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まなびの会
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2020/10/17のBlog
[ 18:15 ] [ 環境・健康 ]
日 時 2020年10月17日(土)14時~15時30分
 股関節・膝関節や腰椎の痛みについてのお話しでした。
 まず「変形性股関節症」についてですが、これは軟骨がすり
減る病気のことです。
 治療方法としましては、軟骨がまだ残っており痛みも軽度な
場合は鎮痛薬により疼痛をコントロールするそうですが、軟骨
がなくなり痛みが強くて歩けない時は手術をすることになります。
 次に「変形性膝関節症」のことですが、これは軟骨がすり減る
病気のこととのことです。
 この治療としましては、主として鎮痛剤の使用か人工膝関節置換術という手術で対応するそうですが、出来るだけ痛くない手術を目指しているとかで、術後管理はリハビリはもちろんのこと、場合によっては関節周囲多剤カクテル注射を行う由です。
 続いて腰椎の痛みについてですが、これのひとつに「腰部脊柱管狭窄症」があります。
 病態としましては、腰椎変性側湾症や腰椎分離すべり症等があるとのこと。
 薬物療法としましては、ルルカやカロリーナ等を使用するそうですが、改善しない場合はやはり手術(病態により異なる)ということになるようです。
 なおこれら病気治療の前提としまして「健康寿命を延ばす」ことも重要で、そのためには「生活習慣病の予防」「バランスのよい食事」「適度な運動」に心がけてほしいとのことでした。
2020/10/16のBlog
[ 15:28 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2020年10月16日(金)13時~14時30分
 めずらしい女性講談師のお話しを聴かせていただく場があり
ました。
 講談はもともと「平家物語」や「太平記」等の軍記物語をその
中心として起こったものの由。
 講師は「修羅場読み」に興味があって、若い時に講談塾に
入ったのだそうです。 その中で・・・
 (1)講談のリズムが好きになった。
 (2)歴史に興味がわき出した。
 (3)勧善懲悪がここちよい。
 (4)中国の韓非子に共感をおぼえた。
・・・等々により、正式に講談の道を歩むことになったのだとか。
 講談で使用するものに、しゃく台・張扇・子拍子・扇子・手ぬぐい等があり、早速聴かせていただきました。
 第1席は、「明智左馬之助の湖水渡り」で、光秀が本能寺で信長を討つも、山崎の合戦で秀吉に敗れた時、左馬之助は安土城で留守役をしていたが、光秀の敗戦を知って居城・坂本城に帰るため、馬で琵琶湖を渡ったという話し。
 第2席は、「秀吉と易者」で、秀吉が信長に仕える前にある易者(後の安国寺恵瓊)と出会い、三公(左大臣・右大臣・太政大臣)になる相だと言われる話し。
 第3席は、「宇治川の一番渡り」で、平家物語から佐々木・梶原が宇治川の一番渡りを争う話し。
2020/10/15のBlog
[ 18:10 ] [ 環境・健康 ]
日 時 2020年10月15日(木)14時~15時
 新型コロナウイルスの感染が未だ終息をみないなか、私達の
生活様式も変化しつつあります。
 そのような中で、ウイルスや薬局について講演会がありました。
 まず新型コロナウイルスですが、これは2019年12月に中国
湖北省武漢市で発生した原因不明の肺炎について、「SARSー
COV-2」というウイルスが原因と判明したものがスタートだとか。
 この新型コロナウイルスは主として「飛沫」「接触」により感染する
と言われています。
 (1)飛沫 ⇒ 感染者のつば等と一緒にウイルスが放出されて感染する。
 (2)接触 ⇒ ウイルスのついたものに触れ、その手で口や鼻を触ることにより感染する。
 なお新型コロナウイルスの症状ですが、多くの場合は発熱・咳・頭痛・倦怠感で風邪に近いものです。
 また他にも下痢・のどの痛み・嗅覚障害・味覚障害を訴える事例もあり、多くの場合は軽症ですが、高齢者や基礎疾患のある人については重症化することもある由です。
 なおマスコミ等で「濃厚接触者」という言葉をよく耳にしますが、これは「陽性患者と同居あるいは長時間の接触があった者」「手で触れる距離で予防策なしで患者と15分以上触れた者」とのこと。
 そこでまずかかりつけ薬局を決めておくことが重要なことで、1つに決めておくことにより薬をまとめて管理が出来、複数の医療機関からの薬のダブリ等にも気づくメリットがある由。
 その中でかかりつけ薬剤師を決めておくと、治療のサポートにもなるとのことでした。
2020/10/14のBlog
[ 17:58 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2020年10月14日(水)11時~12時30分
 NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀の謎につつ
まれた前半生(特に、生年や出生地等々)についてのお話しが
