ニックネーム:  パスワード:
| MyBlogトップ | Blogポータル | ブログガイド | よくある質問 | サポート |
シニア文化塾だより
記事一覧イベント一覧
[ 総Blog数:650件 ] [ このMyBlogをブックマークする ] [ RSS0.91  RSS1.0  RSS2.0 ][ ATOM ]
前のページ   |   次のページ
2019/10/14のBlog
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・日時:10月8日(火)am10時~12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:市 大樹(いち ひろき)先生(大阪大学准教授)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
令和の即位にともなう主な式典
①剣璽等承継に儀(5月1日)
②即位後朝見の儀(5月1日)
③即位礼正殿の儀(10月22日)
④大嘗祭(11月14日、15日)
⑤立皇嗣の礼(2020年4月19日)

◆天皇が天皇になるための儀式: 「即位儀礼」と「大嘗祭」
即位儀礼
・(変遷)…即位礼を挙げる時期は、践祚(せんそ・譲位)後、吉日を選んで行う。特に定めることはないが、践祚の当年、ないしは翌年で行うのを普通とした。(践祚後9年後、20年後を経て挙式した例もある)。
・1947年(昭和22)皇室典範が新定。
第4条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。
第24条 皇位の継承があったときは、即位の礼を行なう。
・皇位継承ではまず「剣璽等承継の儀」がおこなわれる。剣璽(けんじ)は三種の神器のうち、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)と八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)を受け継ぐ。
・即位の礼(即位礼正殿の儀)…天皇が高御座(たかみくら)に昇られて即位を宣明される。
大嘗祭
・天皇が即位した後、初めて行われる新嘗祭(にいなめさい)のことをいう。
・悠紀(ゆき)・主基(すき)の国郡が卜定から始まり、9月抜穂が行なわれ、斎場に運び込まれる。…11月卯日に祭りが開始され、大嘗宮の儀、3日間にわたる宴などを実施。準備段階を含めると4か月以上にも及ぶ。
・大嘗祭に際しては儀礼のための神殿・大嘗宮が建設される(儀礼終了後には解体される)。
・新天皇が初めて天照大御神を迎え、神前供進と共食儀礼をおこなう点に本質。
・大嘗祭は、宗教色の強い儀礼であることから、しばしば議論になる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
**(参考)大化時代の即位儀礼
①前大王が没すると、群臣がレガリア(王室の宝物)である鏡・剣を新大王に献上して、即位を要請する。
②日時を空けて、壇場を準備し、そこに新大王が昇って即位する。
③壇を築いた場所を王宮として定める。
④拝賀・寿詞など臣下の服従と忠誠を誓う行為をして、群臣の地位を再確認する。

(以下、省略)

