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よしこちゃんの部屋
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2017/12/31のBlog
起業11年となりました、 『よしこちゃん☆かけはし工房』 代表
「よしこちゃん」こと大橋良子のブログです

「名刺サイズの8ページパンフレット」をはじめ、
広報誌・チラシ・パンフレット等の各種広告ツールの
企画からデザイン、制作(印刷)をさせて頂いております。

(→)は、枚岡合金工具㈱様の名刺サイズの手描き絵本
『ありがとうデジタルドルフィンズ誕生物語えほん』等です。
※お会いしたことがない方への作品制作に関しましては、
一度お会いさせて頂き、ご縁を結ばせて(ご理解を)
頂いた後にさせて頂いております。
手間暇はかかりますが、そのような想いで日々制作しています。

当ブログでは、若輩企業家「よしこちゃん」の珍道中話から、
ボランティア活動、日々の感動話や雑感・・・そして
四国お遍路などの修行話を徒然なるままに記しております。
認定NPO法人宝塚NPOセンターの元センター長の
故・森綾子さんのお名刺(→)が最初の制作作品です。
森さんのご期待に沿える人生を目指しております。

どうぞよろしくお願いいたします


弊社の詳細情報は、下記「PDFファイル」をご覧ください
2017/08/17のBlog
[ 21:41 ] [ よしこちゃんの日常風景 ]
おかげさまで無事、お盆も乗り越え・・・

(甥っ子&姪っ子など、

八尾に帰って来ていた身内のお世話役で

ステキに疲れました・笑♪)

せっせと動いております(^^)♪



自宅ベランダで栽培している「レモングラス」と

いうレモンの香りがする、

ススキの葉ようなハーブを切って、

お風呂に入れ、

爽やかにリフレッシュさせていただきました。

人生のちょっとした【彩り】であります。



一方、猛暑で完全放置していた、

マイ畑の草刈り&抜きもボチボチ始めております。。。



晩秋収穫予定のサツマイモちゃんは

すくすくと葉っぱが成長し、

さほどの雑草は生えておりません(ほっ☆)



しかしながら、

マイ畑・耕作面積の3分の2程を占める、

いちごちゃんブースは完全に

雑草の嵐の中に!(ムンクの叫び)

が、雑草の中でもたくましく成長している

いちごちゃんたちに、来年こそは豊作の予感・・・?(笑)♪

とにもかくにもこの雑草の嵐を

何とかせなアキマセ~ン(>0<)!!!



これ以外にもスイカを植えていたのですが、

そこそこ玉が大きくなって来たら、

カラスちゃんにつっつかれる

ということを繰り返しでした(凹)。



人間の道具(知恵)を使い、“ネット”をかぶせると、

翌日からはカラス被害が無くなりました。



・・・こんな感じで、すったもんだしながらも、

自然の摂理に沿った、農業生活も謳歌しております(ー人ー)☆




【写真】レモングラス風呂、マイ畑の現状(^^;)★

そしてお盆に開催した、大橋家御一行様で庭で流しそうめん大会♪


2017/08/10のBlog
[ 20:16 ] [ よしこちゃんのぼやき ]
わが町・大阪府八尾市。



普通の(可燃)ゴミ(黄緑の35リットル袋)と、

プラスチック容器(ピンクの45リットル袋)とが別れて、

分別することになっています。



ちょっと前までは、普通のゴミの袋が45リットルで、

我が家もついつい分別せずに、

普通のゴミの袋の中に

プラスチック容器を入れたりしていました(反省)★



が、役所の人は考えたようで、

普通のゴミ袋を10リットル分小さくすることによって、

プラスチック容器の袋の方に、

ちゃんとプラスチック容器を入れて貰おうと思ったようです。



実際、我が家でも、35リットルの普通のゴミでは、

すぐに一杯になってしまうので、

プラスチック容器を的確に分別するようになりました。



そんな我が家と同じような現象が

八尾市内あちこちで起こっていたようで、

35リットルの小袋になってからは、

9ヶ月間で可燃ゴミが13%(4600トン)も減って、

数千万円の焼却量が浮いたとのことです☆



しかも分別により焼却ゴミが減り、

その分リサイクルも進んだ訳ですから、

地球環境にもやさしい訳です(^^)♪



ほんと、チリも積もれば山となる~♪

ますます分別して、ゴミを減らし・・・

そして出来る限り余計なものは買わない・

ゴミを溜め込まない

人生を謳歌したいなと思います(^0^)!



2017/08/09のBlog
[ 21:14 ] [ よしこちゃんのぼやき ]
先日、私憤(しふん)と公憤(こうふん)という、

ステキな言葉を耳にいたしましたぁ(^^)♪



【憤り】というものには、

大きく分けて2種類あるとのことでした。



「私憤」は、自分の我儘・自分さえ

良ければいいという想念から発心された憤りです。



「公憤」は、自分以外の他者・存在を守るため…

はたまたよりよい方向に導くために

起こすエネルギーです。



憤りや怒りのエネルギーは、

あまりよくないエネルギーなので、

人前でもあまり出すべきでないというのが

一般常識ですが、

怒りのエネルギーは自然界で言うところの

雷のように強烈且つ最強…

最終手段として使う“ショック療法的なもの”

