「弘法大師空海の御言葉」

隙間時間を活用し、読書しております。至福の時間♪

感じたことを、つれづれなるままに。。。

1200年以上の時代を超え、

今なお現代人に鮮烈な影響を与え続けている

スーパースター「弘法大師 空海」こと

“お大師さん”の御言葉です(*^人^*)↓

「密教の奥義は、言葉では獲得出来ない。

ただひたすら心から心へと伝えるのみ。

言葉は糟(かす)である。言葉は瓦礫である。

糟や瓦礫にたよれば、真実を失う。

真実を棄てて偽物を拾うのは、

愚かな人のすることである。

(出典 空海『性霊集補闕鈔』巻第十)」

尊敬する故・三輪優先生も「言葉は線引きである」

とおっしゃってはりましたが、言葉って、

人間が生み出した便利【道具】という反面、

森羅万象という絶対的宇宙の殆どの領域までは

忠実に表現し切れいないものなんですよね。

例えば、ここに失恋した少年がいたとします。

この少年の心の中の気持ちを100%完璧に

言葉で表現出来るのでしょうか?

また、私が先日四国遍路した際見た、

あの海の美しさや感動を100%完璧に

言葉で表現出来るのでしょうか。。。?

しかしながら私たち人間は、言葉で表現出来る・

自分たち人間は完全・完璧なる

中心的存在であると錯覚し続けています。

耳で聞こえる・文字で見える・・・

五感で感じられるごく限られた世界しか見ず、

物事の全体が観得ない為に、

あらゆる問題やトラブルは発生し続け、

罪をつくり続け、他人だけではなく、

自分自身をも苦しめ続けており・・・

大自然を全てを把握し、

支配し続けていると勘違いしているのです。

つまり、【わがまま】な状態。

私もそうですが、人間は

「人生、何の苦労もなく、思い通り楽しく生きたい」と

思い願っておりますが、

実際は思い通り楽しく生きれておりません(涙)。

それを何故かとちょっと立ち止まって考えてみますと・・・

個人個人の人生は、本当は別々に存在する【多】ではなく、

“大自然の一部”つまり、

【大自然そのもの、一】なんだと思います。

今また台風(13号)が

日本列島に向かって来ておりますが、

その進路を人間の手で完璧にコントロール出来ないし、

完璧に予想出来ません。

この台風も人生と同じで【大自然そのもの】です。

従いまして、人生という大自然と一体化した、

そのものは、思い通り楽しくならないのが

【当たり前】ということになります。

この当たり前の状態に、自らの(マイナス)感情や

(悪)想念を一切挟み込まずに、

すべてをありのまま(すなお)に受け入れるのです。

人生を思い通りにしたい、台風を思い通りに動かしたい・・・

そう思うのは全て人間の自己中心的な【わがまま】であります。

(ただ、人災や天災が出ないようにしなければならないので、

これは祈るしかありません。

台風は地球の呼吸のようなものなので、

どうしようもありません)

大自然はこの【わがまま】という

不自然な状態を自然な状態に戻そうと、

慈悲の心でそのわがままな心を持つ人間に

【苦難】というものを与えられる訳です。

「わがままな心を持つことが、

真の幸福になれない根本的原因だ」と

大自然は多種多様な人生における苦難で持って

我々人間に、その絶対的宇宙の法則に沿った

生き方を教え続けてくださっている訳です。

この苦難の発心・現象は「憎悪」ではありません、

【愛】そのものなのです。

その愛に気づけないのはわがままな心を持つ

罪深き人間のみであります。。。

真の幸福に生きる、

思い通りの歓喜に満ちた人生を歩むたった一つの方法は、

【わがままという不自然な状態】から抜け出し、

【大自然と一体化し、それに沿った生き方を実践する】これに尽きます。

お大師さんはこの状態を

【即身成仏(そくしんじょうぶつ)】とおっしゃっています。

このことに頭で気づく、また知っているだけではなく、

肚に落とし、心に刻み続け、その生き方を着実に

実践し続ける人間のみが、

真の幸福に至る時代へと既に入っております。

それっぽい生き方・1度でも違う

生き方をしているマガイモノは、

直ぐに炙り出され罪としてはじかれて、

容赦なくスピーディー堕ちて逝きます。

厳しくとも確実に愛に満ちた時代に

既に入っていると感じております。

1200年以上前に、真の幸福(真言密教)を求め、

大海原を決死の覚悟で大陸へ渡り戻って来られた、

お大師さんのような賢者【創造主の使者】に対して

私はただただ感謝しかございません。。。(ー人ー)☆

【写真】高野大師行状図絵 第二巻(鎌倉時代・14世紀)地蔵院蔵