訳あって肥後の国・熊本(市内)に行ってました。
帰りの新幹線まで4時半の時間がありましたので、
その時間を利用し、司馬遼太郎先生の
『街道をゆく〜肥薩の道〜』を事前に読んだ上で
「田原坂(たばるさか)」界隈に行きました。
ここは今からちょうど140年前・明治10年に起こった
【西南戦争】の激戦地です。
熊本駅からJR鹿児島本線を20分程各駅停車で
北上すると無人の「田原坂駅」があります。
そこから「グーグルマップ」を頼りにアップダウンの道を歩き、
「熊本市 田原坂西南戦争資料館
(https://kumamoto-guide.jp/spots/detail/216)」
に行きました。
この資料館はかなり新しく、司馬先生が旅をした時は、
この近くにある「作田さんという家」に行き、
資料館に展示されているような、
激戦を偲ばせる各遺留品等をご覧になられたようです。
司馬先生が旅をされた時から40年以上経っていますが、
この現象界の風景は違っていても、
本から漂って来る【空気】というものは今も同じであり・・・
田舎道の静寂の中、力強い真冬の北風で
揺さぶられた竹同士が激しくぶち当たる音のその少し奥に、
かつてこの場所で起こっていた、時代の節目に起こった
激しい戦慄の空気のようなものを感じました。
資料館横にある慰霊碑を手を合わせ更に、
「七本柿台場薩軍墓地」へ向けて歩いてますと、
地元のおじさんが「どこ行くの?乗せてってあげるよ」と
ありがたいお言葉をかけて頂き、
四国遍路でこの手の事の要領は掴んでますので、
有り難く自動車に乗せて頂きました。
そのおじさんに
「西郷隆盛は、ここらあたりでは“せごどん”と
言われているんだよ」と教えて下さいました。
その“せごどん”というお言葉に、
西郷隆盛が140年前に【反政府軍の人間】として、
薩摩・城山で自刃したとしても、この地域の人たち・・・
肥薩の方々に愛され続けられ、
この西南戦争で亡くなられた方々を今でも
厚く弔い続けているということが分かり、
来年のNHK大河ドラマ『西郷どん』が
益々楽しみになりました。
司馬先生の『翔ぶが如く』も読まなければなりませんね(笑)♪
「七本官軍墓地」にも行きました。
“仏様”には、薩軍も官軍もありませんからね。
田原坂駅に戻り、
また普通電車に揺られ熊本駅に向かいました。
車内は太陽とエアコンのおかげで
ほっこり&ゆったりした平和な時間が流れ、
車窓を眺めながら、うとうと・・・と至福の時間でした。
熊本駅は現在大規模改良工事中で、
複雑な形になっています。
古いホームの片隅に立ち食いそば屋さんがあり、
新幹線出発まで30分の間の、遅い昼食にピッタリでした。
肥後弁満載のおばちゃんに、きつねうどん(470円)を注文。
うどんが出て来て、すすって食べていると、
外国(バックパッカー的白人)のお兄ちゃんがやって来て、
カタコトの日本語で何かを注文したがってて・・・
おばちゃんは奥から写真つき&手書きの英語の
メニューを持って来て、問題がすぐ解決すると思いきや、
「これ(かまぼこ)とこれ(ワカメ)は要らない」
「タマゴは入れて」など、ややこしい注文をしはじめ・・・
カタコトの肥後弁と英語が飛び交って
全く意味不明なやりとりが、肥後の漫才を見てるようで、
めちゃくちゃ楽しかったです。
クスクスとコッソリ笑いつつ「ああ、なんと平和やねんやろう〜」
きっと田原坂という幕末の狭間で
散って行った我らの先祖たちも、
今の日本を見れば、
少しは安心して下さるのだろう・・・と感じました。
多くの屍・命の蓄積の一番上層部に、
今を生きる私たちが存在していることに感謝の念を忘れず、
弔い続けて参りたいなと思います。
司馬先生曰く・・・
「この旅(「街道をゆく」シリーズ)は、
多少りくつっぽくいえば、
筆者自身が空間を移動することによって、
その空間のなかに籠められている
時間というもののカタチやら累積のグアイやらを
感じる楽しみのためにはじめた。(原文通りに転載)」
とのことです。
私も全くそのような種類・次元の旅が好きで、
深い感動や想念を引き起こさない
浅い物見遊山&消費活動に重きを置いた旅には
関心がありません。
今後も私らしく、人生における
【街道をゆく旅】を謳歌したいなと思います(^人^)☆