かと思われますので、

優しい【愛の裏返し表現】として、

たまに私も使わせて頂いております(笑)♪



日本古来の“修験道”が祀る【蔵王権現様】は

とても恐ろしいお顔(激しい忿怒相)をされておられます。



正に「公憤の念」を持って、

何がなんでも人を世界を多種多様な

地獄から救い出そうとされているのだと感じます。



正に【恕・じょ】というものを具現化したもの・・・

のようにも感じております。





以上のように、ただ単に自分の快楽や欲求だけを

満たすだけの【私憤】の発心はよろしくないですが、

誰か・何かのために発心する【公憤】は、

必要に応じてすべきだと感じております。



日だまりのようにニコニコ諭しても通じない人間には、

台風や雷を起こす“風神・雷神”になって諭さなければ、

効かない場合もあろうかと思われます(^人^)♪


2017/08/06のBlog
[ 13:30 ] [ よしこちゃんのぼやき ]
空を見上げますと、美しい夏色の雲が。


しばし眺めておりますと、

「敬天愛人」という言葉が【天】から降って参りました。



「天を敬(うやま)い、人を愛する」



西郷隆盛翁の名言。

ステキな御言葉です(ー人ー)☆



<現代訳>

「道というのはこの天地のおのずからなるものであり、

人はこれにのっとって行うべきものであるから何よりもまず、

天を敬うことを目的とすべきである。

天は他人も自分も平等に愛したもうから、

自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である」

(西郷南洲顕彰会発行『南洲翁遺訓』より抜粋)



天とは、すなわち「この世の中を創造し、

万物を育成しているもの」。



特定の宗教団体の神を指しているのではありません。



(私もそうですが)人間は【天】という絶対的存在を忘れ(信じず)、

今目の前に見えているものや環境・現象のみに

囚われているように感じられます。

ひどい場合は、囚われているということすら認識しておらず、

その小さな箱(小組織・小社会)の中で

「幸せになっている“つもり”」の

“つもり病”に苛まれているようです。



過去・現在・未来という時間的空間、

自分・他者・それ以外の万物という物質的存在に想いを馳せ、

小さな箱に囚われず、

大局観並びに絶対的真理に立った判断・行動の

出来る私でありたいです。。。(ー人ー)☆


2017/08/02のBlog
[ 15:51 ] [ よしこちゃんのぼやき ]
JR大阪駅・環状線の

西九条&弁天町方面の電車を

ホームで待っておりますと、

小さな碑がちょこんと設置されていることに

初めて気づきました。



【1970年3月12日】大阪環状線が誕生して、

もうすぐ半世紀になるんですね。

(大阪万博の年に完成していたのですね)



生まれてからずっと

大阪環状線にお世話になっているので、

その存在の有り難みも感じず、

日々当たり前に存在する大阪環状線ですが、

半世紀前にはまだ無かった・

完成されていなかったんですね。。。



こんな感じで、

名も知らない多くの先人たちや

鉄道関係者の方々の【おかげさまの力】を頂き、

今日も颯爽と、私たちの“思い出”や“人生の軌跡”を

くるくる回りながら運び続けてくれている環状線に乗り・・・

この大阪で生かされている、よしこちゃんであります(-人-)☆


[ 12:13 ] [ よしこちゃんのぼやき ]
夕方の電車(女性専用車)に乗るりますと、

10代から30代・・・

若い女の子たちがたくさん乗っていました。



電車は最高の観察場所♪

ひたすら人間観察です♪



10~20代の子たちは、とにかく若くて元気!

