百姓を誇りに思う

突然ですが、私の父はお百姓さんです。

梅雨の時期になると、私は田んぼが気になります。
特に、こんなに雨が降ると・・・(%雨%)

子どもの頃、専業農家であることがいやで、恥ずかしいと思っていました。
早く都会に出たいと思っていました。
そんな私に、父はきっぱりと言いました。

「わしは農夫やない。百姓や。百姓はな、百の過程を踏んで、作物と対話
しながら育てるや。」

農薬全盛期だった30年以上前の農業にありながら、土作りにこだわり続けた
父のぶどう園では、毎年見事な実をつけます。芸術的でもあります。
うわさがうわさを呼んで、最近は雑誌にも載ったりするちょっと有名な人
になっています。

日本の農業を支えてきた世代は、今も現役であり続けます。
農業の次世代を担える人材を、日本は育ててきませんでした。
私は、今でこそ、父を誇りに思えますが、なぜもっと農業の素晴らしさを
伝えることができなかったのか、とても残念です。(%ショボ女%)

遅すぎることはありませんが、農業は一朝一夕でできるものでは
ありません。培われた自然現象との対話の中でこそ、作物は育ちます。
そんな父は、コンピューターを触りたがりません。根っからの百姓ですから。

「わしは、わしのカンピューターを信用しとるから、そんなもんいらん。」

と、頑なに拒んでいますので、私がここで書いていることも、
一生知ることはないとおもいます。
だから、書けるのかもね。
(%ニコ女%)