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よしこちゃんの部屋
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2020/12/02のBlog
[ 21:18 ] [ よしこちゃんのおススメ! ]
JALの客室乗務員さんが

「遍路女子」されたそうです。

みんなみんな、日々ステキにがんばりましょうね~^^♪



https://www.yomiuri.co.jp/economy/20201202-OYT1T50139/



2020/12/01のBlog

ヤバイよ~ ヤバイよ~

これ欲しいカモ!?(笑)^^♪



「四国八十八ヶ所をバーチャル巡礼できるアプリ

『お遍路ウォーキング』配信!」

https://straightpress.jp/20201128/449345

[ 22:13 ] [ 遍路修行日記 ]
甲乙つけがたい部分もあるのですが、

「四国88のお寺で最も好きなお寺は?」

と聞かれたら、

私は「12番・焼山寺」と答えます。



その理由は、

私の父方の祖母がそうだったからです。



おばあちゃんは生前、

ご近所さんとバスで四国遍路を2周しました。

私の両親兄妹(現在生きている親族全員)は、

四国遍路に興味関心がなく、

私は大橋家から意味不明&理解不能な

【宇宙人】扱いされております(笑)。



だけど、おばあちゃんが徳が高く

信仰深い人だったおかげで、

「おばあちゃんの隔世遺伝や」と言われ、

かろうじて地球人扱いです(更に、笑)。



この秋、大阪楽心会の歩き遍路で、

久しぶりにこの焼山寺に来ました。

やはり、とてもちゃんとされていて

清々しくてステキな場所です。



普段、自分が写る写真は撮らない主義なのですが、

(まだまだ“孫/馬子にも衣装”状態ですが^^;)

この地で四国八十八ヶ所霊場会「公認中先達」

としての記念撮影をさせて頂きました。



これからも追善供養をし“おばあちゃん”と共に

ステキなお遍路人生を謳歌して参りたいと思います。

おばあちゃんも喜んでくれていると思います。

更に精進して参ります(=人=)☆



【1枚目】公認中先達としての記念撮影(焼山寺山門)

【2枚目】おばあちゃんの写真(右側の人です/焼山寺山門)

【3・4枚目】叔父(故人)経由で貰った、

おばあちゃんの掛け軸(四国88霊場と西国33観音霊場)


[ 21:33 ] [ 遍路修行日記 ]
11月21日(土)~23日(月・祝)。

公認先達としてお世話役をつとめております、

大阪楽心会の仲間と共に歩き遍路をしに

四国・徳島へ行って参りました。



今回は“密”を避けるべく、

大阪~四国間(行き帰り)は参加者の自家用車、

もしくは高速バスで現地集合&解散

という形式にさせていただくなどさせていただきました。



今回は四国88で最も過酷な「遍路ころがし」である

“焼山寺越え”含む、

10番切幡寺山門~12番焼山寺から9キロ程先にある

「鏡大師」界隈まで歩きました。



参加者の中村さとみさんが約17分の動画を

作成してくださいましたので、シェアさせて頂きます。

歩き遍路の臨場感がめっちゃ伝わってきますね~^^♪



https://www.youtube.com/watch?v=63ZrnVEspyY&feature=youtu.be



2020/11/28のBlog
[ 00:14 ] [ よしこちゃんのつぶやき ]
本当に恐ろしいものとは、

(新型コロナ)ウイルスなのでしょうか?

私はそう観じておりません。

本当に恐ろしい存在は【人間】なのです。



ウイルスも人間同様、

地球上に存在する万物の一つであり、

それを排除するだの殺めるだの、

そんな二元対立的な発想をいつまでもしているからこそ、

収まるどころかエスカレートしていくのです。



ウイルスが蔓延するその真の理由は、

人間の自我我欲のエネルギーがそうさせているのです。

ウイルスの存在自体が悪い訳ではありません。



自我我欲などの悪想念、感情に心が囚われている限りは

その真の原因にたどり着くこともなく、

虚実に踊らされ、無意味に嘆き悲しみ怒り苦しんで、

そうこうしているうちに命が尽き、死んで逝くのです。

一体何のためにこの顕界にやって来られたのでしょうか。。。?



