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シニア文化塾だより
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2019/12/08のBlog
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◎シニア文化塾について
・南河内シニア文化塾(通称:シニア文化塾)は、2010年1月に設立して、2020年で11年目になります。
・シニア層を対象に、「歴史・古典・文学などを楽しく学ぶ」講座を中心に運営しています。
・講座は、「歴史コース」と「文学・文芸コース」の二つのコースがあり、年間を「前期」(3月~7月)と「後期」(9月~1月)に分けています。

**右上の写真は、先月、11月19日(火)の現地見学「和気清麻呂の大和川付け替え跡と難波京朱雀大路跡を散策」の途中、料亭「まつむら」(天王寺区)での昼食風景(参加者46名)。
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〇2020年『前期講座』(歴史コース)(3月~7月)のご案内
・期間:令和2年3月~7月
・開催日:火曜日
・時間:10時~12時
・会場:すばるホール(大阪府富田林市)
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◇講義日程表(*右の日程表をご覧ください)
・古代史から中世・近現代史など、バラエティに富んだ「歴史講座です」。
・講義回数:全14回講義
【古代史】:7講義
・白石太一郎先生の著書『考古学と古代史のあいだ』を学ぶ3講義を含む。
【飛鳥・奈良・平安時代】:3講座
【中世・戦国時代】:2講義
【江戸時代】:1講義
【現在の国際政治】:1講義
**講師:12名…各分野でご活躍の先生方です。
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★受講生募集
・定員:60名…(注)12月13日、定員になりましたので締め切りました。
・受講費用:14,000円(受講料1,000円×全14講義)

◇申込方法
・往復はがきに住所・氏名・年齢・電話番号を明記の上、下記宛に申し込み下さい。
【申込先】〒584-0062 大阪府富田林市須賀3-11-15 シニア文化塾「事務局」常本宛
【問合せ】シニア文化塾「事務局」常本(つねもと) 携帯:090-3990-3907
2019/12/06のBlog
〇このたび、シニア文化塾では、白石太一郎先生の著書『考古学と古代史のあいだ』を持参して、受講することになりました。
・白石先生には、2012年(平成24年)から半期に1回の講義をお願いして,今日で15回目になります。

*右の写真は、12月3日の第一回の講演会風景です。
受講生も、このような連続した5回シリーズの講義は初めてですが、質疑応答は活発で、新鮮な講演会になるかもしれません。今後が、どのようになるか楽しみです。女性群にも質疑を期待しています。
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◆講演会の日程
・右の資料をご覧ください。5回講演です。

◆定員
・申し訳ないですが、定員になりましたので締め切りました。

〇問合せ:事務局 常本(つねもと) 携帯:090-3990-3907
2019/11/02のBlog
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・日時:10月22日(火)am10時~12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:北川 央先生(大坂城天守閣 館長)
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伊勢大神楽という芸能
伊勢大神楽は、獅子舞と放下(ほうか)芸(曲芸)で構成される神事芸能で、国から重要無形民俗文化財の指定を受けている。
本拠地:伊勢大神楽は三重県桑名市太夫(たゆう)町と同国三重県四日市市東阿倉川の二か所で伝承された。(江戸時代には、伊勢本国の太夫・東阿倉川村2ヵ村以外にも、江戸や三河を拠点として、広汎に活動を展開。)
伊勢大神楽の回壇:伊勢大神楽の各組は、それぞれ固有の檀那場を持っていて、毎年同じ時期に同じ地域を回壇する。各組(社)は、ほぼ1年中、北陸、近畿、中国地方を巡行している。また、1年の回壇を無事終え、故郷に戻った各組の太夫たちは、増田神社の祭り(12月23日、24日)にも演じられる。
伊勢大神楽と村落:村の中を回壇する一行には、お茶やお菓子を用意して一服を勧める。それとは別に村として昼食を接待する。現在では、公民館などに集まって昼食をつくり、ふるまうケース、自治会長をしている家が接待するケース、毎年まわり持ちの当番制といった、伊勢大神楽に対する接待や回壇の順序は、村落内のステータスと深く関わる。

