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まなびの会
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2021/01/05のBlog
[ 20:41 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 2021年1月5日(火) 14時~15時30分
 プッチーニ(1858~1924)作曲のオペラ・蝶々夫人をDVDを
鑑賞しながらのオペラ講座がありました。
 プッチーニはイタリアを代表する作曲家で、イタリアオペラ
ではヴェルディと並んでオペラ部門の双璧です。
 彼はこの他にも中国・北京を舞台とした「トゥーランドット」等
東洋を舞台とした作品を発表しています。
 そしてこのオペラにはあちこちに日本の曲(宮さん宮さん、
お江戸日本橋、さくらさくら、越後獅子・・・)がさりげなく挿入
されていて、日本人には親しみやすいオペラだと言えます。
 あらすじですが、19世紀の長崎が舞台で、アメリカの海軍中尉・ピンカートン(東洋艦隊に勤務)は喋々さん(長崎・大村の士族の娘で、明治維新時に父が切腹したため、芸者をして働いている)を嫁に迎えます。
 やがて彼は本国へ帰国し、アメリカ人女性と結婚いたします。
 3年間ピンカートンを待ち続けた喋々さんですが、再来日した彼の現実を知り、子供を残して父が切腹した短刀で自害します。
 なお、今回はソプラノ歌手による代表的なアリア(「ある晴れた日に」「小さな神様」等)を生で聴くことができました。(写真)
2020/12/17のBlog
[ 17:56 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2020年12月17日(木)11時~12時30分
 昭和を代表する作家・山本周五郎の作品の中から「さぶ」の紹介が
ありました。
 彼は1903年山梨県に誕生(本名:清水三十六)、1916年小学校を
卒業し、貧困のため質屋:きねやに奉公、1926年文芸春秋に「須磨
寺付近」を掲載(出世作)、1943年「日本婦道記」が直木賞に選ばれ
るも辞退、1959年「樅の木は残った」の毎日出版文化賞を辞退、
1961年「青かべ物語」の文芸春秋読者賞を辞退、1967年死去。
 彼のペンネーム「山本周五郎」は、13才の時に奉公した質屋の
主人の名で、この経営者は店員全員に簿記と英語を習わせ、夜学にも通学を許すという人格者(精神的・物質的な庇護者)だったことによるのだとか。
 彼の特徴は、主人公は懸命に生きる無名の貧しい人々で、・反権力志向の作家、・賞を辞退する作家、・軍部からの報道班員要請を断った作家、そして「へそ曲がり」であった由です。
 「さぶ」のあらすじは、江戸下町で雨の中で泣いていたさぶの姿を見つけ、栄二がさぶを慰めるところから始まり、二人は表具屋・芳古堂で働いていましたが、無実の罪をきせられ人間不信におちいった栄二が、人足寄場で苦難と闘うのをさぶが支えるという友情を描いたものです。
 さぶは、回転が鈍く不器用だがひとつのことに一生懸命になるタイプで、栄二は男前で頭が良く器用な職人タイプという設定でした。
 彼の遺言は「貧困と病気と絶望に沈んでいる人たちのために、幸いと安息の恵まれるように」とのこと。
2020/12/16のBlog
[ 17:56 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2020年12月16日(水)11時~12時30分
 1582年に京都において、織田信長を臣下の明智光秀が謀反して
起こした「本能寺の変」についてのお話しがありました。
 この年(1582年)の主な経緯は・・・
 ●3月11日 ⇒ 武田勝頼、天目山で自刃(武田氏滅亡)
 *勝頼の首実検時に光秀、信長に叱られる。(諸説有)
 ●5月15日 ⇒ 光秀、家康の饗応役を命じられる。
 *饗応について叱責をうける。
 ●5月17日 ⇒ 光秀、中国攻めを命じられる。
 *坂本・丹波を召し上げ、出雲・石見切取次第(諸説有)
 ●5月28日 ⇒ 愛宕山大権現において、連歌を催す。
 *発句「とき(時→土岐)はいま(今)あめ(天)が下しる五月哉」(土岐家の自分が天下をとると宣言?)
 ●5月29日 ⇒ 信長、安土城を出て、本能寺に入る。
 ●6月 2日 ⇒ 早朝、本能寺の変
 光秀が信長を襲った理由は・・・
 (1)遺恨説、(2)足利義昭将軍黒幕説、(3)朝廷黒幕説、(4)四国取り次ぎ説、
 (5)信長非道阻止説、(6)イエズス会黒幕説、(7)秀吉謀略説 ・・・等々がある由。
 さて、その真実は???
