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シニア文化塾だより
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2019/01/05のBlog
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あけましておめでとうございます。
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〇シニア文化塾(文学・文芸コース)
・名称:南河内シニア文化塾(通称:シニア文化塾)
・設立:2010年1月
・年間を「前期」(3月~7月)と「後期」(9月~1月)に分けています。
・シニアであれば、地域を問わず、どなたでも参加できます。
・現在の受講生(文学・文芸コース)は、富田林市、河内長野市、大阪狭山市、河南町、千早赤阪村、橋本市、岸和田市、堺市、羽曳野市、柏原市、八尾市、大阪市、守口市、香芝市・橿原市(奈良県)から参加しています。(女性45名、男性15名)。
[*右上の写真は、昨年10月18日(木)の「認知症と文学と時代-中島京子『長いお別れ』を中心に」(吉村稠先生)の講義風景です。]
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〇2019年「前期講座」(文学・文芸コース)のご案内
・期間:3月~7月
・開催日:木曜日
・時間:午後1時半~3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
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◇講義日程表(*右の日程表をご覧ください。)
・講義回数:全13回講義
【古典】:万葉集、源氏物語、平家物語、方丈記
【近現代文学】:森鷗外、井上靖、横山秀夫、青山透子
【俳句】:芭蕉「奥の細道}
【和歌】:西行法師
【能・狂言】:能「道成寺」
【音楽】:シュウベルト
【女性史】:足利義満とその正室
・講師:13名…各分野でご活躍の先生方です。
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☆受講生募集
・定員:60名(定員になり次第締め切りします。)
・受講費用:13,000円(受講料1000円×全13回講義)

★申し込み
・往復はがきに、住所・氏名・年齢・電話番号を明記の上、下記宛に申し込み下さい。
【申込先】〒584-0062 富田林市須賀3-11-15 「シニア文化塾」事務局 常本宛
【問合せ】シニア文化塾「事務局」 常本(つねもと) 携帯:090-3990-3907
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2019/01/04のBlog
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謹んで新年のお慶び申し上げます。
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〇シニア文化塾について
・南河内シニア文化塾(通称:シニア文化塾)は、2010年1月に設立し、今年2019年で10年目になります。
・シニア層を対象に、「歴史・古典・文学などを楽しく学ぶ」講座を中心に運営しています。
・講座は、「歴史コース」と「文学・文芸コース」の二つのコースがあり、年間を「前期}(3月~7月)と「後期」(9月~1月)に分けています。
・シニア世代であれば、地域を問わず参加できます。
【右上の集合写真は、昨年11月13日(火)「平城宮跡歴史公園の散策」(佐藤興治先生)です。】(45名参加)
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◎2019年(平成31年)「前期講座」(歴史コース)のご案内
・期間:2019年3月~7月
・曜日:火曜日
・時間:午前10時~12時
・会場:すばるホール(富田林市)
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◎講義日程表(*右の日程表をご覧ください。)
★古代史から中世、近現代史まで、バラエティに富んだユニークな歴史講座です。
・講義回数:全12回
【古代史】:4講義