獅子舞と放下芸(曲目に「舞」とつくのが獅子舞、「曲」と就くのが放下芸)
伊勢大神楽の各組は、壇那場各戸でかまど祓(はらい)と屋敷清めの獅子を舞う以外に、特定の神社境内などで「総舞」(そうまい)と呼ばれる芸能を披露する。
・「鈴の舞」、「四方の舞」などの神事舞や吉野舞、神来舞(しぐるま)などの神楽舞のほか、余興として、水の曲、献燈の舞、魁曲(らんぎょく)などの数々の放下(ほうか)(曲芸)を演じる。
・伊勢神楽のお祓い…各地で伊勢大神楽のお祓いをうけなかったために、災難にあったという話は多く伝えられている。無病息災を願って、獅子に頭を噛んでもらう(獅子頭は神として崇められているが、信仰的な意味づけは一様でなく、獅子を「お伊勢さま」そのものとして信仰する土地もある。)
・獅子は、壬申の乱(672年)に由来するという伝書もある。

◇現在でも、伊勢大神楽の各組は、羽曳野市、富田林市、河内長野市、大阪狭山市などを訪れて、神社の境内で総舞を演じている。
2019/10/20のBlog
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・日時:10月17日(木)11時~15時
・集合場所/時間:京都 河原町駅(マルイ前)、午前11時
・【コース】:河原町駅-高瀬川源流-柊家旅館・俵屋旅館-昼食(がんこ三条本店)-丸善跡-新京極通・寺町通-(地下鉄/蹴上駅)-南禅寺-現地解散 
(約6km)
・参加者:43名
・天候:曇り時々晴、爽やかな風
・ガイド:瀧本和成先生(立命館大学教授)
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老舗の喫茶店「フランソワ」(下京区西木屋町通) (右上の写真)
昭和9年(1934)に創業。喫茶店として初めて有形文化財に指定された喫茶店。四条木屋町町高瀬川沿いに位置する。藤田嗣治、太宰治らも通った。
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高瀬川原流
・森鷗外の名作「高瀬舟」の舞台でも有名。
・高瀬川は、.江戸時代初期に京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河。開削から1920年までの約300年間、京都・伏見間の水運に用いられた。
・(右の写真)…場所は中京区木屋町二条下ル。通りの右側に高瀬川が流れている。
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柊家旅館・俵屋旅館(京都を代表する旅館) (中京区麩屋町通)
・「柊家(ひらぎや)旅館」は1864年(文久元年)に旅館として創業。夏目漱石、正岡子規、川端康成、三島由紀夫、チャップリン、アラン・ドロンなどの文化人や有名人が利用した。
・俵屋旅館は、創業300年余として知られる京都に現存する最古の旅館。伊東博文、森鷗外、辻仁成らも宿泊、近年ではアップルの創業者、故スティ-ブ・ジョブスも定宿にしていたという、偉人や著名人も足しげく通っていた老舗旅館。
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南禅寺(左京区南禅寺福地町)
・京都市左京区にある臨済宗南禅寺派大本山の寺院。日本の禅寺では最も高い格式をもつ。見どころは、「三門」、「方丈(庭園)」、{水路閣」。
・右の写真は、水路閣。赤レンガ造りでアーチ型の水道橋。琵琶湖から京都へ水を運ぶ流水として今も活躍している。
2019/10/14のBlog
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・日時:10月8日(火)am10時~12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:市 大樹(いち ひろき)先生(大阪大学准教授)
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令和の即位にともなう主な式典
①剣璽等承継に儀(5月1日)
②即位後朝見の儀(5月1日)
③即位礼正殿の儀(10月22日)
④大嘗祭(11月14日、15日)
⑤立皇嗣の礼(2020年4月19日)

◆天皇が天皇になるための儀式: 「即位儀礼」と「大嘗祭」
即位儀礼
・(変遷)…即位礼を挙げる時期は、践祚(せんそ・譲位)後、吉日を選んで行う。特に定めることはないが、践祚の当年、ないしは翌年で行うのを普通とした。(践祚後9年後、20年後を経て挙式した例もある)。
・1947年(昭和22)皇室典範が新定。
第4条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。
第24条 皇位の継承があったときは、即位の礼を行なう。
・皇位継承ではまず「剣璽等承継の儀」がおこなわれる。剣璽(けんじ)は三種の神器のうち、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)と八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)を受け継ぐ。
・即位の礼(即位礼正殿の儀)…天皇が高御座(たかみくら)に昇られて即位を宣明される。
大嘗祭
・天皇が即位した後、初めて行われる新嘗祭(にいなめさい)のことをいう。
・悠紀(ゆき)・主基(すき)の国郡が卜定から始まり、9月抜穂が行なわれ、斎場に運び込まれる。…11月卯日に祭りが開始され、大嘗宮の儀、3日間にわたる宴などを実施。準備段階を含めると4か月以上にも及ぶ。
・大嘗祭に際しては儀礼のための神殿・大嘗宮が建設される(儀礼終了後には解体される)。
・新天皇が初めて天照大御神を迎え、神前供進と共食儀礼をおこなう点に本質。
・大嘗祭は、宗教色の強い儀礼であることから、しばしば議論になる。
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**(参考)大化時代の即位儀礼
①前大王が没すると、群臣がレガリア(王室の宝物)である鏡・剣を新大王に献上して、即位を要請する。
②日時を空けて、壇場を準備し、そこに新大王が昇って即位する。
③壇を築いた場所を王宮として定める。
④拝賀・寿詞など臣下の服従と忠誠を誓う行為をして、群臣の地位を再確認する。