2019/10/09のBlog
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日時:10月3日(木)午後1時半~3時半
会場:すばるホール(富田林市)
講師:浅尾広良先生(大阪大谷大学教授)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〇国宝『源氏物語絵巻』について
「源氏物語絵巻」は、紫式部が『源氏物語』を書き綴ってから約百年後の平安時代後期(12世紀前半)に制作された現存する最古の絵巻です。本来は「源氏物語」の54帖全体について作成されたと考えられている。…現存する国宝「源氏物語絵巻」は、絵19面ン、詞書37面が徳川美術館と五島美術館に所蔵されている。
・現存する絵巻は、現在では色が褪せ、剥落が進み、当時の面影はない。
・国宝源氏物語絵巻の全巻復元プロジェクト(1999年から2005年にかけて、すべての絵巻の復元が完成)
◆国宝源氏物語絵巻の講義は、2013年から始めて、今回の「早蕨巻}で14回目になります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●第三部「橋姫巻以降のあらすじ
・宇治の八の宮の姫君(大君、中の君)が登場。
・薫は、八の宮の噂を聞き、宇治を訪ねるようになる。…有明の月のもとで、大君・中の君の合奏する姿を見て以来、薫は大君に思いを寄せるようになる。…ところが、大君は患うようになり、大君は妹(中の君)の行く末を案じつつ息絶える。中の君の心細さはひとしおである。匂宮は中の君を京都に引き取る決意をする
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第四十八「早蕨巻」
**《巻名》新年の挨拶に添えて、山で採れた蕨(わらび)や土筆(つくし)を贈ってきた宇治の阿闍梨への、返礼に中の君が詠んだ歌。
「この春はたれにか見せむなき人のかたみに摘めよ峰の早蕨」
◇「早蕨巻」の梗概
①宇治の新春…大君に死別して春を迎えた中の君は、傷心癒えず。
②薫、宇治訪問…薫は、引っ越しの前日の宇治を訪ね、中の君と大君の思い出をしみじみ語り合う。
③中の君は、匂宮に迎えられ、二条院へ…薫は、内心では中の君に亡き大君の形見と思っていたので譲ったことを後悔する。今もなお、匂宮のもとに中の君を訪ねていく。薫・中の君・匂宮の心々。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◇源氏物語絵巻 早蕨 (復元模写)
図は、中の君の山荘の一室。薫の姿は描かれず。
・八字形に几帳に囲まれて語る中の君と弁の尼。
・四人の女房たちは都移りの準備にうきうきしている中で、中の君と弁は憂いに沈む姿が、描かれている。
・中の君の衣装の文様などが細かに表現されている。 (以下、省略)
2019/09/29のBlog
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・日時:9月24日(火)am10時~12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:平林章仁先生(元龍谷大学教授)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◇復習…「三輪山の古代史」(4回シリーズ)は、今日は、最終回の第4回で「蜂に捉われた三輪山の神」。
(1)三輪山は神が宿る山。ヤマト王権が祭ったのが「大物主神」で、大物主神が宿るのが三輪山。→[大神(おおみわ)神社・三輪明神]は、大物主神をまつる神社。拝殿はあるが、本殿は無く、三輪山を御神体としている。この大神神社の西北には、初期ヤマト王権の王宮跡と目される纏向遺跡が広がり、その一廓には最古の巨大前方後円墳である箸墓古墳がある。
(2)三輪山(大物主神)の神婚神話
神様と女性が結ばれる伝承で、『古事記』、『日本書紀』に伝えられる。当時の人は、神にも男女の別があるとした(大物主神は男性)。…古代の神話伝承が、歴史的事実を述べたものではないが、背景には人々の神への信仰やそれと結びついた祭礼・儀礼が存在した。当時の精神文化を知ることができる。
・(第1回)苧環(おだまき)型神婚神話:麻糸で結ばれた神と女の物語
・(第2回)丹塗矢(にぬりや)型神婚神話:丹塗矢を用いた厠(かわや)での神婚神話。
・(第3回)箸墓(はしはか)型神婚神話:箸で死亡した女と墓の物語。定型化した最古の巨大前方後円墳である箸墓古墳の起源をも語る
・(第4回)蜂に捉われた三輪山の神:機織文化と雷神信仰と秦氏
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〇(第4回)蜂に捉われた三輪山の神
・(物語の前半)…皇后の養蚕に必要な蚕をめてくるように命じられた蜾臝(すがる)(人の名)が、間違って嬰児を集めてきた。天皇は彼に嬰児を養育させ少子部連(ちいさこべのむらじ)を賜姓したという。→少子部連の氏姓と職掌の起源譚。…呉国(中国南朝)が使いを遣わして貢物を賜った。
・(物語の後半)…天皇の命令で蜾臝が三輪山の神である大蛇を捕まえて見せたが、天皇が斎戒していなかった。大蛇は目をキラキラと光らせたので、恐ろしさのあまり天皇は見ないで殿中に退去した。大蛇をもとの山に放たせ、蜾臝には雷(いかつち)の名を与えたという。→少子部連の祖先の功績と雷の名の由来。
・蜾臝(すがる)は、昆虫のジガバチのことである。(中国最古の詩歌集『詩経』)に記載されており、青虫など他の幼虫を集めて巣に貯える習性がある。)
・秦氏の発展と三輪君氏の権威低下…雄略天皇は、少子部雷(ちいさこべのいかつち)を遣わし、隼人を率いて、バラバラになっていた秦氏を一つに集めた。秦公酒が秦の民を率いて、多量の絹を織成・貢進(丘のように積み上げた)。→秦氏の祖先譚且つ太秦(うずまさ)の起源譚。
・雄略天皇紀j十四年正月・・・呉国(中国南朝)の宋より渡来した、高度な技術を有する織姫たち、機織縫製集団が大三輪神(大物主神I)に奉献された。これにより、大三輪神の祭祀に中国南朝系の文化の影響が強く及ぶようになった。この少し前に、石上市辺宮王家の衰退の際に大三輪神の神威が低下していたこともあって、少子部連蜾臝のよる大物主神の補足譚を成立させた。(以下、省略)
2019/09/23のBlog
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・日時:9月17日(火)am10時~12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:中尾芳治先生(元帝塚山学院大学教授)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1..文献に見える難波宮(古事記・日本書紀・万葉集)
古代国家の形成に重要な位置を占める難波宮。東アジア世界への窓口として発展。
・(5世紀)応神天皇-難波大隅宮、仁徳天皇-難波高津宮、雄略天皇-法円坂遺跡の大型倉庫群
・(6世紀)欽明天皇-難波祝津宮
・(7世紀)孝徳天皇-難波長柄豊崎宮《大化改新と難波遷都。飛鳥から.難波に遷都》、天武天皇-天武朝難波宮《複都制構想。朱鳥元年(686)難波宮全焼》
・(8世紀)聖武天皇-奈良朝難波宮《奈良時代の副都として維持されるが、聖武天皇は正式に遷都しようとした。天平16年(744)難波宮を皇都とする。》、桓武天皇の長岡京遷都(延暦3年(784)難波宮を長岡宮に移築。

