今日は朝から練習試合を行いました!!

三木山グランドで別所中さんと試合をさせていただいたのですが、早朝からテキパキと準備をしてくださった別所中さんと、相変わらず『横を見ないと動かないみんな』との差がハッキリ見えましたね。

アップも状況を観ながら今中代表と話をしていたのですが、みんなはアップに向かっているにも関わらず誰一人水分を持って行かなかったし、試合の前なのにユニフォームも誰も持参しない・・・。『誰かがしない事は自分もしない』です。その思考だから程々の形を整えるだけになってしまう事を最初に話しました。

試合では各自の良さがチームという中でどれだけ出せるか?出るのか?という部分を注視していました。

ですが、ゆっくりベンチからみんなの表情を眺めていたものの、仲間を感じる選手は全然いませんでした・・・。みんな自分の事だけ、でしたね。それではサッカーというスポーツはうまくはいかない。だからミスが起きる。みんなはミス=下手だから、と割り切るが自分はそうは思わない。チームスポーツなんだからミスを減らせる努力を周りが出来るのに、やらないからミスが増えるのは当たり前。下手だという部分はもちろんあるとしても逆にそれだけで済まそうとする考え方にすでに問題がある。まだまだ結果でしか物事を見ていないみんなだと思う。

そこから試合のハーフタイムや試合後に、各自に感想を聞いても『僕は嫌われたくない』という感情が一番に働くからその感想もめちゃくちゃ曖昧・・・。

『一部の子が・・・』
『全員が・・・・』
『みんな』

言葉をとても抽象的に、濁す言い方しかしない。だから改善も遅い。

具体的な部分を見ようとしないからいつも曖昧で片付ける。これは歴代の選手達もみんな一緒だった。

だから学年が上がってもその大切な部分が改善されていないと気付く事が多々ある。3年生になっても、この時期になると各自の本音、各自の責任感というものがかなりハッキリ見える。自分が曖昧にしてきた部分がハッキリと出ている。

曖昧にしたツケは必ず出る。海外から見た日本語の良さであり、日本語の欠点だと指摘されるのはこういう所。イエスでも、ノーでもない、間の言葉が日本語にはたくさんあるという事。

試合が出来るのはありがたい。

こういう機会によってみんなの課題がそれぞれ自覚されるから!でも、自覚出来たのに改善するかしないか?は各自次第。

今日はもう終わったし、振り返っても何も変わらない。明日どうしたいのか?どうなりたいのか?大体ではなく、必ずやるべき事を見つけてやってみよう!今日とは違う明日に出来るかどうか?は自分の勇気次第だと思う。

そんな勇気を見せてほしい。変わるというのは勇気がいるものだ。

環境を作ってくださった別所中さん、応援してくださった保護者の方々、ありがとうございました(礼)