霊長類として「霊に長けた存在」として、カミと共に、

この地球を、地球に命ある万物全ての幸福のために

存在するはずの人間が、

自我我欲を増幅させ自分(たち)だけのために生き、

他者を万物全ての命を傷つけたり

搾取したり殺めたりしております。



そのオオイナルツミノセイサンの一つの現象が

今回の世界的なコロナ渦であり、

その精算は今後更にエスカレートして参ります。



自我我欲を持ったまま地球と共に人間が絶滅するか、

人間が改心懺悔して真の原因を掴み、

一元調和の世界構築を実践し、地球が地上と楽土と成るか?

いよいよ地球人全員が問われる時期になりました。



【写真】大阪・関空→石垣島の飛行機からの景色

~地球(顕界/この世)と宇宙(幽界/あの世)の境は無いと気づいた瞬間~


2020/11/27のBlog
[ 23:47 ] [ よしこちゃんのつぶやき ]
ご参考までにどうぞ



この冬も、そしてこれからも

あらゆる制約を超尅し

たった一つである【真実】を観

それに基づいた言動を展開して参ります

(=人=)☆



【ネット記事】

医師が明かす「コロナを恐れる必要がない理由」

死亡者は前年比減少、治療法も大きく進歩

https://news.yahoo.co.jp/articles/0ca052cf5675e4ee3c157c25446a5e78387cdf09?fbclid=IwAR07c1XN5R4loiTLhS6RDhFBcMpRLoepoBaPa5GKOM4Ppf549YCg2B4Mfdk


2020/11/04のBlog
10月23日(金)~26日(月)3泊4日で、

青森県へ行って来ました。

おかげさまで今回もGO TO キャンペーン等で

格安で行くことが出来且つ、

めちゃくちゃ内容の濃いものでした(=人=)☆



今回もざっとですが、青森の多種多様な歴史的風土、

その素晴らしさをご紹介させていただきます!



で、なぜ今回の題名が【北のまほろば】か?

それは、司馬遼太郎先生の『街道をゆく41』からです↓

https://publications.asahi.com/kaidou/41/index.shtml

青森県内の至る所でこの言葉を観ました。

※「まほろば」とは、「素晴らしい場所」「住みやすい場所」

という意味の日本の古語です。



南方からやって来た稲作文化が中世、

この青森の地を覆うようになってから「けかち」という

飢餓の多い場所となってしまいましたが、

元々(縄文時代/狩猟や採集をしていた時代)は、

地球上で最も豊かな場所(まほろば)で、

三内丸山遺跡のように、戦争やいざこざの跡が

見当たらないムラ(人間の営みの場)が

多数あったと分かって来ています。



『街道をゆく』シリーズは司馬先生の突然の死去によって、

43の途中で終わってしまいましたが、

その少し前に司馬先生の手によって、

青森は実は「けかち」ではなく

「まほろば」であったと証明されたのは、

青森県人にとっても我々日本人全員にとっても、

素晴らしいことであったと観じています。



さて、前置きが長くなりましたが、

23日青森空港に着いてレンタカーを借り、

まずは青森県東部にある三沢市に行きました。



三沢は日本の航空自衛隊・米軍基地(空軍)・

民間旅客機(三沢空港)が飛ぶ、【三位一体型】の

大きな空港区域があり、

恐らく日本ではここだけだと思われます。



沖縄の次に大きい米軍の空軍基地があるだけあり、

街全体がなんだかアメリカンな雰囲気で、

米軍の方がちょくちょく歩いておられました。

(ロシアとのからみがあってか)北海道には

米軍の駐屯地が無い関係で、この三沢が

日本北部における防衛の重要拠点のようです。



1年程前に私が入っている

一般社団法人政経倶楽部連合会 大阪支部

https://www.seikei-club.jp/)という会で、

三沢の航空自衛隊基地を見学するアポを

取りつけていたのですが、残念ながら

コロナで流れてしまいましたので、

代わりに県立三沢航空科学館(https://www.kokukagaku.jp/)へ

みんなと行きました~^^♪


一緒に行った、政経倶楽部の仲間・ハシモトさんが、

シュメール文化の研究を個人的にされておられ・・・

「青森にキリストの墓があるから、

是非そこに行って欲しい!!!」と

意味不明???なことを言われ、

ネットで調べてみると、ホンマにありました!?

【キリストの墓】!


