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シニア文化塾だより
記事一覧イベント一覧
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2013/05/13のBlog
日帰りバスツアーで『お伊勢参り』を行いました。
・月日:5月10日(金)
・集合場所:近鉄・富田林駅(北口)am8時半
・解散場所:同上 午後6時半
・【コース】:富田林駅(バス)=羽曳野IC=伊勢西IC=(徒歩)月夜見宮-外宮正宮-土宮ー風宮ー多賀宮-せんぐう館-(バス)=内宮駐車場=(徒歩)おかげ横丁・昼食-宇治橋ー五十鈴川御手洗場-内宮正宮-風日祈宮-おかげ横丁ー(バス)=伊勢西IC=羽曳野IC=富田林駅(北口)
・参加者:30名(女性16名、男性14名)
・ガイド:佐藤義夫氏
・スタッフ:前田、栃尾、志治、置田、常本
・天候:曇り時々少雨
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★ 「第62回神宮式年遷宮」について★
*右上の伊勢神宮の案内書の写真をご覧ください。《現在の古い社殿と新造中の社殿が並んで撮影されています》
・式年遷宮は、二十年に一度、宮処(みやどころ)を改め、古例のままに御社殿や神宝をはじめ、一切を一新して大御神の新殿へのお遷(うつ)り(遷御)をすることをいう。
・式年遷宮は、持統天皇の御代に初めて執り行われた。以来、戦乱による中断はあったものの断えることなく続けられ、今年の遷宮で第62回目を迎え世界でも例を見ない、歴史と伝統を有しています。
・第62回式年遷宮は、平成17年5月の山口祭から始まり、八年間にわたってたくさんの祭典・行事が行われます。
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「外宮から内宮へ参拝」
*右の写真は外宮です。〈(注)内宮・外宮の垣根内は撮影禁止です。〉
・伊勢神宮は、内宮・外宮の主祭神を祀る正宮(しょうぐう)を中心に、別宮・摂社・末社・所管社を含め、百二十五のお社からなりたっています。
◇【豊受大神宮(外宮)】[とようけだいじんぐう(げくう)]
天照大神(あまてらすおおみかみ)のお食事を司る神の豊受大神(とようけのおおみかみ)をおまつりしています。内宮創建から500年後に山田原(やまだのはら)に迎えられました。衣食住をはじめあらゆる産業の守り神です。
◇【皇大神宮(内宮)】[こうたいじんぐう(ないくう)]
・五十鈴川の川上に鎮座された皇大神宮には、日本国民の大御親神(おおみおやがみ)とあがめまつる皇室のご祖神の天照大神(あまてらおおみかみ)をおまつりしています。
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「せんぐう館」
*右は、せんぐう館の案内書です。〈(注)せんぐう館内は、撮影禁止です。〉
・昨年(2012年)4月に式年遷宮の資料館として開館。
・式年遷宮の歴史や祭りの流れ、奉納される御装束・神宝などの技と美がわかりやすく展示されています。
・外宮正殿東側の4分の1部分を、構造がよくわかるように、原寸大で再現して展示。
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”おかげ横丁で昼食”
・バスで、外宮から内宮に移動し、おかげ横丁の季節料理屋「野あそび棚」で昼食。
・おかげ横丁は、平日というのに、大勢の人で賑わっていました。
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別宮「多賀宮」でみる新社殿の光景
・「多賀宮」は、豊受大神宮の荒御魂を祭り、御正殿と同じに遷宮が行われる格式高い別宮です。
写真をご覧ください。右側に、新しい社殿が作られています。遷宮の新社殿と本殿が立ち並ぶ姿は、新旧のコントラストに惹きつけられます。
・内宮・外宮も、垣根内からはこのような光景が見られます。
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☆あとがき☆
・式年遷宮で、古い社殿と新しく造られている社殿との対比が見られるのは貴重な光景です。・・・新しい社殿は黄金色に見えました。