エネルギーを四方八方に放出しまくって、

人生謳歌しまくってます。



30代になって来るとだんだん艶やかになり・・・

また、落ち着きが出て来るようです。

場をわきまえることが出来てくるし、

自分のエネルギーの出入りのタイミングや

方向をだんだん調整やコントロールを出来るように

なって来るようです。



そしてワタクシ40代・・・。

いよいよ生命エネルギー自体の量が

低下して来てしまいます。



この【老い】というもの・生命エネルギーの下降線は、

残念ながら受け入れなければなりません(苦笑)。



きっと中高年の人間における【心の器】というものは、

己自身の肉体的な限界や現在の状況を

素直に受け入れることから、

自分以外の存在への絶対的感謝の念を深め、

精神的な高まりを目指すこうとすることで

広がってゆくものだと感じました。



個人差はありますが、

30代真ん中あたりからだんだんエネルギー量は下降して来ます。


だけど私は、若い女の子たちにはない

【(過去の)経験】と【(今を)取捨選択する力】、

そして【(未来に盛んに挑もうとする健全な)自信や誇り】を持っており、

若い女の子たち以上に精度の高い成果を出すことが出来ます。



それら3つの力があると、

例えエネルギー量が若い女の子たちの80%しかなくても、

今私がすべき事柄にそのエネルギーを一点集中させ、

過放電などの無駄なエネルギーを磨耗することなく、

物事を結実成就することが可能になって来るかと思います。



そしてもう一つ、

私には【(現在過去未来を貫徹する)真の信仰】

という力を味方につけています・・・っていうか、

味方にしようと日々切磋琢磨中です(笑)。



人間の思惟を越えた、

絶対的な【おかげさまの力】を味方にすべく、

大自然の流れに100%沿った生き方を行うことで、

自分の放出するエネルギーが、

その必要な状況に応じて、10倍・100倍に化けたりします。



ほんと、生命エネルギー【気】は底無しに奥深く、

あれこれ考察するのが楽しいです(^O^)♪


[ 12:10 ] [ よしこちゃんのぼやき ]
日頃の生活で、

【こんな人とは絶対に付き合わない・関わらない】

という人たちと間近でお会い出来るのが、

電車を始めとする公共機関の中です(^^)♪



たまたま乗った電車。席が空いていたので座ると、

隣の同世代の男性がいかにも

「風呂も入らず、洗濯もしてません」

という日雇い労働者って感じでした(涙)。



平静を装いつつも、

鼻のいい私は「【鼻がモゲル】とは、

こうゆう事を言うのかぁ~(>_<)!」と身を持って体験っ(笑)。



さすがに臭いので、次の駅に着いたら席を移動する決意し、

せっかくの機会ですので、

その男を観察することにいたしました(笑)。



彼は風邪をひいているのか…

はたまた自分が発するニオイが臭いのか、

マスクをしていました。

完璧に確信犯デスネ(笑)。



彼が何故そんな異臭を放つのか…哀れでなりません。

見た目は普通の男の子です。

過去(親祖先の因果応報)があるんでしょうね。

自分から放つ異臭がいかに周りに迷惑をかけているのか?

そんな「人間は社会的動物である」という意識は

完全に欠落しています。

つまり、自らの都合のみで生きている動物的また子供的人間であり、

魂のレベルでは、一人前の大人ではなく、子供・動物であります。





大阪駅に着いて電車の乗り換えをすべく、

日の当たる場所にある上りエスカレーターを使おうとすると、

前に大きな雨傘を差した若い女の子が傘を差したまま

エスカレーターに上り始めました。



その女の子は、この猛暑でも長袖にロングスカート。

いかにも【一切の日焼けをしたくない】という、

異様なまでの呪縛に憑かれていました。

私はそんな思想が偏り過ぎた人間とは絶対に普段は

お付き合い致しませんが、

その大きな雨傘の先端部分が、

エスカレーターの前後に立っている人達の顔や体に当たりそうで、

私はヒヤヒヤしていました。



絶対に日焼けしない・・・つまり太陽という、

人間にとって絶対的に必要不可欠な存在に対する

畏敬の念が全く感じられず、

異様なまでに避けている人間は明らかに、

良からぬもの【想念】に取り憑かれています。



太陽のエネルギーを自らの心身に取り入れない・拒絶する人間は、

もやし人間のように、

虚弱な心身となり更に思考や人生が偏り排他的になり、

不幸に堕ちてゆくのです。



ほんと、自分だけの【主観】しか持たない大人は、

本当に恐ろしいですよね。



そんな輩たちに、組織や地域、

国家や世界が支配されないように、

我々善良な調和や愛を持つ人間が

益々ステキにがんばらなければなりませんよね(^O^)♪


[ 12:07 ] [ よしこちゃんのぼやき ]
最近自分の器が広くなって来たなぁ~って

思える瞬間がありました。

曲がりなりの人生修業をしている間の

密かなる楽しみであります(笑)。



先日ある会にて、

お酒の席での他愛なる男性陣の会話に対しての、

私の受け取り方が変化していることに

ハタ!と気づきました☆



20代:目からウロコ!何もかもが新鮮!