三沢から23日夜宿泊した十和田湖にある

温泉旅館の間にある新郷村にありました。

【新郷村/キリストの里伝承館】

http://www.vill.shingo.aomori.jp/sight/sight_main/kankou/sight-christ/?fbclid=IwAR2S4M4aAAZfORN952l4T1-eLf5VIMxakRY1y64oZ_8ZvLUEXLGJkEXdJwA




土が盛られた上に建っている白い十字架が

2つありました。

一つはキリストで、もう一つがその弟である

イスキリなんだそうです(^^;)。



「ゴルゴダの丘で磔刑になったキリストが

実は密かに日本に渡っていた」



十字架にハリツケにされたのはキリストじゃなく、

弟のイスキリだった!?って、

イスキリっていう名前もなんだか、

“椅子(の足)を切る”って感じで?意味不明ですよネ~(^^;)。

そのミステリーの真相はいかに!??



だけど実際現地に行きますと、

歴史の彼方から神々しく放たれるステキな

神秘に思えてきました~^^♪




23日夜は、政経倶楽部のオジサマ方と

ワイワイ宴会!



食べきれない豪華な夕食と共に、

せっかくいっぱい頂いた「地域共通クーポン」が

全てブッ飛ぶ程にお酒をガバガバ呑んではりましたぁ~(笑)!

(ホテルで頂いた「地域共通クーポン」は、

ホテルの夕食のお酒代でも使えました)



明朝は曇っててしかも風が強かったですが、

ちょっと時間があったので、湖岸沿いに行ってみました。

十和田湖に映るステキな虹【ヒカリ】が

私を迎えてくれました~^^♪


【写真】

紅葉シーズンの十和田湖

乙女の像

十和田神社



24日(土)朝、紅葉シーズンど真ん中の

奥入瀬渓流(おいらせけいりゅう)に行きました。
私たちは十和田湖方面から行ったので

かなりマシでしたが、反対の青森市内から

車でやって来た人たちが団体バス含めて圧倒的に多く、

その反対車線は途中から大渋滞で、

路駐している自動車に向かってパトカーが

ワーワー言ってて、なんだか騒がしい観光地でした(^^;)。



だけど、さすが景勝地だけあって、

悠久の歴史に裏付けされた美しい風景が

拡がっていました~(=人=)☆



【写真】

奥入瀬渓流「阿修羅の流れ」→「石ケ戸休憩所」界隈

(2キロ程、遊歩道を歩きました♪)



十和田湖・奥入瀬渓流界隈紹介ページ↓

http://towadako.or.jp/towadako-oirase/


24日(土)の昼食は三内丸山遺跡にあるレストランで。

安くて美味しかったです!



知る人ぞ知る、この三内丸山遺跡の発見が、

私たち日本人の「縄文時代」「縄文文化」

「縄文人」の概念を覆しました。



ベテランのボランティアガイドの

おじさま・上田さんにガイドを頂き、

綺麗に整備された広大な遺跡内を

当初の予定60分を大幅に超えて

90分もみっちりご案内いただきました(=人=)☆



少人数の家族や親族の範囲で、

ちびちびとムラを形成し、かろうじて生きていた・・・

のではなくて、この地に1500年程、

こんなに広大なムラ(っていうか一大都市!?)を形成していた!

ということが分かり、そのスケールもそうですが、

高度な文明の凄さに圧倒されました。



しかもこの遺跡では、ムラを覆う堀や塀、

武器そのものや槍で頭蓋骨を突かれた

人骨が一切見つかっていない。。。

更に豊富な食物の痕跡や耕作、栽培、

海・川・陸での狩猟の跡などなど。。。

いかに縄文時代が殺し合いの無い豊かで

幸福な時代であったか?

恐らくこの時代、この地・この日本の縄文時代が

地球上で最も豊かで幸福な楽園

【ユートピア】であったことが分かります。



ってことで、いよいよ来年あたりに、

三内丸山遺跡も含めた

「北海道・北東北の縄文遺跡群」が

世界遺産に認定されるそうですョ(祝)!



