「隠岐と後醍醐天皇」10月/隠岐旅⑥

隠岐に縁深い・・・この地に島流しに遭った天皇は、

先程日記をアップしました後鳥羽天皇と、

もうお一人、第96代で南朝初代天皇の

後醍醐天皇(1288〜1339)です。

後醍醐天皇はおごり高ぶる鎌倉幕府を倒そうと

計画しましたが密告により事前にバレてしまい、

鎌倉幕府の軍勢に敗れ捕縛された上、

天皇の座を奪われて、1332年に隠岐に流罪となりました。

が、およそ一年で隠岐から逃げ出すことに成功し、

再び歴史の表舞台に返り咲いて挙兵し、

奈良・吉野で南朝を樹立して、

所謂「南北朝の動乱」へと日本の歴史は向かっていきます。

後鳥羽上皇は逃げ出さずにこの地で

19年間暮され亡くなりましたが、その点、

後醍醐天皇はめっちゃアクティブな方だったようですね(!?)

隠岐における後醍醐天皇の行在所跡は、

島後・隠岐の島にある、隠岐国分寺のある場所という説と、

島前・西ノ島にある黒木御所跡という説の二つがあります。

両方行きましたが、個人的には

隠岐国分寺の方かなぁと観じております。

隠岐国分寺の方が規模が大きく、

元々(奈良時代から)国分寺並びに人が住まう場所があって、

後醍醐天皇を見張るための基本的なインフラが

揃っていて良かったのかな?と

鎌倉幕府の立場から思いました。

逆に後醍醐天皇の立場からすれば、

隠岐諸島で最も栄えている西郷港があるこの地の方が、

脱出し挙兵する為のあらゆる諜報活動を

しやすかったのでは?とも思いました。

もしかしたら最初は隠岐国分寺の方で、

「こりゃマジで逃げ出すかも!?」と

危機感を感じた鎌倉幕府側がより逃げにくい・

あまり人が寄りつかない西ノ島の

黒木御所を突貫工事で作って、途中から

そっちに移動させた<させようとした>のかも知れません。

もしくは、最初から西ノ島側にしようとしていたのに、

御所を作るのが間に合わず、「仮の住まい」として

元々立派な建物がありインフラが揃っていた

隠岐国分寺になったのかも知れませんね〜!

だけど、本当のところは分かりません。。。

歴史の雲にかかって観えませんが、

当時のことを想いながら、あれこれ想像するのは

【歴史の醍醐味】って感じで、めちゃくちゃ面白いです〜^^♪

●黒木御所跡・碧風館
https://www.e-oki.net/spot/detail.php?spot_id=35

●隠岐国分寺・後醍醐天皇行在所跡・蓮華会之館
https://www.e-oki.net/spot/detail.php?spot_id=13

(それぞれ隠岐観光協会 公式ホームページ)

1〜2枚目:西ノ島・黒木御所
3〜5枚目:隠岐の島・隠岐国分寺