そして(下ネタ等)恥ずかしいワ!と

恥じらい感満載(あの時は私も若かった。。。遠い目★)。



30代:見栄や虚栄心で隠されていた、

オトコという動物的存在のアホな部分を見通すことが出来(笑)、

“白馬の王子様”はこの世には存在しない、

夢見る夢子さんの幻想の創作物だと知りつつも、

【オトコはこうあるべきだ】という、

自らが持つ理想像の物差し並びに一切の矛盾や

妥協を許さない正論で持って、

片っ端からオトコをメッタ斬りにしまくる(笑)。



そして今・40代:夢見る夢子さんの幻想は去り、

またオトコに対しての感情的な理想像の押し付けも無くなって、

【ありのまま】を観、自らが発する様々な束縛から開放される。



相手の快楽や立場を尊重し、

他愛のないアホな話しをちゃんと最後まで聴いてあげられる器。



他愛のないアホな話しに終始笑ってあげられる器。

そして、他愛のないアホな存在を認め、

そして私も一緒にアホになれる器が

だんだんと形成されて来てるなぁ・・・と実感。



そんなアホなオトコ達とは、

別のジャンルでアホなよしこちゃん。

みんな“天”からみればアホなのは同じであり、

そしてみんな天に愛されている人達なんですよね。



40代になりしみじみ自分は成長したな~と、

一人嬉しくなった、ある日の居酒屋風景でしたぁ(^人^)☆



2017/07/25のBlog
[ 22:22 ] [ よしこちゃんのぼやき ]
先日、大阪の実家に戻って来た

妹・アッコより、司馬遼太郎先生の特集記事の

「別冊太陽」を貰い、それを読んでいました。



司馬先生の有名な作品を数十ピックアップして、

記事が組まれており、

我ながらまだまだ司馬先生の本を殆ど読んでいないなぁ・・・と

ムンクの叫び状態になりつつも、

一冊一冊、興味関心のあるまたご縁あるものから

読破していきたいなと思いました。



司馬先生の年表を見て・・・

司馬先生は大正12年生まれだと知り・・・

私の祖父母世代もそうですが、

大正時代の方々って、青春時代がかの大戦時代だったという

何とも言えない悲惨な世代で、

戦争で兵隊として駆り出され、

多くの尊い命が戦地で失われてしまいました。



そしてまた、戦地から生還した方々が、

企業戦士となって、

日本の再建に血眼になった世代でもあられます。



私は司馬先生の戦争体験と、

我が祖父母の戦争体験がオーバーラップし、

何とも言えない気持ちになりました。



そして、その戦争体験により、

現代を生きる人間には決して理解することの出来ない

深い悲しみや割り切れない想いを胸に、

それでも歯を食いしばって頑張って生きて来られたという基盤の上に

今の私たちがノーノーと暮らせていることに改めて感じ、

明治後期そして大正時代にお生まれになられた方々への

御恩を感じると共に、

二度とあのような失敗は繰り返してはならない・・・と

決意を新たにした次第です。



司馬先生の本を読んで、歴史(過去)に学び、

それを未来に繋げ、活かして参ります。


[ 22:18 ] [ よしこちゃんのぼやき ]
最近思うこと。。。



“みんな”仲良しなのはいいんですよね。

お互い認め合って褒め合って、励まし合える・・・仲間。

ステキなことですよね。



だけど、その“みんな”の周りには、

社会という名の、

不特定多数の方々がいることもまた

忘れてはいけないことだと感じています。



例えば、夜の飲み会なんかで“みんな”が

「ああ楽しかった!」とその余韻を楽しんで、

お店の前や中で、ずっと居座っている。



私は凄く気になる訳です。意識しています。

その“みんな”以外の人の視線が。。。^^;



「こいつらうるさいなー。終わったら、さっさと帰ったらえぇのに」とか。

「予約時間は過ぎているのに、早く帰って貰わないと、

アルバイトの子の帰りが遅くなってしまう」とか。



自分(第一人称)と自分の属する仲間(第二人称)、

その中のコミュニティだけでうまくやってても、

片手落ち感があります。



この娑婆の99.999・・・%と未だ対立している状態であるということに、

未だ気づいていないようです。



果たしてそんなごく一部しか見えていない

物事の捉え方・自他の意識の捉え方で、

各種人間関係が好転するのでしょうか?

会社経営がうまく行くのでしょうか?

人生幸福になれるのでしょうか。。。?



私は常に、

①自分への目、②他者への目、

そして第三として、その他の人(森羅万象)への目の

3つのバランスを取るように意識しています。

(それらがなかなかうまく調和しませんが・・・苦笑^^;☆)



2017/07/24のBlog
[ 16:45 ] [ よしこちゃんのぼやき ]

人生は「なろうとするもの」ではなく、

「なってゆくもの」である。



神(他力本願)と人(自力本願)との

意思・決意の合一によって

自然とそうなってゆく・生成発展してゆくものである。



例え人の力のみで成ったとしても、

所謂“神の援護・ご加護

【おかげさまの力】”が無い限り、

それは空しき絵空事であり、

一瞬の儚き夢である。



真の成功は、一寸のずれもぶれなく、

完璧に“天”と一致和合し、

それを味方につけ続けることにある。



なすがまま、あるがまま・・・



大いなる天の風を味方につけ“時流に”乗って、

使命を真っ直ぐに、

全うし通す人生でありたいものですね。。。(ー人ー)☆


2017/07/23のBlog
[ 21:27 ] [ 遍路修行日記 ]
訳あって、先日徳島に行きました

(その理由はまた後日でも♪)。

四国霊場スタートの地「1番 霊山寺」

・・・久しぶりにまたここへ来ました。

せっかく徳島に来たので、

1~10番までマイカーにて

個人遍路をさせていただきました。



久しぶりに完全マイペースの一人遍路を

大マンキツさせて頂きました(ー人ー)☆

ヨは満足ジャ☆笑

途中、偶然知り合いのおじさまが仲間と一緒に

お接待所をされていて、

お接待を頂きながら1時間くらい

ステキに道草してました(笑)♪



四国88ヵ所霊場の魅力の一つは、

1~88番の札所【同じところ】を

ぐるぐると回り続けるということかと思います。

かつて29歳の終わり、

一大決心をして始めてここに来ました。

それから10年ちょっとぶりにここに立ちました。

何とも感慨深いものがあります。。。



7周目(一部は8周お参り済)にしてようやく、

自分のペースと言いますか、

焦らず地に足つけて、どっしりとお参りが出来つつあり、、、

少し【深み】が出て来たと、

自分の成長を感じることが出来ました。



ここに立っていつも思うこと、

それは【初心忘れるべからず】。



なぜ私は四国遍路道を歩むことを決断したのか?

誰に・何によって今も歩ませていただいているのか?

