今日はナイター練習でしたが、消防も終わってようやくグランドが使えるようになった最初の日にこれまで月に一回交流してくださっていたFCシニアさんとの練習試合を行う事が出来ました!!

毎年思います・・・・。

我々が借りているこのグランドは『公共』なのですが・・・・

この観点がズレた人が使うと本当に不快な気持ちにさせられます。消防が使う事は町の行事だし、大切な事なのは分かっていますが毎回綺麗に我々が掃除している整備道具の倉庫はボロボロ状態・・・。今日は日曜日にされている団体が整備を手抜き状態のまま帰っている始末・・・。この状態で『ちゃんとやって帰りました』と言われたそうです。一体どういう常識なんだろうか?と思います。

話は逸れたようで逸れていません。

公共、協力、人が絡む事に対する観念の違いと言いますか・・・。

ファルコにも最初から厳しくそこは言いました。自分を高めるという事が『自分さえ良ければ』になっている違い。もちろん技術の事に関してなどは自分がとことん高めたら良いのですが、それ以前にサッカーをやれる環境に対しての認識が甘いから感じる部分もかなり低いと思う。

各自なりのトレーニング、なら何も言わないけれど『好き勝手やっているだけ』は全然意味が違うという事だ。

練習をする、試合をする、サッカーをする、その事の意味を自分で考えないといけない。

サッカーをするってどういう事なのか?が分かっていないのに、『うまくなりたい』『強くなりたい』『負けたくない』は成り立たないのです。それが子供を通してハッキリ見えるのです。

つまり、勉強も同じだけど分からない事が起きた時に『過程じゃなく結果だけ調べる・理解する』習慣のせいで考えないまま大きくなる。分からなかった現象だけを『手っ取り早く解決』しようとするから自分の中身が変わらない。

自分自身への矢印を真剣に向けないから自分がどうなっているのか?が分かっていない子が『出来ない子』と思われている子の共通点。

だって局面だけ終わって『今の分かる?』と聞けば分かるから。なのに、その時、その瞬間に分からないのは何度も言うけど、『自分を知っていない・知ろうとしない』から。

ここの差がよく分かった!シニアさんが真剣に勝負してくださるからこそ見える事をみんなも見ようとしなければいけない。勝つ為にやるのではなく、真剣勝負の中で考える事をしなければ無意味になる。順位じゃなく、勝敗じゃなく、『自分の状態』を観る事。

毎回平日にこんな真剣勝負が出来る機会はありがたいとしか言い様がないし、選手達も終わりには、『練習試合をしてくださって』というセリフだけはきちんと言うけど、心から本当に思っているのか?という部分、中身を変えないといけない。

足りない部分、じゃなくて『もっと良くしていく為の部分』として受け入れてほしい。考え方の違いは『ちょっと』でも、サッカーの勝敗なんてそのちょっとへのこだわりとか違いによって出てくるものです。

勉強しているであろう残りの選手にも考えてほしい。どうしてテスト勉強をやっているのか?どうすれば自分がその時間をプラスに変えられるのか?を。

『ただ』やる、をなくしてほしい。意味を持ってやろう!!

今日も貴重な学びを与えてくださったFCシニアさん、ありがとうございました(礼)