(以下、省略)

2019/10/09のBlog
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日時:10月3日(木)午後1時半~3時半
会場:すばるホール(富田林市)
講師:浅尾広良先生(大阪大谷大学教授)
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〇国宝『源氏物語絵巻』について
「源氏物語絵巻」は、紫式部が『源氏物語』を書き綴ってから約百年後の平安時代後期(12世紀前半)に制作された現存する最古の絵巻です。本来は「源氏物語」の54帖全体について作成されたと考えられている。…現存する国宝「源氏物語絵巻」は、絵19面ン、詞書37面が徳川美術館と五島美術館に所蔵されている。
・現存する絵巻は、現在では色が褪せ、剥落が進み、当時の面影はない。
・国宝源氏物語絵巻の全巻復元プロジェクト(1999年から2005年にかけて、すべての絵巻の復元が完成)
◆国宝源氏物語絵巻の講義は、2013年から始めて、今回の「早蕨巻}で14回目になります。
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●第三部「橋姫巻以降のあらすじ
・宇治の八の宮の姫君(大君、中の君)が登場。
・薫は、八の宮の噂を聞き、宇治を訪ねるようになる。…有明の月のもとで、大君・中の君の合奏する姿を見て以来、薫は大君に思いを寄せるようになる。…ところが、大君は患うようになり、大君は妹(中の君)の行く末を案じつつ息絶える。中の君の心細さはひとしおである。匂宮は中の君を京都に引き取る決意をする
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第四十八「早蕨巻」
**《巻名》新年の挨拶に添えて、山で採れた蕨(わらび)や土筆(つくし)を贈ってきた宇治の阿闍梨への、返礼に中の君が詠んだ歌。
「この春はたれにか見せむなき人のかたみに摘めよ峰の早蕨」
◇「早蕨巻」の梗概
①宇治の新春…大君に死別して春を迎えた中の君は、傷心癒えず。
②薫、宇治訪問…薫は、引っ越しの前日の宇治を訪ね、中の君と大君の思い出をしみじみ語り合う。
③中の君は、匂宮に迎えられ、二条院へ…薫は、内心では中の君に亡き大君の形見と思っていたので譲ったことを後悔する。今もなお、匂宮のもとに中の君を訪ねていく。薫・中の君・匂宮の心々。
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◇源氏物語絵巻 早蕨 (復元模写)
図は、中の君の山荘の一室。薫の姿は描かれず。
・八字形に几帳に囲まれて語る中の君と弁の尼。
・四人の女房たちは都移りの準備にうきうきしている中で、中の君と弁は憂いに沈む姿が、描かれている。
・中の君の衣装の文様などが細かに表現されている。 (以下、省略)
2019/09/29のBlog
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・日時:9月24日(火)am10時~12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:平林章仁先生(元龍谷大学教授)
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◇復習…「三輪山の古代史」(4回シリーズ)は、今日は、最終回の第4回で「蜂に捉われた三輪山の神」。
(1)三輪山は神が宿る山。ヤマト王権が祭ったのが「大物主神」で、大物主神が宿るのが三輪山。→[大神(おおみわ)神社・三輪明神]は、大物主神をまつる神社。拝殿はあるが、本殿は無く、三輪山を御神体としている。この大神神社の西北には、初期ヤマト王権の王宮跡と目される纏向遺跡が広がり、その一廓には最古の巨大前方後円墳である箸墓古墳がある。
(2)三輪山(大物主神)の神婚神話
神様と女性が結ばれる伝承で、『古事記』、『日本書紀』に伝えられる。当時の人は、神にも男女の別があるとした(大物主神は男性)。…古代の神話伝承が、歴史的事実を述べたものではないが、背景には人々の神への信仰やそれと結びついた祭礼・儀礼が存在した。当時の精神文化を知ることができる。
・(第1回)苧環(おだまき)型神婚神話:麻糸で結ばれた神と女の物語