私の今生の人生の一つがここにあります。

そして2回、3回・・・と来る度に、

「私の【シンカ】~進化・深化・神化~の過程」を

確認しています。



一回目よりも二回目、

二回目よりも三回目の方がシンカの度合いを

増して行かなければならないと考えています。

でないとやっている意味がありません。

これは自らに課したノルマであります。



四国遍路行では本当に多くのことを

学ばせて頂いておりますが、

その一つが「【捨てる・与えること】が真の幸福である」

ということです。

私は捨てるために、

また与えられる人間になるために四国遍路上で、

行をさせて頂いているのだと感じています。


この娑婆の常識では、

「何かを得ることや与えてもらうこと」が

幸せだと認識されています。



しかしながらそれは違います。

喜んで与えるから与えられるのであり、

喜んで捨てるから得られるのが真理であります。



たくさんの(マイナスの)感情【想念】を持つ程に、

またたくさんの(余分な・不必要な)ものを持つ程に、

それらから発する【罪】によって、

その所有者が潰されやすくなる・不幸になってゆきます。



従って、自分自身の人生において

最小限必要不可欠なもの以外は捨てる・

喜んで他者に布施する(与える)ことをしなければ、

真の幸福にはなっていきません。



人間は与えられる(得る)喜びよりも、

与える(捨てる)喜びに生きなければ

本来の人間性を発揮出来ないだけではなく、

真の幸福を得ることが出来ないのです。



まだ暫くはこの四国遍路のご縁が続く感じですので、

更に我が“シンカ”に磨きをかけて参りたいと思います。

南無大師遍照金剛(^人^)☆


2017/07/18のBlog
[ 21:27 ] [ 人生、修行です。 ]
先日の三連休、

一般社団法人倫理研究所

(家庭倫理の会&倫理法人会の母体組織 

http://www.rinri-jpn.or.jp/)の

富士高原研修所に行って来ましたぁ~(^0^)♪



当研究所の創始者・丸山敏雄氏(1892~1915)の

生涯がリアルに分かるドキュメンタリー映像を観、

倫理研究所の誕生前後の経緯並びにその使命役割だけではなく、

私の曾祖父母や祖父母が生きた時代の

人たちの想い(想念)を深く感じ、

学ばせて頂きました。先人の恩に報い、

無念を晴らす人生を歩みたいと強く感じました。



今回の研修で最も印象に残ったことは【死生観】という、

人生における価値観の一種であり根本的要素

(人生における、ありとあらゆる選択判断材料)を、

いかに確立しておくべきか?の重要性です。



自分がどのように死に対して向き合っていくのか?

その死というものを通して、

どのようなに生(せい)に生きてゆくのか・・・?

人生というものは、

その人その人の「死生観」によって、

その意味や方向性、そして価値が決まっていくものなので、

死生観というものをきちっと確立しなければならない!と

ヒシヒシ感じて大阪に帰って来ました。



人生における最大の苦難とは何なのでしょうか?

それは【死】であります。

人生最大且つ根本的な欲とは何でしょうか?

それは【生命欲】・・・

つまり生きようとする欲求であります。

生と死は人間にとって、

実は陰陽合一した同一同源の根本的課題

(超剋すべきもの)であります。



死(し)から生(せい)を静かに観ますと、

おのずと、自分の生き方が観得て参ります。



死ぬのが怖い・縁起が悪いなどと、

死に対して避けて通り、

目先の快楽に囚われ今のみに執着している人間は、

いざ本当に死ぬる(本当に困った)時に、

ジタバタ&オロオロ&恐怖に苛まれ、

そして哀れな死に方をする訳です。

その哀れで邪な想念は、自分の魂にこびりついて未来永劫

その想念から逃れることは難しいのです。



きっと、迷い悩み彷徨う魂(心)を持つ人間は、

この死生観が無い、もしくはぼやーとして薄いから、

心定まらず、悩みが深まっているのかも知れませんね。





・・・人の生命は有限であり、

それがいつ終わるかは誰にも分かりません。

ですので【一日一生】で、

毎日毎日悔い無きよう、そして昨日よりも今日、

今日よりも明日、善き人生を歩み、

そして死ぬる日・その瞬間が最高の時になるように

これからもコツコツ精進して参りたいなぁと感じました。




今回も善きご縁をありがとうございました(ー人ー)☆


[ 20:37 ] [ よしこちゃんのぼやき ]
電車や車など、

乗り物を使って旅に出かける時の楽しみは

【車窓を眺めること】。



ボケーとしながら、車窓から見える風景をただただ眺める。

私はその車窓の風景に没我(ぼつが)する。



次から次へと移り変わる様々な風景。

いろんな土地や人々の営み・・・全てが美しい。

乗り物は私の肉体として、魂は乗客の私。

車窓を眺め行くように進む私の人生。

【死】という目的地までひたすら前へ進む、人生。



ヒカリの風景を観、

この世って何て美しいんやろう。。。としみじみ感じる、

今・40歳の私。つくづく全てが有難い。

今の人生程に満たされた瞬間はない。

出会いや縁の全ては必然であり、

出会うべきして出会っていると私は分かる。

これからもそんな人生を、淡々と歩くのみ。

嗚呼・・・何と幸せなんやろう。

過信でも不信でもない、自信に満ちた、我が人生。

全てに感謝な、美しいこの日本の風景の中。



私が美しいと思えば美しい。きなたいと思えばきたない。

悲しいと思えば悲しい。楽しいと思えば楽しい、人生であります。




[ 20:35 ] [ よしこちゃんのぼやき ]
今年から、いとこのおねえちゃんの娘・リコちゃんが

大阪の大学に通い出し、

近所の叔父の家で居候しています。



いとこのおねえちゃんは、

長年叔父の家で暮らしてましたが、

たまたま結婚したのが富山の人で、

結婚が決まってから旦那さんが

大阪支社から富山の本社に戻ることになり、

今はずっと富山に住んでます。



いとこのおねえちゃんは

さすが八尾の人間だけあり、

富山でもひたすら大阪弁を貫き通してます(アッパレ☆)