2020/12/12のBlog
[ 19:21 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 2020年12月12日(土)14時~15時30分
 近代を代表する音楽家のひとりであるグスタフ・マーラー(1860
~1911)について、交響曲第1番(巨人)と同第2番(復活)をDVD
で聴きながら解説をいただきました。
 その生涯は、カリシュト(ボヘミア地方)に誕生(1860)、ウィーン
音楽院入学(1875)、ライバッハ州立歌劇場指揮者に就任(1881)
をはじめ、ライプッチヒ、ブダペスト、ハンブルグ、ウィーン歌劇場
等々の指揮者を務め、ウィーンで没しました。(1911)
 まず交響曲第1番ですが、最初は2部構成の交響詩として発表
されましたが、後に4楽章(第1楽章:自然音のように、第2楽章:力強く躍動し、第3楽章:厳粛に重々しく、第4楽章:嵐にような激励)の交響曲になった由。
 副題の「巨人」は、マーラーの愛読書であったジャン・パウルの小説「巨人」に由来しているようですが、これは上演に際してつけられたとのこと。
 次に交響曲第2番ですが、これは5楽章(第1楽章:真剣で厳格な、第2楽章:ゆっくりと、第3楽章:静かに流れるような、第4楽章:厳粛に素朴に、第5楽章:荒々しく達成感をもって)からなっています。
 副題の「復活」は、もちろん「キリストの復活」のことで、第5楽章で歌われる歌詞からとられたもののようです。(第4楽章と第5楽章に声楽<シンフォニー・カンタータ>を導入)
2020/12/10のBlog
[ 17:56 ] [ 生活・社会 ]
日 時 2020年12月10日(木)10時~11時30分
 ソクラテスやプラトンとともに西洋哲学者の一人とされるギリシャの
哲学者・アリストテレス(BC384~BC323)についての講座があり
ました。
 彼の生涯は、エーゲ海北岸に生まれ(BC384)、アテネのアカデ
メイアに入学(BC367)、自身の学園・リュケイオンを設立(BC335),
没(BC323)・・・です。
 著作集は、論理学・物理学・心理学から経済学・芸術学・生物学・
倫理学等々、多岐にわたっています。
 そのうち、倫理学とは人柄学であり、幸福学であるとのこと。
 「幸福の生」とは、人によって考え方が異なる(ライフスタイルの数だけ存在する。)わけですが、「人間ならではの生き方」をすることが「人間として生きがいのある生き方」であるとし、
 (1)人間の徳をできるだけ発揮させて生きること。
 (2)理性をできるだけ働かせながら生きること。 ・・・・・ だそうです。
 徳には、知的徳(知恵・思慮・技術等)と性格的徳(勇気・温厚・節制等)がある由。
 後者にはいわゆる中庸論があって・・・・・
 ●「勇気」⇒「向こう見ず」と「臆病」の中間で、「恐怖」の感情に関わる。
 ●「温厚」⇒「短気」と「腑抜け」の中間で、「怒り」に関わる。
 ●「節制」⇒「ふしだら」と「無感覚」の中間で、「欲望」に関わる。 ・・・・・とのことでした。
2020/12/03のBlog
[ 19:16 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2020年12月3日(木)10時~11時30分
 現代と異なる中世の結婚や家族について、鎌倉時代の源頼朝と
北条政子夫妻の例を中心にお話しがありました。
 頼朝と政子については、「真名本曽我物語」巻第三によれば、
「・・・兵衛佐殿(頼朝)は北条の妃(政子)に浅からぬ御志に依って
夜々通はんとせし程に、姫君一人御在す(女の子が生まれた)・・・」
とあり、政子は父(北条時政)が決めた人には結局嫁がず、いわゆる
出来ちゃった結婚となり、父もしかたなく了承しています。
 当時はこのように結婚は、単に当人同士の合意のみでは成立せず、
親の関与と了解が必要だったようです。
 またこの頃の特徴としましては・・・・・
 ●夫方が女を迎え入れる。(嫁取婚、まだ婿取婚もあった)
 ●結婚後は夫方に居住または新居に居住した。
 ●女は夫方に入るが、実家の姓のままである。
 因みに当時の名乗りは、(1)氏<うじ>、(2)姓<かばね>、(3)名字<みよじ>があり、その定義は、(1)同一祖先からの団体名<天皇から賜る>、(2)各々の氏の地位や序列を示す<氏とセットで用いられた>、(3)住所等に因んで名乗られたもの<自称>だそうです。
 なお家族のかたちは、分割相続では先細ることになるため、嫡子単独相続がメインになってきた時代であった由でした。
2020/11/19のBlog
[ 17:58 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2020年11月19日(木)11時~12時30分
 関西文化に育まれた文学として、上田秋成の「雨月物語」が
取り上げられました。
 上田秋成は1734年に大坂・曽根崎に生まれた18世紀を
代表する大阪の文学者です。
 彼の作品の特徴は「和文を駆使した怪異(例:ろくろく首・山姥
等々)美の極致」だそうです。
 「雨月物語」は短編集で、5巻9話から成っています。
 すなわち、巻1:白峰・菊花の約、巻2:浅茅の宿・夢応の鯉魚
巻3:仏法僧・吉備津の釜、巻4:蛇性の婬、巻5:青頭巾・貧福論 ・・・です。