縄文文化を持つ縄文人は我々日本人の

直系の先祖であります。

現代の日本地図の箇所のあっちこっちに

遺跡(生活の痕跡)を遺しています。



が、西日本よりも東日本の方が

その痕跡は多い(大きい)ようです。

それだけ昔の日本は東日本の方が

「まほろば」やったんでしょうね。



真の幸福の探求と実現は、

既にもうこの縄文時代に完成していた訳です。



だけど、南方(大陸)から、稲作文化が入って来ると同時に

稲(食物)を貯蓄するという概念も入って来て、

「貯蓄する→個人や組織で所有・独占する」

という動きとなり、「食物を貯蓄しておかないと

自分(たち)は飢える・死んでしまう」

という概念(自我)が芽生えて強化され、

やがてそれが「自分たち以外は餓えて死んでもいい」

「隣のムラの食物(富・財産)を盗んででも・皆殺しにしても

自分たちは生き残る・豊かになりたい」という

我欲を発達させて来て、今に至っているようです。



従いまして自我の根本的要素は【恐怖】であり、

自我から発心された我欲の根本は

【貪り】【偏り】【無知】と言ったものであると観ております。



私の今生の人生に於ける重大なコンセプトとして

【縄文に還る】というものがあります。



この令和の時代に縄文の時代へ還る。

還らないと、地球誕生から何回目かの人類絶滅が

待っているからです。

それを人間という立場役割となり、

何とか回避しなくてはならないと認識しております。



今世界に蔓延るコロナショック、次にもう準備されている

世界経済の崩壊は、その人類絶滅

(地球人類の粛清・罪の精算)のプロセス

【天からの最終警告】です。



青森空港から10キロ弱のところにありますこの三内丸山遺跡。

日本人のルーツ(DNA)並びに、

今を生きる我々大和民族がこの地球で成すべき

使命役割を肌で感じたい方、

是非とも行かれてください。

縄文人の豊かさ・目指していた境地が時空を越えて、

私たちの持つ【大和魂/ヤマトノオモヒ】をワクワクさせます~(^0^)!



●三内丸山遺跡 公式ホームページ

https://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/


[ 22:51 ] [ ぶらり旅日記 ]
24日(土)夕方。一旦青森空港に戻り、

政経倶楽部大阪支部のオジサマ方とお別れ。

大阪に帰って行かれました。

私と友達のゆうきちゃんの二人が残り、

空港のレンタカー屋さんで、今度はコンパクトカーを借りて、

一気に下北半島(むつ市)まで行きました!