・式年遷宮で、人出が予想以上に多い。
・伊勢神宮は広い!。バスを利用したにもかかわらず、歩いた距離は約1万3000歩。(1日では、見るところが限られます。事前に、参拝コースは要検討です。)
2013/05/11のBlog
前期講座(歴史コース)の第6回講義の報告です。
・日時:4月30日(火)am10時~12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:日本近現代史「第一次世界大戦」
・講師:原田 敬一先生(佛教大学歴史学部教授)
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講義の内容
○「第一次世界大戦」のおさらい(『新訂版 高校日本史A』(実務出版)
(1)第一次世界大戦に日本はなぜ参戦したのか
・1914(大正3)年7月、バルカン半島サラエボで、オーストリア皇太子が射殺された事件(サラエボ事件)をきっかけに、第一次世界大戦が勃発。
・【大隈重信内閣は、大戦の勃発に際して、まず中立を宣言 → イギリスが日本に対し、アジアでのドイツ武装商船撃破という限定的な支援要請 → 日本は日英同盟を根拠に1914年8月にドイツに宣戦布告して参戦
・「大正新時代の天佑」(元老・井上馨の提言)「今回欧州の大戦争は、日本の国運を発展させる大正新時代の天佑(てんゆう)なので、日本はただちに挙国一致の団結によって、この天の助けを利用しなくてはならない。」
・そして日本は、赤道以北のドイツ領南洋諸島とドイツの勢力圏であった中国の山東半島の青島(チンタオ)を占領し、さらに地中海に艦隊を派遣した。
(2)対中国21カ条要求
(中国の状況)…1911年、孫文らの指導する中国同盟会が辛亥革命をおこし、清朝をほろぼした。→北方軍閥・ 袁世凱の北京政府と南方の革命派が対立。→ 袁世凱が初代大統領となって政権をにぎると、日本はこの政権を支持した。
1915年 「対中国21カ条の要求」
・(要求内容)満州の租借延長、ドイツ権益の譲渡、中国に対する権益拡大請求など。
・中国はこれを拒んだが、日本政府は最後通牒という強硬な態度で承諾を迫る。5月9日、中国は日本の要求をのむ。中国の人々は、これを屈辱として国恥(こくち)記念日とし、排日運動が展開された。
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○ヨーロッパでは「大戦争 Great War」と呼んだし、今でも呼ぶ
*右の資料は、第一次世界大戦の死傷者数です。
★[ 第一次世界大戦]★
・ヨーロッパが主戦場。しかし、戦闘はアフリカ・中東・東アジア・太平洋・大西洋・インド洋にも及び、世界の多くの国が参戦。
連合国(イギリス・フランス・ロシア)(日本・イタリア・アメリカ) ⇔ 同盟国(ドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリア)
・1914年から1918年、5年にわたる戦争で900万人以上の兵士が戦死 ← 戦場の主役は歩兵。戦争の大規模化と重砲・機関銃の大量投入。初めて投入された飛行機(空襲)・戦車・潜水艦などは性能や数量がいまだ不十分。
・戦争の後半には、「ロシア革命」(1917年)が勃発し、社会主義政権をが誕生。 ← 大戦によって経済が混乱したロシアでは食料暴動が起き、一気に革命に向かう。
・アメリカの参戦(1917年4月)で、軍事バランスは崩れ、ドイツは崩壊していく。
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○「大戦争」をどのように終わらせたのか
(1)ウィルソン米大統領とレーニン(ソ連)の競争
・1917年12月:ソ連(全権ヨッシュ)は、ドイツ・オーストリアと講和交渉(無併合・無賠償金・民族自決を講和原則として提案)
・1918年1月:アメリカ(ウィルソン大統領)、「14ヶ条の平和原則」を提案し、戦後世界の青写真を提示-(秘密外交廃止・軍備縮小・民族自決・国際連盟の設立など)
《エピソード》ウィルソン大統領は、講和会議で最も問題になるはずの賠償問題に触れず→講和会議では、報復的賠償となり、ナチスが台頭する原因に)
(2)ヴェルサイユ講和条約(対独講和条約)(1919年6月)
・国際連盟規約を第一編に含む
・ドイツに対する厳しい内容…多額の賠償金、アルザス・ロレーヌを仏に返還、海外植民地を全て返還、軍備も極端に制限
