夏目漱石『坊っちゃん』を読む−もう一つの物語−

・日時:3月23日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:瀧本和成先生(立命館大学教授)
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『坊っちゃん』を読む
(1)作品の時間構成
・現在−過去(回想)−現在
(2)作品の舞台:東京と四国
(3)あらすじ
◆書き出し−「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。小学校にいる時分、学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かしたことがある。父は可愛がってくれず、母は兄をひいきにする。…ところが下女の清(きよ)だけは、〈あなたは真っすぐでよい気性だ〉とおれをほめてくれる。」
◆四国の中学校の教師に赴任−「物理学校を卒業し、数学の教師として四国の中学に赴任。四国はおれには野蛮なところに見えたし、中学にはロクな教師はいない。宿直の日に蒲団にバッタをいれるなどタチが悪い。策士の赤シャツ(教頭・東大出の文学士)、その取り巻きの野だいこの姑息な策略にまきこまれる。ことなかれ主義の校長の古狸、許嫁のマドンナを赤シャツに取られる好人物のうらなりなどが絡む。」
◆ラスト−「山嵐と坊っちゃんは、赤シャツと野だいこを鉄拳制裁し、松山をあとにする。東京に帰ったおれは、街鉄の技手(市電の運転手)となって、清と一緒に暮らした。…《清は、気の毒なことに今年の二月肺炎にかかって死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺に埋めてください。お墓のなかで、坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますといった。だから清の墓は小日向の養源寺にある。》」

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(2)作品の基調
この作品は、清と一緒でなかった四国が舞台であるが、清という存在の価値を発見していく過程が、作品の基調となっている。
「おれは、到着早々、清に宛てて、松山での体験や学校のことなどを報じた手紙を書いた。…何か事件にあうごとに、まわりの人間と比べて清が、〈教育もない身分もない婆さん〉ながら、〈人間としては頗る尊い〉ことに気づく。遠くの土地で孤独を味わうことによって、始めて身にしみてわかってきたのだ。」
・(右の資料)「坊っちゃん」の冒頭文…「坊っちゃんは父親、兄とは仲がよくない。ある時兄貴と将棋をさしたら、卑怯な待駒をして冷やかしたので、手に在った飛車を眉間へ放ったら、当たって血が出てしまった。父親から勘当だと言われる。そうすると清が、どうか勘弁してやってくださいと涙を流して父親に詫びを入れて許される。」…この清が、漱石が描いていた理想の母親像。
・「坊っちゃん」とは、清が「おれ」に親愛の情をこめて呼んだ愛称であった。
・清は理想的な女性(母であり、妻であり、恋人であり)。坊っちゃんと清の愛情物語。

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**あとがき**
・夏目漱石(1867−1916年)。本名金之助。江戸に生まれる。五男三女の末っ子。母42歳で晩年の子として疎まれ、すぐに里子に出される。里子が終わると今度は養子にやられ、養父母に育てられる。9歳の時、養父母が離婚し、夏目家に帰ったが、父母は必ずしも温かく迎えなかった。肉親の愛に恵まれなかった幼児の原体験が、後年の漱石文学に様々な愛とエゴイズムの種々相を描くことになる遠因の一つである。
・「坊っちゃん」:明治39年(1906)発表。
・「坊っちゃん」がいかに清を愛していたか。…「清の墓は、小日向の養源寺にある。」(清の遺言通り、坊っちゃんンの家の墓に入れた)というラストの一文は心に響く。

*(注)近代小説の恋愛小説の始まりは、森鴎外の『舞姫』で、美しい踊り子と孤独な留学生の悲しい恋物語。人間のエゴイズムが出てくる恋愛。鷗外自身の体験をもとに書かれた。『舞姫』作品の時間構成は、『坊っちゃん』と同じく、現在−過去(回想)−現在である。n
*「恋愛は人生の秘鑰である。」(北村透谷) 秘鑰(ひやく)(=秘密を解くカギ)