」を建てて移り住んだ時に高浜虚子が来遊し、
句作を始めることになります。(地元の杉田久女に師事)
 そして「ホトトギス」に「たんぽぽの 花大いさよ 蝦夷の夏」が初入選しますが、これは北原白秋らと橋本夫妻が樺太・北海道旅行した時のもののようです。
 その後義父の死去にともない帝塚山に転居し、杉田久女から山口誓子を紹介され師事します。
 戦後は、中村貞女・星野立子・三橋鷹女とともに「4T」と言われ、俳壇の女流スターになっています。
 さて彼女の句集ですが、第1句集「海燕」、第2句集「信濃」、第3句集「紅糸」、第4句集「海彦」があり、死後に遺稿集「命終」が刊行されました。
 また代表句としましては、「曇り来し 昆布干場の 野菊かな」(海燕・ホトトギス入選)、「さびしさを 日日のいのちぞ 鴈わたる」(信濃)、「いなびかり 北よりすれば 北を見る」(紅糸)・・・等々。
2020/09/05のBlog
[ 17:04 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2020年9月5日(土)14時~15時30分
 ヒトはいつ、どこで、どのように誕生したのでしょうか。
 人類の誕生の地はアフリカだと言われており、2000万年
前から300万年前にかけて「ヒトのようなサル」から「サルの
ようなヒト」への進化等についてお話しを伺ってきました。
 まず我々が住んでいる地球ですが、これは約46億年前に
出来たと言われており当初はマグマに囲まれていた由ですが
その後約6億年後に大爆発が起こって原型が出来たらしい。
 さてヒトのことですが、よくヒトはサルから進化したものだと
言われますが、チンパンジーは途中までヒトと同じ進化の過程をたどったようです。(途中から枝分かれ)
 ヒトとは、「常時、2足歩行するもの。」と定義できるとか。
 また類人猿・ヒト化石発見史ですが・・・
 ・1856年 ネアンダール人発見(ドイツ・ネアンデル峡谷)
 ・1856年 ドリオビテクス人<大型類人猿>(フランス)
 ・1891~93年 ジャワ原人(インドネシア・ジャワ島)
 ・1921・29・66年 北京原人(中国) ・・・・・ 等々についての解説
 そして南アフリカで発見された約300万年前の頭骨化石(デプリカ)を見せていただきました。(写真)
 将来、人間はさらに進化するのか?「否、単純なもの(例:ウイルス)が生き残る」だとか???
2020/09/04のBlog
[ 18:35 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2020年9月4日(金)13時~14時30分
 桓武天皇は794年の平安遷都の際、平城京時の反省(仏教
が政治に影響を与える等々)から、政策上 官寺の東寺と西寺
を除いて寺院を置かないことにしたのだとか。
 しかし10世紀も後半になりますと、かなり偶発的で自然発生
的に小堂が建立されるようになり、そのような原則寺号を持た
ない「堂」について解説がありました。
 これら小堂は観音や薬師等の信仰を目的としたもので、庶民
の間に信仰され、やがて貴族の帰依も得るようになります。
 特に室町時代後期になりますと経済力で勢力を伸ばし、自治的な組織力を持つようになって(「町衆」)、「町堂」とも呼ばれた由で、もっぱら便宜的な人の集まりやすい場所として用いられたとのことです。
 そうした町堂の代表格が下京の「六角堂(写真)」「因幡堂」、上京の「革堂」などです。
 伝承によれば、「六角堂」の本尊・如意輪観音は聖徳太子が淡路にて見つけたものとのことであり、ここは華道・池坊とも深いかかわりがあります。
 また「因幡堂」は因幡守行平の邸宅跡にあり、行平が赴任していた因幡から薬師如来像が行平邸に飛来したとの伝承がある由。
 「革堂」は行円(道を開いたり、架橋したり、貧民に施行したりした聖僧)の創建であるとのことでした。
2020/08/29のBlog
[ 19:38 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 2020年8月29日(土)14時~15時30分
 ドイツの歌曲王フランツ・ベーター・シューベルト(1797~
1828)の名曲の中から、歌曲集「美しき水車小屋の娘」に
焦点をあてたお話しがありました。
 これは彼の歌曲集の中でも、「冬の旅」「白鳥の歌」と並ん
でシューベルト3大歌曲集と言われるものであるとか。
 シューベルトは教師の父と元コックの母の間に生まれ、父
がアマチュア音楽家であったことから、音楽教育を受け始め
ますが、やがて父の手に余るほどの才能を発揮して、教会
の聖歌隊に預けられます。
 そのおかげで貧しい彼には触れることができなかった良質な楽器で勉強することができたのだそうです。