ありました。
 まず生年の謎ですが・・・・・
 (1)享禄元年(1528)生まれ説:「明智軍記」による。
 (2)永正13年(1516)生まれ説:「当代記」による。
 (3)天文9年(1540)生まれ説:「江戸時代の川柳」による。
・・・・・等々がある由にて、(2)の説をとりますと「本能寺の変」
の時には光秀はすでに67才であったことになります。
 またいづれの説をとりましても、光秀は鼠年生まれでした。(織田信長は午年生まれ)
 次に出生地候補ですが・・・・・
 (1)岐阜県恵那市明知町;光秀産湯の井戸、光秀供養塔、明知城跡等々あり。
 (2)岐阜県可児市瀬田:明知荘、明知城、光秀産湯の井戸等々あり。
 (3)岐阜県山県市:光秀の母が懐妊の折、「たとえ3日でも天下を獲る男子を授けたまえ」と祈った場所。
 (4)滋賀県犬上郡多賀町佐目:光秀の父が住んでいた所。
・・・等々がある由です。
 なお光秀は「本能寺の変」「山崎の合戦」の後も生存していたとする説もあるようでした。
2020/10/12のBlog
[ 18:42 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2020年10月12日(月)14時~15時30分
 中国・明時代に登場した処世訓「呻吟語」について学ぶ機会が
ありました。
 「呻吟」のもともとの意味は、「苦しみあえぐ声」だそうですが、
内容は決して堅苦しいものではありませんでした。
 すなわち日々に役立つ知恵が満載で、たとえば「人間の品格
とは」「暮らしの心がけは」「世の中の流れへの対処は」・・・等々。
 著者は呂坤(1536~1618)という人で、実に30年の歳月を
かけて書き上げたと言われる処世訓の傑作だとか。
 冒頭の「性命篇」は陽明学の最重要テーマであった人間の本性や運命について、また続く「存心篇」は心の在り方についての言葉を集めている由です。
 日本での高名な愛読者のひとりに大坂奉行所の与力であった大塩平八郎が居り、1837年の挙兵の思想的背景に陽明学があったとのことでした。
 具体的に名言集の一部をご紹介しますと・・・・・
 ・人の最大の過ちは自分だけが正しいとし、自分だけを守ろうとすることだ。(修身篇)
 ・うわついた議論が横行する風潮に心が痛む。(世運篇)
 ・多くの人が言っているから正しいとは限らない。(治道篇)
 ・あの世へ持っていくものは「物」ではなく、「心」である。(存心篇)
 ・才能と学問は剣のごとし。(問学篇) ・・・・・等々
2020/09/24のBlog
[ 13:09 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2020年9月24日(木)10時15分~11時45分
 戦国時代の覇者・徳川家康の後半生の講座がありました。
 1598年に天下人・豊臣秀吉が逝去し、その後秀頼の後見人
前田利家が1599年に死去しますと、家康の一人勝ちとなり、
五大老の前田利長、続いて上杉景勝へ謀略を仕掛けます。
 やがて石田三成が西国大名を中心に挙兵しますと、これとの
合戦に切り替えます。
 家康は関ヶ原の合戦に当たっては、いろいろと手を打ちました。
 (1)北政所の甥・小早川秀秋の寝返り工作
 (2)黒田官兵衛・長政父子ら、秀吉子飼いの武将の取り込み
 (3)京極高次が居城・大津城を死守し、立花宗茂をくぎ付け
 (4)毛利一族は吉川広家との約束で結局動かず ・・・・・・・・・・ 等々
 家康は関ケ原の勝利後は大名の配置換えを行い、大阪夏の陣で豊臣家を滅ぼしてしまいます。
 家康は征夷大将軍に就任して江戸幕府を開きますと、豊臣家の滅亡を見届けて征夷大将軍の位を秀忠に譲り、大御所として浜松に隠居いたしました。
 大御所とは摂政・関白や征夷大将軍等の実父の尊称で、第一線を退いても影響力を持つ長老の意。
 そして家康は1616年に75才で駿河城において永眠いたしました。 辞世は・・・
 「嬉しやと ふたたびさめて 一眠り うき夜の夢は あかつきの空」
 「先にゆき あとに残るも 同じこと つれて行かぬを 別れとぞいう」
2020/09/18のBlog
[ 18:03 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 2020年9月18日(金)11時~12時30分
 ヴァイオリンと音楽史にまつわるトークのコンサートがあり
参加してきました。
 私たちの音楽は原始時代からあったとかで、古代の遺跡
や古墳の壁画からも明らかであるとか。
 ただ学術的な音楽史ということになると、西暦800年頃の
グレゴリオ聖歌あたりからである由。
 このグレゴリオ聖歌は、カトリックの僧侶(グレゴリア1世等)
が教会で日頃から歌われていた讃美歌をまとめたものとの
ことで、どこで歌われても同じメロディーになるよう、五線譜の原形が出来たのもこの頃だそうです。
 そして中世に入りますと、宗教色の濃い教会音楽から王侯貴族のサロン等で食事やお遊び時のBGM的な役割を担う深みがあり静かな宮廷音楽へと移っていきました。
 それが1300年頃のルネサンス、1500年頃のバロック、1700年頃の古典音楽です。
