「7.多久頭魂(たくずだま)神社」

白嶽頂上で昼食を済まし、

お山を下りた後は、

対馬南部(厳原町豆酘)にあります

多久頭魂神社に行きました(^0^)♪

https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/806/

この神社の主の御神体は、

古事記などの日本神話に

載っていない・関連していない、

対馬固有の信仰神である

「タクズダマ」なんだそうです。

その神を崇め奉るのが、【天道信仰】です。

そのタマ(魂)は龍良山(たてらさん)という、

豆酘の町の北東にあるお山のことです。

奈良の大神神社のように、

お山そのものが御神体です。

これぞ“古代信仰”「杜(もり)そのものが神」です。

対馬には古代信仰(古神道)が遺っています。

内地(本土)にはほぼすでに消えております。

それを一度、この目で観ておきたかったんです。

現在存在する、所謂「神社」という存在は、

過去の歴史的経緯や時代ごとの権力者や

民衆の影響で、“不純物”といいますか、

生き残るために【自然であること】から

遠ざかっている側面が一部にあり

(つまり、「不自然なもの」も混ざっているということ)、

本来の神という存在(本質的なもの)を、

ストレートに観るためには、かつて自然にあった・・・

権力者や民衆の各種罪の影響を受けていない、

縄文時代あたりの古い時代の神道を知った方がいいと、

司馬遼太郎先生の本などで

気づかせていただきました(ー人ー)☆

詳細はまた大阪に帰って、

更にあれこれ調べてから改めて

レポートしたいと思っています。

大昔の神社には社殿(建物)はなく、

お山などの御神体と祠と

鳥居しかなかったっぽいのですが、

時代の流れにより、多久頭魂神社にも、

現代の神社と同じような建物が出来ています。

だけど、古神道をにおわせる【何か】が

遺っているように感じました。

有史より人間は、「あれもこれも」と欲し、

どんどん追加してより多く所有してきました。

だけど、今は全く逆で

「出来る限り持たない・本当に必要なものしか持たない・

身辺は出来る限りシンプルに」と逆流している・・・

それが進化であり神化、

即ち真の幸福への道なのではないでしょうか。

かつての神社(神の社)が、

奉られるべき御神体と小さな祠、

鳥居だけであったように、

【余計なもの】をどんどん削いでいくべきなのでは?と、

「タクズダマ」が木漏れ日となって、

私に教えてくれているようでした(ー人ー)☆