「美しきこの光は、美しきその人の中に映るもの」

梅雨の合間の晴れ間に、あるところに行きました。

その大きな部屋の中には、レースのカーテンごしに、

美しい日差しが降り注いでいました。

年齢を重ねるごとに、その人の人生が幸福か不幸かが、

顔相や全身に顕著に“見える化”

されて来る傾向にあるようです。

見返りを求めない、太陽からの美しい光をあびながら、

終始ニコニコされている人もいれば、

その顔その全身に苦しみや憎しみ、恐怖や憂え心を纏い、

その美しい光までもブラックホールのように消去し続け、

黒い・暗いままの人もおられます。

同じ場所にいて、また同じような境遇下であっても、

その人その人の心の持ち方や在り方、

方向性によって、その人の心に映る(届く)

光の量が変わるのだと気づきました。

「美しきこの光は、美しきその人の中に映るもの」

自らの心にある【鏡】が歪んでいたり、

くすんでいたり、汚れていたりすると、

その光【慈愛の心】はちゃんと受け取れないようです。

自分が不幸だと認識し且つ、

エネルギーがあり行動力のある人は、

霊的エネルギーのある人やご利益があると

うわさされる神社仏閣へお参りに行かれたりされておりますが、

その人自身が、自らの心の鏡の異常な状態に気づいていない、

もしくは気づこうとしない

(他者への責任転換や本当のことを知ることや

新しく変わることへの恐怖心に心が支配されている)場合は、

どんなに偉大なる存在にお願いしても、

その人を救うことは難しいと観ております。

余談ですが、お参りする人が多い場所は、

人間が持ち込んだ悪想念系エネルギーもたくさんあるので、

霊的エネルギー耐性が弱い方は憑依されやすく、

ご利益とは逆にその影響で余計おかしなことになったりしますので、

人間が少ないところに行くか、

人が少ない&比較的清らかな朝の時間に行くか、

霊的に強い方と一緒に行かれることをおすすめいたします。

・・・【自分自身を知っている(知ろうと努力している)か否か】が、

真に救われるための最低限の基本的要素であり、

幸と不幸の境目であり、

そして全てにおけるスタート地点のようです。

【写真】マイ畑近くからの夕日