翌朝25日朝は、むつ市にある、

斗南藩の旧跡地を探訪しました。



「斗南(となみ)藩」とは・・・

会津藩主で京都守護職だった松平容保(かたもり)が、

戊辰戦争で新政府軍に徹底抗戦した為、

明治元年(1868)に会津領を没収され蟄居させられ、

嫡子の容大(かたはる)が陸奥の北端・・・

今の下北半島のむつ市あたりの僻地(3万石)を与えられ、

斗南藩を立藩しました。



本州最北端の稲作が困難な僻地に

会津若松の武士たちが流浪の民の如く移住し、

過酷な環境下で開墾されるなど、

涙無しでは語れないご苦労をされた。。。

という深い悲しみの歴史があります。



素直で実直、誠実だったからこそ、

ずる賢く逃げることなく、「歴史のハズレくじ」をひいてしまい、

朝敵という汚名を明治政府によってつけられ、

酷いめに遭わされてしまいました。

私は個人的に、そんな旧会津藩(会津魂)がカナリ好きなので、

いつか斗南に行きたいと思っていました。



会津藩士・斗南藩士に鎮魂の祈りを捧げるべく、

まずは斗南藩の藩庁が置かれた円通寺と

幼い松平容大の遊び場だった徳玄寺へ。

円通寺には戊辰戦争の三十三回忌に建立した

奮戦むなしく亡くなった会津藩士を弔う招魂之碑がありました。



明治になってからもう150年経っておりますが、

今でも会津武士の子孫が弔っておられるのでしょうね(=人=)☆



斗南藩史跡地や旧斗南藩士らのお墓にも行きました。

大河の歴史の中にある光と影。敗者という影に存在する、

その人々の生きざまに光を当てることによって観えてくる、

真実(想い)というものを私はこうして

一つずつ丁寧に集めてはヒカリにして天に還し、

と同時に自分の心に徳や智慧、

感動と感謝というカタチで貯蓄し続けております(=人=)☆



●下北ナビ「斗南藩 史跡」

https://simokita.org/sight/tonami/


[ 22:46 ] [ ぶらり旅日記 ]
今の青森県は、津軽藩(県西側)・南部藩(県東側)・

斗南藩(県北東部・下北半島)と3つの藩が

合体して出来た県です。



南部藩と津軽藩の境に設置されていた【藩境塚】という

境界を示す4つの塚が今でも公園として整備され

遺っているとのことで見て来ました。



昔はこんな塚がたくさんあったかと思いますが、

変化の渦の中で「無用の長物」として

歴史の彼方に消えてしまったようです。



未だに江戸時代の遺物が遺っているって、

物持ちがいい県ですよね!

歴史好きにはたまりません~^^♪



あと、別の意味・理由で遺っていると推測しています。

南部藩と津軽藩はかつてめちゃくちゃ

仲が悪かったのです。

だから境界線はかなり重要なんや、、、と?



隣同士は、境界線の問題等、

リアルに利害関係が衝突するので、

仲が悪い場合が多いのですが、

もともと津軽藩というものは存在せず、南部藩でした。



が、津軽為信という人物が、

豊臣時代に下剋上状態で南部藩から分離独立して、

津軽藩を作ったのです。



だから南部の人は津軽に対して

あまり良い感情は持っていないそうですし、

津軽の人は南部の人に対してどことなく

負い目を感じているそうです。

が、廃藩置県となり、既に150年も経っていますので、

そんな南部VS津軽感情は若い人を中心に

残っていないようです。



車がビュンビュン走る国道4号線沿いの

駐車場に車を置いて陸奥湾に向かって坂を下り、

そして今はもう存在しない旧街道沿いにあったと思われる、

この藩境塚を眺めた時、中世や江戸時代の残り香が、

秋風に乗ってほのかに漂ってくるようでした。。。☆



●藩境塚(通称・四ツ森)

http://www.town.noheji.aomori.jp/kanko/spot/391


[ 22:43 ] [ ぶらり旅日記 ]
下北半島からくるっと津軽半島へ移動!

源義経が北上して逃げてきた!という義経寺へ行ってみました↓

https://www.aptinet.jp/Detail_display_00002142.html



青森旅②キリストの墓と同じような、

ロマンな伝承ですが、、、^^;



源義経は源頼朝に追われ結局、

奥州平泉で自刃したといわれていますが、

このお寺のある津軽半島・龍飛崎まで逃げ、

荒れ狂う海を前に観音像に祈ると、

3頭の龍馬が現れ、

海峡を渡ることが出来たという伝承のあるお寺です。



そして大陸に渡り、チンギス・ハンになって

モンゴル帝国の初代皇帝となった!って

ブッ飛び伝承へと繋がって参ります(笑)。



雪深き地域には、ロマンあふれるすてきな伝承が

生まれやすいのかも知れませんね^^♪



ま、伝承はどうであれ、風光明媚な場所でございました。。。☆

旅の相棒・ゆうきちゃんが、お寺にあった「幸福の鐘」を鳴らして、

世界の平和を祈ってくれました。。。(=人=)☆



[ 22:39 ] [ ぶらり旅日記 ]
津軽と言えば、津軽半島/龍飛岬↓

https://www.aptinet.jp/Detail_display_00000066.html

龍飛岬と言えば、名曲『津軽海峡・冬景色』ですよね~!

よしこちゃんもカラオケでオッチャン達の前で

よく歌っております(笑)♪



龍飛岬の丘には、『津軽海峡・冬景色』の歌碑があり、

赤いボタンを押すと、女性の声

(恐らく、石川さゆりではない)歌の2番と、

最後のサビが歌われます。

なんだかステキで、そしてどこか滑稽です(笑)。



行った時はめっちゃ風が強くて冷たくて、

途中雨が横から降って来たりと、

『津軽海峡・冬景色』にちょっと近い情景になって、

こんな過酷で美しい場所だからこそ、

こんな名曲も生まれるんやなぁ。。。と

強風にあおられながら想いました。




人生もきっと、平穏な時よりも辛くて過酷な時の方が、

【美】であるのかも知れませんね。



赤いボタンを押して歌碑から放たれる名曲を愛でた後は、

龍飛岬の下に降りて、赤い祠に祀られている、

地元で愛されているウミノカミサマへお参り!




