「天道信仰」と「雨森芳洲」

来週4泊5日で対馬

https://www.tsushima-net.org/)に行きます。

せっかく行くので、あれこれ調べ、予習しています。

なぜ対馬なのか?

昨年、NHKの新日本風土記を観、

司馬遼太郎先生の「街道をゆく13 壱岐・対馬の道」

を読んだからです。

それらを通してこの対馬に、

私が知りたいことがある・遺っているような気がしたのです。。。

っていうか“呼ばれてる”!??(笑)

「いつか対馬に行きたい」と思っていたのですが、

ひょんなきっかけで私が入っている会の有志で

対馬に行くことになりました。

ほんと、よきご縁を頂きました(ー人ー)☆

私は日々、いくつかの決まった神社仏閣を中心に、

あっちこっちお参り・見学に行っています。

その過程で「あれ?」と思うようになったことがあります。

それは、神社の人や神社が好きな人は、

お寺のことを知らないし、

お寺の人やお寺が好きな人は、

神社のことを知らないということです。

宗派や地域を超えても、知らない・交流が

全く無いということもあるようです。

その状態を例えると、

同じく地域の商工業活性化を目指している

地元の市役所と商工会議所、はたまた

同じく地域の社会福祉をよりよくしようとしている

市役所と社会福祉協議会が、

連携が出来てなかったり、

二重行政的な同じような事業を

それぞれがやっていたり、

微妙〜に仲が悪かったり(ライバル心があったり)

するのとチョット似たような感じです(笑)。

私は甲乙つけがたい・両方好きやし、

必要性を感じているので、

そんな状態が不思議であり、

そして違和感を持っています。

だって、どちらも・どれも同じ、

人のまたは森羅万象の安寧・幸福を叶えるために、

目に見えない存在を動かすための存在ですから。。。

かつて聖徳太子は、いろいろ乱もありましたが、

仏教を我が国に取り入れました。

その後、いろんな宗派が出来、

またキリスト教なども入って来て、今日に至っております。

神社がいい・お寺がいい、どの宗教・宗派がいいか?

個人的観点では優劣は在っても、

全体的(大局的・宇宙的観点)からすれば、

それは存在しないと観ております。

全体的観点から【善】であれば、

開創より今日まで継承・進化されて行くし、

【悪】であれば時代に淘汰され消えて無になるからです。

これはお店や会社(ビジネス)であっても、

何であっても同じでこれが【宇宙の法則】だからです。

今を生きる我々よりも遥かに高い

先見の明や智慧のあった

聖徳太子が善だと思い、仏教を正式に輸入した訳です。

それが時代と共に変わりつつも、今に残っています。

一方、神道も仏教に刺激を受けながら、

時代と共に変わり、今に残っています。

対馬には、神道も仏教という教義的な区別もない・・・

古代の頃から信仰の形が遺っています。

それを一言で表現すると「天道信仰」となります。

対馬ならではの地理的また歴史的条件で

奇跡的に今まで遺っている訳です。

その「天道信仰」を紐解くと、

なぜ人は【信仰】というものを求めたのか?

その原点から人間というものの存在(動物との違い)や、

これからの人間としてのあるべき姿が

観得て来るような気がしております。

一方、「雨森芳洲(あめのもり ほうしゅう)」のことも

あれこれ調べています。

江戸時代中期の儒者で、中国語&朝鮮語に通じ、

対馬藩に仕えて李氏朝鮮との通好実務に携わった人です。

日韓の有志(学者等)が合同で運動を展開し、

昨年秋に「朝鮮通信使」がユネスコの世界記録遺産になりました↓

http://enchiren.com/

隣同士で常に争いが耐えない日韓関係ですが、

「互いに欺かず、争わず、誠を以ての交わり」をモットーに、

日韓の友好な交流を支えた偉人のその生き様から、

国家間の外交、はたまた価値観の違う人同士との

友好的な関係の構築に関する智慧を学びたいと思っています。

これらを学ぶことで、自分が信仰する宗教(=価値観)や、

属する組織の違いで、人間同士が対立し、

骨肉の争いをし双方が不幸に陥ってしまわない方策も

おのずと観得て来るように思っています。

残念ながら現代人は進化しているように見えて実は、

自らの「わがまま」により退化している部分

(罪)は意外と多いです。

現代人よりも遥かに進化し共存共栄していた、

先人たちから学ぶべきこと【叡智】は

かなり大きくて多いと観ております。

その過去の叡智の断片(ピース)を一つ一つ丁寧に集めて、

一枚のパズルに仕上げ、未来のためのピース(平和)を

今生の人生である程度は完成させたいと思っています(^^)♪