・(第2回)丹塗矢(にぬりや)型神婚神話:丹塗矢を用いた厠(かわや)での神婚神話。
・(第3回)箸墓(はしはか)型神婚神話:箸で死亡した女と墓の物語。定型化した最古の巨大前方後円墳である箸墓古墳の起源をも語る
・(第4回)蜂に捉われた三輪山の神:機織文化と雷神信仰と秦氏
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〇(第4回)蜂に捉われた三輪山の神
・(物語の前半)…皇后の養蚕に必要な蚕をめてくるように命じられた蜾臝(すがる)(人の名)が、間違って嬰児を集めてきた。天皇は彼に嬰児を養育させ少子部連(ちいさこべのむらじ)を賜姓したという。→少子部連の氏姓と職掌の起源譚。…呉国(中国南朝)が使いを遣わして貢物を賜った。
・(物語の後半)…天皇の命令で蜾臝が三輪山の神である大蛇を捕まえて見せたが、天皇が斎戒していなかった。大蛇は目をキラキラと光らせたので、恐ろしさのあまり天皇は見ないで殿中に退去した。大蛇をもとの山に放たせ、蜾臝には雷(いかつち)の名を与えたという。→少子部連の祖先の功績と雷の名の由来。
・蜾臝(すがる)は、昆虫のジガバチのことである。(中国最古の詩歌集『詩経』)に記載されており、青虫など他の幼虫を集めて巣に貯える習性がある。)
・秦氏の発展と三輪君氏の権威低下…雄略天皇は、少子部雷(ちいさこべのいかつち)を遣わし、隼人を率いて、バラバラになっていた秦氏を一つに集めた。秦公酒が秦の民を率いて、多量の絹を織成・貢進(丘のように積み上げた)。→秦氏の祖先譚且つ太秦(うずまさ)の起源譚。
・雄略天皇紀j十四年正月・・・呉国(中国南朝)の宋より渡来した、高度な技術を有する織姫たち、機織縫製集団が大三輪神(大物主神I)に奉献された。これにより、大三輪神の祭祀に中国南朝系の文化の影響が強く及ぶようになった。この少し前に、石上市辺宮王家の衰退の際に大三輪神の神威が低下していたこともあって、少子部連蜾臝のよる大物主神の補足譚を成立させた。(以下、省略)
2019/09/23のBlog
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・日時:9月17日(火)am10時~12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:中尾芳治先生(元帝塚山学院大学教授)
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1..文献に見える難波宮(古事記・日本書紀・万葉集)
古代国家の形成に重要な位置を占める難波宮。東アジア世界への窓口として発展。
・(5世紀)応神天皇-難波大隅宮、仁徳天皇-難波高津宮、雄略天皇-法円坂遺跡の大型倉庫群
・(6世紀)欽明天皇-難波祝津宮
・(7世紀)孝徳天皇-難波長柄豊崎宮《大化改新と難波遷都。飛鳥から.難波に遷都》、天武天皇-天武朝難波宮《複都制構想。朱鳥元年(686)難波宮全焼》
・(8世紀)聖武天皇-奈良朝難波宮《奈良時代の副都として維持されるが、聖武天皇は正式に遷都しようとした。天平16年(744)難波宮を皇都とする。》、桓武天皇の長岡京遷都(延暦3年(784)難波宮を長岡宮に移築。

2.難波宮跡の探索
*下町平野説(したまちへいやせつ)…長柄、豊崎の地名が残っている場所。
*上町台地説(うえまちだいちせつ)…天子の場所は、さわやかな高地の場所。

3.瓦の出土
考古学的研究の端緒となったのが、大正2年(1913)に東区法円坂町から出土した奈良時代の重圏文・蓮華文軒瓦が発見。…置塩 章(おしお あきら)氏-当時、陸軍の建築技師が建築工事の監督をしていて採集した。

4.難波宮発掘
・研究が組織(「大阪城址研究会」)をもって始められたのは1952年(昭和27)。
・1953年(昭和28)、「鴟尾(しび)が出土。法円坂住宅の建設中、偶然に鴟尾の破片が出土。法円坂に難波宮が埋もれていることに確信をもたせる貴重な史料となった。
・1957年(昭和32)第6~8次調査で回廊跡を発見し、難波宮の発掘調査は次第に軌道にのることになる。
・大阪城址研究会は、1956年(昭和31)に山根徳太郎を代表とする「難波宮址研究会」に模様替えされ、「難波宮大極殿の研究」をテーマに発掘調査と研究が進むことになった。(以下、省略)

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