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○日本にとって「第一次世界大戦」は
(1)日本では、「大戦争」という認識が強くない
・イギリスに誘われて参戦し、主戦場はヨーロッパ
・戦死者もはるかに少ない(但し、シベリア出兵は除く)
・当初は、「欧州戦争」といわれていた
・当時の日本・参謀本部編の表題は、『秘 大正三年日独戦史』
(2)先進国にのしあがる
・日本は大戦中、中国に進出し、また軍需品の生産や輸出の増大により空前の好景気。アジア最大の工業国へのジャンプ台になった。 → アメリカ、イギリス、フランス、イタリアとともに五大国の一つに数えられる先進国にのし上がった。
2013/05/09のBlog
前期講座(文学・文芸コース)の第5回講義の報告です。
・日時:4月18日(木)午後1時半~3時半
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:織田作之助の文学ー『六白金星』『夫婦善哉』を中心に
・講師:増田 周子(ますだ ちかこ)先生(関西大学文学部教授)
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講義の内容
○織田作之助(1913年ー1947年)
・大正二年、大阪市天王寺区に生まれ、大阪をこよなく愛し、大阪からの文化起こしを推進し、大阪を舞台にした数々の作品を残す。
・(作品)-『夫婦善哉』(短編・1941年)、『木の都』(短編・1941年)、『蛍』(短編・1944年)、『猿飛佐助』(連続放送劇/中編・1945年)、『六白金星』(短編・1946年)、『競馬』(短編・1946年)、『アド・バルーン』(中編・1946年)、『可能性の文学』(評論)など
・昭和22年、34歳で死去。『夫婦善哉』を発表して以後、文学的生涯はわずか7年間にすぎない。・・・今年(2013年)は、織田作之助生誕100年
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『六白金星』(りくはくきんせい)のあらすじ…昭和20年(1945)『新生』に発表
・[主要人物]:父(中那尾圭介)(医者)、母(村瀬寿枝)(看護師)(妾)、兄(修一)、弟(楢雄)(小説の主人公)
-圭介は、芦屋の自宅からほどない香枦園に妾宅をかまえる。
-兄・修一は、秀才で要領がよく、女たらしだが学校にばれない。弟・楢雄は、鈍才で要領が悪い。⇔ 対照的な兄弟を描いている
-中学生になり、やっと二人は父方に入籍された。
(六白金星の運気)
・父・圭介は、来るたびに楢雄に小言。折檻され、ひそかに「運勢早見表」を開き、自分の星の六白金星と父の九紫火星とが相性大凶であることを確かめ納得した。
「この年の生まれの人は、表面は気長のように見えて、その実至って短気にて・・・。親兄弟の縁薄く、早くより他人の中にて苦労する者が多い。・・・生来忍耐力に富み、辛抱強く、いったんかうと思ほ込んだことはどこまでもやり通し、大器晩成するものなり…」
(楢雄は自殺未遂。その後、父・圭介の死)
ある夜、楢雄は砒素をのんで自殺未遂。その後、楢雄はむくむくと体が大きくなり、体格検査は最優良だが、高校の入試に失敗して、高槻の高医へ入学。その年に父は芦屋の病院で死んだ。
(楢雄は、母に内緒で雪江と同棲。また、将棋に熱中、将棋指南所に毎日通う。)
京阪マーケットの駄菓子売りの雪江さんと同棲。母や叔母の干渉をのがれ、転々と住まいや職場を変えた。
(終章)
兄の修一が将棋の勝負を申しこんだところ、楢雄は意気込んでやってきて、はいてきた下駄を見せた。「将棋の駒型に削られ、表に〈角〉と〈龍〉の駒の字が彫られた下駄だった。修一は声をのんで<この男にはもう何を言っても無駄だ>と思った。」
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○時代背景戦前の検閲
・織田作之助は、戦前の検閲という困難な時代にデビューしている。
(1) 『六白金星』の発表
・「文芸」(昭和15年9月号)に発表するつもりだった。→『六白金星』(昭和21年9月三島書房)の「あとがき」で、織田作之助は“同じやうな材料を、私は昭和15年に書いたが、当時発表を許されなかった”-(検閲により、発表できなかったのではないかと考えられる。)