【飛鳥・奈良・平安時代】:4講義
【中世史・戦国時代】:1講義
【幕末・維新史】:1講義
【沖縄の歴史と文化】:1講義
【西国巡礼】:1講義
☆講師:12名…各分野でご活躍の先生方です。
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〇受講生募集(締め切り)
・定員:60名…H31年1月初めに定員になり、締め切りました
・受講費用:12,000円(受講料1000円×全12講義)

[問い合せ]:シニア文化塾・事務局 常本(つねもと) 携帯:090-3990-3907
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2018/12/03のBlog
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・日時:11月29日(木)10時半~15時
・【コース】:近鉄奈良駅(行基像前)(10時半集合)-奈良県女性センター-猿田彦神社-あしびの郷(昼食)-奈良町からくりおもちゃ館-徳融寺(15時:現地解散)
・参加者:45名
・天候:晴れ
・ガイド:浅田 隆先生
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奈良町女性センター(*右上の写真)(近鉄奈良駅下車 徒歩3分)
・「奈良町・奈良公園・高畑 文学散歩」と題して、浅田先生の講義を約1時間。この女性センターの講座室(2部屋、有料)を借りて行いました。
・このセンターは、女性に役立つ図書・ビデオの貸出、女性の悩み相談コーナー、女性のための再就職講座、託児室にはおもちゃ・絵本が豊富にあるなど、女性を中心にした施設です。(男性トイレは1階のみ。2~4階は女性用)。
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あしびの郷(昼食)
・「あしびの郷」は江戸時代起業の老舗の漬物店で、広い庭があり、レストラン併設。
・一番人気の「おつけもの御膳」を食べる(漬け物に小鉢、季節の魚(さわら)、汁物、御飯がついて1500円)。久しぶりの漬け物を、奈良漬の老舗で味わう。
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奈良町からくりおもちゃ館
江戸時代の手作りのおもちゃを展示。展示室ではスタッフ(NPO法人が運営)が、おもちゃの遊び方などの指導もしてくれます。…昔懐かしい、からくりおもちゃで、実際に手の取って楽しめます。
・入館料:無料
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徳融寺
・中将姫は、奈良時代の右大臣藤原豊成の娘と言われている。継母(ままはは)の仕打ちに耐えかね、当麻寺に入り得度したといわれる。中将姫は阿弥陀信仰の成果として、極楽浄土の蓮糸で織りあげた大曼陀羅を組成した女性として、中世以来熱烈な信仰があり、多くの布教僧が曼陀羅を担いで諸国をめぐり、極楽浄土を描いた絵画を聴衆に示し、極楽や成仏等の話をしました。
・徳融寺はその中将姫の屋敷跡という伝承。今日は、老院(退任された元住職)さんの曼陀羅を眼前に見つつ絵解きを聞かせていただきました。…めったに見ることのできない場面でした。
2018/11/03のBlog
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日時:午後1時~4時
会場:柿衞文庫(伊丹市宮ノ前)
講師:辻村尚子(柿衞文庫学芸員)
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○前回の復習…芭蕉『奥の細道』を読む 第1回
芭蕉の生涯と旅
・寛永21年(1644):伊賀国(三重県)に生まれる
・寛文12年(1672):29歳 江戸に下る。
・貞享元年(1684):41歳 『野ざらし紀行」の旅に出る。
・貞享4年(1687):44歳 『笈の小文』の旅に出る。
・元禄元年(1688):45歳 『更科紀行』の旅に出る。
・元禄2年(1689):46歳 3月『奥の細道』の旅に出る。(~9月)。
・元禄6年(1693):50歳 この頃、『奥の細道』を執筆したか。
・元禄7年(1694):51歳 大坂にて没。

『奥の細道』の構成意識(*右上の資料を参照)
(1)漂泊の思い