豪雪地帯なんで、雪がカナン!と

未だ歎いていますが、

水や食べ物、空気がおいしい富山生活は満足しているようです。



ある日叔父の家に行くとリコちやんが、

2リットルある水のペットボトルを飲んでたので、

訳を聞いてみると・・・



「大阪の水道水はまずくて飲めん!!!」

と歎いてました(笑)。



なるほどなぁ・・・☆

生まれた時から、あんなに美味しい立山連峰のお水を飲んでいたら、

塩素たっぷりの琵琶湖&淀川の水は、

まずく感じて、飲めないわなぁ!とガッテン☆



これって、他のことにも当てはまるかなと思いました。



小さい時から、和やかで愛あふれる家族と暮らしをして、

たまたま結婚した人の家族や、

就職して所属した部署がとんでもないアホな人たちだったら、

人生生き地獄状態に落ちるやろうなぁ・・・と(笑)。



逆に、幼少の時にまずい水を飲んで、

嫁に行ってから美味しい水の富山に暮らしたら

「なんとまあ、嬉しい。ありがたい!」と

幸せを感じますしね・・・。



人生での幸福の感じ方は、客観的な物差しではなく、

その人その人の今までの生活のレベルや、

心的状況によって絶えず変化するようですね。



とっても分かりやすい、シンプルな事例でしたので、

ここで上げさせていただきました(^人^)☆


[ 20:33 ] [ よしこちゃんのぼやき ]
行(い)って何をする?

何を学ぶかも、当然のことながら大事なことです。



だけど、行く・そこの地場を感じること自体が

大事なことであるとも思います。



なぜなら、人間は

まず始めに、【感じる・感じ取る】ことにより、

変わる・変わり始める存在だからです。


2017/07/12のBlog
[ 10:05 ] [ よしこちゃんのココロの底 ]
先日、ある冊子を読んでいますと、

ブッダの御言葉が掲載されていました。



「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止む」



その言葉を発したのは、

スリランカの故・ジャヤワルダナ氏

(スリランカの歴代大統領になった方)です。



その御言葉を発した物語が大変感動的で・・・

その詳細は下記のHPをご覧ください。



ジャヤワルダナ氏の懐(愛)の深さ&徳の高さは

本当に凄いものがあり、同じ仏教徒として、

我々日本人は大いに見習うべき御方だと感じました。



我々日本人も、過去の「やったこと(罪)」は

真摯に受け止め反省懺悔し、

過去の「やられたこと」は全て水に流しつつ、

そして愛とは、【自他への赦し】であるという認識を

石に刻み生きてゆくべきだと考えます。



どこぞの隣国(民族)のごくごく一部の人たちのように、

拉致したりミサイル飛ばしたり・・・

過去の虚実までも持ち出して来て、

未だ憎悪剥き出しであれこれ要求して来るのは

「反面教師」として同じ行いはせずに、

断固たる意思(義)を持って的確な処置をしつつ、

天の裁きを受け、やがて朽ちて逝くのを

ただただ待つのみであります。



だけど私はまだまだガンジー(マハトマ・ガンディー)のように、

自分を銃で打って暗殺した人間ですら赦すという境地には

まだまだチットモなれませんねぇ~・・・

宇宙的規模で修行が足りませんワ(^^;凹)★



参考HP:在スリランカ日本大使館公式ホームページ
http://www.lk.emb-japan.go.jp/jp/contents/episode/episiodenew.html


http://srilankanholidays.firsight.jp/blogs/jayewardena-c/


2017/07/11のBlog
[ 22:26 ] [ 人生、修行です。 ]
今年3月にパリ観光&スペイン巡礼に

行ったこともあって、

司馬遼太郎先生の

『街道をゆく ~南蛮の道 Ⅰ・Ⅱ~』を読みました。

あぁ~、めっちゃ面白かったです(^0^)!



