苦難の石山・丹波攻め

日 時 2020年11月18日(水)11時〜12時30分
 明智光秀が織田信長に命ぜられた丹波攻略を中心とした内容の
お話しがありました。
●1575年:足利義昭を京から追放した信長は、義昭に同調する
 丹波の国人・領主達を光秀に制圧するよう指示します。
 光秀はまず氷上郡に進出し、黒井城攻めを始めました。
●1576年:黒井城を包囲していた光秀側の波多野秀治が突如寝
 返り光秀攻めに転じたため苦戦に陥ります。(坂本城に逃げ帰る)
 4月に入りますと信長から石山攻めを命じられ今度は摂津に出陣
 いたしました。
●1577年:松永久秀が石山攻めから勝手に撤退し、大和・信貴山へ帰り籠城します。
 光秀も信貴山城攻めに参陣し、久秀が自刃したため再び丹波攻めにかかりました。
●1578年:包囲した黒井城の荻野直正が病死いたします。
 その頃播磨・三木の別所長治が籠城したため光秀は秀吉の援軍として播磨へ転戦を余儀なくされます。
 またそれに加えて光秀の娘が嫁入りしている摂津・有岡城の荒木村重が離反し、離縁させました。
●1579年:光秀は丹波・八上城の波多野攻めを本格化させますが、信長は光秀の攻略は手ぬるいと、
 羽柴秀長・丹羽長秀を援軍に向かわせます。
 結局 光秀の降伏調略で波多野秀治と弟達が城を出て安土城下で斬首され、決着したとのことでした。