・「新生」(昭和21年3月)に発表
(2) 「新生」版と「文芸」版の相違点
《織田作之助の未発表原稿が発見!-2008年、『六白金星』と同じ題の未発表原稿が36枚発見(『文芸』版)。(関西大学所蔵)
(相違点)
・「文芸」版は、「新生」版に比べ、会話文が大阪弁である
・自殺未遂の理由が異なる
・「文芸」版は、<楢雄が船に乗り、火夫をしたり、四国に行って、サーカス小屋で働く>
・ストーリーは、ほぼ同じだが細部の文章が大きく異なっている。
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○織田作之助の文学碑
天王寺区夕陽丘町の口縄坂に、織田作之助文学碑があり、碑に『木の都』の一節が刻まれています。

○織田作之助賞
・増田周子先生は、「織田作之助青春賞」(24歳までの若手を対象に短編小説を公募)の選考委員です。
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◆4月18日の講義報告が遅れましたこと、ご迷惑をおかけしました。
ブログを管理するシステム全体の変更があり、ブログの作成などを含め利用できなくなりました。やっと、5月8日から利用できるようになりましたので、今後とも、よろしくお願いいたします。
南河内シニア文化塾:ブログ「シニア文化塾だより」(担当 常本)
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2013/05/08のBlog
今年、第3回の『自然観察会』の報告です。
・日時:5月8日(水)am10時~12時半
・場所:弘川寺(南河内郡河南町)
・講師:田淵 武夫先生(富田林の自然を守る会代表)
・参加者:13名(男性2名、女性11名)
朝は9℃で少し寒く、昼間は20℃を超える快晴の天気。
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○右上の写真は、ヤマフジを観察しています。
【ヤマフジ(山藤)】マメ科 フジ属
日本固有のつる性植物。紫色の小花が多数咲き、枝の先から20~50センチほどの房となって垂れさがる。花の房がやや短く、つるが右にまくヤマフジも日本固有種である。
・花期:4月~5月
・分布:本州(近畿地方以西)、四国、九州に自生する。栽培もされている。
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○今日の自然観察会は、西行法師で有名な弘川寺周辺です。弘川寺から葛城山に続く道を登りながら、草花・樹木を観察しました。
弘川寺(ひろかわでら)は、天智四年(665)役小角によって創建されたと伝えられ、平安時代の弘仁三年(812)空海によって中興された。
文治五年(1189)には、西行法師がこの寺を訪れ、この地で没している。-「願わくは 花のしたにて 春死なむ その如月の 望月のころ」(西行)
・弘川寺は、「桜の名所」・「紅葉のスポット」として、多くの人が訪れています。
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○右の写真は、シャガで、今が満開の時期です。
【シャガ(射干;著莪)】アヤメ科 アヤメ属
高さ50cmほど。葉は上面が内側に折りたたまれ、さらに一方に傾く。白っぽい紫のアヤメに似た花をつける。花弁に濃い意紫と黄色の模様がある。長い地下茎を伸ばして群落となる。古く中国から伝わったものと言われる。
花期:4月~5月
分布:本州、四国、九州
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5月8日に観察した草花・樹木
「草花」 …ウシハコベ、オランダミミナグサ、カキドオシ、カラスノエンドウ、キランソウ、コハコベ、シャガ、スズメノヤリ、ナズナ、ニガナ、ハルジオン、ヒメウズ、ホウチャクソウ、マムシグサ、ムラサキケマン、ヤエムグラなど43種類
「樹木」…アオキ、アカマツ、ウツギ、モチツツジなど7種類
2013/04/21のBlog
前期講座(歴史コース)の第5回講義の報告です。
*右の写真は、大阪歴史博物館1Fのエントランスホールです。(中尾先生から今日のスケジュールなどについて説明)。