司馬先生と、本当に南蛮のみちを

旅した気分になっていました。



司馬先生がお亡くなりになられて20年・・・

この『街道をゆく』が発行されたのは30年前です。



正に時空を超え、善き旅をさせていただきました(ー人ー)☆

以下、心に残った箇所や個人的感想です。



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「私のこの旅の目的は、ごく単純でしかない。

日本で、南蛮文化とか南蛮芸術、南蛮絵、南蛮鐔、

南蛮菓子とかいう『南蛮』とはなにかということを

この旅で感じたい、ということである。」




・・・日本の戦国時代。日本にキリスト教(カトリック)を齎した

布教師であるフランシスコ・ザビエル(1506~1552)の生涯の軌跡を

パリからポルトガルまで辿りながら、『南蛮』というものを

探求するという感じです。



フランシスコ・ザビエルは「バスク人」なんだそうです。

一言でヨーロッパ人と言っても、いろんな人種がいるようです。



フランスとスペインの国境地帯にあるピレネー山脈界隈に、

昔から暮らす原住民族なのですが、

その近辺に存在するフランス人やスペイン人と違うところは

「バスク語」という言葉を持つということだけだそうです。



バスク語の面白いところは、

日本語や韓国語と文法がそっくりなんだそうです。



だから、幼少期は生活するために、

フランス語やスペイン語のみを話していたバスク人が、

成人になってからバスク語を勉強すると、

めちゃくちゃしんどいんやそうです。



だけど、バスク人という自負がある人達は、

少し少しでもバスク語が使えるようになることは自分を取り戻す感じ・

真の幸福を得る感じがするそうです。

バスク人は遠い祖先は、日本人と同じかも知れませんね(笑)。

地球は一つ。ほんと、歴史的大ロマンを感じます。



にしましても、私がスペイン巡礼路を歩いていた、

スペイン・ガリシア地方(ガリシア人)とバスク人は

ちょっと似ているのかとも思いますが、

その土地を愛し、風土&歴史を愛し、そして民族を愛してやまず、

その先祖代々の土地で自然体で淡々と生きてきたように感じます。



バスク人やガリシア人はきっと、

他人の生命や財産を搾取することなく、

自然サイクルの中の一部の人間として健気に生きて来た、

罪なき人たちなんだと感じました。





「『無敵艦隊(アルマダ)の敗北(1588)以来、

スペインという坂はくだりっぱなしです』と武部氏はいった。

無敵艦隊の成立にさきだつものは、スペイン・ポルトガルによる

大航海時代の現出という壮大な歴史であろう。

私どもの歴史にとっては南蛮文明の到来である。

その大航海時代の前に、ムーア人


(※イスラム教徒、それまでのおよそ数世紀の間スペインは

イスラム教徒に支配されていた)