2.難波宮跡の探索
*下町平野説(したまちへいやせつ)…長柄、豊崎の地名が残っている場所。
*上町台地説(うえまちだいちせつ)…天子の場所は、さわやかな高地の場所。

3.瓦の出土
考古学的研究の端緒となったのが、大正2年(1913)に東区法円坂町から出土した奈良時代の重圏文・蓮華文軒瓦が発見。…置塩 章(おしお あきら)氏-当時、陸軍の建築技師が建築工事の監督をしていて採集した。

4.難波宮発掘
・研究が組織(「大阪城址研究会」)をもって始められたのは1952年(昭和27)。
・1953年(昭和28)、「鴟尾(しび)が出土。法円坂住宅の建設中、偶然に鴟尾の破片が出土。法円坂に難波宮が埋もれていることに確信をもたせる貴重な史料となった。
・1957年(昭和32)第6~8次調査で回廊跡を発見し、難波宮の発掘調査は次第に軌道にのることになる。
・大阪城址研究会は、1956年(昭和31)に山根徳太郎を代表とする「難波宮址研究会」に模様替えされ、「難波宮大極殿の研究」をテーマに発掘調査と研究が進むことになった。(以下、省略)

2019/09/19のBlog
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・日時:9月12日(木)午後1時半~3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:吉村稠先生(園田学園女子大学名誉教授)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
水上勉(みずかみ つとむ)略歴
・大正8年(1919)~平成16年(2004)。小説家。福井県生まれ。
・9歳から17歳まで、京都の相国寺(臨済宗の本山)で徒弟生活を送る。立命館大学国文科中退。以後、戦中・戦後にかけて、幾多の職につく。
・松本清張の『点と線』に感銘を受ける。
・昭和36年(1961)、少年時代の体験に基づく『雁の寺』で直木賞(第45回)受賞。
・代表作は、『飢餓海峡』、『越前竹人形』、『五番町夕霧楼』、『金閣炎上』など。