・日時:4月19日(金)午前10時~午後3時15分
・【現地見学の内容】:〈午前〉大阪歴史博物館[地下1F(地下遺構)-10F(難波宮の時代展示:大極殿、山根徳太郎博士のコーナーなど)]…(昼食)…〈午後〉難波宮跡[八角堂跡、大極殿跡など]-大阪文化財研究所・展示室
・参加者:36名
・講師:中尾 芳治先生(元帝塚山学院大学教授)
・また、長山雅一所長(大阪文化財研究所)、寺井誠氏・村元健一氏(大阪歴史博物館・学芸員)にも案内をいただき、お礼申し上げます。
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大阪歴史博物館「地下遺構」 (地下1F)
・地下に残る遺構展示室を学芸員の案内で見学。
・博物館の敷地には、倉庫跡や石組みの水利施設跡が、掘り出したままの状態で保存されています。また、大量の土器、木簡、人形(ひとがた)・舟形(ふながた)の木製品や土馬(どば)などの祭祀具が出土しています。
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大阪歴史博物館 [難波宮の時代・大極殿、山根徳太郎博士のコーナーなど](10F)
・奈良時代の難波宮の大極殿を中尾先生の案内で見学。・・・原寸大復元の直径70センチもある朱塗りの円柱が立ち並び、官人たちが整列。大スクリーンでは宮廷の儀式を紹介。
・また、10階には、難波宮跡発掘に情熱をかたむけた山根徳太郎博士の研究を紹介する展示コーナーがあり、見学。
・博物館10階からは、難波宮跡公園の全景がよく見えます。また、今日は快晴で、生駒山系・二上山・金剛山系がくっきりと見え、古代の難波宮をイメージしました。
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難波宮跡「八角堂跡」
・午後からは、難波宮跡公園を見学。(右の写真は、前期の八角殿跡。八角形に柱がめぐる建物で、周囲を回廊で囲んでいます。東西に二つあります。)
難波宮
「1954年から始まった発掘調査によって、前後2時期の宮殿跡が見つかっています。前期の難波宮は、大化改新の後、遷都された孝徳天皇の難波長柄豊碕宮と考えられており、後期難波宮は、奈良時代に一時首都にもなった聖武天皇の難波宮とされています。遺跡としての難波宮の特徴は、ほぼ同じ場所に、2時期の遺構が重なり合って存在しているところにあります。」
○上層…「後期難波宮跡」(奈良時代の瓦伴出。後期の建物は地面に据えた礎石の上に柱を立てる方式で造営。)、下層…「前期難波宮跡」(前期の建物は、地面に穴を掘って柱を立てる掘立柱で造営。全面に火災跡[天武・朱鳥元年(686)に全焼]。)
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難波宮跡「後期の大極殿基壇跡」
*右の写真は、大極殿基壇跡に上がり、中尾先生の説明を聞いているところです。
・「後期難波宮」では、天皇がまつりごとをする中心の建物として、「大極殿」が建てられました。⇒石造りの土台「基壇(きだん)」は高さ2m以上あり、復元されています。この上に大極殿が作られ、天皇が座る高御座(たかみくら)も置かれました。



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*あとがき*
(1)「難波宮」についての講義(中尾先生)は、今日は第3回(現地見学)になります。
【第1回】『古代の難波と難波宮Ⅰ』(平成24年5月8日)
・「古代史(古事記・日本書紀・万葉集)にみる難波宮」、「難波遷都の理由ー東アジアの国際情勢、難波の地理的特質-」、「難波宮発掘調査」
【第2回】『古代の難波と難波宮Ⅱ』(平成24年12月4日)
・「難波宮には前期と後期がある」、「土器と木簡の出土」、「前期難波宮は孝徳朝?」
(2)中尾 芳治先生のプロフィール
・1960年より30年間、大阪市難波宮跡発掘調査・研究とその保存・環境整備事業に従事
・1991年~2004年、帝塚山学院大学文学部教授。文学博士
・1991年よりカンボジア・アンコール遺跡の発掘調査・保存修理活動に参加
・現在:(公財)京都府埋蔵文化財調査研究センター理事、難波宮跡整備計画委員
・主な著書:『難波京』・『難波宮の研究』、『シンポジウム古代の難波と難波宮』など