 まず演奏の1曲目は土着の音楽から「ユダヤの母」、続いて「アイリッシュ」(民族音楽)を聴かせていただき、これら市井の音楽をサロン風にすれば・・・と、バッハの「メヌエット」をご披露くださいました。
 やがて各地で革命の風が吹き荒れ、貴族が衰退し庶民が歴史の舞台に躍り出ると、音楽も地域性のある華やかなものへと移行し、ショパンがポーランドのポロネーズを、ブラームスがハンガリアン舞曲を、ドボルザークがチェコのメロディーをひっさげて登場いたしました。
 最後の演奏は、「ハンガリアン舞曲・第5番」、「チゴイネルワイゼン」でした。
2020/09/10のBlog
[ 13:09 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2020年9月10日(木)10時~11時30分
 大阪の新興住宅として開発・発展した南部の帝塚山にモダニズム
の香り高い文学が・・・
 その帝塚山派と呼ばれた文学学会の中から、美貌の俳人・橋本
多佳子についてお話しがありました。
 彼女は、1899年(明治32年)に東京で生まれ、18才で建築家・
実業家の橋本豊次郎と結婚して夫の赴任先である小倉に転居し
ました。
 やがて「櫓山荘」を建てて移り住んだ時に高浜虚子が来遊し、
句作を始めることになります。(地元の杉田久女に師事)
 そして「ホトトギス」に「たんぽぽの 花大いさよ 蝦夷の夏」が初入選しますが、これは北原白秋らと橋本夫妻が樺太・北海道旅行した時のもののようです。
 その後義父の死去にともない帝塚山に転居し、杉田久女から山口誓子を紹介され師事します。
 戦後は、中村貞女・星野立子・三橋鷹女とともに「4T」と言われ、俳壇の女流スターになっています。
 さて彼女の句集ですが、第1句集「海燕」、第2句集「信濃」、第3句集「紅糸」、第4句集「海彦」があり、死後に遺稿集「命終」が刊行されました。
 また代表句としましては、「曇り来し 昆布干場の 野菊かな」(海燕・ホトトギス入選)、「さびしさを 日日のいのちぞ 鴈わたる」(信濃)、「いなびかり 北よりすれば 北を見る」(紅糸)・・・等々。
2020/09/05のBlog
[ 17:04 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2020年9月5日(土)14時~15時30分
 ヒトはいつ、どこで、どのように誕生したのでしょうか。
 人類の誕生の地はアフリカだと言われており、2000万年
前から300万年前にかけて「ヒトのようなサル」から「サルの
ようなヒト」への進化等についてお話しを伺ってきました。
 まず我々が住んでいる地球ですが、これは約46億年前に
出来たと言われており当初はマグマに囲まれていた由ですが
その後約6億年後に大爆発が起こって原型が出来たらしい。
 さてヒトのことですが、よくヒトはサルから進化したものだと
言われますが、チンパンジーは途中までヒトと同じ進化の過程をたどったようです。(途中から枝分かれ)
 ヒトとは、「常時、2足歩行するもの。」と定義できるとか。
 また類人猿・ヒト化石発見史ですが・・・
 ・1856年 ネアンダール人発見(ドイツ・ネアンデル峡谷)
 ・1856年 ドリオビテクス人<大型類人猿>(フランス)
 ・1891~93年 ジャワ原人(インドネシア・ジャワ島)
 ・1921・29・66年 北京原人(中国) ・・・・・ 等々についての解説
 そして南アフリカで発見された約300万年前の頭骨化石(デプリカ)を見せていただきました。(写真)
 将来、人間はさらに進化するのか?「否、単純なもの(例:ウイルス)が生き残る」だとか???
2020/09/04のBlog
[ 18:35 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2020年9月4日(金)13時~14時30分
 桓武天皇は794年の平安遷都の際、平城京時の反省(仏教
が政治に影響を与える等々)から、政策上 官寺の東寺と西寺
を除いて寺院を置かないことにしたのだとか。
 しかし10世紀も後半になりますと、かなり偶発的で自然発生
的に小堂が建立されるようになり、そのような原則寺号を持た
ない「堂」について解説がありました。
 これら小堂は観音や薬師等の信仰を目的としたもので、庶民
の間に信仰され、やがて貴族の帰依も得るようになります。
 特に室町時代後期になりますと経済力で勢力を伸ばし、自治的な組織力を持つようになって(「町衆」)、「町堂」とも呼ばれた由で、もっぱら便宜的な人の集まりやすい場所として用いられたとのことです。
 そうした町堂の代表格が下京の「六角堂(写真)」「因幡堂」、上京の「革堂」などです。
 伝承によれば、「六角堂」の本尊・如意輪観音は聖徳太子が淡路にて見つけたものとのことであり、ここは華道・池坊とも深いかかわりがあります。
 また「因幡堂」は因幡守行平の邸宅跡にあり、行平が赴任していた因幡から薬師如来像が行平邸に飛来したとの伝承がある由。
 「革堂」は行円(道を開いたり、架橋したり、貧民に施行したりした聖僧)の創建であるとのことでした。