こんにちは!珍しく1週間でブログを更新しました。理由は、最近の新聞、テレビなどのメデイアが報じるタイトル(話題)について、おっちゃんも黙っておれないからです。
メデイアが伝えるのは「学校が、教育委員会が、担当、副担当教師が・・・」であり、「母親は何も気がつかなかった・・・」など、「犯人探しと責任の所在」関連ばかりです。このような子ども・少年の痛ましい事件でも「アメリカ的、韓国的になっている」ことに違和感を覚えてなりません。参考までに「アメリカ的、韓国的」と言うのは、「犯人探しと責任の所在の追求。そして、訴訟と損害賠償・・・」というシナリオで、問題点をすり替えていく現在の社会現象・報道姿勢を指しています。本当のシナリオは「日本人・大人の変質」ではないでしょうか。
自殺した中学生が「本当に問題にした」のは「回りには頼る人・相談できる人が誰も居ない」ではなかったでしょうか。「学校・教師は子どもを守るべき立場にも関わらず、いじめる側に立っている。友人も守ってくれない。親も聞いてくれない(気付いてくれない)・・・」となると、自分の存在を否定する(消してしまう)しかなかったのでないかと、おっちゃんは思っています。立派な先生は沢山居ます。腹を痛めて生まれた子どもを大事に育てる親は沢山居ます。また、寄り添ってくれる友人も沢山居ます。しかし、今の日本は「そのような当たり前」が「美談・稀有」というニュースになる社会になりました。自分のことで忙しく、他人のことをかばう余裕が無くなってしまった。だから、「絆」「おもてなし」「おもいやり」という言葉が脚光を浴び、商業的に盛んに使われるようになってしまったのです。これらは本来「ことば」ではなく、「こころ」ではなかったでしょうか。大人が「それらの言葉をもてあそぶ」態度は改めなければなりません。しかし、改まらないでしょうね!おっちゃんは自信をもって「そのように」言い切れます。りっぱな、頼りになる「長屋のおっちゃん」を演ずべく活動していても、「誰か来る?無料でやってるの?なんで?身内に障がい者を抱えているの?」という「冷めた質問」ばかりを大人から浴びせられます。
子どもたち、若者、青年・・・、こころに傷・悩みを持っているなら、何時でも連絡をください。電話でも、メールでも、或いは相談室に直接訪問でも・・・。