作家水上勉の内面形成
(1)母親の像:私(水上勉)は、父親が、あまり仕事に精を出さなかったので、母親は5人の子供もを抱え、小作をしながら養っていて、貧乏のどん底だった。私を口べらしのために、寺にあずけた。→母親に捨てられたという思いと孤独感。
(2)水上勉と窪島誠一郎『父への手紙』
水上勉父子再会:「朝日新聞」スクープ記事(1977年8月4日)、”捜し当てた父は水上勉”。…窪島誠一郎「わたしは、戦時中(2歳のとき)父親と離別し、その後養父母のもとで、実子として貰いうけられ育てられた子で、戦後30年も経ってから父と再会した。(小柄な父窪島茂。容貌の似ていない母はつ、そして大柄な自分→ふと生じた両親の容貌への疑問と父探しへの思い)。

◇窪島誠一郎氏:1941年生まれ。画廊の経営者、「無言館」(戦没画学生慰霊美術館)開設(1997年)。…父を探し続けること20年、ついにめぐりあった父は-水上勉だった。奇遇なことに同じ町内に住んでいた。そして、窪島氏は水上作品の愛読者、父は売れっ子の直木賞作家。

◇作家水上勉の凄味:複雑、泥沼、不道徳、罪悪感を抱え込み、弁解せぬ生き方・究極の作家像。…父水上勉は「わが子は戦火で.死亡ときいた」。-捨てた立場の哀愁-(水上勉は、わが子を探すことはしていない)。(以下、省略)。


2019/09/11のBlog
2019年後期「文学・文芸コース」が、9月5日(木)に始まりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・月日:9月5日(木)午後1時半か~3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:小野恭靖先生(大阪教育大学教授)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〇あらすじ.
・冒頭:「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」で始まる『方丈記』の冒頭は有名。鴨長明(かものながあきら)は、人の世の無常を、絶えず流れゆく河の水や朝顔のはかない露に喩えて『方丈記』を書き始める。
・前半:かつて都で暮らしたとき自ら体験した五つの大災害。…大火・辻風・清盛の福原遷都・大飢饉・大地震が語られ、この世の中そのものが生きにくく、はかないものだと結論づけられている。
・後半:長明の草庵生活とそこでの思索が綴られる。30歳を過ぎてから祖母にの家を出て庵(いおり)を結び、50歳で出家して遁世、60歳で方丈(4畳半ほど)の庵を造り、日野山の奥に隠棲したという。

◆[九]方丈
「さて、六十になって、余生の住まいを設計。新たに作った家は、広さは、一丈四方(約三メートル四方、今の四畳半)で、高さは七尺(約二メートル)にも満たない。地ごしらえもしないで、土台を組み、簡単に屋根を葺いて、部材の継ぎ目には解体・移築に便利な掛け金で留めてある。もし、その土地で気に入らないことがあったときは、たやすくほかの所へ.引っ越すためだ。移築するのは簡単だ。車に積んでたった2台の運び賃を払えば、あとは何の費用もいらない。」

◇[十](境涯…日野山の奥に隠棲。庵を出て周辺を案内して回る。四季折々の自然環境は理想郷である。風雅の世界に没我しているようだが、実際は無意識のうちに環境と境遇にとらわれているのではなかろうか。(以下、省略)
◇[十一](勝地は主なければ)…山の麓に一軒の小屋がある。山の番人が居るところ所なり。そこに男の子がいて、ときどき顔を見せる。長明と相性がよく、子を連れて山野を歩く。彼は十歳、こちらは六十の老人。長明の人柄をしのばせる場面である。(以下、省略)