ここに来ると、雨も風が一段と【爆状態】となり、

祠の前での合掌礼拝した後、

私の重い肉体が枯れ葉のように、

一瞬ふんわりと舞い上がって、風雨と同化し、

このまま虚空の彼方へ飛んで行きそうになりました(笑)。



さすが、龍が飛ぶ岬だけあり、

その御力も物凄くて、益々心身か軽くなり、

目の前で起こる事象がより鮮明且つ軽やかに

スピードを増して進んでいます。



【龍の背に乗る/流れに乗る】ということは、

このような境地・次元なんやと、

体感中でございます(=人=)☆


「国道」と言えば、自動車がビュンビュン走っている

というイメージがありますが、

龍飛岬を走る国道339号線は、ナント☆階段で、

徒歩の人しか通っていません。

名付けて【階段国道】!!!

初めて聞いた日本語で、びっくり仰天~っ(>0<)!!!



詳しくはこちら↓

https://www.travel.co.jp/guide/article/1220/

https://trafficnews.jp/post/74594



階段あり、民家と民家の間の細い路地(?)あり。

国道の概念がステキに覆された衝撃的な

339号線との出会いでしたぁ~^^♪


津軽海峡・龍飛岬から、雄大な日本海を眺めつつ、

美しい海岸線をレンタカーで颯爽と南下し、

十三湖に行きました。

昔は「とさこ」(元はアイヌ語)、

今は「じゅうさんこ」と呼ぶそうです。

十三湖は浜名湖と同じ汽水湖です。



十三湖と日本海が交わるところに十三湊があり、

そこにかつて安藤(安東)氏という一族が、

本格的な都市設計を施し、

一大貿易都市を築いていた!ということです。

今はただの湖に寒村のみ・・・

その遺跡案内の看板が立っていたり、

小さな資料館があるのみです。



司馬遼太郎先生の『街道をゆく 41 北のまほろば』を手に、

中世の面影がほぼない雨の十三湖を見渡してから、

十三湖の中にある小さな島(中島)にある

市浦歴史民俗資料館へ行きました。



地の利を生かして、ホウボウと貿易をし、

巨万の富を築いていた安藤氏ですが、

どうやら巨大地震&津波で壊滅的な被害を受け、

そこに今の岩手県北部と青森県東部を支配していた

南部氏が攻めて来て、

室町末期にこの一族は滅んだ・・・というか、

この十三湊を捨てて、本州のどこかの湊町か、

北海道などに逃げたのかも知れません。



で、そこを支配した南部氏は、

海上貿易にはとんと興味もスキルも無く、

その土地を支配したことのみ満足だったようで、

中世の一大貿易都市はそんな南部氏によって

地中深くへ眠りにつき、今は寒村となっています。



天を仰ぎ海を渡る中世の人たちのロマンが、

生命の息吹“ツワモノドモガユメノアト”が、

この静寂を守る十三湊の下で眠っているなんて、

そのギャップが何だかめちゃくちゃ凄すぎて、

とってもステキな歴史ロマンやと感じました!




●十三湖

http://www.go-kankou.jp/miru_manabu/ando.html



●市浦歴史民俗資料館

http://www.city.goshogawara.lg.jp/kyouiku/bunka/shiurarekimin.html?fbclid=IwAR1tQLQWbkAf7hiGCCRnGIp99vp7krzik7SrNJA9W2I2Eq8NktsXJsl7kds


25日(日)夜は、五所川原市にある

パークイン五所川原エルムシティに泊まりました^^♪

支配人の中山佳さん(愛称:かいぴょんさん)は、

商工会議所青年部&倫理法人会の先輩です!



10年程前に地元八尾にて、

商工会議所青年部主催「近畿ブロック大会 八尾大会」

を開催した時に、日本商工会議所青年部の

委員さんをされておられ、いろいろと大会運営に

ご協力頂いた時以来のご縁で、その後、

五所川原市倫理法人会のMSに

お邪魔させて頂いたりしました。



青年部はご卒業されて、

今は青森県倫理法人会の幹事長をされておられるとのこと!

