『徒然草』〜心と言葉〜⑤言語生活と芸能


・3月16日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:小野恭靖先生(大阪教育大学教授)
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**『徒然草』の講義**
第1回(兼好法師とその時代)、第2回(達人と奇人)、第3回(生き方の美学)、第4回(無常ということ)、今回は第5回で最終回。
・徒然草は、鎌倉時代末期(1330年頃)に成立した随筆。作者は兼好法師。序段を含め244段からなる。兼好は歌人、古典学者で、内容は多岐にわたり、日常的な話題から、自然観・恋愛観・人生哲学・処世訓を述べる。
・序段「つれづれなるままに、日ぐらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」

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○第五回『徒然草』−言語生活と芸能−
第四十五段(公世の二位のせうに)
(意訳)「藤原の公世(きんよ・歌人)の兄で、良覚僧正(僧正は僧官の最高位)は、怒りっぽい人であった。寺のそばに大きな榎(えのき)があったので、人々が「榎の僧正」とあだ名をつけた。すると僧正は、この名はけしからんといって、その木を伐っておしまいになった。ところが、その根が残っていたので、人々は「きりくいの僧正」とあだ名をつけた。僧正はいよいよ腹を立てて、その切り株を堀り捨てたところ、その跡が大きな堀になった。人々は「堀池(ほりけ)の僧正」と言ったそうだ。」
・あだ名に腹を立てたがその原因を取り除いても、次々に新しいあだ名が付けられた高僧の話。

百三十五段(なぞなぞ)
(意訳)「老齢の藤原資季(すけすえ)が、若い源具氏に向かって、(あなたが尋ねることは、どんなことでも答えられる)と言われた。…院の前でご馳走を賭けて対決をすることになった。…具氏(ともうじ)は、「幼い時から、聞きなれている、意味のわからないことがある。【むまのきつりやうきつにのをか中くほれいりくれんとう】はどういう意味でしょうか。…資季は、答えにつまって、(これはつまらないことだから、説明の価値もない。)と言われたので、資季の負けとなって、具氏に御馳走を振舞ったそうだ。」
・この段は、年上の自信満々の人が、思いもよらぬ肩すかしをくらって敗北し、失笑を買うという設定。軽妙かつ鋭く指摘している。
・この「むまのきつりやう—」は、言葉遊びのなぞなぞで、古来、諸説(柿、雁、顔つき、枯木など)があって定かでない。

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二百二十五段(白拍子の起源)
(意訳)「多(おほひ)の久資が申したことは、藤原通憲(信西)が舞の所作の中で、おもしろいものを選んで、磯の禅師という女に教えて舞わせた。…禅師の娘で静(しずか)という女が、この芸を受け継いだ。これが白拍子の起こりだ。歌は神仏の縁起や由来を謡った。」
・多久資(おほのひさすけ)が語った白拍子(しらびょうし)(平安末期に流行した歌舞芸能)の起源。

二百二十六段(平家物語の作者)
(意訳)「…(前略)。藤原行長は、平家物語を作って、生仏(しょうぶつ)という盲人に教えて語らせたそうだ。延暦寺のことは詳しく書いてある。また、源義経のことも詳しく知っていて書きのせた。…武士のこと、弓馬のわざは、生仏が東国の生まれだったので、武士にたずね聞いて書かせたそうだ。この生仏の天賦の声を、今の琵琶法師はまねているのだ。」
・平家物語の著者と平家琵琶の起こりについての伝承。平家物語は、異本の多いことで知られる。兼好がどのような平家物語に触れていたかは確かめられない。