(3)難波宮跡は、前期と後期の遺構が重なっているので、それを表示するために、いろいろ工夫して復元しています。⇒今日の現地見学で初めて知りました。
(4)史跡の保存と環境整備には、時間と費用がかなりかかります。
★難波宮跡環境整備事業(1964年~2011年7月現在)
・保存・環境整備事業に伴う公有地化-買い上げ費用143億8000万円
・整備事業-5億8000万円
(5)今後の課題は、史跡の整備と活用です。(中尾先生)
・特に活用について、市民・NPO・企業・行政の連携による検討が必要。
2013/04/17のBlog
4月上旬、講座の題材探しのため、文学館を訪ねました。
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「神戸文学館」
・住所:神戸市灘区王子町3-1-2 (JR灘駅より徒歩10分)
・明治以降の神戸にゆかりのある文学者(小泉八雲・谷崎潤一郎・遠藤周作・堀辰雄・司馬遼太郎・横溝生史、賀川豊彦・石川達三・妹尾河童など33名)の作品や資料を展示。
時実新子展の見学…自筆原稿・色紙・書籍・雑誌などを展示
・時実新子(ときざね しんこ)(1929年-2007年)/川柳作家
「こんなことで泣いてなるかと空を見る」
「風の駅まもなく電車が入ります」
「いちめんの椿の中に椿落つ」
「たましいに 挿す紫の花の芯」
「空に雲この平凡をおそれずに」
「本音を吐く川柳の捨て身の力まだまだまだ」 他
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「田辺聖子文学館」
・住所:東大阪市菱屋西4-2-26 (近鉄奈良線 河内小坂駅より徒歩5分)
・田辺聖子の母校・大阪樟蔭女子大学(小坂キャンパス図書館内)にあり、古典から恋愛小説、エッセイなど多岐にわたる田辺聖子の旺盛な執筆活動が、わかりやすく展示。
田辺聖子の言葉
・「ただしいことを信条にしたらあかん。たのしいことをしたらよろし」
・「自分の胸の奥底の遠い遠い声に、耳をかたむける」
・「「思い込み」は、クリエイトする人間のいちばんの敵である」
・「いい友達をもってる、ということが、人間の一番のお手柄」
・「別れるために、人間て、生きてるようなもんですね。子供は、手放すために育てるようなもんや」
・「人生には結構、生きてよかった という日が、星屑のようにばらまかれている」 など
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「司馬遼太郎記念館」
・住所:東大阪市下小阪3-11-18 (近鉄奈良線 河内小阪駅より徒歩10分)
・記念館は、司馬遼太郎の自宅と隣接地に立つ安藤忠雄氏設計のコンクリート打ちっ放しの建物で構成。2001年11月開館。
・高さ11mの壁面いっぱいに書棚が取り付けられ、資料、自著、翻訳など約2万冊の蔵書がイメージ展示してあります。。⇒「大書架」と呼んで、何かを「感じる」「考える」・創造空間です。…館内は、撮影禁止。(右の写真は、記念館のパンフレットから転写)

☆右は、記念館に隣接した司馬遼太郎の自宅(書斎)で、晩年に使用した時のまま残されており、庭から見学することができます。

**司馬遼太郎**(1923年~1996年)
・小説:『竜馬が行く』『坂の上の雲』『翔ぶが如く』『菜の花の沖』『胡蝶の夢』『花神』『峠』『関ヶ原』『城塞』『箱根の坂』『播磨灘物語』『覇王の家』『世に棲む日日』『空海の風景』など
・紀行、エッセイ、対談:『街道を行く』『この国のかたち』『風塵抄』『手掘り日本史』『歴史と小説』『日本人を考える』『古往今来』など
2013/04/14のBlog
文化塾友歩会・第2回ウォーキングの報告です。
『日根野・上之郷から大井関ろじ渓谷を渡る』
・日時:4月12日(金)午前10時~午後3時半
・集合場所:JR阪和線・日根野駅 10時
・解散場所:JR長滝駅 15時30分
【コース】:日根野駅-西上地蔵-慈眼院-日根神社-大井関ろじ渓谷-意賀美神社-茅淳宮跡-長滝駅 (約7km)
・参加者:28名(女性16名、男性12名)
・スタッフ:佐藤リーダー、房田、前田、塚田
・天候: 寒の戻りで、風が冷たい一日。
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「慈眼院」 (じげんいん)(泉佐野市日根野町)
