(不条理でも)理由のある(らしい)深い「イジメ」

※この文章のほとんどは、一年半以上前に書いたものです。

イタズラに人の外見や不得手さをあざ笑い、
コケ落とし、イジメに追い込む。
海外の事情はよくは知らないのですが、
日本では本当によくあることみたいですね。

私もそんなことをしたり、強烈にされたりしました。
中2の時に登校拒否をし、自宅にひきこもり、
徐々に統合失調症になり、精神病院に入院しました。。
2回の入院、地域のデイケア、いろいろな居場所を経験して、
私は少しずつ、何とかという感じで生きてきました。

特に、二度目の精神病院入院は厳しかったです。
また、この件については、どこかで書かせていただくつもりですが、
苦しい入院生活でした。ですが、退院してから、一年半以上が過ぎ、
私自身、初心を忘れているのですね。

一度目も二度目の入院でも、患者同士の「イジメ」がありました。
イジメている人と一緒に暮らしているのですから、
苦しい部分は相当あったはずですよね。
ですが、退院して一年半以上たち、
(そのうえ、彼は私より早く退院しているので)
私の中で彼への怒り等が無くなっているのですね。

当然、それは、私自身の人、社会への甘さへと繋がります。
これは、優しさではなく、なめているのだと思うのですね。
ですが、どうしようもないのですね。
現在の私は、そこまでの人間なのですね。

「イジメ」。これは「どの社会」でも、確実にありますよね。
日本だけではなく、韓国でも、中国でも、アメリカでも、ブラジルでも、
カナダでも、英国でも、ドイツでも、イタリアでも、フランスでも、
コロンビアでも、アルゼンチンでも、そしてスウェーデンでも、
ロシアでも、オーストラリアでも、ニュージランドでも、
イランでも、エジプトでも、アルジェリア、コートジボアール、
ナイジェリア、サウジアラビア、、、でもあるのですね。

今回は好きだったり、好きになりたい国ばかりを挙げましたが、
私自身も偏見のある、ベトナムでも、タイでも、カンボジアでも、
インドネシアでも、大好きであるはずのインドでもなぜか私は偏見を持っていて、
そして、こうしてその国の「イジメ・偏見」について平然と
語るわけですね。

それは「モテたい」という気持ちが大きすぎるのですね。
こんな文章を書いていて、情けないのですが、
まだ「モテたい」という気持ちが、多くあるのですね。
もちろん、「認められたい」という気持ちも、かなり多くあるのですが、
それはまた別の機会で書かせて頂きますね。

今は2017年の4月23日ですが、この文章を書き始めたのは
2016年1月8日なのですね。コロコロと心変わりする弱さのありまくる
日常の中で、怒りの声を発しても、いくら向精神薬を服薬しても
病状がなかなか良好に向かわないのですね。
(少しずつ変わってゆく、前兆はありますが…)

それはどういう事かというと、私にとってあまりにも苦しい
病状が病気による苦しみが減らないという
とてつもなく苦しい現実を背負い、日々、生活するしかないのですね。
私は、なぜ、何のために生き抜いているのか、
わからなくなってゆくわけですし、
私は何を頼りに生きてゆけばいいのか、
わからなくなっているのですね。

『いずれ書ける』このことを支えにするしかないのですね。

「生きる全てを書くことに捧げたい」
「書くことを、生業にしたい」

私はこんなことを言えるほどの人間ではありませんが、
頑張ってゆきたいのですね。コツコツとガンバって書いてゆき、
どなたかが、このブログ等をみてくださり、
例えば、出版とかという話が来ると、
とてつもなく嬉しいわけですよね。

私は、実業家の藤田晋さんが大好きなのですね。
彼の表に出さない苦労は、生半可なものではないと思うのです。
私も関連した苦しみを持ったことがあります。
数日、悩みとインフルエンザが重なり、
全く眠れなかったことがあります。

私の視線は、まだまだ著名人にばかり行っています。
情けないものです。この、普通の人たちを軽く見る、
それが、あらゆる醜い感情・感覚、
そして、イジメてやりたい感覚に、
行ってしまったと、小学校・中学校時代のクソ嫌な
私に、繋がってしまっているのだと思うのですね。

見下されたり、見下したり、これが現在の
私の生活・現状だと思うのですね。
イジメる理由はその部分に眠っていて、
私は、まだその現実(リアル)を
言葉にできる力を持っていないのですね。

というわけで、私は少しずつ変化しているようです。
私は、作家になりたいのですし、気取っても
どうせ、そんなものだと言われる、社会的立場なのです。

今に見ていろ、こんなこと、誰にも言えませんが、
思ってみる位構いませんよね。
イジメたい感情は、心の中だけに留めておく、
これが、現在の私の目標です。

(写真の「居場所」ですが、ここでも私は、最後まで、
嫌な見方を通り越して、偏見を持って活動していました。)