冒頭に、「月日は百代の過にして、行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず。…(中略)…〈草の戸も 住替る代ぞ ひなの家〉」。
・芭蕉が尊敬した多くの歌人、西行・宗祇・杜甫・李白など、みな旅の途上で客死している。
(2)旅立ち
行く春や 鳥啼き魚の 目は泪
(44)大垣
蛤の ふたみに別れ 行く秋ぞ
・旅立ちの句、「行く春や…」が、遠く巻末の「…行秋ぞ」の句の伏線を為している構想の妙を忘れてはならない。
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芭蕉の『奥の細道』を読む 第2回
漂泊の思い~草加
・三月もおしつまった27日、深川から船に乗り、『おくのほそ道』に出発した。隅田川を上ったら、千住という所で舟から上がると、同行してきた見送りの人たちと別れ、遠い異郷へ三千里もの長い旅に行くのだなという感慨が胸いっぱい広がる。
行く春や 鳥啼き魚の 目は涙」(芭蕉)
(句意)【春が過ぎ行こうとしていて、名残り惜しいことである。行く春との別れを惜しんで、鳥は悲しげに鳴き、魚の目は涙で曇っていることだ。)
・草加という宿に着きにけり…旅の第一夜は、やっと草加(埼玉県)という宿駅にたどり着いた。痩せて骨ばった私の肩にかかっている荷物に、何よりも最初に苦労した。
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柿衞文庫 特別展「芭蕉の手紙」の見学
・兵庫県伊丹市の博物館「柿衞文庫」で、開催中の特別展-芭蕉の手紙-を、講義の終了後、辻村先生の案内で見学。
・厳選した芭蕉の手紙を中心に、短冊や懐紙・画賛などの名品が紹介され、手紙から芭蕉のさまざまな表情や人間性が伝わってくる展示です。
・女性の弟子・智月に宛てた芭蕉の直筆手紙が、新発見され、女性が読みやすいように平仮名を多用するなど、女性宛の手紙の特徴が現れていた。
・芭蕉の手紙は厳選され約230通保有されているとのこと(芭蕉が早くから有名人で、手紙が大事に保有されていたと思われる)。
2018/10/29のBlog
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・日時:10月23日(火)am10時~12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:平林章仁先生(元龍谷大学教授)
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○復習「三輪山の古代史①-「麻糸で結ばれた神と女の物語」
・『古事記』『日本書紀』には、三輪山の大物主神と巫女的な女性と交わる三つの神秘的な神婚神話が伝えられている。これら大物主神に関わる神話・伝承には、ヤマト王権成立の重要な鍵が秘められている。
・「麻糸で結ばれた神と女の物語」(概説)…崇神天皇の御世に、疫病が流行って人民が絶えてしまいそうになった。大物主神の祟りで疫病が流行したが、河内の美努(みの)村のオオタタネコを神主として祭らせたら終息させた。…陶邑の首長の娘.イクタマヨリヒメは容姿が端麗であった。ヒメのもとに夜毎に通う男がおり、まもなくヒメは身ごもった。そこで両親は、男の正体をつきとめるために、糸巻に巻いた麻糸を針を通して男の衣の裾に刺すように娘に教えた。翌朝、糸は戸のかぎ穴から抜け出ており、糸を頼りに訪ねて行くと、三輪山の神の社にたどり着いた。そこで、娘の腹の子(オオタタネコ)は、この社の大物主神の子と知れた。
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三輪山の古代史②-丹塗矢伝説(丹塗矢と交わった女)
・丹塗矢伝説:神が丹塗矢に姿を変えて女性に近づくという神婚の伝説。
(1) 『古事記』神武天皇段(神武天応の后の誕生)
・(古事記)…三輪山の大物主神が、丹塗矢に化して溝を流れて、用を足していた三島溝咋(みしまみぞくい)の女のセヤダタラヒメに近づき、のちに美男子に姿を変えて、ヒメと結ばれ、生れた子がホトタタライスキヒメという。(神武天皇の大后ホトタタライスキヒメは、摂津の三島溝咋の女セヤダタラヒメと大物主神の神婚で生れた神の御子である。)
(2) 『日本書紀』神代紀第八段一書第六
一書(あるふみ)に曰く、事代主神が、八尋熊鰐(大きなワニ)に化して、三島溝樴姫(みぞくいひめ)に通い、結ばれた子が神武天皇の大后。