が残した造船術、

航海術、さらには遠隔交易の伝統があったと見ねばならない。

ポルトガルを含むこのイベリア半島のひとびとによる大航海時代によって、

世界史は一変したといっていい。

スペインはアメリカ大陸を得、フィリピンを得、

新植民地で人類史上まれにみる殺戮と収奪をくりかえしつつ、

金銀その他高価な物品をとめどなくこの半島に持ち帰った。

スペイン王も貴族も教会も舶載されてくる富のために

血ぶくれするほどに豊かになった。

この全盛時代のスペインの国家経済ほどあらっぽいものはなかった。

国家そのものが、新植民地に対する一大強盗団になったといっていい。」




・・・「大航海時代」という言葉は、

小学校~高校の世界史の時間で知りました。

が、歴史的事実はそんな美名とは真逆の、

「一大強盗団」の出現だったのです。



その後続く、イギリスの産業革命以降の欧米諸国による

世界各国の植民地支配も同罪であります。



私が歴史を学校で勉強していた時代は、

欧米諸国が世界経済を牛耳っていましたが(今もですが)、

2000年にクロスポイントを迎え、

西洋から東洋に全てが移動して来る時代に入りましたので、

どんどんと西洋の力が弱くなって参ります。



数々の殺戮と収奪の罪が、テロや移民・難民問題となって、

欧米諸国を足元から食い潰しているのでしょう。

過去の罪は、消えることなく、時空を超え、

その国にまた子孫に利子をつけて降って来るのです。

ここに自業自得の世界が在ります。



私は、今年3月にキリスト教(カトリック)の三代聖地である、

スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ教会に行きましたが、

その教会の美しさと、その教会の中で起こっていたであろう

罪の重さの両方を思いっきり感じて帰って来ました。



ですので、サンティアゴ・デ・コンポステーラ教会に

もう一度行きたいとは思っていません。



日本の四国遍路や熊野古道と違って、

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は、

カトリック以外の人が歩いている割合は少ないと観ております。



それだけ、カトリックの教会組織は、

過去、多くの異教徒に不利益を与えて来た訳です。



決して、カトリックの教えが悪い訳ではありません。

その教えを悪用して、罪なき人々を殺戮し収奪をくりかえした事実が

存在するのであります。

これは誰にも否定出来ない、真実であります。



私はこの人類史上まれに見る大罪をあれこれ勉強中です。

ついでに、世界三大宗教の一つである、イスラム教もかじり始めました。

どうも日本にいると、イスラム教の悪口ばかり。

キリスト教のいいことばかり、報道されています。



これは日本が、アメリカ・イギリスの

『プレス・コード(そのコードにとって都合のいい情報しか流れないように

闇で支配されている)』に属してしまっているからだそうです。





「それ(異教徒の国を支配すること)は困難ではなく、

王は征服しようと思う国にまず宣教師を送りこむ、

そして住民の一部を改宗させるや否や、

次に軍隊を送りこみ、その軍隊は改宗者と合同して、

易々とその国を合同(※支配)したと。」




・・・織田信長は、カトリックの布教者たち

(フランシスコ・ザビエルの属するイエスズ会)を受け入れます。

が、豊臣秀吉は、カトリック布教を隠れ蓑にして、

日本人が奴隷として連れて行かれるということと、

日本自体が支配されるということに気づき、

これらの勢力全部を追い出します。

これが歴史的史実であります。



ここらへんの史実は、恐らく欧米国家に遠慮して、

歴史の教科書には記載されておらず、曖昧になっているようです。



それに続いて、徳川家康もカトリックを受け入れず鎖国するに至ります。

が、オランダに関してのみ、長崎の出島で貿易を許可します。

これは、同じキリスト教でもプロテスタントの国だったということで、

まぁ許可したようです。



ちなみに、カトリックの教会組織やローマ法王が腐り切っていたからこそ、

ルターの宗教改革、そしてカトリックから分離した

プロテスタントが登場したようです。



ちなに、現在比較的経済状況が高水準で安定している

ヨーロッパ諸国は全て、キリスト教であっても、

カトリック以外がメインの国家です。



逆にフランシシコ・ザビエルはイエスズ会の仲間と共に、

そんな斜陽状態となった、カトリックを守ろうとして、

敬虔なカトリックの宣教師として

自らの命を顧みず、未開の地へカトリックの布教に行く決意をし、

実践された訳ですが、結局カトリック教会組織のエライサンや

国家権力者に利用された形となってしまい、中国にて病死する。





・・・今回、この『街道をゆく』を読んでの全体的な感想ですが、

人々の様々な想念(善いことも悪いことも)が、

一人の人生という名の【一本の糸】を作り、

それが束になって文明や文化が出来、

やがて大河となって、

一つの大きな歴史の潮流が出来ていくということです。



従って、一つの事柄を【点】で観るのではなく、

【線・流れ】で観る、そして全体からの一部として観ることが、

物事(想念)の出処や本質を知るために

必要不可欠なんだと思われました。



物事は、常に本質を掴みながら、各部位を扱い、

そして対処しなければ、余計に迷宮入りするだけであり・・・

上辺だけ・その時だけしのげばいいとかでは、

永久に物事は解決しないどころか、

【因果応報の罪】が続く以上に下手すれば、

罪が深くなってしまいます。



さ、『南蛮のみち』は読み終わりましたので、

以前一度読破した司馬先生の歴史小説

『項羽と劉邦』を再度読み返し、

「真に人望あるリーダー像とは何か?」を

更に深く学びたいと思います(ー人ー)☆


2017/07/10のBlog
[ 20:46 ] [ よしこちゃんのぼやき ]
自分なりに調べまた現地見学により、

その概要がだんだん分かって参りましたので、

ざっくりとここに記させて頂きます。

ご参考までにどうぞ♪




熊野古道は、その場所の持つ地場や歴史から

強烈に放たれる霊験あらたかなパワースポットであり、

そのパワーから織り成されるメインテーマは

【魂の蘇りの旅(プロセス)】だと感じています。



ある人は懺悔、

またある人は自他の供養や極楽浄土への願い、

そしてまたある人は現世利益と、

その道にかける詳細の願いは千差万別ですが、

自分の心並びに魂の充足を求め

歩もうとするということは全員同一であり、

それは幾多の時を経ても変わらないことであります。



熊野古道とは、広義で言うと、

スペインのコンポステーラ巡礼同様、

「私はここから熊野に向けて巡礼します!」と

決意した場所が巡礼のスタート地点になるかと思いますが、

狭義で言うと、4つのルートが存在するようです。



まず①

京都・城南宮から船で大阪・天満橋へ着き、

そこから陸路で紀伊半島を海沿いに歩き、

和歌山・田辺から山道にて熊野本宮大社(ゴール)に行く道。

紀伊道・中辺路(なかへち)と言います。

天満橋からは【九十九王子】というものが存在し、

熊野の神様の化身で熊野詣をする人たちの護り神であり、

道先案内人?でもあり、休憩所や宿泊先でもあった・・・

つまり、神様・人間・場所を包括するような

役割を担っているものであります。

時代を経て今は「~~王子跡」という名前のみ

残っている場所がほとんどです。



②伊勢路。お伊勢さん参りをした後に、

熊野詣をしたい人たちによって作られた道です。

比較的東国(中部以東地域)の人が歩まれた道です。

これと関連して、紀伊半島経由で歩むルートは

~大辺路・おおへじ~と呼ばれています。



③高野山からひたすら山道を歩むコース(小辺道・こへじルート)



④大峯奥駆道

これは一般人向けではありませんので、

ガイドブックには掲載されていません。

大峰修験道と熊野修験道を繋ぐ、行者の道となります。

この道は女人禁制区間もあり…

生半可な人間が立ち入ると、

命を落とす程の危険区域であります。

ごく小数の真に選ばれた修験者のみが歩む道のようです。




熊野古道(街道)は、

熊野本宮大社・熊野那智大社・熊野速玉大社の

3つめがけて整備されています。



昔むかし・・・神代の時代にバラバラに自然発生し、

崇め祭られていた3つのお社ですが、

いつの時代からか、3つセットで【熊野三山】と呼ばれ、

【熊野大権現】という名の下に、

過去を司る阿弥陀如来の化身を奉る熊野本宮大社、

現在を司る薬師如来の化身を祭る熊野速玉大社、

そして未来を司る千手観音を祭る熊野那智大社が、

1つの信仰として融合して【熊野信仰】になっていきました。



従って、過去・熊野本宮大社→現在・熊野速玉大社→未来・熊野那智大社

という順番でお参りするのがいいとのことです。



理想では、今年11月中旬に、

中辺路ルート(滝尻王子→熊野本宮大社)を歩く予定となっており、

今からテンション上げて過ごしております(ー人ー)☆


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