 さてこの歌曲の内容ですが、粉屋職人の若者(第1曲)がある水車小屋で修行することになり(第4曲)、そのうち水車小屋の親方の娘に思いを寄せ、娘もそれを受け入れて若者は有頂天になります。(第11曲)
 やがて狩人が現れ(第14曲)、娘は狩人に心を奪われ(第15曲)、若者は絶望の果てに小川で死ぬことを考えます。(第19曲) 終曲(第20曲)は小川による「子守歌」です。
 極論として、そもそも「水車小屋の娘」など居たのかで、当時の水車小屋は同時に旅籠兼酒場でもあったことから、「粉屋の女」はしばしば「不実な女」とも考えられる由です。
 上記のような解説をお聞きしながら、その演奏も第1曲から順次映像で聴かせていただきました。
2020/08/28のBlog
[ 14:28 ] [ 生活・社会 ]
日 時 2020年8月28日(金)10時30分~11時30分
 近頃の気象は、正に命にかかわるものになっています。
 そこでテレビや新聞等で公表される気象情報に関心をもち、
防災に努めようとする講座がありました。
 まず気圧についてですが、気圧には高気圧と低気圧があり、
これの区分ですが、何となく1013ヘクトパスカルが基準かと
思われがちですが、実は特に数値的な基準はなく、要は周辺
より高いか低いかにより決まるのだそうです。
 この気圧に大きく関係するのが台風で、台風の勢力は雨の
量ではなく、風の強さでその規模の表現が変わるのだとか。
 また台風の季節による特徴ですが・・・
 ・夏台風⇒速度は遅い(自転車なみ)、影響は長期化する等々。
 ・秋台風⇒速度は速い(自動車なみ)、状況は急変する等々。
 次に大雨警報についてですが、この警報はたくさん雨が降った時ではなく、雨によって災害が起こる可能性があると予想される時に発令される由です。
 なお気象庁では気象情報をホームページで10分ごとに更新しながらリアルタイムで発表している由にて、これは個人でも見ることができるので、、ぜひ活用してほしいとのことでした。
 今年の夏は災害級の暑さですので、男性も日傘を使用してほしい由です。
2020/08/27のBlog
[ 13:34 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2020年8月27日(木)10時15分~11時45分
 徳川家康側から見た「小牧長久手の戦い」に焦点を当てたお話し
がありました。
 ここに至る経過は、「本能寺の変(信長暗殺)」→「山崎合戦(光秀
討伐)」→「清須会議(織田家相続)」→「賤ケ岳の戦い(秀吉×勝家
)」・・・で、これに勝ち残った秀吉と信雄(信長の次男)の内紛が発端
でした。
 この時、信雄は家康を誘い、家康もこれに応じています。
 また信雄は重臣である岡田重孝・津川義冬・浅井田宮丸の3人が
秀吉に通じていたとして、伊勢長島城で殺害するにおよび、秀吉は奇貨として戦端が開かれたのがこの「小牧長久手の戦い」であったとか。
 この時の陣容は、家康・信雄連合軍は約4万、秀吉軍は約10と言われています。
 当初の戦歴は、初め家康の陣営であった「岩崎城」(写真)が秀吉陣営の池田軍(池田恒政・長男元助・娘婿森長可等)によりおとさます。
 しかし小牧合戦(家康不在の岡崎城攻め)では反対に池田軍が敗れ、一勝一敗となりました。
 その後は膠着状態となり、やがて秀吉・信雄は和睦し、結果 家康は放置されますが、やがて秀吉の麾下に入ります。
 家康は、秀吉政権下では徹底して「律義者」で通し、後の天下取りにつなげていきました。
2020/08/22のBlog
[ 13:13 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 2020年8月22日(土)10時30分~11時30分
 クラシックの定番中の定番であるドヴォルザーク作曲「交響曲
第9番・新世界より」をベルリンフィル(カラヤン指揮)のCDで聴く
集いがありました。
 ドヴォルザークはボヘミアのいち小村であるネラホゼヴェスと
いう所で1841年に生まれました。
 実家は旅籠屋兼肉屋であった由。
 そのような家に出入りする旅音楽家の演奏を聴いてヴァイオリン
を習い覚え、音楽家になる決心を固めたのだそうです。
 彼は晩年オーストリア政府から「終身貴族院議員」の栄誉を受けるに至ったとかで、音楽史上ではまれに見る立志伝中の人と言えます。
 当初彼は、プラハの音楽学校を苦学卒業し、ヴィオラ奏者として同市の国立劇場管弦楽団で働きながら作曲に精進していました。
 そしてついにリストやブラームスの知遇を受け、その才能を認められて音楽院教授になりました。
 その後1892年(51才)にニューヨークに招かれ、ナショナル音楽院の院長となり、その3年間のアメリカ滞在中に書かれたのがこの「新世界より」でした。