*注1:古事記は大物主神を特筆し、三輪山麓を話の舞台にしている。日本書紀は、事代主神を主役としている。事代主神は賀茂氏の奏祭神。(賀茂氏の祖先伝説が採択されている)
*注2:神武天皇の大后の出自は、母系は.同じであって、摂津の三島。しかし、父系は三輪山の神(大物主神)とする古事記、事代主神と伝える日本書紀で、異なる。
*注3:三島とは、大阪北部(茨木市、高槻市などの地域)を指す。
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◆『山城国風土記』逸文の賀茂神話
「…山城国の賀茂氏の祖伸・賀茂建角見命(かもつたけつぬみのみこと)と丹波国の神野のイカコヤヒメの間に生れた玉依日売が、川に丹塗矢と化して流れきた火雷神(ほのいかづちのかみ)と結ばれたのが、可茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)であるという。」
・.京都の上賀茂神社、下鴨神社にも丹塗矢伝説があり、周辺には葛城地方と共通する地名も多い。大和から山城に、賀茂の一族が移っていった。

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**あとがき**
・丹塗矢型三輪山神婚伝承が、山城の賀茂氏系の強い影響をうけている。神武天皇の大后の父を「事代主神」とする日本書紀の所伝は、葛城の賀茂氏の主張にもとづいていると思われる。
・神武天皇には、すでに后妃がいたが、東征後、落ち着こうとする地で、.新たな后を求め、ヤマトの王者に転身しようとしたことが考えられる。
2018/10/22のBlog
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・日時:10月18日(木)午後1時半~3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:吉村稠先生(園田学園女子大学名誉教授)
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**中島京子の略歴**
1964年東京生まれ。小説家、エッセイスト。東京女子大学卒。
2003年、田山花袋『蒲団』を下敷きにした書き下ろし小説『FUTON』で作家としてデビュー。2010年『小さいおうち』で直木賞受賞。2014年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞受賞。『長いお別れ』(2015年)、『眺望絶景』『のろのろ歩け』『かたづのー』など著書多数。

中島京子『長いお別れ』のあらすじ
・東昇平(80歳前…9年前からアルツハイマー型認知症)は、かつて区立中学の校長や.公立図書館の館長を勤めたが、認知症を患っている。長年連れ添った妻・曜子とふたり暮らし、娘が三人、孫もいる。
・妻は、娘たちに依頼せず、頑固な夫の介護に勤めていたが、.網膜剥離で緊急入院に。⇒3人の娘は、母に任せきりから目覚め、認知症介護の諸制度、諸施設の問題を知る。⇒改めて父の状態と人生、人間性に向き合い、急遽三人で父の介護に臨む⇒各自個々の過程(「長女・茉莉」-夫と米国在住。「次女・菜奈」-49歳で第2子懐妊。「三女・芙美」-自立、独身)、人生状況が交錯し……独り身で動きやすい末娘が覚悟を。
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◆最終章-「米国在住の茉莉の長男タカシとグラント校長の会話」(抜粋)
タカシは学校に出て来ずに遊びほうけていたので、校長室に呼ばれ、
話している中で、タカシは突然「祖父が死にました」と言った。
(校長)「ご病気だったの?」、(タカシ)「ずっと病気でした。いろんなことを忘れる病気で。十年前に、友達の集まりに行こうとして場所が分からなくなったのが最初だって、おばあちゃんはよく言っています」。
(校長)「認知症か。…十年か。長いね。長いお別れ(ロンググッドバイ)だね。」「『長いお別れ』と呼ぶんだよ。その病気をね。少しずつ記憶を失くして、ゆっくりゆっくり遠ざかって行くから」
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認知症と文学と時代
(1)時代的変化
・認知症は「呆け(ぼけ)、痴呆(ちほう)」と呼ばれていた。
・2000年に、介護保険制度がスタート。(看病・付き添い→介護に)
