「徳と罪の精算について、雑感」

【徳】 それは、

「(自分以外の)誰か・何かのためになるよい行い」

またそれをすることで得られる

“おかげ(御蔭)の力”でしょうか。

徳というものをちゃんと意識し

(真剣に考え)始めたのは、

四国遍路をやり出してからです。

お遍路さんしてますと、

地元(四国)の方々が“お接待”という、

お遍路さんにいろんな布施をして下さいます。

食べ物やお金を下さったり、

しんどい時車に乗せて下さったり、

「がんばってね」と励ましてくださったり、

「そっちやないよ」と率先して道案内してくださったり。

過去お接待して下さった方々全員に共通することは

「みんな幸せそう(幸福感で満たされている)」ということです。

お接待をすることはつまり、

自分の持っている【何か】を

お遍路さんに差し上げるので、

本来はその【何か】が自分の手元から減る訳です。

例えばお接待で500円をお遍路さんに渡せば、

自分の手元から500円が減ってしまい、

また道案内をしている時は、

その人の時間が減ってしまう訳です。

だけど、お接待をする人は、

その代わりに貰っている【何か】がある訳です。

(※お接待する人が何らかの「見返り(自分の利益)」を

お遍路さんに求めた時点で、徳のレベルが下がり、

酷い場合は罪になったりもします)

それが【徳】というものなんだと私は観じています。

別角度から・・・

【徳】というものは、一つ一つの「幸せ(のもと)」

なんだと観じています。

ですので、徳を積む・多く自分の元に

徳がある人ほどに、

一つ一つの「幸せのもと」がたくさんあって、

その人の心の中でどんどん「幸せ」が

大きく拡がっていきます。

だから、誰からも頼まれた訳ではないのに、

いつも眩しくてあったかい光を放ち続ける太陽のように、

その人の心は光輝いてて、周りの人をヒカリで満たし、

幸せを振りまいておられます。

ということで【徳=幸せのもと】であり、

幸せをたくさん得るためには、

自分以外の誰か・何かのために、一分でも一秒でも多く、

自分の命のエネルギーまた時間を

使って行く必要があるということです。

目に見える世界と目に見えない世界は相関関係にあり、

徳という、目には見えない・見えづらい世界のものを

たくさん集めることにより、

それがやがて(時期や質量に個人差はありますが)

目に見える現象としてもたらされる

幸せの境地が確かにあるのです。

現在、地球(宇宙全体)は次元上昇を続けており、

そんな徳のシステムがより顕著且つ

強固に現象化されています。

今まで罪ばかり作って来た人

(=自分の利益のためだけに命のエネルギー&

時間を使って来た人)はその次元上昇により、

逃げ切れないどころか、

すぐにその罪が暴かれて厳しい裁きを受けます。

ということで現在よりもまた更に一段と

地球や国、地域、そして個人の罪の精算が

本格化して行きます。

今までに無い数々の災い、病気、自死、各種トラブル・・・

罪深き国、地域、組織、家系、そして人間ほどに、

どんどん“デドックス”が起こって参ります。

それを乗り越えてこそ、

真の幸福の境地が待っているのですが、

それまでに裁かれ、消される命もありますが、

それもまたその罪の精算であり、

絶対的存在の絶対なる意思のようですので、

どうしようも出来ません(=人=)☆

【写真】ヒカリの中を歩くお遍路さん(2番極楽寺にて)