 彼は新大陸で聴いた黒人霊歌や民謡などを好み、それを自己の創作音楽に同化させたようです。
 彼は「作曲家は自己の属する国民の民謡の精神を曲中に反映させる義務がある・・・」と言っていたとか。
2020/08/20のBlog
[ 14:40 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2020年8月20日(木)13時~14時
 世界最古の長編小説、紫式部の「源氏物語」にはさまざまな
謎がちりばめられている由。
 そのようなミステリーいっぱいの「源氏物語」についていくつか
例をあげて解説をしていただきました。
 まずは第1巻「桐壺」と第2巻「帚木」は、物語としてはつなが
りが不自然で、その間に失われた幻の巻があったのではという
お話しでした。
 第1巻は当時の天皇である桐壺帝と桐壺更衣の間に光源氏
が生まれるも、桐壺更衣は光源氏が3才のときに亡くなりますが、やがて桐壺に似た藤壷が現れ、光源氏はこの人にあこがれの恋をするようになります。
 第2巻に入りますと光源氏は葵の上と結婚、他にも浮名を流す貴人としして扱われており、あまりの急展開に疑問が生じるとのこと。
 また以降においての具体的な疑問としまして、(1)朝顔へ恋歌を贈った記述がない、(2)六条御息所とのなれそめの記述がない、(3)藤壺との不義密通の1回目の記述がない・・・
 等々からも、やはり幻の巻があったのではと思わせるのではとのことです。
 因みに藤原定家は第1巻の次に「輝く日の宮」があったのではとしている由。
 その他夕顔を殺したのは六条御息所の生霊か、屋敷に住みついている物の怪かのお話しもありました。
2020/08/12のBlog
[ 14:07 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2020年8月12日(水)10時~11時30分
 関西ゆかりの作家として、大阪南部に存在しましたいわゆる
帝塚山派の文学者の中から、同派の精神的支柱をなした藤澤
桓夫についてご紹介いただきました。
 彼は1904年(明治37年)に大坂・備後町に誕生いたしました。
 1933年から帝塚山に住み始め、本格的に小説を書くようにな
り、そしてまもなく新聞連載(「街の灯」「花粉」「新雪」)が相次ぎ
ました。
 また結婚は遅くて、1955年・50才のときでした。
 彼は同人誌「文学雑誌」を創刊して、大阪の若き書き手(織田作之助、庄野潤三、田辺聖子等々)に場を与えたり、同じく同人誌「近代説話」により作家達(石浜恒夫、司馬遼太郎、黒岩重吾等々)を支援するなど、いろいろ文学界に尽力しています。
 彼は大坂のサラブレッドとも言われ、実家等の財力や知力を帝塚山に結集して、大阪文壇サロンに帝塚山文化圏の基盤も作りました。
 彼は無冠の帝王で、文学碑もない由ですが、その小説は「都市的感覚にみちた日本で最初の小説として世間を魅了した。」(司馬遼太郎評)のだそうです。
 因みに代表作「新雪」は、主人公の小学校教諭・良太に2人の美女(保子:知的で慎ましやか、千代:パワーあふれる職業婦人)がからむ、関西を舞台とした都市文学です。
2020/08/01のBlog
[ 17:29 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 2020年8月1日(土)14時~15時30分
 音楽史上に燦然と輝くベートーヴェンの第5交響曲「運命」
についてのお話しがありました。
 「ジャジャジャジャーン・・・」で始まるモチーフを指して、彼は
シンドラ(弟子)に「運命はかく戸をたたく・・・(運命はこのよう
にやって来るのだ)」と説明したとか。
 ベ-トーヴェンは1770年にドイツのボンに生まれました。
 ボンの領主はケルン大司教を兼ねた選帝侯であり、代々
音楽を愛し、最盛期には50人以上も宮廷楽師を抱えていた由。
 ベートーヴェンが仕えた選帝侯はマクシミリアン・フランツ(マリアテレジアの末子で、皇帝ヨーゼフ2世の弟)で、やはり音楽好きな啓蒙君主であったようです。
 ベートーヴェンは1785年にボン宮廷のオルガニストとなり、1792年にはオーストリアのウィーンに出て、ハイドンの弟子になっています。
 本題の「運命」は1808年に第6番「田園」共々、アン・デア・ウィーン劇場で初演されました。
 有名な第1楽章はソナタ形式(提示部~展開部~再現部~終結部)で作曲されており、運命動機のみで衝撃的な曲風となっているのはご承知のとおりです。
 ただ実は第4楽章もソナタ形式で作曲されており、内容は短調から長調へ、暗闇から光明へ、闘争から勝利へ、苦悩から歓喜へ・・・と交響理念が込められているとのことでした。