・2004年には、厚労省が呼び方を「認知症」に変えた。(「痴呆だと、何もわからず何もできないという誤解を招きやすい」というのが理由)
・2025年には、「5人に1人が認知症」になる推計。

(2)文学がとらえ訴えた「医療・介護現場の変化」
**有吉佐和子『恍惚の人』 (1972年)
認知症をいち早く取り扱った文学作品。これがきっかけで痴呆・高齢者の介護問題にスポットがあてられることになる。高齢化社会に突入した日本社会における介護問題をいち早く世間に知らしめた作品。…しかし、その後も依然として、「年寄りの面倒は嫁がするもの」という意識が根強かった。
**耕 治人『そうかもしれない』(1988年)私小説、佐江衆一『黄落』(1995年) 
2018/10/12のBlog
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・日時:10月9日(火)am10時~12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:白石太一郎先生(大阪府立近つ飛鳥博物館 名誉館長)
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○「6基の初期倭国王墓
奈良盆地の東南部のやまとの地には、初期のヤマト政権の盟主(初期の倭国王)の墓と想定される大規模な前方後円墳が営まれている。
①箸墓古墳→②西殿塚古墳→③外山茶臼山古墳→④メスリ山古墳→⑤行燈山古墳→⑥渋谷向山古墳。…の順に造営されたと考えられる。
◆(1)箸墓古墳と西殿塚古墳
・《箸墓古墳:桜井市、箸中古墳群。三輪山の西の麓》-最初の王墓と考えられる箸墓(はしはか)は、墳丘長280mの巨大な前方後円墳。この古墳から、弥生時代末期の吉備の首長墓に立てられた特殊壺・特殊器台の流れをひく特殊壺形埴輪、特殊器台形埴輪が出土しており、3世紀中葉過ぎの古墳と考えられる。『日本書紀』は、三輪山の神オオモノヌシに仕えあた巫女の、ヤマトトトヒモモソヒメの墓と伝えている。⇒被葬者:三輪山の麓に営まれた箸墓古墳が、卑弥呼の墓である可能性はきわめて大きい。
・《西殿塚古墳:大和古墳群)二代目の王墓とされる西殿塚(にしとのづか)は.、墳丘長240mの前方後円墳で、箸墓古墳のものよりは新しい吉備型の特殊器台形埴輪が出土しており、3世紀後半の古墳であることが知られる。⇒被葬者:箸墓を卑弥呼の墓と考えて良いとすると、それに次ぐ2代目の王墓として卑弥呼の後継者である台与(とよ)の墓である可能性が高い。この古墳では、後円部と前方部に同型同大の方形壇が存在する。一方が宗教的・呪術的の王の台与であり、もう一方が、男兄弟での政治的・軍事的の王である可能性が大きい。
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◆(2)外山茶臼山古墳とメスリ山古墳
・三代目の外山茶臼山古墳(とび ちゃうすやま)は、墳丘長200mの前方後円墳。四代目のメスリ山古墳は、墳丘長240mの前方後円墳で、ともに中心的な埋葬施設は後円部の竪穴式石室一基だけ。この二つの王墓は、すでに盗掘されていましたが、それでも多数の副葬品や多量の武器・武具とともに、腕輪形石製品などが出土。⇒被葬者:おそらく、三代目、四代目の倭国王は男性で、政治的・軍事的王権と、宗教的・呪術的王権をかねて備えていたと想定される。
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◆(3)行燈山古墳と渋谷向山古墳
・五代目の行燈山(あんどんやま)古墳は、墳丘長240mの前方後円墳、六代目の渋谷向山(しぶたにむかいやま)古墳は、墳丘長310mという古墳時代前期では列島最大の前方後円墳である。
・両古墳とも未調査で、埋葬施設や副葬品は不明。ただ、埴輪の様式などから、行燈山が4世紀前半、渋谷向山が4世紀中頃の造営と想定される。⇒被葬者:行燈山は崇神陵、渋谷向山は景行陵を宮内庁は比定。両古墳の比定が合っている蓋然性は大きいと思われる。
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初期ヤマト政権形成時の倭国王の実像
・卑弥呼の晩年に西方の邪馬台国連合と東の狗奴国連合が合体して日本列島の中央部に初めて一つの政治的まとまりができる。これが初期ヤマト政権にほかならない。