◆[十二]みずからの心に問ふ
「思えば私の一生も、月が山の端に入ろうとしているようなもので、もう余命いくばくもない。この期に及んで、ああでもない、こうでもないと、いまさら愚痴を言ってみたとて、何になろう。静かな暁、この道理を思念して、自分で自分の心に問いかけてみた。-遁世して山林に入ったのは仏道修行のためだったではないか。そういうはずだったのに、長明よ、お前は風体だけは修行者だが、心は世俗の濁りに染まっている。…それに対して、心はひとことも答えなかった。言えないのである。
建暦二年(1212年)三月の終わりころ、連胤(長明の法名)が、日野の外山の庵にてこれを記し終わる。
2019/09/08のBlog
〇2019年後期講座「歴史コース」が、残暑厳しい中、スタートしました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・日時:9月3日(火)am10時~12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:天野忠幸先生(天理大学文学部)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
戦国時代の戦いは、約100年~150年の及ぶ内乱の時代
(1)始まりは、「応仁の乱」(1467年)or「明応の乱」(1493年)
(2)終わりは、小田原攻め(1590年)or「関ヶ原の戦い」(1600年)or「大阪夏の陣」(1615年)
(3)1560年代までは国内の統一戦争→1560年代より他国との戦争、領土拡大の戦い(武田信玄、上杉謙信、今川義元、毛利元就、織田信長)→1580年代より全国統一戦争(豊臣秀吉、徳川家康、長曾我部元親、伊達政宗)

〇下剋上とは…室町時代において、社会的に身分が低いものが、身分の上位の者を実力で倒す風潮をいう。
戦国時代の下剋上
・戦国時代の各地の勢力は、その多くが鎌倉・室町以来の守護家・有力領主であり、新勢力として勃興した家も、大部分が守護代家やそれに準じる家からの権力を確立している。
・多くの場合、守護家の人間を立てて戦う。せいぜい守護代家が代わる。それ以下の身分からの乗っ取りはきわめて少ない。主家に代わると、室町幕府体制に位置付けを望む傾向。

●各地の下剋上の例:西国 陶晴賢・毛利元就と大内氏
・西国の覇者-大内氏…周防・長門・豊前・筑前、石見、安芸・備後を勢力下に。
・1551年(天文20年)、当時西国で最強の大名であった大内氏の当主義隆が、重臣陶晴賢のクーデターによって命を落とした。享年45。→しかし、その後の晴賢が主家にとって代わったかと言うと、必ずしもそうではない。大内氏の血統を護持、将軍の承認、室町の家格秩序を守る。→毛利氏の台頭。 (以下、省略)

2019/08/19のBlog
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
受講生の皆様、
残暑お見舞い申し上げます。


*シニア文化塾(南河内シニア文化塾)は、2010年1月に設立し、10年目を迎えています。
*受講生は、富田林市、河内長野市、大阪狭山市、河南町、千早赤阪村、橋本市、羽曳野市、松原市、柏原市、堺市(北区・南区・東区・西区・堺区・美原区)、岸和田市、東大阪市、守口市、大阪市(生野区・住吉区)、奈良県(橿原市)…から参加です。

〇右上の写真は、今年4月9日(火)の講義風景です。演題は、「ヤマトタケルの白鳥伝説が語るもの」、講師は白石太一郎先生です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
9月3日(火)から「歴史コース」(後期講座:9月~1月)が始まります。

・曜日/時間 :火曜日、am10時~12時
・会場 : すばるホール「会議室3」(富田林市)

*尚、「後期講座」(歴史コース)の受講生募集は、定員になりましたので締め切りました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎9月5日(木)から「文学・文芸コース」(後期講座:9月~1月)が始まります。

・曜日/時間: 木曜日、午後1時半~3時半
・会場: すばるホール(会議室3など)(富田林市)

*尚、「後期講座」(文学・文芸コース)の受講生募集は、定員になりましたので締め切りました。

前のページ   |   次のページ