*右上の写真は、慈眼院・多宝塔(国宝)です。
・慈眼院は、天武二年(673)天武天皇の勅願寺として創建された泉州の最古刹(現在は、任和寺の末寺(真言宗御室派)となっている。)
・多宝塔(国宝)は鎌倉時代のもので、3間2層、全高10m、我が国最小の塔として知られ、その優美、典雅の趣は他に比類がない。石山寺、高野山金剛三昩院のものと共に、日本3名塔と称されている。
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「日根神社」 (ひねじんじゃ)
・慈眼院に隣接する和泉五大社のひとつ・日根神社は、かつて大井関大明神よばれた「延喜式」にも名が出ている古い神社。
・神武天皇が紀伊熊野から大和に入る途中、日根野の地で神を祭り戦勝を祈願したのがこの神社の始まり。
・天武天皇の創建と伝えられるが後に焼失、現在の社殿は豊臣秀頼の再建で春日造り。
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「大井関ろじ渓谷」
・樫井川の中流に堰堤を造って周辺の田畑に水を供給したので大井関と呼ばれている。
・渓流美とソメイヨシノで知られ、「大阪みどり百選」にも選ばれ、岩がつくる景観と谷底の清流がすばらしい。
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「意賀美神社」 (おがみじんじゃ)
*右の写真は、本殿で、一段高いところにあり、階段を上って行く。
・延喜式神名帳に記載されている古い神社。
・祭神は「タカオカミ」で竜神即ち水を支配する神。
・本殿は、15世紀室町時代中期の造営で、本殿全体に彩色を施し、細部様式に室町時代の特色をあらわしている。
2013/04/11のBlog
今年、第2回の『自然観察会』の報告です。
・日時:4月10日(水)am10時~12時半
・場所:奥の谷(富田林市)
・講師:田淵 武夫先生(富田林の自然を守る会代表)
・参加者:7名(女性)
:曇り時々晴れ。寒の戻りで、寒い朝でした。
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○右の写真は、ウワミズサクラを観察しています。
【ウワミズサクラ(上溝桜)】 (バラ科)(花期:4~5月)
今年は開花が早く、満開の時期。高さ20m、落葉高木。本年枝の先端に6~8cmの総状花序を出す。前年枝は黒紫色で光沢がある。奥の谷では雑木林にヤマザクラより遅れて咲く。

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○右の写真は、タンポポなどを観察しています。
【カンサイタンポポとセイヨウタンポポ】(キク科)(花期:2~5月)
田淵講師より、タンポポの在来種と外来種との見分け方などについて解説。
《カンサイタンポポは、高さ10~20cm。関西(近畿地方以西)に多いのでこの名がある。全体に小柄で総ほう(花の下の部分)が反り返らず突起も無いのが特長》
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4月10日に観察した草花・樹木
「春の草花」…「ウマノアシガタ(金鳳花)」、「オオイヌノフグリ」、「カラスノエンドウ」、「カンサイタンポポ」、「ギシギシ」、「キュウリグサ」、「コハコベ」、「シュンラン」、「スミレ」、「セイヨウタンポポ」、「タチツボスミレ」、「ニオイタチツボスミレ」、「ノジスミレ」、「ヒメオドリコソウ」、「ヤワゲフウロ」など
*右の写真は、 【タチツボスミレ(立坪菫)】 (スミレ科、花期:4~5月)で、今が、スミレの花咲くシーズン(あと1~2週間で終り)です。
「春の樹木」…「アオキ」、「ウスノキ」、「ウワミズサクラ」、「コバノミツバツツジ」、「サイフリボク」、「ヤマザクラ」、「オオシマザクラ」など
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次回の『自然観察会』のご案内
・日時:5月8日(水)午前10時~午後1時半頃
・場所:弘川寺(河南町)
・講師:田淵 武夫先生
・参加費:500円(交通費は別途必要)
・詳細は、後日、ご連絡します。
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