 今回はこの中から、巻2の「浅茅の宿」をメインに、巻4の「蛇性の婬」をサブとした内容でした。
 「浅茅の宿」は、戦乱の世に一旗挙げようとする勝四郎(夫)が宮木(妻)に「秋に帰る」と都へ行き、結局7年後に死んで幽霊となった妻に再会する話しです。
 また「蛇性の婬」は、豊雄(風流人)が蛇の化身である真女児(未亡人)につきまとわれるが、最後は寺の僧侶に救われる話しです。
 なお宝塚歌劇では、「浅茅の宿」に「蛇性の婬」をドッキング・ミックスさせた脚本で演じられており、宝塚らしいメッセージを発信させています。
 原作では主人公は突き放された感がありますが、宝塚歌劇では新たな旅立ちとしています。
2020/11/18のBlog
[ 18:02 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2020年11月18日(水)11時~12時30分
 明智光秀が織田信長に命ぜられた丹波攻略を中心とした内容の
お話しがありました。
●1575年:足利義昭を京から追放した信長は、義昭に同調する
 丹波の国人・領主達を光秀に制圧するよう指示します。
 光秀はまず氷上郡に進出し、黒井城攻めを始めました。
●1576年:黒井城を包囲していた光秀側の波多野秀治が突如寝
 返り光秀攻めに転じたため苦戦に陥ります。(坂本城に逃げ帰る)
 4月に入りますと信長から石山攻めを命じられ今度は摂津に出陣
 いたしました。
●1577年:松永久秀が石山攻めから勝手に撤退し、大和・信貴山へ帰り籠城します。
 光秀も信貴山城攻めに参陣し、久秀が自刃したため再び丹波攻めにかかりました。
●1578年:包囲した黒井城の荻野直正が病死いたします。
 その頃播磨・三木の別所長治が籠城したため光秀は秀吉の援軍として播磨へ転戦を余儀なくされます。
 またそれに加えて光秀の娘が嫁入りしている摂津・有岡城の荒木村重が離反し、離縁させました。
●1579年:光秀は丹波・八上城の波多野攻めを本格化させますが、信長は光秀の攻略は手ぬるいと、
 羽柴秀長・丹羽長秀を援軍に向かわせます。
 結局 光秀の降伏調略で波多野秀治と弟達が城を出て安土城下で斬首され、決着したとのことでした。
2020/11/12のBlog
[ 18:06 ] [ 生活・社会 ]
日 時 2020年11月12日(木)10時~11時30分
 古代ギリシャの哲学者でソクラテスの弟子とも言われたプラ
トンのお話しがありました。
 プラトンはBC427年にアテナイ(アテネ)に誕生し、ソクラテス
の刑死(BC399年)を経験し、アカデメイア(学園)を設立(BC
387年)して、BC347年に没しました。
 表題の「イデア」ですが、たとえば「美しい」の場合は、「モーツ
アルトのジュピター交響曲」や「フェルメールの真珠の首飾りの
少女」等とは別に「美そのもの」が存在する意があり、「よい」の
場合は「善い人」や「善い行為」等とは別に「善そのもの」が存在することを言うとのことです。
 もし「イデア」が本当にあるとするならば、「感覚によって捉えられる世界」と「感覚によって捉えられない世界」が存在することになります。
 前者は、見たり、聞いたり、触れたりした個物の存在であり、後者は、アイディアや理想として存在するものを言っているのではと思われます。
 すなわち「イデア論」は実際には目に見えないけれども存在するものがあるという考え方のようで、たとえば「1個のグラス」「1枚の紙」「1本のエンピツ」等は存在するが、「1」そのものは目に見えないけれどもやはり存在はしていると考えることではないのでしょうか。
 また「正義」とは、魂の3つ(知恵、勇気、節制)がバランスよく働いている状態をいうとのことでした。
2020/11/05のBlog
[ 17:58 ] [ 生活・社会 ]
日 時 2020年11月5日(木)10時~11時30分
 昨今は新型コロナウイルスの感染拡大により私達の生活様式も
随分変わってきました。
 そのような中で、今回は平安時代の家の在り方について改めて
検証しようとする講座がありました。
 まず「結婚」についてですが、恋の始まりから結婚の決定について
「蜻蛉日記」(藤原兼家の妻・道綱の母)を例に説明をうけました。
 結婚前の兼家の最初の恋文が、父親を経由(親の関与)で「音に
のみ聞けばかなしなほととぎすこと語らわむと思ふ心あり」(噂に伺
っているだけでお逢いできないのはせつないので、直接お目にかかってお話ししたい。)とやや上から目線で送られて来、彼女は「語らわむ人なき里にほととぎすかひなかるべき声なふるしそ」(お相手になる者もこのあたりにはおりませんので、いくらおうせられても無駄です。)と一応ことわっていますが、ただ返歌することはその気があるととれ、結果結婚しています。(その気が全くなければ返歌しなくてよい。)
 この時代の結婚儀式は婿取婚(妻方主催、結婚後は妻方同居、夫の姓は変更しない)でした。
 次に「家」ですが、官職や公的地位は父子継承で、いわゆる世襲であってこれが「家」です。
(夫婦間の息子に父の地位を継承させ、安定したかたちをとる。)
 また夫は妻以外の女性との性関係は正当化され、反対に妻の場合は不貞行為となっています。
 因みに「新猿楽記」の記述に、「第一の本妻は齢すでに60にして・・・」「次の妻は夫婦同年なり・・・」「第三の妻はある所の女房、年18・・・」があり、これが実態だったそうです。