・古墳出現の前提となる広域の政治連合の成立が、3世紀初頭の邪馬台国連合の成立にほかならないとすると、古墳の成立自体は、半世紀ほど後の出来事になる。
・定型化した画一的内容を持つ「前方後円墳」の創出は、新しい政治連合の政治秩序、政治体制の整備の一環と考えられる(共通の葬送儀礼を執り行い、共通の首長墓を営むことが、政治的連合関係の維持・確認に有効である)。
・最初の倭国王墓である箸墓が卑弥呼の墓である蓋然性が高いことを重視すると、倭国王、すなわちヤマト政権の盟主の王統が、卑弥呼に始まる可能性は少なくない。
・オオヤマト古墳群では、渋谷向山古墳以降の王墓はみられない。王墓の造営地は、その後曽布の佐紀古墳群、さらに4世紀末葉以降は大阪平野南部の古市古墳群、百舌鳥古墳群へ移動する。
2018/10/08のBlog
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・日時:10月4日(木)午後1時半~3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:浅尾広良先生(大阪大谷大学教授)
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○国宝『源氏物語絵巻』について
「源氏物語絵巻」は、紫式部が『源氏物語』を書き綴ってから約100年後の平安時代後期(12世紀前半)に制作された現存する最古の絵巻です。
・本来は「源氏物語」の54帖全体について作成されたと考えられている。
・現存する国宝「源氏物語絵巻」は、絵19面、詞書37面が徳川美術館と五島美術館に所蔵されている。→現存する絵巻は、現在では色が褪せ、剥落が進み、当時の面影はない。⇒国宝源氏物語絵巻の全巻復元プロジェクト(1999年から2005年にかけて、すべての絵巻の復元が完成。)
**国宝『源氏物語絵巻』の講義は、2013年から始め、今回の「竹河(二)」で12回目の講義です。
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第四十四帖 「竹河」 (たけかわ)
前回の「竹河」(一)
・鬚黒(ひげくろ)の亡き後、訪客もなく、近親も疎遠になっていた。妻の玉鬘(たまかずら)は、三人の息子と二人の娘を育て上げたが、娘たちの結婚問題に悩んでいた。
・特に、姉の大君(おおいぎみ)は、その美貌から、帝(みかど)と冷泉院、蔵人少将(夕霧の子)らに求婚され、薫も思いを寄せている。
・薫は、夕刻に玉鬘邸を訪問し、優雅に振る舞い、人々にもてはやされる。
 
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竹河(二)
蔵人少将、薫を羨む。玉鬘、薫の筆跡を誉める
蔵人少将は、大君と結婚したいと思っているが、薫が折々、玉鬘邸を立ち寄ると、皆が薫に好意をもつので、自分は浮かばれず気が弱くなって、恨めしい思いである。
桜花の下、蔵人少将、姫君たちの囲碁を垣間見る
三月なって、桜も盛りの頃、18,9歳に美しく成長した姉妹は、弟の藤侍従が審判役となって碁に興ずる。二人の兄、左近中将・右中弁も見物に加わり、睦まじい語らいが続く。…中将たち兄弟が立ち去り、夕暮れも近くなったので、座を端近に移し、幼児から争ってっていた坪前栽(中庭)の桜の所有権を三本勝負に賭けようと.戯れ、姉妹は再び碁に打ち興ずる。…侍女達もはやし立てているところへ、かねてから大君に思いを寄せている蔵人少将が来合せ、またとない好機とばかりに、そっと身をひそめて、御簾の陰から姫たちを垣間見る。⇒冷泉院に促されて、.玉鬘は大君の参院を急いだ。…大君は、翌年四月には女宮、数年後には.男子にも恵まれるが、周囲の嫉妬がつのり、たびたび面倒なことも起こるので、玉鬘は思うにまかせぬ世を嘆くのでした。
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国宝『源氏物語絵巻』~竹河(二)~
右の絵巻は、「竹河(二)」を復元模写したものです。
・図は、春三月の玉鬘邸。左方は、御簾を巻き上げ、碁を打つ姉妹。上手に、左袖を上げ、右手はまさに石を置こうとするのが姉の大君か。…下方の侍女は中君付きの侍女であろうか。正面の侍女二人は、大君付きの侍女か。
・坪前栽の桜は満開である。
・右手前、御簾越しに、姫たちをみつめる蔵人少将。
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