やっぱりデキルおねえさまは違いますワ~^^♪



ご多忙のところ、大阪からの旅人のために

わざわざ時間を割いてくださり、

いろいろと地元青森のお話を伺うことが出来ました。

地元の方から直接あれこれとお伺い出来るのは、

旅人として大変貴重で嬉しい機会でございます~(=人=)☆




かいぴょんさんオススメの津軽金山焼の置物

「あまびえたん」を購入させて頂きました。

めちゃくちゃ可愛い!!!



この合掌している「あまびえたん」に、

三内丸山遺跡でゲットした

黄金色のリンゴの鈴をつけて、さらにゴリヤク倍増です(笑)♪



あと、あまりにもキラキラしてて驚いたので

うっかり写真撮影し忘れたのですが(笑)、

パークイン五所川原エルムシティさんには“女子部屋”があり、

壁紙やインテリアがめっちゃ可愛い

お部屋に泊まらせていただきました!

ほんと、久しぶりに思い出しました☆

自分が女子やったことを・・・(笑)。

そんなかんだで、ステキな女子時間を

過ごさせていただきましたぁ~(^0^)!



みなさんも青森・五所川原に行かれた時は是非、

パークイン五所川原エルムシティさんに

泊まられてみてくださいね~^^♪



●パークイン五所川原エルムシティ

https://www.parkinn-elm.co.jp/



●津軽金山焼「あまびえたん」

http://kanayamayaki.com/?p=4096


青森・津軽と言えば「ねぷた(ねぶた)」です!!!

五所川原は立佞武多(たちねぷた)で、

ねぷたが立っています!



26日パークイン五所川原エルムシティを後にし、

「立佞武多の館」に行きました↓

http://www.tachineputa.jp/



ねぷたは元々、七夕の時の灯籠流しだったそうで、

それが神輿のように町中を行脚したり、

どんどん巨大化して色彩豊かになって来たようです。

(最近は温暖化で雪が少ないそうですが)

雪深い季節が長いので、やがて訪れる春を待ちながら

じっくりとねぷたの作品づくりに専念され、

それがこんなに美しくまた大きく進化されたのでしょうか。。。



この館は日頃は立佞武多の展示館且つ

保管倉庫となっており、お祭りシーズンになると、

いろんなところがビ~~~ッ!と開いて、

立佞武多が外へ運べるようになっています(驚)!!!

展示されている立佞武多の美しさにうっとり。。。☆




そしていつかリアルに動いている

迫力満点な立佞武多群を見たいなと

思いましたぁ~(*^^*)♪



[ 22:18 ] [ ぶらり旅日記 ]
五所川原の次は更に南下して弘前(ひろさき)です!

弘前と言えば、弘前城です^^♪

東北で唯一天守閣が現存している大変貴重なお城です↓

https://www.hirosakipark.jp/



弘前城は、リンゴの木の剪定を参考にした、

樹齢100年を超える立派なソメイヨシノの

桜並木がとても有名です。

(一般的なソメイヨシノの寿命は70年程なんだそうです。

剪定の技術、すごいですね!)


お堀の中が花びらで薄いピンク色になるんやそうです。

冬は桜並木や堀の中や回りが真っ白になるとのこと・・・

津軽は本当に美しいです。

いつか見に行きたい絶景です。




かつてこの弘前城は津軽家の手によって

立派な五層の天守閣があったそうですが、

江戸初期に焼失し、その後櫓の一つに

天守に準ずる装飾が施され、

現存するこぶりな天守閣が完成したそうです。

(当時江戸幕府は五層の天守閣の新築を禁じていた為、

同等のものを再建出来なかったらしい)



司馬遼太郎先生はこのこぶりな天守閣こそが全体と調和し、

ふしぎなやさしさを帯びた名城になっているとおっしゃり、

この天守閣の本丸にのぼった者は、

この台上の主役が天守閣ではなく、

西北にある岩木山であることに気づかれました。




三層のこのこぶりな天守閣が、

この津軽平野の支配の象徴ではなく、

神である岩木山に仕えているのである・・・とのことです。



実際この天守閣に上ってみて、

本当にそうやな。。。と観じ、感慨深いものがありました。



津軽為信を始め、この天守閣にいた

津軽家代々の想い~祈り~というものを、

天に仰ぐ絶対なる存在・岩木山を通して

知ることが出来ました(=人=)☆